第五百四十五話 三国峠を越えて

沼田城


「よう来られました。阿曽沼の軍務次官をやっている毒沢次郎です。此度は大事なお話と伺っておりまする」


「長尾新六房長でございますが、軍務……次官でございますか?」


 聞き慣れない役職名に長尾房長が面食らう。


「兵部と言えばわかりましょう」


「それでしたらば。しかし次官というのは?」


「権官あるいは大輔と言ったところで御座いますが、朝廷より賜ったものではございませんから名を変えているのです」


「なるほど」


 長尾房長は一応納得する。


「話がそれましたな。此度軍務次官殿に来て頂いたのは当家を阿曽沼に入れていただきたく」


「それは有り難い話ではありますが何故?新六殿も長尾で御座いましょう」


「確かに某も長尾で御座いますし、かつては彼奴の下で戦をしたことも御座いますが、白傘袋を得てからはまるで守護のように振る舞い、年貢の取り立ても厳しくなっておりまして。まあもともと仲の良い関係でもないのですが」


 苦笑しながら長尾房長が答える。


「なるほどそのようなことがございましたか。殿には私から話を通しておきます故ご心配召されぬよう」


「左様でございますか!いや、これで安泰でございますな」


「しかしこの会合は守護代の耳に入っているのではないですかな?」


「入っているでしょうが、当家を討つために兵を動かせば阿曽沼様に討たれてしまうでしょう」


「それはそうでございますな。では正室と嫡男をお預かりします」


 毒沢治郎の言葉に長尾房長は青筋を立てるが、周囲が鯉口を切るのを見て大きく深呼吸を数度する。


「わかり申した。こちらからお願いしているのですからそれくらいの誠意は必要でございますな。坂戸に着き次第お引渡しいたしましょう」


「話が早くて大変助かります」


 誠意を持って話をしたおかげで無駄な流血をせずに済んだことを毒沢治郎は満足する。


「では早速ではありますが我が坂戸城に案内致しましょう」


 険しい清水峠ではなく少し遠回りとなる三国峠を毒沢次郎率いる関東方面軍の分隊三千が越えていく。


「あれに見えるのが大砲でございますか」


「ええ、険しい山道ですので少し小さいものです」


「なるほど、あれを食らうと甲冑を着ていても貫かれてしまうので嫌なものでした」


 足利城の戦いで長尾ら越後勢は鉄砲こそ持っていたが大砲はなく、阿曽沼から打ち込まれていた噂の武器を興味深そうに眺める。


「我軍に入隊すれば触ることができるかもしれませぬよ」


「む、むう」


 今までで一番心を揺さぶられたかのように長尾房長が呻く。


「それはそうと阿曽沼の足軽は皆同じ格好なのですな」


「まだ練兵だけですが、連帯感を持たせることもできますので」


「なるほど、それで甲冑も皆おなじ格好なのですな」


 裏地に兎の毛皮が張られた御貸具足を身に纏い、きっちり隊列を組んで山道を進む阿曽沼軍をみて上田長尾の手のものは少なからず畏れを抱く。


 その後一昼夜かけて坂戸に到着する。このあたり出身の兵もいくらか混じっており、見物人の中に身内を見かけたのか手を振っているものが数人いる。


「まずは久々に帰郷したものもいるだろうから、このあたりの出身者を優先して休みを取らせてやってくれ」


 越後出身者はそのことばに喜色満面となる。


「なお脱柵した場合は敵前逃亡として迎えに行くので期日までに必ず復隊するようにな」


 口減らしとして売られた者、自らを売った者たちだが陸奥に来たときとは見違えるほど体躯の善くなったものたちだ。阿曽沼からすれば何ら手間をかけること無く越後の民への宣撫工作となる。


 それはそれとして阿曽沼軍は坂戸城の麓にある長尾の居館の傍に駐屯所を構築していき、毒沢次郎は居館へと招かれる。


「ささ、上座へどうぞ」


 だいたいは主人公や又三郎と行動をしていたため上座に着くことに慣れない毒沢次郎が腰を下ろす。


 そしてこれから上田長尾が阿曽沼の配下となること、其の誠意として正室と嫡男は遠野に移ることが話される。


「それでは宴を一献設けましょう」


「では阿曽沼で作っている酒をお出ししましょう」


 噂に聞く阿曽沼の酒と聞いて酒好きの武将、ほぼ全員だが、の表情が緩む。

 宴会が始まるとまず阿曽沼の麦酒が漆塗りのジョッキ風曲げに注がれ将等の前に出される。


「これが麦酒……」


「泡立っているが呑めるのか?」


「匂いは何というか苦みがあるな」


「麦だけだと腐りますのでな健胃にもなる薬草を入れております」


 毒沢次郎はそう言うとグビグビと喉を鳴らせて飲み干す。そしてその様子を見て将等が口をつけるが泡の感触と苦みを伴う未知の酒に戸惑う。


「苦みも慣れれば癖となりますよ」


 問題は慣れるほど呑めるのかというところだが、用水整備が行き届かない地域を中心に麦と大豆、或いは芋の輪作が行われることでビールの生産量も少しずつ増えてきている。


「続いてぶどう酒と清酒もありますのでどうぞ」


 ぶどう酒はワイングラス型の高坏に注がれ、清酒は皆がつかう盃で飲んでいく。


「拙者は清酒がよいですな」


「某はぶどう酒が」


 さらには阿曽沼に下ればこれが呑めるのか、とかいやいや流石に酒だけでは、何を言うか府中の連中(長尾為景)などにこんなものは造れんぞなどを聞いて毒沢次郎は笑みを浮かべた。

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2024年12月26日 18:00

転生を望んだら戦国時代の遠野に来ました 海胆の人 @wichita

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