45人目

棗颯介

45人目

 昔から小説を書くことは好きだった。好きだっただけ。何度かコンテストに応募したこともあったけれど一次選考すら通らなかった。私にはきっと、小説を書く才能はない。

 なのに今もこうして暇さえあればパソコンを開き、ネットの小説投稿サイトに作品を投稿し続ける私は、何を期待しているんだろう。才能がないのに、社会で何の役にも立たないのに、沢山の人が読んでくれるわけでもないのに。

 これから先も、こうして何の役にも立たない創作活動を細々と続けていくんだろうと思っていた。

 なのに。


【突然すみません。私が途中まで書きかけていた小説を完成させてくれませんか?】


 私の創作用のTwitterアカウント。ネットに投稿した小説を発表するために作ったが、フォロワーよりもフォローの数の方がずっと多い。つまるところ、人気はない。

 TwitterのDMで突然私に声をかけてきたのは、数少ないフォロワーの一人だった。Twitterでのハンドルネームは、『カノン』。

 直接の面識は、ない。タイムラインでやりとりしたことも、ない。あったことといえば小説の投稿サイトで何度かお互いの作品に感想を書いていた程度。彼、あるいは彼女が書く作品は私も記憶の片隅に留めている程度には好きだったが、それでもほとんど赤の他人と変わらないような間柄だ。

 それなのに、どうして私に。


【訳あって小説が書けなくなってしまって】

【どうして、私なんですか?誰でもいいってことですか?】

【貴方の作品のファンだからです】


 そんなベタな言葉に乗せられて引き受けてしまった私も大概だ。でも褒められ慣れていないんだから勘弁してほしい。

 最初は釣りか詐欺かと思ったが、恐る恐る話を進めてみるとカノンさんは本当にDMで書きかけの文章データを送ってきた。プロットは、ない。つまり全体の構成や結末はこちらに委ねるということだ。ざっと目を通したが、昔読んだあの人の作品と同じく、素晴らしい内容だった。書きかけとは思えないくらいに。正直、私がこれに加筆すると本来持っている作品のポテンシャルが損なわれてしまうような気がしてならない。


【拝見しました。正直、私が手を加えると作品の魅力が損なわれてしまう気がします】

【僭越ですが、そうは思いません。それに、作品のクオリティが多少下がってしまうとしても、それ以上にこの作品を世に出せないことの方が私にとっては辛いんです。どうか、お願いします】


 カノンという小説家が何をそんなにこだわるのか私には分からなかった。

 でも、それ以上に私は抑えきれなかった。この作品を自分の手で完成させてみたいという衝動。私が今まで書いてきた作品は、すべて私が才能のない頭を捻って絞り出した、いわばゼロから一を生み出す作業だった。でも今回は違う。既に一を与えられていて、それを十に変える作業。


 ———面白い。


 私は、今までとは少し違う心持ちで執筆に入った。作品を書いているときに決まって片手間に飲んでいる珈琲の消費量はいつもの倍以上になった。

 何杯飲んだか分からないほど摂取したカフェインが働いてくれたのか、気付けば私は一睡もせずに朝まで執筆を続けていた。最後まで物語を書き終えると、誤字脱字がないかをもう一度最初から最後まで確認しながら読み直す。そして物語の流れや言葉の使い方に違和感を覚えた部分を都度修正していく。この繰り返し。

 最終的に一本の作品として仕上がる頃には昇っていたはずの太陽が西の空に沈みかけていた。

 出来上がった作品のデータは、未完成品を受け取った時と同じようにTwitterのDMでカノンに送信した。


【完成しました。ご期待に添える内容に仕上がっていればいいのですが】

【ありがとうございます。確認させていただきます】


 数十分の間、カノンから返信が来ることはなかった。本当に私の書いた物語を読んでくれているのならいいが、もしこれが冷やかしの類だったとしたらやるせない。

 でも、正直冷やかしでもいいと思っている私もいた。

 純粋に、楽しかった。こんなに真剣に作品作りに打ち込んだのはいつ以来だろう。人生で初めて小説を書いたときだって、ここまで集中して書くことはなかった。ましてや寝る間も惜しんでなんて。

 強いて言えば———。


 ———誰かのために書いたのは、これが初めてだったから?


【確認しました。一言で言えば、素晴らしかったです。私の作品が寿ことぶきさんの作風で色付けされていて、私だけではきっとこんな作品にはならなかったと思います】


 寿というのは私が作品作りで使っているペンネームだ。

 依頼主に私の書いた作品が受け入れられて評価されたことは、純粋に嬉しかった。以前からカノンは私が投稿サイトに上げた作品に時々感想を書いてくれていたけれど、今までにくれたどんな言葉よりも胸に響いた。


【この作品、投稿サイトにアップしてもよろしいでしょうか?もちろん寿さんの名前も連名で発表させていただきます】

【ご自由にどうぞ。元はカノンさんが書いていたもので、私は仕上げをしただけですから】

【ご謙遜もほどほどに。きっかけは確かに私だったかもしれませんが、これは確かに寿さんの作品ですよ】


 数日後に、私も普段使っている小説投稿サイトにカノンが新作を投稿していた。

 小説のタイトルは、『カノン追複曲』。

 内容を見て、私は驚いた。カノンがDMで言ったように、確かにそこにはカノンと私の連名で、私が依頼されて書いた作品が投稿されていた。でも、そこにあったのは私が書いた物語だけではなかった。

 『カノン追複曲』は一話完結の物語ではなく、所謂物語集とでも呼ぶべきものだった。私が書いたもの以外にも、私じゃない他の誰かが書いた作品もそこにあった。私が書いたものも含めてちょうど五十作品。私は四十五番目だった。

 その五十作品は、冒頭部分は一言一句違わずまったく同じ文章で、まったく同じ名前の登場人物によって物語が紡がれていた。だが、ある場面からはそれぞれの物語が全く別の方向に話が進んでいく。それぞれに違う展開、違う登場人物が現れ、まったく異なる結末が描かれていた。

 投稿者であるカノンの作品説明欄には、短い一言のみが綴られていた。


【十人十色の世界をお楽しみください】


 ———十人じゃなくて五十人なんだけど。


 私は思わずそう口にしてしまいそうになった。

 代わりに私は、笑った。笑うしかなかった。やられた。そう思った。

 騙されたとは思わない。そもそもカノンという小説家が小説を書けなくなったという事情の詳細も、その真偽すら私は知る術がないのだから。

 ただ、こういう作品作りもあるのかと思った。確かに事前に何も言ってくれなかったことについては多少思うところもあるけれど、それ以上に私は痛快だった。私は一を十にしたつもりだったけれど、この人はゼロから一を作って、そしてその一を五十に変えたんだ。ここまで鮮やかな手腕を見せつけられては笑うしかない。

 何より、そこにあった五十の物語はどれも単純に素晴らしかった。カノンという一人の人間が創造した世界には、こんなにも可能性があったのかと思わされる。私も意図せずその可能性を引き出した一人になってしまったわけだけど。


 ———これだから小説書くのやめられないのかな、私。


 のちにこの物語集が好評を得て書籍化することが決まるのだが、それを私が知るのはずっと先の話。

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