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「あの……エリュ……じゃなくて中学までは海外にいました、澪月雫です。よろしくお願いします!」

 たどたどしい言い方で、大仰にお辞儀をした姿を見たのはほんのひと月ほど前のことだ。

 初等部から中等部に上がったときはほとんどが見知った顔だったが、高等部ともなると外部進学のやつもけっこういるんだな……などと思ったような気がする。あと、今時っぽくないストレートロングの髪も、ちょっと違和感あったっけ。

 帰国子女というふれこみの澪月は、いろいろな面でズレていた。人気のタレントについてもまったく知らないし(海外に日本のテレビはないから当然だが)、ある女子が笑いながら言うには和式便所の使い方さえ知らなかったらしい――どんな失敗をしたかまではさすがに口にしなかったが。

 いわゆる天然キャラってやつだ。

 しかし、周囲からのウケはよかったようで、たちまち取り巻きができて、休み時間などはいつも人垣のなかにいた。

 まあ、それなりに顔がよくて、成績もそれなり――さすがに国語や地理はダメダメだったが、数学と英語はちょっとしたものだった――ともなれば、人気が出ないはずがない。ただでさえ、内部進学組はたがいに飽きが来ているのだ。

 初等部以来、クラスの輪から一定度の距離をおいてきたおれとしては、今更、クラスの人気者にすり寄る必要もなかった。

 そういえば、まともに会話をした記憶もない。

 クラスが同じなだけで、接点のまるでない関係だったわけだ。

 それなのに――だ。



「――ってわけだから、人にしゃべっちゃだめだよ、ええと……石澤功武くん?」

 おれんちの食堂兼居間のダイニングテーブルに席を占めた状態で、澪月雫は30分近くを使って自分の正体について説明してくれた。

 頼んでないのにな。

 なんでも、この世界と隣接したところに異なる世界があって、そこでは科学のかわりに魔法が発達しているそうで、澪月はそこの住人なんだそうだ。そこにおける魔法の最高学府エリュシオンの学生でもある彼女は、「卒業研修」で、こちらの世界にやってきたんだという。

「はあ……」

 おれは深いため息をついた。澪月が強引に押しかけてきて説明を始めなければ、あれは幻覚の一種として片付けるつもりだったのに。

「つか、それを信じろって? おれに?」

「だって、飛んでるところ見たでしょう? わたしが魔法を使っているところを――もう隠してもしょうがないじゃない」

 澪月は真剣な口調で言った。

 落下直後は取り乱し、大泣きし、泣きながらおれの手首をつかみ、「きみの家どこっ!?」と詰め寄ってきたのが嘘みたいだ。

 というか、そのとき、落下の衝撃で澪月は足首をくじいていて、その治療も必要だったわけだが。その成果は、澪月の足首から漂う膏薬臭が教えてくれている。

「飛んでた……なあ。あれが魔法なのか」

 思い浮かべてみる。脳裏に浮かぶのは、真下から目撃した白い太股なのだが、それは口の端にものぼらせない。

「飛行魔法は、まあ、中級レベルね。使う触媒にもよるけれど」

 なぜか知らないけど、自慢そうに澪月が胸をそらしている。

「でも、おそろしいほど低速度だったぜ。あれだったら、歩いたほうがいいんじゃねえか?」

「それはっ! 練習中だったからよ! あっ、ほうき!」

 言い訳をしようとして思い出したらしい。彼女が使っていたほうきは柄が真ん中から折れて使い物にならなくなっていたので、捨てたのだ。

「弁償してくれるんだよね?」

「なんでだよ。むしろ、治療費を払え。だいたいにして飛行術に習熟していないくせに市街地の上空を飛ぶんじゃねえ。裁判やったらこっちが勝つぞ、こら。」

「ぐう」

 ぐうの音は出るらしいが、澪月はそれ以上の言葉には詰まった。

「……だって、もうすぐ試験があるんだもん」

 なんでも「卒業研修」には課題が定期的に出されるらしく、それに失敗すると、最悪、強制送還もあるらしい。

「帰っちまえばいいじゃないか。なにもこんな世界に好きこのんで来るこたーねえ」

 おれは何の気なしに言った。と。

「なに言ってるの! あたしはねぇ、ここに来るのが夢だったのよ!」

 思わぬ強さで反駁がきた。

「あなたにはわかんないでしょうけどね、こっちの世界は凄いのよ、マナの濃度が! このあたしが飛行術をまがりなりにもできちゃうくらいなんだから!」

「マナ? 濃度? なんだそりゃ」

「うあ、そこから説明しなくちゃなんないの? 信じられないわね」

 いや、別に説明してほしいわけじゃないんだが――どうやら、澪月という女、かなりの説明好きらしい。というか、ふだんは劣等生で他人から教わってばっかのやつが、何かの機会で自分より物知らずの人間を見つけると、自分の知識をひけらかしたくてしょうがなくなる――ってやつかもしれない。

「マナっていうのは魔法のモトよ。目に見えない――あなたたちの「科学」では観測できない――小さな粒だとも波動だとも言われているわ。それを固有波長で共振させることで、魔法は発動するの」

「はあ」

「たとえば、ファイヤーボールって魔法がよくあるじゃない。あれも、マナを振動させて実体化させて、空気分子をぶつけ合わせることで高温プラズマ化させてるのよ。氷系の魔法はその逆で、分子の運動をマナをつかって相殺することで温度を下げて、空気中の水蒸気を氷化してるのよ――おわかり?」

 鼻の下にヒゲでも生えてきたかのように偉そうな澪月である。――って、コイツ、こんなキャラだっけ。おれの記憶では、もっと優等生ぶって、神秘的な――

「とにかく、こっちの世界で修行すれば、あたしだって一人前の魔道士になれるかもしれないし、何より、向こうではうまくいかなかった魔法がことごとく成功するから、気分よくって――」

「――澪月、おまえって、向こうではできない子だったのか?」

「えあっ!? なっ、なんでそんなことを?」

 わかりやすい狼狽。

「おまえの言動を見てると、なんかそういう気がしてきた」

「く……う……あ、あっはっはっ」

 笑ってごまかそうとしている?

