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まあ、もちろん、異世界から、親ごとやってきてるなんてことはないわけで――
だから、澪月は学校近くのアパートで一人暮らししているわけで――
こっちの世界にやってきてからの数ヶ月、コンビニ弁当以外を口にする機会もなく――
しかも、うちの親父は無駄に料理が巧かったりするわけで――
さらに、澪月は食い物への防御力がことのほか低いらしく――
食い過ぎで身動きもできなくなり、おもしろがった親父が「もう泊まってっちゃいなよ、雫ちゃん」などと言いだし――
「がんばれ、息子よ」と親父に肩をたたかれた、わが家の間取りは2DK。
で、こうなる。
おれの部屋に布団が二組。
――いや、まあ、親父の部屋で寝かせるよりはましなんだろうが。
「うー、あー、むー」
うなっている。
「たべすぎだー」
反省しているのか。
「でも、おいしかった……もっと食べたい」
懲りてねえ。
「あのなあ、澪月、おまえ、いったい何考えてるんだ?」
さすがにクラスメートの女子といきなり布団を並べておねんねする勇気はなく、椅子に腰掛けた状態で、おれは強めの口調で言った――もっとも、声はひそめている。なぜならば、まず間違いなく、隣の部屋で親父が聞き耳をたてている。そういう男だ。
「おまえの話が本当だったとする――でも、それと、この状況がどうつながるんだ?」
澪月はちょっと黙った。こいつがまじめな表情をすると、すっと距離が遠ざかる気がする。
「ごめんね、功武くん――でもね、理由はあるの」
「理由って――なんだよ」
声が大きくなりかけるのを制御して、おれは問う。
「あたしたちの研修旅行にはルールっていうか――オプションがあるの」
「オプション?」
「現地の――あ、ごめ――この世界の、人間(ひと)を、一人だけ――仲間にできるの」
「はあ?」
「あたしたち正体はもちろん秘密なの。ばれたら、あたしたちの世界のこともわかってしまう。そうしたら――たぶん、とてもひどいことになる。でも、やむにやまれぬ不可避の理由で、ばれてしまうこともあるから……その今日みたいに」
今日については、明らかに澪月の過失だったと思うが。勝手に上空から落ちてきて、「不可避の理由」もないもんだ。
「だから、そういう場合には、きちんと事情を説明して、仲間になってもらうの。この世界における――サポーターっていうの?――応援してくれる人。というか、ごはんとか作ってくれる人」
メシかよ、結局。だったら、親父の方が適任だろう。
「だって、キミなんだもん、あたしの初めてのひと」
「正体を、知った、が抜けてるぞ」
ややこしい発言を、掛け布団から半分顔をのぞかせた状態でするんじゃねえ。なんか隣の部屋で奇声が聞こえたぞ。ヒャッホーイとか。明らかに誤解をしているヤツが一人いる!
あとで締めとかないとな、と思いつつ、おれは最初から違和感を感じていたことを口にする。
「それに……なんというか……ヘンだぜ、こういうの。ふつう、正体を知られたらもっとあわてるとか、ごまかそうとするもんだろう? 妙に積極的に正体をバラしてきたし――それに、正体を知られたから味方につけるって話にしても、いまいちピンとこねえな。おれはおまえの正体になんか興味ねえぜ」
どちらかというと、厄介事には巻き込まれたくない。
布団のなかで澪月は目を細めていた。口元はかすかに笑っている。
「そうだね――気づくよね――やっぱり」
起き直る。着ているのは、親父がどこからか引っ張り出してきた女物のパジャマだ。むろん、お袋のものじゃなく、もっと若い子用の――なんでそんなものがうちにあるのかについては考えないことにする。
「ちゃんと話します。そのためにちょっとだけアレを使うから――待ってて」
「アレ?」
「魔法」
言うなり澪月が右手の指を二本そろえ、空中に形を描く。
「術式――シールド、レベル1」
指の軌跡が光をはなつ。何もないところに図形が浮かび上がる。シンプルな三角形――その外側を円をえがき、封じ込める。
「略式詠唱――」
澪月の唇から聞いたことのない言葉が流れ出す。しかも高速だ。それにあわせて、光の軌跡が拡大する。
「展開――実装」
ちゅいん――音がして、軌跡が部屋を囲み、壁を造り出す。
あっという間に部屋全体が漆黒の壁に覆われてしまった。
床もなくなり、おれの身体は宙に浮いていた。すぐ側に澪月がいる。重力が働いていないのか、長い髪がふわりとひろがっている。
「簡易結界よ。ここならば、少なくともわたしより能力の高い魔法使いが介入しない限り、だれにも話を聞かれることはないわ」
「だからさ――こういうのは迷惑だっつてんだろ」
おれはため息をついた。こういうことをすれば、おれがうろたえるとか思ったんだろうか。
「目的はふたつあるわ」
澪月は指を二本つきだした。
「ひとつは、キミのおとうさんにも話を聞かれたくなかったから――人払い。もうひとつは――キミの適性を見たかったの」
「適性?」
「全然驚いてないよね、キミ。あたしの魔法を見ても――ううん、その前に、あたしが飛んでるとこを見ても平気だったでしょう」
「いや、平気じゃないぞ。かなり驚いた」
パンツが見えたからだが――そこのところは黙っておく。
「まずね、普通だったら、気づかないのものよ。頭上を魔法使いを飛んでるなんて思わないしね。それに、たとえ見たとしても信じないのよ、脳が非現実を受け入れないから」
人間の感知する世界はそのすべてが脳の描き出した仮想現実だ。人知を超えたところで実際何が起こっているかは知れたもんじゃない。赤い色のものがほんとうに赤いかどうか、検証するすべはない。「赤」という概念に勝手にあてはめて納得しているだけだ。他人が見ている「赤」と自分が見ている「赤」が同じものかどうか知ることは、おのおのの脳ですべてを判断する人間には不可能なのだ。
「こっちの世界はマナの濃度がなぜかとても高い。だから、そのマナがその世界に住む人間にもとけ込んでいる。脳にもね。いうならば、マナと自然に調和できる人がいるのよ。それがキミ」
「意味わからん」
「要するに。マナを介して起きることを自然に感知できる体質ってこと」
人間が、自分にとっての現実を、感覚器から取り込んだ情報をもとに脳で再構築しているとしたら、マナを感知できない人間はマナがらみの現象を見落としてしまう――というか、脳そのものがそれを現実として構築することができない――ということか。
魔法がすぐ側で使われていても、気づけない?
