第八話 魔女と終わりと始まり

 夜中だった。思えば獣達の声も風の音も聞こえない気味の悪い夜だった。

 月明かりばかりが明るくて、それをぼんやり見上げて満足して、イルザは眠ることにしたのだ。

 最初、物音はしなかった。だがふとイルザが目を開けた瞬間、同時に目覚めるように、揺れは大きくなり始めた。

 地震。外で木々が震えて騒めいている。家がわずかに軋む音がする。キッチンの方では食器が動いているのか、かたかたと臆病そうな音がする。

 ベッドの上、身体を起こしイルザは掛け布団を握っているしかなかった。何でもできる魔女と言えども、何をしたらいいのか、少女にはわからなかったのだ。

 ――隣の部屋から、重たい何かが落ちて、割れる様な音がした。

 はっとイルザは顔を上げた。と、揺れは徐々に治まってくる。

 やがて揺れは完全に止まった。外の木々が、全て終わったと黙り込む。だがイルザはベッドの上で動けずにいた。月光に青ざめた顔と花の瞳が照らされる――。


 * * *


 昨晩の地震は、決して大きなものではなかった。

 しかしこの辺りで珍しいものであるのに変わりなく、修理が必要な家が、村ではいくつか出た。初めての地震に怯える子供達もいた。

 アルベルトは村の全ての人々の様子を確認し、村長に伝えた後、森へと歩き出す。

 森も特に大きな被害は出ていなかった。折れた枝が転がっていたり、枯れ木が倒れていたりしたのを見たが、歩くのに邪魔になるほどではない。地割れや地滑りなども起きていなく、先に見えて来た魔女の家も潰れてはいなかった。

「おーい、イルザー、いるかー……?」

 ただノックしても出てこないため、不安に思って勝手に中へと入っていった。リビングに人の気配はない。朝から何もしていないかのように、生活をしていた温かさもない。

 だから寝室に向かったのだ。扉をそっと開く。

 わずかな隙間から、ベッドで寝込んでいるイルザの姿が見えた。顔は見えなかった。それ以上見えなかった。というのも、

「――人の家に勝手に上がり込んだ上に、寝室まで入ろうとするのはどういうわけ?」

 針のような声。そして全てを拒絶するかのように勝手に閉じた扉。魔女の力。

「おお、ごめん」

 すぐにアルベルトは申し訳なさそうな顔をした。だが、

「イルザ、大丈夫か? 夜中に地震があったから見に来たけど……なんか、調子悪いのか?」

 扉の向こうから、返事はなかった。それでも開けることなく、しばらく待っていると。

「……植木鉢、が」

 リビング、その窓際。いつもそこにあった鉢植えがなくなっていた。

 かわりに、すぐ近くの床には割れた植木鉢の残骸と、土が広がっている。

 いつまでたっても芽吹かない鉢植えを、彼女が大切にしていたことを、アルベルトは知っていた。かなり前からある。かつてイルザと共に暮らしていた人がいた頃からある――その人のものなのかもしれない。

「片付けて」

 扉の向こうの声は弱々しい。

「どうなっていたかとか、何があったとか、何も言わないで。とにかく……私の知らない場所へ持って行って。何も知りたくない……私が何かしてしまったのか、どうして芽が出ないのか、知りたくない……」

 言われた通り、アルベルトは割れた鉢植えを片付けることにした。どこへ持って行ったか、何があったのかは、イルザにも誰にも言わなかった。

 何も生えていない植木鉢は消え去った。

 それでも部屋は、喪失に寂しさを漂わせた。


 * * *


 アルベルトが再びイルザの家を訪ねて来たのは数日後だった。

「お届けものー!」

 と、調子のいい声が聞こえて、まだ落ち着いていなかったイルザだが、扉を開けた。そして花の模様のある目を、大きく開いた。

 扉の向こうにいたアルベルトは、植木鉢を手にしていた。あの割れたものではない、小さな白い素焼きの植木鉢で――すでに黄色の可愛らしい花がいくつか、そこに咲いていた。

「この前街の方に行ってさ、そのお土産!」

 そうアルベルトは植木鉢を差し出してくるが、イルザは受け取れなかった。

 あの植木鉢は、なくなってしまったのだ。

 心遣いは嬉しいが、何か植木鉢があればいい、という話ではない。

 けれども。

「……あの大事にしてた植木鉢の代わりにはならないと思うけどさ」

 アルベルトにも、それはわかっていたようだ。

「新しいのを育ててもいいんじゃないかなーって。花、もう咲いちゃってるけど……気持ちの整理がいい感じについてたりついてなかったりしたら……まあ持ち帰るよ」

 そんなことを言う。小さな花々は風に震えるように揺れていた。

 断る気持ちには、なれなかった。

 そっと手を伸ばして植木鉢を受け取る。また震えるように揺れる黄色の花が、日の光に白さを帯びる。

 しかし不安はあった。

「……花って、枯れるのよ」

 それだけではない。何か自分がしてしまったら。

 ――あの植木鉢に自分が本当に何かしてしまったのかは、もうわからない。

 ――何も芽が生えてこなかったのは、それが正しかったのかもしれない。あの人は訓練のためにあえて種を埋めずに植木鉢を置いていたのかもしれない。

 だが考えてしまうのだ。

 本当に何かの花の種があって。

 それを自分が無意識に枯らしていたのなら――。

 それでもアルベルトは笑って、

「それ、球根だから、花が終わってもちゃんとやっておけばまた咲くぞ! それに増えるらしいし」

「……でもそれでもだめになったら?」

「その時は……また買ってくるよ、それとも一緒に行くか?」

 アルベルトは一瞬黙ると、続けた。

「まあ……だめになっちゃったら仕方ないさ。でもまた育てたいって思うなら、新しく育ててもいいと思うぞ! 村の畑だって、病気や虫でだめにされても、また育てるだろ?」

 それはどうしても必要だからだ、と、思ったが、イルザは何も言わなかった。ただじっと、鉢植えの黄色を見下ろしていた。

「――ありがとう」


 * * *


 アルベルトが帰って、植木鉢をあの窓辺に置いた。

 少し目が潤んでいることに気付いて、イルザは瞬きをした。

 前から見たかった光景だと気付いた。あの植木鉢ではないけれども。

 それでも。

 だめになったのなら、また買ってくるとアルベルトに言われた。しかし、だめにしないようにしようと決めた。魔女の力も、何があっても使ってはいけない。

 分球したら、アルベルトにあげようと思った。彼の方が、花をだめにしてしまいそうな気がするけれども。

 もっと増えたのなら――あの人の墓に植えてあげよう。

 見せてあげたくなった。

 水差しから、綺麗な水を注ぐ。優しく降り注ぐ日光に、弱々しく震えながらも美しく輝いた。

 花が咲くようには決して願わずに。

 ただ幸せを、願った。


【魔女イルザと流れゆく日々 終】

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魔女イルザと流れゆく日々 ひゐ(宵々屋) @yoiyoiya

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