ポッ、ポッ、と明かりが浮かぶ。

赤と白に並んだ提灯。

その下を、屋台が五月蠅うるさく連なっている。


それでも人は足を止める。川辺に溜まるあくたのように。

水草に引っかかって、次々止まってよどんでいく。


どこにこれだけの人が住んでいたのだろう。

みんな気楽なものだ。


香ばしい匂いがしてくる。

焦がし醤油と、バターの香り。

そういえば、まだ晩飯を食べていない。


祭りの屋台なんて、どうせ値段に釣り合わないものばかりだ。

コンビニのほうが余程マシ。

でも、たまにはいいか。


次の電車を逃したら、またその次にすればいい。どうせ、急いで帰る必要なんてないんだ。


毒々しい色のりんご飴が、電飾の光に照らされている。

あの子は嬉しそうにかじりついて、口端を赤に染めていたっけ。

俺は、その横顔をそっと見ていた。あの夏。


あの子って、誰だっけ?



綿飴わたあめ。お面。ヨーヨー。

子供たちが目を輝かせて見入っている。

あんなもの何が良いのだろう。


綿飴は砂糖を細長く引き伸ばしただけ。

お面は薄く伸ばしたプラスチック。

ヨーヨーは、水を入れて膨らませた風船。


背伸びしたって何も変わらない。

現実見ろよ。

そんなものに気をとられていないで、先を見ろよ。



あの頃俺は、大人というものに憧れていた。


大人になれば、もっと自由だ。

大人になれば、好きなことができる。


学校の勉強も、宿題も、テストも、やらなくていいんだ。


大人はカッコイイ。

大人はスゴイ。

大人は、キラキラしてる。何にだってなれるんだ。


いまの自分は、どうだろう。



子供たちが一斉に駆けだした。

みんなどこかへ向かって行く。

俺の脇をすり抜けて、一人、二人と走り去る。


みんなどこへ行くのだろう。

どこでもいいか。


みんな一緒に流れて行く。

流れ、流れて、その中に。


あの子がいた。

白地に赤の、蝶々柄。




「――緋真理ひまりちゃん!」


思い出すよりも先に、名前が口をついていた。

そうだ、あの子の名前は緋真理。可愛いショートヘアの女の子。

初恋だった。


緋真理が俺の声に振り向いた。

ザァッと木立が流れる。


緋真理はオレの手を取った。

そのまま駆けだす。


「早く、早く!」


「待って! どこ行くの」


俺はどこへ行くのだろう。

どこへ行けばいいのだろう。


「動いていないと、つかまっちゃうよ!」


子供たちが駆けて行く。

みんなどこかへ向かって行く。


緋真理も俺の手を引いて、みんなと一緒に駆けて行く。


赤い兵児帯へこおびがフワフワ揺れる。

ジャリジャリ足音。


「あっ――」


小さな声がしたかと思うと、緋真理はもういなかった。

見回しても、どこにもいない。消えたのだ。


そこには、金魚すくいの屋台があった。子供たちがしゃがみ込んで、水槽の中を覗いている。

あの日、俺と緋真理も、二人並んでしゃがんでいたっけ。


「赤い金魚がほしい」


緋真理はそう言った。

俺は一生懸命追いかけて、ようやく一匹だけ捕まえた。

それは赤ではなくて、赤と白のまだらだった。


ずっとずっと好きだった。いつも目で追っていた。どうして忘れていたのだろう。どうして忘れられたのだろう。

何かが違えば、どこかが違えば。


追いかけるのを諦めなければ、俺はいまもまだ、緋真理と並んでいただろうか。



いつから俺は、泳ぐことを止めてしまったのだろう。

ただ流れに任せて。

水槽の端で、死んだように浮かんでいる。


「死んだ魚のような目」

俺は今、そんな目をしているのだろうか。


暗い川面かわもを覗き込む。

どんなに目をらしても、自分の顔は浮かんで来ない。

ただ滔々とうとうと水は流れる。


遠く電車の音が聞こえる。

帰らなければ。


明日は、どっちだ。



 

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帰れない、夏 上田 直巳 @heby

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