8

「作戦が必要だろうな」

 翌日の放課後。

 おれと澪月は図書館にいた。

 理由はいくつかあって、まずは昨日の二人そろってのエスケープが意外に大問題になっていたこと。朝、さっそく職員室に呼び出され、理由を詰問された。当然、澪月がおれの家に泊まっていたらしい、という情報も教師の脳にはインプットされていた。

 おれはしどろもどろになったが、澪月は落ち着いたもので――長時間の睡眠と、うちの親父の料理が回復薬になったらしい――昨日の衰弱っぷりは毛ほども見せず、堂々と理由を述べたてた。

 いわく、おれの親父と澪月の親父は古くからの親友だった。この学校に転入する前から澪月はおれの家によく遊びに来ていた。さらには現在、澪月の両親が長期旅行中で、留守のあいだ、おれのうちで世話になることになっている、という説明を加えた。したがって、今朝も一緒に登校しました、と胸を張って宣言したのだ。

 これには教師も疑いを持ったらしく、うちの親父に連絡を取った。昨夜のうちに口裏を合わせてあったらしく、澪月の申し開きは完全に裏付けられた。うちの親父は、女性関係の行跡は悪いものの、黒森市随一の文具メーカーの営業部長として相応の社会的地位があるのだ。電話だけなら、茶髪もピアスもわからないしな。

 そのようにして一応の釈明はできたものの、エスケープについては不問にふされるというわけにはいかず、二人そろって反省文の提出を命じられた。

 ただ、澪月の説明はクラスメートたちには「同棲宣言」と受け取られ、教室ではあらゆる種類の質問や揶揄、男子生徒からは羨望混じりのからかいの言葉をぶつけられ、どうにも居所がない。ましてや二人で話をするなんてもってのほかである。

 つまるところ、当日提出が義務づけられた反省文の執筆と、今後の行動予定について議論するためには、放課後、生徒の利用がほとんどないさびれた図書館で落ち合うしかなかったのである。

 

「――作戦って?」

「あのなあ。昨日のあれ――マッチアップか――あれはまだこれからも続くんじゃないのか? また不戦敗ってわけにもいかないだろ?」

「そうだけど……」

 澪月はシャープペンシルを上唇の上に乗せて――そういうアホっぽいことを無防備でする女なのだ――気のない様子で言った。

「知っての通り、あたし、攻撃魔法なんて使えないし」

「知らねえよ! なんも使えないのかよ?」

「そんなに驚かなくてもいいでしょ」

 すこし気を悪くしたみたいだ。

「――まあ、おれも使えないしな、普通だ普通」

「フォローになってないなあ……」

 ほおづえをついて睨んでくるが、まあまあ、これがいつもの澪月だ。

 それでも、昨夜、目を覚ましてからはしばらくはひどかったのだ。

 カルコスのことについて自分を責めて泣き続けた。その途中に親父が帰ってきたときはかなりやばかった。なにしろ、澪月を寝かせた敷き布団のシーツには血の跡が点々としているわ、服装も髪もひどいもんだわで、おれはたぶん十年ぶりくらいに親父に殴られた。澪月自身の弁護がなかったら殺されていたかもしれない。

 それからいくつかのイベントを経て「クローザー流のガッツポーズ」につながるのだが、昨夜は親父にとっても波瀾万丈な一夜だったと思う。

 それはともかく――ようやく落ち着いた澪月にカルコスの最期について語ってやった。もう澪月も取り乱さなかった。ハインリヒの伝言については迷ったが、結局そのまま伝えた。澪月の表情が微妙に変化したのを、おれはたぶん悲しく感じた。

「それにしても、あの聖杯……ってのはなんなんだ? ほかにもいろいろな言い方をしていたみたいだが」

 たとえば、マナの杯、魔力の源泉……

「あたしにもはっきりとはわからないの」

 その話題になると澪月の表情もさすがに曇った。

「ただ……魔法ってマナをどう扱うかっていう技術だから、周囲のマナをいったん自分のなかに取り込まなくちゃいけないの。そして、変質させたり、指向性を持たせたり、情報を加えたりして――全体に伝播させるの。波紋って言い方をしたりもするけど」

 波紋――波のエネルギー――媒体はその場を動かないまま、力だけが伝わっていく。海の波がわかりやすいが、水は動かず波の形だけが伝わって移動していく。何百キロも、何千キロも――

