第7話 滑走する車椅子と、俺史上初の反撃



 思いの外出ている速度に、俺はただ戦々恐々とする。

 まるで安全バー無しでジェットコースターに乗っているかのような心境だ。



 目の前には曲がり角が迫っている。


 本当なら目をつぶってしまいたいが、見えないのも逆に怖い。

 そんな、臆病なのか勇敢なのか。

 何かよく分からない状態で、ついにカーブに差し掛かったところで急に、重力の向きが変化する。


「ぅわぁっ?!」


 急カーブだ。

 こちらの事などまるで気にしない角度で曲がり、車椅子が乱暴なソレにギジリと軋む。

 俺は肘置きにしがみつき、振り落とされるのをどうにかして免れた。


 何か言ってやりたい衝動に駆られるが、流れる景色の速さと与えられる重力に恐怖を感じ、中々声が口から出ない。



 そんなこんなしている内に、目的地のドアが見えて来た。

 

 進行方向、真正面。

 廊下の突き当たりのドアである。


 

 目的地が見えた所で、無事に着いた事にホッとした。

 しかしそれは、時期尚早だったと言わざるを得ない。


 車椅子は、どんどんと近づいていく。

 目的地へと、速度を変えず。


「え、はっ? ちょっ!!」

 

 言葉にならない驚きは、「まさかそんな事しないよな?」という気持ちと「いやいや止めろ!」という気持ちが見事に同居したものだった。



 本当は振り返って抗議したかったのだが、迫り来るドアから目を離せない。


 そして遂にそのドアに――ぶつかる直前で、何故か車椅子がピタリと止まった。

 しかし例え乗り物が止まっても、その反動までリセットされる訳じゃない。



 俺の体が、車椅子から飛び出した。

 そしてすぐ目の前にあったドアに突っ込んでいく。


 一瞬の出来事だった。

 だから誰か、咄嗟に両手を突き出した俺を褒めて欲しい。



 突き出した俺の両手は、ダンッという音を立てて真っ直ぐドアへとぶつかった。

 幸いと言うべきか。

 強張っていたお陰で腕は突っ張り棒の役目を果たし、俺を瞬時に車椅子へと押し戻す。



 心臓が、ドッドッドッドッと耳の後ろで大きな音を立てていた。


 両足ギプスの分際で結果的に立ち上がった形になっていたが、それもほんの一瞬だ。

 傷に障るような重さは幸いかからなかった。

 

 ドアに足もぶつけたが、幸い膝の部分だけだ。

 元々そこは怪我してないので、多少衝撃が掛かっても大丈夫――ではないかもしれないな。

 多分明日には、でっかい青アザになってる。

 考えただけでもう痛い。



 危機が去って、俺が最初に抱いたのは安堵だった。

 しかしその後、沸々と怒りが込み上げてくる。


「っ! 危ないだろ!」


 カッとなって後ろを振り返れば、肩を上下させている神崎が居た。

 不服感を全く隠していない顔で、彼女は「はぁー?」と口を開く。


「親切にしてやったのにそんな事言われる筋合い無いんだけど!」

「一体どの辺が親切なんだよ! 『親切』を辞書で引いて出直してこい!」


 どんなに喧嘩腰で来られても、今までは神崎に言い返すなんて事はしなかった。

 しかしそれは、何も思っていなかった訳じゃない。

 元々のボッチ体質も手伝って、心の中で悪態をつくに留めていただけである。


 しかしそれも、突発的に発生した恐怖と混乱。

 そして何より、募っていた「言い返してやりたい感」には逆らえない。

 

 反射の様に言い返せば、神崎は神崎で苛立ちが刺激されたのか。

 青筋を立てながら言い返してくる。


「アンタが教室でモタモタしてたから、授業に遅れないようにこっちはわざわざ連れてきてやったんでしょうが!」

「そんなの全く頼んでないし、もうちょっと安全運転とかあるだろーが!」

「何アンタ、私に『一緒に授業に遅れろ』言ってんの?」

「そこを気にするんなら最初から放っておけば良かっただろ!」

「はぁ?! 元はと言えばアンタがトロトロトロトロ――」


 ガラッ。

 

 言い合っていると、俺が先程正に激突したドアが開いた。

 そしてそこから出てきたのは。


「なんか凄い音したけどどうしたの?」


 天使――否、小林さんご降臨だ。


 俺にさえいつも笑顔で優しい小林さんだが、悪魔の様な所業をしてのけた神崎との落差で一層、その優しさが身に染みる。


 何だか無性に感動しながら俺は思わず彼女を見つめた。

 するとそれに気が付いて、様子がおかしい俺の顔を覗き込む。


「ん?」

「っ! 近い近い!」


 疑問の中に一滴の心配を混ぜた表情が、いつもの様にパーソナルスペース度外視で寄ってきた。


 大丈夫、大丈夫。

 そう言おうと思ったのに、心の声と逆転し合わなくて良い方が口から出てしまった。


 慌てて「大丈夫だから」と言い直せば、彼女は少し安堵した様な顔になった。


「おい、お前らチャイム鳴るぞ」


 教室の中から聞こえてきたのは多分織田の声である。

 そしてその言の正しさを示す様に、頭上からチャイムの音が降ってきた。


 

 小林さんが前から退いて、車椅子が少し動く。

 ちょっと驚いて振り返ろうと思ったら、神崎が横からニュッと出てきた。


「別に、たんに私が入らないから押しただけだし。後は自分で動きなさいよね、このノロマ」


 そう言って俺の膝の上にあった物を、幾つか持ち去っていく。


(あぁはい、さいですか)


 別に好意なんて期待してなかったし、そんな事を言われた所で全く痛くも痒くも無い。

 

 それよりも、だ。


(そういえばアイツの荷物預かってたんだっけ。……っていうか、あの状況でよく荷物落とさなかったな)


 そんな自分に賛辞を送っておこうと思う。

 どうせ誰も褒めてくれないし。



 そんな風に思いながら席まで車椅子を漕いで行けば、ちょうど教師がやってきた。

 教壇に立った彼は、開口一番こう告げる。


「佐藤と神崎、授業が終わったら私の所まで来る様に。じゃぁ授業を始めます」


 因みにその後素直に教師のところに行けば、案の定と言うべきか。

 先程の『廊下で車椅子暴走事件』について「色々危ないでしょうが!」と怒られた。


 どうやら丁度階段を上がってきた所で、爆走中の所を目撃されていたらしい。


 しかし何故、被害者の俺も怒られなければならないのか。


「まぁ確かに車椅子に乗るとか押すとか、非日常感があって楽しいのは分かるけどな」


 説教の中にそんな言葉が混じっていたが、少なくとも俺は、アレを一ミリたりとも楽しくは思えなかった。



 だから俺も、共犯であるかの様に扱われるのはかなり不服である。


 そして何より、隣で一緒に説教を受けていた神崎から「お前のせいだ」と言いたげな目で睨まれたのも、どうしようもなく不服だった。


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