第2話 動かない車椅子、塞がれた退路



 瞳を輝かせながらやってくる彼女に、俺はまず面食らった。

 しかしそれも、ほんの1秒にも満たない間の出来事だ。


 俺はすぐに気が付いた。

 そうでなくともこんな陽キャの代表格みたいな子が、まさか俺に駆け寄ってくる筈ないじゃないか、と。


(あぁ……ははっ、そうだよ、そんな筈無い)


 きっとこれ、「自分に声を掛けられたと思って返事したら、実は後ろのヤツに声掛けてただけだった」ってパターンだ。


(ふぅ危ない。俺、もう少しで赤っ恥だったじゃん)


 セーフ、なんて思いながら心の中で額を拭い、自身の後ろを振り返る。

 しかしそこには誰もいない。


 思わず頭にクエスチョンマークが浮かんだ、その時だ。


「ねぇっ!」


 すぐ近くで声がした。

 しかしそれよりも驚いたのは、体に振動が走った事だ。


 ガタタッと揺れた車椅子に思わずビクリと体を揺らすと、今度は何とも言えないいい香りがフワリと鼻孔をくすぐった。



 様々な異変に、後ろに捻っていた腰を俺はすぐに元に戻した。

 そして思わず絶句する。


 さっきはしゃいだ声を上げていたあの女の子、何でか今、俺のすぐ目の前に顔を突き出している。

 車椅子の手すりを両方掴んで、身を乗り出すようにしているせいで、顔の距離がひどく近い。


(ちっ!)


 自分の心の中でさえ、とっさに「近い」の一言が言葉にならない。

 そのくらいの動揺が、俺に思わず身を仰け反らせた。


 しかし非常に残念な事に、車椅子には背凭れが付いている。

 どんなに頑張っても一定以上の距離が取れない。

 


 不幸中の幸いと言うべきか、ガッチリ両手で掴まれているから仰け反った勢いで車椅子が横転するような事はなかった。

 しかし、そんなのぶっちゃけどうでもいい。


(えっ、何何何何どういう事だっ?! っていうか、近い近い近いっ!)


 一拍遅れてやっと稼働し始めた脳みそが早口にそうまくし立てる。

 しかしそれは、思った所でどうにもならない無駄思考だ。


 でもこれは、ある意味仕方がない事でもあった。

 だって俺の脳内にある女の子に話しかけられた記憶なんて、どれほど前の事だろうか。

 そもそも学校で口を開くことさえ極端に少ないのだ。

 それなのに異性に話しかけられて「はい答え」とか、そんなのすぐに反応できる筈がない。


 しかも、だ。


「ねぇ! 両足凄いね、真っ白けじゃん!!」


 話題が話題だ。

 彼女の問いは、今一番触れられたくない部分にガッツリ爪を食い込ませている様な代物だ。

 そんなの俺に、どうしろっていうんだよ。

 っていうか。

 

(ちょっ! 髪の毛が太腿に当たってるんだけど……?!)

 

 どうしようもうパニックだ。

 色々な事が許容範囲を突き抜け過ぎてて、何をどうして処理して良いか分からない。


 しかしそんな俺を1人置いて、状況は刻一刻と変化していく。


「ちょっと絵理沙ー? 何々どうしたのー?」


 どうやら彼女の仲良しグループなのだろう。

 如何にもリア充という感じの男女が2人、こちらに向かってやってくる。

 

(ふ、増えたーっ!!)


 お陰で俺のパニックは、更にヒートアップした。



 俺が1人でガクブルしてると、茶髪の男が「おっ」と小さく声を上げる。


「車椅子じゃん、何か楽しそう」

「っていうか、両足ギプスだし超ウケる」

 

 彼の隣でやってきた女の子がそう言葉を続けたが、「ウケる」とか言いながら大して笑いもしてないし、別に車椅子は楽しくない。

 2人して、一体何を見てそう思ったのか意味不明だ。

 

 しかしそれは置いておこう。

 今はそれよりもっと大事な事がある。


(とっ、取り敢えず退避。どっかに退避……!)


 脳みそがようやくパニックから抜け出して、やっと逃げる方を向いてくれたのだ。



 俺はすぐさま車椅子の両輪を掴んで、そこにグッと力を込める。


 前方には、最初に話しかけてきた彼女がまだ居る。

 だから逃げるなら後方しかない。


(大丈夫、幸いまだ廊下に逃げれば……ってあれ、動かない?!)


 何でだと、一層の力を込めるが動けない。

 そして次の瞬間。

 

「何してんの、入り口で揃いも揃って」

「あー、恭平おはよー」


 まさかの退路を塞がれた。


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