 波のかたち、ということは、要するにあれは情報でもあるのだ。

 同じことが電波や光を含めた電磁波でもいえる。そのおかげで、おれたちはテレビやラジオを利用できるのだ。いやいや、もっと根本的な――視覚、聴覚、すべての感覚は、神経を伝わる、いわば波のおかげで伝達されているのだ。つまり、その「波」を脳が解析することで、おれたちにとっての「世界」が構築されているのだ。

「世界は波紋でできている……か」

「なぁに?」

 澪月が訊いてくる。おれはそれは適当にごまかして、

「つまり、周囲のマナを受け入れて、魔法のタネを仕込んで外に送り出す――そのキャパシティみたいなもんか」

 と、自分の考えを述べてみる――って、ただ言葉を変えてみただけだが。

「うん、そうだね、そんな感じかな」

 意外にもすんなり同意が得られた。

「人によって、その許容量が違うみたい。霊的識域ゲインって言ったりもするけど。それが大きい人――ハインリヒとかマリアとか――は、やっぱり魔法の力も凄いの」

「おまえはどうなんだ」

「ん? あははははは」

 乾いた笑い。あまり期待はできないみたいだ。

「それを奪い合う戦いか――ただ、わからないのは、カルコスはおまえに聖杯を渡せ、とか、降参しろ、とかいう言い方をしてたよな。ハインリヒは、それを心臓をえぐるってやり方で実行した。その違いってなんなんだ?」

 おれの問いに、笑っていた澪月の表情が一気に固まる。いやな質問をしてしまったようだ。

「それは……たぶん……カルコスはああいう言い方をしてたけど、本当にあたしを傷つける気はなかったんだと思う。完全に降参していれば、霊的に浸食して、たぶん何の苦痛もなく杯は抜き取れるから」

「つまり、自分の意志で、魔力のキャパシティを相手に渡せるってことか?」

「そう……いう……言い方もできるかな。でも、普通はしないよ、そんなこと。大事なものなんだから、魔力を扱える能力っていうのは」

「そういう……ものなのか?」

「あたしたちの世界では、魔法が使えるか使えないで人生がぜんぜん変わるの」

 澪月が真剣な顔で言う。

 彼女たちの世界でも、全員が魔法を使えるわけではないらしい。微弱な魔力ならば比較的多くの人間が持っているらしいが、魔法使いと呼べるレベルの人間はやはり一握りらしい。社会のインフラも魔法ベースで構築されていることから、魔法が使えればあらゆる面で有利になるということだ。

「うちのお父さんもお母さんも魔法がほとんど使えないから、すごく苦労したって言ってた。だから」

 澪月をエリュシオンに送り出したのだろう。喜びと誇りをもって。だから、かんたんには失えないのだ。

 それに、しても――

「帰れるのがたった一人なんて、ひでえ卒業旅行もあったもんだよな」

 おれはため息をついた。澪月のテンションが落ちるから、あまりこの話題は口にすべきではないとは思うのだが、ついつい口にしてしまう。昨日の夜、寝物語に――むろんおれは椅子寝だ――聞いた話で、もっともおれがあきれた内容だ。

「ほんとだよ……選ばれたときはすっごく嬉しかったのになあ……」

 澪月が通っていた学校――魔法王国の最高学府、エリートが集う魔法使い養成学校エリュシオンの伝統行事、卒業代表生徒たちによる「異世界研修旅行」――その正体がまさか学生同士による聖杯争奪戦だったとは。

「学年で、ほんと、一握りの人しか選ばれないの。最長一年間、異世界で魔法の修練が積めるって、夢みたいな話。今年はあたしたち七人――あたしは補欠だったけど――最終的に選ばれて、人生最高に幸せだったのに」

 だろうな。澪月のことだ、パンツ丸出しで側転でもしつつ、喜びを表現したにちがいない。

「……功武くん、へんな想像したでしょ」

 澪月がジト目で突っ込んでくる。鋭いな。視線の動きを読まれたか。

「でも、毎年そんなことしていたら、噂にならないか? 卒業旅行に出かけた生徒が帰ってきてないとかなんとか」

「卒業旅行と同時に学校にはもう来なくなるから、わからないよ、そんなの」

「でも、卒業後に誰がどこに行ったとか、帰ってこないやつがいるとか、話にも出ないのかよ?」

「異世界研修に行けるようなエリートたちが、どこに就職したとか、そんなこと、あたしたちにはわからないよ。だってもほとんどみんな国家レベルの魔道部隊だとか、ウロボロス――こっちでいう政府みたいなものだけど――に就職しちゃうんだもん」