だから、澪月は無防備に住宅街の上を飛んでいた――というのか。
「あともうひとつ、そういう人ってそのまわりのマナを安定させる傾向があるのよね」
澪月は弟に勉強を教える姉の口調で付け加えた。
「さっき使ったシールドの魔法ってさ、一定度の空間を周囲から切り離す術式なんだけど――あたし、ほとんど成功させたことがなかったのよね」
「へえ、そうなのか」
「マナの波動が安定していて、すごく操作しやすかったの。たいていは位相のズレを修正できなくて爆発させちゃうんだけど、今回はうまくいったわ」
しれっと言う澪月にとりあえず突っ込んでおく。
「そんな危険な魔法を無警告で試したのか」
「危険じゃないよ、初歩の術式だし。壁や天井が吹き飛ぶくらいだってば」
どうやらうちの親父は命拾いをしたようだ。壁にへばりついて聞き耳をたてていたはずだからな。
「ともかくも、キミのサポートがあれば、あたしの魔法の力は確実にアップするわけ。もうすぐ試験があるから、それまで手伝ってほしいの。て、ゆうか、魔法を使う時に、あたしの側になんとなくいてくれたらいいだけなんだけど」
澪月は両手を合わせた。目撃者の口封じと協力者の獲得を同時に達成しようってわけか。
「代償は?」
「え?」
お願いポーズのまま、目をあげる澪月。
「おれにとっては何のメリットもないだろう。マナだとかなんだとか、意味わからないしな。おれがおまえの課題とやらにつきあって、おれに一体どんな得があるんだ?」
「ま、魔法少女と放課後いっしょにいられますよ?」
「いたくねえ」
「ほらほら美少女ですよ?」
自分のほっぺを人差し指でつくつくする。
「鏡見てこい」
「うわ、ひどっ……そりゃあ、マリアほどの美人じゃないけど……」
本気で傷ついたようだ。ごにょごにょ何か言っている。
「とにかく、シールドの魔法とやらを解け。おまえの正体のことなら忘れてやるから安心しろ。というか、もともとどうでもいいんだよ。魔法だとかなんだとか――くだらねえ」
おれは吐き捨てた。
澪月は眉をくもらせた。困惑しているような――悲しそうな――
「魔法はくだらなくなんか、ないよ。すごい力だよ」
「すごい? どうすごいんだ? 空なんて、飛行機で飛べるぜ。シールドの魔法? 防音室だろ、要するに。ほかに何ができるってんだ?」
別にムキになる必要なんてない。それはわかっていたのだが、どこからか言葉がわき出てしまっていた。
「そりゃあ……こっちの世界は科学があるからたいていのことはできちゃうかもしれないし……魔法って基本的には環境に働きかけて意に沿うようにするものだから、科学ほど便利じゃないかもしれないけれど……」
「そうだろ? ったく、なんでわざわざよその世界にまで押しかけてくるんだ? こんなつまんねえ世界に――バカじゃねえか」
そんな価値はこの世界にはないんだ。こんな、ゲロのつまったような世界には。
「でも……こっちは……マナが……それに……」
澪月の声が弱々しくなっていた。
「こっちならあたしにもうまく魔法が使えるし……手伝ってもらえたら、試験だってもしかしたら……」
「それが意味ねえって言ってるんだろ! 試験に通って、なんだよ? はっ! そんなにいい成績が取りたいのか? どうぞどうぞ勝手にやってくれよ。ただし、おまえの世界でな――帰れよ、とっとと!」
さすがに言い過ぎたんだろう。
魔法が解除され、いつものおれの部屋にもどる。
澪月は無言のまま布団にもぐりこみ、身体をまるめる。おれはため息をついて、灯りを消した。さすがに隣り合ったふとんで寝る気にはならない。机にほおづえをついて、目をとじる。
かすかに泣いているような気配があった。
「帰りたくても……帰れないもん……」
そんなつぶやきが聞こえた気がした。
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