4
目が覚めるとおれはふとんのなかにいて、もうひと組のふとんは完全に片付けられていた。
澪月が泊まったという痕跡はどこにもなかった。
親父も仕事にもう出かけていたから、澪月がどうしたかを確認することもできなかった。
まったく――今日もいつものように最悪だ。
それでも――いや、それだからか――おれは学校に行く。最悪さをさらなる最悪で塗りつぶすために。
どうして夕べ、あんなに攻撃的になってしまったのか、自分でもよくわからない。
魔法を否定したかったのだろうか。もともと興味もないし、実在してようがいまいが関係ないと思っているのに、なぜ否定しなくてはならなかったのだろう。
澪月のことが不愉快だったからか。まあ、空気をまるで読まない図々しさや脳天気っぷりには辟易させられたが、だからといってああまでやりこめる必要はない。無視すればよかっただけだ。
たぶん、ムカついたんだ。
異世界からこの世界に――立派な魔法使いになるためにやって来た――という澪月のスタンスに。
なんで、この世界なんだ。なんで、今なんだ。なんで、この街なんだ。
まるで、この世界に、この時間に、この街に、価値があるみたいじゃないか。
それが許せなかった。
いっそ、あいつが悪い魔法使いで、「この世界を滅ぼすために来た」とでも言ってくれていれば、おれは協力を惜しまなかったかもしれない。
そんなことを考えつつ、始業時間ギリギリに教室にたどりつき、隅の自分の席につく。むろん、だれともあいさつすることなく、されることもなく、孤独な定位置に――
と、思ったのだが。
「おい、石澤」
クラスの男子が数人、おれの机を取り囲むようにする。
名前も知らない――山岡とか山西とかだっけ――やつら。ただ、複数が相手だから、多少は緊張する。喧嘩になったら、相応の覚悟をしなくちゃならない。
だが、やつらの顔に浮かぶのは明確な敵意というよりも、好奇心、そしておびえ、おもねり――嫉妬――がないまぜになった感情だった。
「おまえ、澪月さんとつきあってるって、本当か?」
「それどころか、ど、同棲してるって話」
なんだそれは。
おれはも教室の中央あたりの澪月の席を見やった。女子生徒たち――男子も数人いる――が取り囲んでいる。それはまあいつもの光景だが、明らかに澪月が弁明している。おれの視線に気づいたか、澪月がふりかえる。目が合う。何かが走る。澪月が目をそらす。なんだよ。今のなんだよ。
「隣のクラスの桑島ってやつがさ、新聞配達してるんだよ、バイトで。そいつが見たんだってよ、おまえんちから澪月さんが出てくるの、今朝」
山村だか村西だかが、咳き込むように言う。
「早朝だぜ? 泊まったとしか思えないだろ」
「目ぇ赤かったってさ。徹夜でもしたみたいに――そういや、おまえも目ぇ赤いな」
好色な想像――賛嘆に近い好奇心――
そういうことか。くだらない。
おれは無言で立ち上がった。男子生徒たちが気圧されたようにのけぞる。
「どけよ」
かばんを手に取ると、おれは歩き出す。ちょうど一時限目の授業にやってきた教師とすれ違う。呼び止められるのを無視して教室を出る。
誤解であることを主張するとか、足をくじいた経緯を説明するとか、いっそ、親戚だというような作り話をするとか、いくらでも立ち回りようはあったのかもしれない。しれないが、おれにはそんなことできない。
人が信じるように、信じてもらえるように、話をすることがおれにはできない。
授業の始まる気配がひろがっていく校舎をおれは逆行した。
逃げ帰るべき場所は、悔しいことに、うちしか思いつけない。
でも、そこには戻りたくない。欠けている。破綻している。機能停止している。
だから、街へ。街へ行こう。
靴を履き替え、体育の授業をしている別の学年の生徒の奇異の視線を浴びながら、おれは校門から外に出ていこうとした。
そのおれに背後から呼びかける声と靴音が――
「待って! 功武くん、待って……!」
なんてことだ。
澪月雫が追ってきている。上履きのまま。右足を引きずるようにしながら――
「なんでくんだよ、おまえ! 誤解がとけねえだろ、バカか!」
「だ、だって……」
異物を呑みこんだ猫のように、澪月の表情が固まる。
「戻れよ、教室に! おれとおまえは無関係なんだからな! 本当のことだから、いくらでも説明できんだろうがよ!」
おれにはできなくても、澪月ならできるはずだ。明るく振る舞って、笑顔でギャップを埋めて、いつしかみんなを納得させる。これまでの一か月、そんな空気を常につくりだしていた――澪月なら。
「そ、そうじゃないの――そうじゃなくて……っ」
澪月がうろたえている。スカートからのぞく膝が震えている。
「始まったの、き、急に……」
「何がだよ!?」
と――周囲の空気が突然、冷たく、重くなった気がした。
グランドで体育教師の吹くホイッスルの音までが低くゆがんでいくような――そんな重み。
これは――この感覚は――
「マナの濃度が急に高まって――」
そういうことなのか? おれにはそれがわかるというのか?
空間そのものが違って見えているのも、そのせいなのか? マナを感知できるというおれの脳が、違うふうに世界を認識しはじめている――
その歪みの中心部は――外から、校門に向かってゆっくりと進んでいた。
人の形をしたモノ。
その周囲のマナの活性状況――まるで沸騰したヤカンの周囲に熱のオーラがたゆたうような――
「試験が……始まったの」
絶望したかのように、澪月がささやいた。
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