 しれっと澪月が言う。おい、ちょっと待てや。

「おまえも、あれか、無事に帰れたら国家レベルのナントカとかに就職するつもりだったのか」

「あたし? あたしは幼稚園の先生になるつもり」

 なんとなく脱力しつつ、納得もする。こいつはエリートじゃない。なりたくもないし、なれるはずもない。おれと同類だ。

 結論。こいつがこの戦いに巻き込まれたのは何かの間違い――事故の類だったのだ。

「話を戻すが――これから予想されるパターンを考えてみようぜ」

「うん?」

「カルコスは敗北し、カルコスの魔力の――識域ゲインだっけ――はハインリヒが手に入れた」

「……うん」

 まだ認めたくないのか、返事が暗い。

「あと残っているのは、確か、ジョナってやつと、ニコ、モーン、そして、マリア……だったな」

「そうだよ」

「どんなやつらなんだ、そいつらは」

 そいつらの生き残りが、次に澪月を狙ってくることは容易に想像できる。

 最初、澪月は気が進まないようだったが、ぽつぽつと彼らのことを話し始めた。

 ジョナ――ジョナサン・グローバは澪月よりもひとつ年上の一八歳。突出したところはないがオールラウンダーで、なんでもソツなくこなすタイプ。ただ、彼の場合、その最も特徴的な部分は「金持ちでキザなところ」だという。ただ、「女の子には優しいので人気はあった」らしい。おれとはあまり気が合わないだろうな。

 ニコ――ニコラ・ドゥージェは、飛び級でエリュシオンに入学した天才少年らしい。エリュシオンの場合、入学時の年齢も卒業年次も特には決まっておらず、澪月などは一二歳で入学して卒業候補生になるまで五年かかったらしいが――ちょっと待て、それじゃあ、おれよりも年上なのか、この女わ――ジョナは一〇歳からわずか三年でその立場に至ったらしい。詠唱系の魔法には天才的なひらめきを見せるが、弱点は肉体面だという。

「すぐ風邪とかひいちゃうの。やせてるし……でも可愛い子だよ。ちょっと年上を敬わないところがあるけど」

「そりゃあ、敬われなかったろうな、おまえは」

 さぞかし澪月はバカにされていただろう。容易に想像できる。

 モーン――モーン・ムヴァーントワは一六歳。招喚系の魔法を得意とするらしい。澪月によれば「たぶん霊的識域ゲインはものすごいと思う」。やる気がないため、成績は澪月とビリを競い合うくらいだったが、「気が向けば」凄い力を発揮する。「黒くてちっちゃくて可愛い女の子」だという。

 そして、マリア――マリア・クーベリカ。澪月のルームメイト。

「マリアはすごいの。あのハインリヒとずっと首席を競ってたんだから。総代はハインリヒに譲ったけど、委員長はずっとマリアだったし」

 委員長キャラらしい。

 ただ、眼鏡と三つ編み、というステレオタイプの優等生キャラではないようだが。それは、澪月がマリアの外見を描写するときに口ごもった点からも推測はできる。「マリアって……男子にすごくモテるし……その……すごいの……脱ぐと」

 マリアという女にはちょっと会ってみたいかもしれない。

 とまれ、七人の異世界留学生の成績順はこんなイメージらしい。

 ハインリヒ≧マリア>ジョナ>ニコ>カルコス>>>モーン>澪月

 ただし、モーンは、キャパシティではハインリヒやマリアに引けをとらない、らしい。

「カルコスもけっこうすげぇと思ったけどな。一瞬とはいえ、ハインリヒを追い詰めてたし」

 あの戦闘の終盤、カルコスはハインリヒの隙を突いて勝利を手に収めかけていた。一瞬にして勝敗は逆転してしまったが。

「たしかに――この世界は違うの、マナの量が。カルコスは霊的識域ゲインは大きい方だったし、肉体を変異させて戦うタイプだったから、マナが多く使えれば使えるほど有利になったのかも」

「つまり、向こうでの成績は当てにはならないってことか」

 ジョナ、ニコ、モーン、マリアのうち、誰が勝ち上がってくるかを予想して対策を立てよう、というおれの目論見はもろくも崩れ去ったわけだ。

 だが、その翌週――向こうから手の内を明かしてきたのだ。しごく、あっさりと。


「南アフリカ、ヨハネスブルグから来ました、留学生のマリア・クーベリカです」

 赤毛で長身・モデル体型の女生徒がそんなふうに自己紹介した瞬間、クラスがどっと沸いた。

 転校生はただでさえウケるものだが――外人で、しかもとびきりの美女、さらにはそのスタイル――

「澪月、てめえウソついたな」

 前の席で凍りついている澪月におれはささやきかけた。

「脱がなくても、充分、すごいじゃねえか」

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