第6話 ガコンガコンと進んでく



 車椅子になって少し状況が変わったが、だからといって全てが変わる訳ではない。


 小林さんと織田とはたまに会話をするようになったが、まず俺のコミュニケーションスキルが残念過ぎて長くは続かず、神崎は常に喧嘩腰。

 洞島に至ってはまだ直接会話をした事がない。

 別に悪感情を抱かれている風ではないのだが、その代わり俺には全く興味なしといった感じである。



 そして、それが故に今、俺は最近では珍しく1人で教室に居た。

 小林さんと織田は同じ委員会でどうやらそれ関係の用事があるらしく、後の2人に関してはそんな状況で俺と昼休みを共にする理由が無いという訳だ。


 しかしまぁ俺としても、気まずい空気を孕んだ休憩時間を過ごさなくて済むという点で利害は完全に一致している。

 そもそも俺にとっての『普通の昼休み』は常に1人だったのだから、これはこれで心穏やかに過ごす事ができた。


 だから問題はそこじゃ無い。

 問題は今この教室に俺以外の人間が誰一人として居ない事にある。



 少し前から「何かおかしいな」とは思っていた。


 いつもより室内に人が少なく、その少ない人もどんどんその数を減らしていく。

 幾ら休憩時間は自由行動が許されているとはいえ、誰も教室に居ない事態は極めて珍しいと言っていい。


 その理由に気が付いたのが、ついさっき。

 理由は簡単、午後一番の授業が移動教室だったからだ。



 失念していた自分に少し呆れてしまう。


 しかしまぁ、まだ授業開始までには時間的余裕がある。

 十分間に合うから慌てる事はない。


(問題無い、問題無い)


 自分にそう言い聞かせて、平静を装い教科書なんかを準備する。


 しかし取り出した教科書ノートと筆記用具を膝を上に置き教室の外に出ようとしたところで、思わぬトラブルに見まわれた。


「……あれ、ちょっ、出れない」


 車椅子に周囲の机がガコッガコッと当たっている。


 昼休みだから、昼食を食べる為に机を移動した後が多くある。

 一応向きなどは元に戻っているが、微妙に凸凹していてギリギリ当たる。

 とっても邪魔だ。


「ヤバい、流石にここで手こずってたら時間ギリギリになっちゃうぞ……」


 しかし一気にどうにか出来るものでもない。

 仕方が無いのでガコンガコンと一つずつ当たり避けていくしか無い。


 ガコン。

 ガコン。

 ガコン。

 ガコン。


 ガラッ。


「ん?」


 頑張って当たっていると、教室の扉が開いた。

 反射的に目を向ければ、そこには見知った人が居る。


「ゲッ、伊藤」


 なるほど、どうやら名前は覚えたらしい。

 そこに居たのは神崎 美里だ。



 嫌そうな彼女と目が合って、俺の顔も思わず引き攣る。


 この時間なら彼女も移動教室に行くべきだろうに、何故教材をを持った状態でわざわざ戻ってきたのだろう。

 そんな風に思っていると、神崎はフンッと一つ鼻を鳴らしてスタスタと自分の席に行き、中からノートを取り出した。

 

 どうやら別のノートを持っていってたらしい。

 そう気付いたのは、彼女が荷物を入れ替えている時だ。



 彼女が戻ってきた理由に俺は「なるほど」納得し、そしてすぐに我に返った。


(……おっといけない、見てる場合なんかじゃなかった)


 時間が無いのだ、急がなければ。

 そう思って、俺は再びガッコガッコの旅に出る。


 ガコン。

 ガコン。

 ガコン。


 そうしてやっと机群から抜け、俺はホッと息を吐いた。

 

 ドアの方を見れば、神崎が既に教室を出ようとしている。

 時計を見れば、ギリギリだ。


(早く俺も行かなくては)


 おそらく、その急いだ気持ちがいけなかったのだろうと思う。

 膝の上に置いていた物らが、スルッと滑って床に落ちる。


「あっ」


 バサバサバサ。


 二人以外にはもう誰も居ない空間だから、音がいやに響いた気がした。


「ヤバっ!」


 慌てて手を伸ばすが、ほんの少しが届かない。

 仕方が無いので少し車椅子を進め、やっとの事で全てを拾う。


 時計を見れば、後2分。

 目的地まで階段は無いので、車椅子でも問題は無い。

 走っていけばまだ間に合う――。


「……あ」


 一体どうやって走るんだ、両足こんなな状態で。


 いやまぁ代わりに車輪は付いてるけど、走るのと同じスピードを出すのは間違いなく危ないだろう。

 自転車みたいになっている人間が押せるようなブレーキは無いし。


 なんていう事を、手元の教科書に視線を落としながら考えた時だった。

 上から影が差す気配がして、何だろうと顔を上げる。



 そこに居たのは神崎だ。


(何だ、まだ行ってなかったのか)


 さっきドアの所にいたから、もうてっきり行っていると思ってた。


 しかし、それにしても一体何の用だろう。

 なんか凄く、嫌そうな顔をしてるけど。


 そんな風に思っていると。


「あぁもう腹立つ!」


 神崎は吐き捨てるようにそう言って車椅子の手すりを引っ張った。

 思わず「うわっ!」と悲鳴を上げる。

 

 膝の上に、何かがバサッと落とされた。

 反射的に掴めばそれは、教材と筆箱。

 その筆箱は、神崎の持ち物で。


 

 まるで背凭れに体を縫いつけられでもしたかのように、グンッと背中に引力を感じた。

 

 迫るドアの間をすり抜け、グインッと乱暴な方向転換が為され、風を切りながら視界が急速に後ろへと流れていくのを確かに感じる。


「腹立つ腹立つ腹立つ腹立つ!」


 廊下を駆ける足音と共に、そんな声が漏れ聞こえてきた。

 いつの間にか、すぐ後ろには神崎が居る。


 そこから「彼女が車椅子を押してくれてる」と気がつくまでにほんの少し時間を要した。



 俺たちに気が付いて、廊下の生徒が道を開ける。

 そのど真ん中を掻っ切る勢いで走る一人と一台は、もしかすると見様によっては楽しげに見え方もしれない。


 が。


「っは、速い速い速い速い!」

「うっさい黙れっ!」


 機嫌悪そうな神崎の声は間違いなく楽しそうではなかったし、俺も全然楽しくない。


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