6

 と。

 おれの目前の切っ先――カルコスの腕から伸びたツタが突然消えた。かわりに、金属粉のような銀色の粉体が飛び散る。

 同時に、澪月を捉えていたツタもズタズタに切り裂かれていた。支えを失った澪月はそのまま落下してくる。目が合った。

 昨晩の再現だ。頭蓋骨どうしのドッギング――は今回はなんとか避け、上体を起こしたおれの腕のなかに澪月の身体がふんわりと落下した。

 ふつうの動きじゃない。重力が制御されたような――

「だれ……?」

 おれの腕のなかで、澪月は、おれではない誰かを捜すかのように頭をめぐらせる。

「だ……だれだっ!」

 もっとせわしなく顔を左右に動かしているのはカルコスだ。全身の紋章から血を流している。ツタを断ち切られた影響が、肌の術式に逆流したのか。そういうことが感じとれるのも、おれがマナの存在を認知できるから、なのかもしれない。

「でっ……でてこい!」

「カルコス・サープラス、君は以前から素行に難点があった」

 冷たい、それでいて濡れたような声だった。美声、というのはこういうのを言うのだろう。高くなく、といって低すぎもせず、ふるえをわずかに帯びて、語尾に余韻がある。

「ハインリヒか! そうだな! どこだ!?」

「ここさ」

 声の位置がふいにかわって、高い場所から降ってくる。

 見上げると、電柱の上に軽やかに立っている細身の少年が――

 金髪だ。肩までの長さで、柔らかにカールしている。長めの前髪が目元にかかるのを、片手ですっと、分ける。白皙。そして、銀縁の眼鏡。

「ハインリヒ……てめぇ……なんでここに! ここはおれと澪月のマッチアップのはずだ。勝手に割り込むんじゃねえ」

「必要な介入だ。澪月は戦闘を選択せず、話し合いを望んでいた。その場合は協議に応じるのがルールだったはずだ」

「この試験にゃあ、そんなおためごかしのルールなんて関係ねえさ」

 カルコスが目元に殺気をはらませてつぶやく。

「そうはいかない。確かにわれわれ候補生はたがいに闘うことを義務づけられてしまった。だが、それは殺し合いではない。聖杯をめぐる、知能と魔力の戦いだ」

「けっ、同じことだろうが――聖杯を奪われりゃ、この異界でのたれ死にだ」

 カルコスはつばを吐く。その間も小刻みに自分の剥き出しの上半身に指をあてている。その指の間には――剃刀がはさまれている。

 入れ墨を――紋章を――描いているのだ。

「この世界のマナの量をもってすればなあ……おめえにだって負けねえよ、優等生」

 小さな鍵十字を作るように――ぎっ、ぎっ、と剃刀で自らの肉体をえぐりつづける。

「速成の紋章呪文か。確かにこちらに来て、力をつけたようだな」

 金髪の少年は眼鏡の奥で目を細めた。

「余裕ぶっこいてんじゃねえっ!」

 カルコスがわめき、上腕に、大胸筋に、腹筋に力をこめる。筋肉がみなぎり、鍵十字型の傷に血玉が浮かぶ。それが一気に光を帯びて――

 鋼のように硬化して、無数の手裏剣として金髪の少年に殺到した。

「自傷願望でもあるのか、カルコス」

 ハインリヒという名らしい少年は血十字の弾幕にさらされながら、まったく動じるところがない。口元をかすかにふるわせたかと思うと――高速詠唱だ――右手の人差し指と中指を揃えて、すっと目の前の空間を割く。