「でもさあ、そういうの――卒業研修だっけ?――優秀なやつが選ばれるんじゃないのか?」

「たしかに……あたしも不思議だったのよね、ハインリヒやマリアはわかるんだけど、なんであたしが……って……はっ! バカってばれた?」

 澪月があわてたようにおれを見る。ふつう、こういう顔立ちだと、お高くとまっているように見えたり、性格きつそうに感じられたりするのだが、こいつの場合はなんというか――これで顔までゆるかったら救いようがない、というところで神様がバランスを取ったんだろうな、という気がしてくる。

「バカなのか? でも、おまえ、数学とか英語とか、すごいじゃん」

「数学はね……魔法って基本は数学なのよ。マナをどの波長で共振させるかっていうのは、結局計算なの。もちろん、いちいち暗算してるわけじゃなくて術式があるんだけど――あと、エリュシオンの共通語はこっちでいうところのスペイン語だから、英語との共通点がないわけじゃないし――」

 魔法学府エリュシオンというのが、こっちの世界でいうところのイベリア半島にあるっていう話は最初の30分間の説明のうちに含まれていた。おれたちから見た異界――澪月の故郷である世界も、基本的にはおれたちの住む地球と同じ惑星らしい。ヨーロッパもあればアジアもアフリカも、アメリカもある。ただし、歴史がまるで違っている。

 そこでは科学のかわりに、魔法が発達したということだ。世界の中心的役割は、<魔法王国>と呼ばれる国――おれたちの世界でいえばスペインとポルトガルにある場所――が担っていること。そして、その魔法世界とこの世界は一種の双子的な関係で、強力な魔法術式によってたがいに行き来ができるということ――ただし、それには、魔道士でも最上位クラス――導師級の技術と、大量のマナが必要らしいが。

「あたしたちの世界ではマナが枯渇しかけているの。魔法を多用しすぎたからしょうがないんだけどね。だから、あたしたちのような研修生を送り出すのも大変なの。選抜はそれはそれは厳しくて、その学年における成績優秀者、多くて7人までしか選ばれないのよ。そのうちの一人があたしなのですが」

「でも、バカだと」

「バカって言うな!」

「自分で言ってたろ」

「あ、そうか」

 なんて頭の悪い問答をしているんだろう、異世界から来た魔法使いを自称するクラスメートの女と、夜、それなりに遅い時間まで、自宅でだべっているなんて。

 ん? 時間?

 いま何時か、確認しようと思ったときだ。

「お客さんか」

 リビングに入ってきたのは親父だった。やばい、もう帰ってくる時間だったのか。にしても、玄関が開いた気配も感じなかったが、それだけ澪月との話に気を取られていたということか。

「おじゃましてまぁす」

 女ってのは恐ろしい。まったくあわてたそぶりさえ見せず、澪月は立ち上がってうやうやしくお辞儀をした。

「おやおや、功武のやつもやるもんだな。久しぶりに友達をうちに連れてきたかと思ったら、こんなかわいい女の子とは。いや――ぼくが知らなかっただけで、もう何度か来ているのかな?」

「今日が初めてです、うふふ」

 うふふ、じゃねえ。なんだよ、その変わり身は。

「功武さんのクラスメートで澪月と申します。濡れた月と書いて、みおつきと読みます。この近くで足をくじいて困っていたら、通りかかった功武さんが助けてくださったんです」

 重要な情報が間引かれているし、時系列にも操作が加えられているが、まったくの嘘というわけでもない。

 親父はどうやら信じたようだ。

「へえ、うちのバカ息子でも役にたつことがあるんだね――いいとこあるな、功武」

 後半はおれに向けてウィンク。バカ親父め、うれしそうな顔するんじゃねえよ。

「功武くん、素敵なお父さんだね」

 澪月もおれに意味ありげな笑顔を向ける。まあ、それはそうだろうよ。

 おれの親父、石澤充留は四十歳になる現在も金髪ロンゲ、ピアスに無精髭、服装は革ツナギにシルバーアクセじゃらじゃら、という、アホ、なのだ。

 しかも、顔が無駄によくて、二十代後半にしか見えないことをいいことに、お袋と死別した後はフラフラフラフラしている極道中年なのだ。

 いちおう職業は文具屋の営業なのだが――よく勤まっているものだと感心する。

 正直いって、おれとしては、この親父とクラスメートを――特に女子は――会わせたくない。中等部時代にもいろいろあったのだ。

 おれはもういやだ。クラスメートの女を「母さん」と呼ばなくてはならないかもしれないリスクを冒すのは。(いや、その前に親父が逮捕されるリスクのほうが大きいか)

「功武、晩ご飯まだだろ? 澪月さんも――よかったら、夕飯いっしょしない?」

 スーパーで買い込んだらしい食材を買い物袋から取り出しながら、親父が誘いかける。

「いや、澪月んちの親とか心配するからさ――」

「わあ、いいんですか? いただきますぅ」

 おれの言葉を強制キャンセルして、澪月がはしゃいだ声をあげる。

 ――これは、いったいどういう展開なんだ?


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