第9話 だからその目はヤメロって




「猫っかぶりなんて結構誰でもする事だし、ね?」


 まずはそう言って神崎を宥め、「それに私は」と言いながら、今度は俺の方を向く。


「伊藤くんが私の事『人として嫌われたくない』って思ってくれてて、今とても嬉しいよ?」


 そう言って微笑んだ彼女の顔には、確かに嬉しさが灯っている。

 が、やはり例に漏れず。


「う、うん、ありがとう。でもねちょっと……近いかな」


 彼女の微笑みが、まさかのドアップで俺の目の前にある。


 元々可愛い子なのである。

 眼福でない筈はないが、やっぱり近い!

 どうしようもなく近い!


 俺のそんな主張に彼女は「うん?」と小首を傾げて見せた。

 やはり彼女に自覚は無いようだ。


 そうなれば、彼女のコレが直る方が早いか。

 それとも俺が慣れてしまうのが早いか。


 少なくとも、先の見えない戦いになりそうな予感しかしない。



 こんな俺に、可愛い女の子が構ってくれる。

 それを嬉しく受け取るべきか、それとも「心の平穏が遠退いた」と嘆くべきか。

 どちらにしろ、心臓に悪い状況なのは確かだろう。


(そうじゃなくとも両足こんなだってのに、心臓まで患っちゃったら俺もう結構ダメな気がする)


 そんな風に思えば、ため息だって出てしまう。


 すると、だ。


「どうしたの? 伊藤くん」


 横からまた俺の視界にフェードインしてきた小林さんが、俺の脆弱な心臓に大きな負担をかけてくる。

 

 思わず出そうになった「ひっ!」という言葉を喉の奥に根性で捻じ込んで、俺は「いやあの」と口籠る。


 疑問に首を傾げる彼女の、なんと可愛らしい事だろう。

 そう思う一方で「それは貴女が可愛過ぎるからです」だなんて、まさか言える筈もない。


 ならば何か適当な事を言えば良いのだろうが……。


(俺の経験値じゃまだ無理だ!)

 

 突然何か適当な事を言えなんて言われても、そんなのすぐに思い付かない。

 多分全ては経験値不足。


 それどころか。


(あぁもうこういうの、ゲームの経験値稼ぎみたいに手っ取り早く貯められれば良いのにさ!)


 そんな何に向かってるのかさえ分からない怒りを、心の中で発散させる。


 と、その時だ。


「もしかして、突然購買に沸いたあのパンの事か?」

「突然沸いたって……もうちょっと言い方あるでしょうに」

「あぁ恭平おかえりなさーい」


 後ろからそう言われ、俺はそれに振り返る。

 するとそこには織田が居た。

 


 何だろう、コイツはいつも背中側から登場するような気がするんだが。

 お陰で全く気付かなくって、いつも無駄にビックリするのだ。


 虚弱な心臓を押さえながら、俺は思わず織田を睨む。

 が、コイツは全く頓着しない。

 いつも通りの眠そうな無表情で俺の事を見返している。


 そんな彼に神崎が言った。


「購買のパンって、あれでしょ? 週に一度の」

「限定20個の超大型バン?」


 神崎の言葉を引き取るように、小林さんがそう尋ねる。

 すると織田はコクリと頷きながら「しかも旨い」と力説だ。



 織田にしては、意外と実感の篭った言葉だな。

 俺は何となくそう思った。


「恭平は食べたことあるの?」

「噂に聞いて、部活の奴らと購買まで競争した」

「それでゲットしたわけね?」

「あぁ旨かった」


 2回目である。

 念を押すほど美味しい、と言うことだろうか。


 そう思いながら眺めていると、織田が俺に聞いてきた。


「で、今日行くのか?」

「いや、えっと……その、パンって何?」

「えっ?」

「はぁ?」

「……?」


 三者三様に、俺に疑問符を向けてくる。

 が、分からないんだから仕方が無い。


 っていうか神崎、お前はその「何言ってんのコイツ馬鹿なの?」っていう顔をヤメロ。


「……2学期から、購買に新しいパンが追加されただろ」


 そう言われても分からない。


「見た目のインパクトが凄くって、限定20個っていう事でまた騒がれた……もしかしてアンタ、本当に知らないの?」


 知らなくて悪かったな。

 っていうか、だからその「引くわー」っていう目をヤメロ。


「そっか、アンタボッチだから――」

「ちっ、違うよね?! そうじゃなくてほら、メニュー追加されたのって2学期からだし!」


 二学期の初めからこの間まで、学校来れてなかったから!

 そう言ってフォローしてくれる小林さん、めっちゃ優しい。


 でもね小林さん、時にはそのフォローが痛い時だってある。

 だって俺が来てもう、1週間ちょい経ってるんだ。


「……あぁ。そうかあのパン、毎週金曜日にしか売られないから」


 それなら俺が来てから一回、パン売ってる日があったって事だろう。

 そしてそんなに人気のパンならさ、多分競争率もめっちゃ高い事だろう。


 じゃぁ普通に世間話で「今日俺パン逃したわー」的な話が聞こえてきてもおかしくは無いんじゃなかろうか。



 俺がそれを聞き逃したのか、それとも周りが世間話さえ俺に聞かれたくなかったのか。


 どっちだろう、分からない。

 でも出来れば前者であって欲しい。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る