 カルコスの血十字手裏剣を、空間をねじ曲げ切り裂いて、あるものは弾き、あるものは吸い込んでいく。

「ふんっ!」

 だが、カルコスの表情に動揺はない。ハインリヒの防御は予想の範囲内だったようだ。第二、第三の弾幕をおのが血で撃ち出しながら、跳躍する。常人ばなれした脚力だ。

「おまえのシールド魔法は物理攻撃にゃ無力だってわかってんだよ!」

 空中で左右の腕を交互にふるう。血十字の弾幕、そして茨のツタが同時にはしる。

 かわしようのない、そしてどんな詠唱も間に合わない、そんなタイミングと間合いだった。

「思い知ったか!」

 勝利を確信するカルコスの表情が凍ったのは次の一瞬だった。

「なにをかな、カルコス」

 ハインリヒがカルコスの背中を取っていた。

 当然、カルコスが放った攻撃はすべて空を切っている。

「なん……だとぉ!?」

「きみが肉弾戦を挑んでくることくらいわかっていたさ。それしかないからな、きみには」

 笑ってさえいない。うんざりした、というような表情だ。

「肉体強化の呪文をほどこしていた――?」

「違うな。簡易化した瞬間移動の呪文だ。ここは確かにマナが濃い。情報伝達と再構築の精度が充分確保できる」

 ハインリヒが眼鏡を指でなおした。

「瞬間移動――そんな大魔法を――一瞬で」

 つぶやいたのは澪月だ。

 予備動作もほとんどなく――おそらく大半の術式はあらかじめ仕込んであったのだろうが――

 待て。なぜそれがおれにわかる。

「墜ちろ」

 ハインリヒがカルコスの首筋に掌を――当てるほどまで近づけることもせず、力を放出する。

「うがっ!」

 白光がはしり、電撃に襲われたかのようにカルコスの全身が踊った。

 そのまま、姿勢を崩して落下する。

 地面に激突する瞬間、カルコスは腕一本で大地を突き、頭部からの落下を避けた。

「ほう? 運動神経網を焼いたつもりだったが、衝撃をアースしたのか――」

 空中でハインリヒが少し見直したように眉をあげる。

「る……せえ……まだ勝負は……てねえ」

 強がるカルコスだが、息は荒く、まだ痙攣が取れない四肢の末端は、変なふうにねじくれている。神経が誤った情報を流しているのだ。こむら返りというやつだ。それが四肢すべてで発生している。

 戦闘力が失われているのはあきらかだ。

「ハインリヒ……カルコス……」

 澪月が小さな唇を動かす。まだ、身体をおれの腕に預けたままだ。そのやわらかさと体温が、それを感じるおれ自身の存在を認識させた。そうでなければ――おれの脳が単に壊れて、ありもしない幻影を見ているのだとしか思えなかったろう。

 動く。澪月が。這い出すようにしたおれから離れる。おれは、それを半ば恐怖をもって見つめていた。

 ハインリヒがすぅと地面に降り立つ。重力も何も、あらゆる物理法則を無視した動きだった。

 三人の魔法使い――勝者たるハインリヒ、敗者たるカルコス、さらに早々に不戦敗を喫した澪月は、それぞれを頂点とした三角形を形作って、対峙していた。そしておれは、その澪月に付随する、定義のあいまいな「点」として、その構図に加わっていた。

 フェンスのすぐ向こうでは、のんびりと、ゆったりと、体育の授業がおこなわれているというのに。

「澪月、ケガはないか?」

 ハインリヒが静かに――しかし間合いを詰めることはなく、そう言った。

 澪月はスカートのすそを気にしながらゆっくりと立ち上がる。

「だいじょうぶ。ハインリヒは、ひとりなの?」

「? どういう意味かな」

 首の角度をわずかに変える。

「マ、マリアがいっしょかな、と思って」

 少しうわずった声を澪月は出した。昨日から何度か澪月の口から出た人名――マリア。カルコスも言及していた。

 おそらく、澪月の仲間うちの中で、特別な価値を持つ人物なのだろう。

 このハインリヒという男と、マリアという女は。

 クラスの中心。

 物語でいえば――主役。

「なぜかな? マリアは別の場所に漂着し――別のマッチアップに向かっているだろう」

「別の……?」

 澪月の肩がびくりと震える。

「ほかのみんなも……戦ってるの?」

「当然だろうが……」

 くぐもった声を出したのは全身傷まみれのカルコスだ。切り傷の大半は自ら作った紋章だが、加えて電撃による火傷――だが、それよりも甚だしいダメージは神経系へのそれだろう。仰向けに倒れたまま、首から上しか動かせないようだ。

 その状態で、呪詛のような声を絞り出す。

「ここでのマッチアップはおれと澪月――あとは、ジョナ、ニコ、そしてモーン……このうちの二人は確実に死んでるな」

 ぎろり、ハインリヒを睨めつける。

「ハインリヒとマリア――エリュシオンのキングとクィーンが雑魚に遅れをとるわきゃあねえ、だろ?」

「評価は嬉しいが、今回ぼくのマッチアップはなかった。七人、だからね」

 構造がおれの脳裏にようやく像をむすんだ。

 ハインリヒ

 カルコス

 澪月

 だけではなく、あと四人。

 マリア

 ジョナ

 ニコ

 モーン

 あわせて七人の魔法使いがいるのだ。異世界からやってきたエリュシオンからの留学生。

 そいつらが、なぜだか、たがいに争うようにしむけられている。

 なんのためにか。

 ――わかるものか。

 ハインリヒが真顔のまま、目をふせた。

「ぼくは学生総代として、きみたちの勝負にジャッジを下すことができる。澪月、きみは戦うことを拒絶し、対話を求めた。それ自体はルール違反ではない。説得も聖杯争奪の手段のひとつだからね。カルコスの一方的な攻撃はしたがって無効だ。だが」

 目をあげる。裁判官のような厳かな声音で告げる。

「澪月、きみはフィールドに使い魔を持ち込んだ。これはマッチアップのルールからすれば、攻撃の意図ありと認められてもしかたがない。明らかに戦闘を優位に進めようとする意図の現れだからだ。ゆえに」

 ハインリヒはおれを見ていた。まるでモノを見るかのような――冷淡な表情だ。そして続ける。

「二人とも、最終的にこの場を制したぼくに敗北したものとみなす」

 けっきょく。

 ハインリヒは戦いに来たのだ。そして、都合のよい勝利を拾った。次は当然のごとく勝利者としての要求をする。

「聖杯をわたしたまえ」

 やはり――な。

「ハインリヒ、聞いて! こんなふうにあたしたちが戦うなんて……」

「無駄だってぇんだよっ、澪月っ! こいつはそういうヤツなんだっ!」

 カルコスが吠えた。次の瞬間、天空に向けて跳躍した。

 いや、ちがう。跳んだのではなく――

 アスファルトから生えだしたツタが伸びて、カルコスの身体を持ち上げたのだ。

 同時に、ハインリヒの足下のアスファルトが砕け、ツタがその足首をとらえる。続けざまに伸びたツタはさらに両手首を拘束した。

 戦闘不能に見えたカルコスだったが、路面につけていた肩・背中からツタを生長させ、アスファルトに食い込ませていたのだ。

「殺してやるっ! ハインリヒぃっ!」

 ハインリヒの動きをツタでからめとり――呪文の詠唱を許さないタイミングで――鋭い金属なみに硬化させた右腕を振るって、襲いかかる。

 さしものハインリヒの表情にも動揺が走った。

「カルコス、やめてぇっ!」

 澪月が叫ぶ。むろん、そんなことは無意味だ。

 だが。その声を聞いた瞬間、おれの背筋が凍り、視界が狭まった。どくん――鼓動が大きく鳴り響き、消失する。音が、視界が、消えた。ただ。

 おれがおれを追い越して、どこかに突き進んでいく、そんなイメージだけが走った。

 刹那。視界が止め絵さながらに飛び込んでくる。まるでその瞬間の時間を固定させた一枚絵に、おれという存在が突進して駆け抜けたような。

 ふりかぶるカルコス。防御するハインリヒ。

 その隙間をおれは――たしかに通過した。

 振り返ることはできない。その刹那はもう過去のものだ。そこにすでにおれという意識はない。

「ハインリヒ……」

 澪月が凝然とつぶやくのを、おれは下から見上げていた。もともとの位置におれはいた。澪月を抱きとめて、その後、凍ったようにその場にとどまったままだった。

 視線を移すと、そこでは勝負が決していた。ハインリヒの左腕がツタのいましめから逃れ、まっすぐに突き出されていた。その指先に宿っている光は魔法の残り火だろう。

 カルコスは右腕を振り下ろしかけた姿勢のまま空中に静止していた。その静止状況をつくりだしているのは――

「肉弾戦でも……負けないと……言ったろう」

 ハインリヒがつぶやく。その眼鏡のレンズに赤い水滴がはねかえっている。

 カルコスは答えない。答えられない。

 その胸を、ハインリヒの左腕で貫かれ――そして――

 心臓を掴み出されていた、からだ。

 澪月の姿勢が崩れた。おれのほうに向かって倒れかかってくる。

 失神していた。

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