第3話 解決編

「……以上。講義を終了する」

 私が資料を閉じると、間抜けな女子大生どもが列を作って私の前に並んだ。質問をする者もいれば、私と雑談がしたくてやってくる者もいる。前者は業務上付き合わねばならないが後者はみんな死ねばいい。壁に頭を突っ込んでいればいい。実際にその程度の頭しかないのだから。

 だが、この日は少し違った。

 客人がいたのである。

「準備ができました」

 永場である。それだけを告げてきた。私は微笑む。今日私の前に並んだ女性の中で、一番歓迎されるべきは彼女だろう。

「それでは」

 私は教壇から下りると永場の案内に従って大学の駐車場へ向かった。一台の車が私を出迎えた。

 風邪を引いたのだろうか。

 運転席の永場が鼻をすすった。何度も、何度も。

 鼻を擦る。ぐいぐいと、上に擦り上げる。

 ルームミラーに映った永場三咲は何だか豚のようだった。鼻を持ち上げ、ぐずぐずぐずる。

 耳たぶにはキリンのピアスがぶら下がっていた。

 何だか私の加虐嗜好をゾクゾクさせた。



 男子トイレ。

 どこの男子トイレかは伏せる。とにかく男子トイレ。女性は基本的に入ってこないしトランスジェンダーも人によっては嫌がったり憧れたりする場所。男子トイレ。

 用を足す。つまりペニスを取り出し放尿する。トイレには私以外人が数名。三つある個室が埋まっているので三人。小便器は三つあり、ひとつは私、他二つは空いているが一つを清掃員が掃除している。

 そう。私は清掃中のトイレを使っていたのだ。

「最初はね、風俗関係だと思った。男性が自宅以外でズボンを下ろすとしたらそこだろうからね」

 唐突に。

 私は語りだす。ペニスを放り出しながら。放尿しながら。

「さてさて。ちょっと世間話をしようか。世間話と言ってもかなり特殊な話だけどね。痴漢についてだ」

 放尿が終わる。私はペニスを振る。きっかり五秒。五秒だ。ブリーフを汚さないようにね。

 用は済んでいたがペニスはしまわない。私は続ける。

「とある秘書がいた。この人は痴漢の被害者だそうだ。痴漢……というよりセクシャルハラスメントだね。公式には記録が残っていないが本人から話を訊けたよ。尻を撫でたり腰に触ったりをきっかけに、胸に触ったり卑猥な言葉を言うことを強要されたりしたらしい。クールな女性が卑猥な言葉。何だかゾクゾクするね」

 誰も何も言わない。個室から声が聞こえることも、誰かが新しく入ってくることもない。

「路上で痴漢に遭った人もいるそうだ。突然抱きつかれて胸や陰部を触って逃げる。怖かっただろうね。特に夜道で襲われたら次にその道を通る時に思い出すだろうね。そういう意味では、痴漢は女性の心に自分を刻み込む行為でもある。無垢な心に自分を刻む。そう考えると悪いものじゃないのかもな。処女を抱くようなものだ」

 便器を擦る音。かしゃかしゃ。かしゃかしゃ。

「とある女子高生がいた。通学の電車である男性からひたすらに……丁寧に、と言おうか? 痴漢されていたそうだ。公式に記録は残っていないから、何をされたかは分からない。だが、その時の画像か映像かを使って脅迫し、路地裏で性行為を強要できるくらいのことはしたのだろう。恥ずかしかっただろうねぇ。無念だっただろうねぇ。花盛りの女子高生を物みたいに扱えるのはどんな気分だろう。たまらないだろうなぁ。その女子高生は金を握らされて痴漢行為を黙秘するよう迫られてね。結局黙ったそうだよ。そういう意味じゃ共犯だね。犯罪というのは常に被害者と加害者が存在するが、被害者が加害者に協力した場合犯罪は表に出ない。しかしね、罪は依然として罪なのだよ。これの隠蔽を手伝うのは同じく犯罪だ。よって、問題の女子高生ちゃんも痴漢の共犯、ということになる。可哀想に、その後自殺してしまったみたいだけどね。自業自得、と言おうか」

 便器を擦る音が、止まった。

「自業自得、とは元々、『全ての行いの結果は自分に返ってくる』というニュアンスの言葉らしい。だから本当は、良い悪いはないんだ。自分がやったことが自分に返ってくる、というだけのことなのだから。そう。結局返ってくるんだよ。何もしなくてもね。逆に言えば、その帰結を急がせるのはよくないんだ。本来ならね。その結果を急ぐ時、大事な何かを失うかもしれない。罪を犯してしまうかもしれない。そうして発生した『業』は全て、自分に返ってくる。言いたいことは分かるかな?」

 誰も答えない。個室は沈黙。新たに利用者も入ってこない。空調の音だけが響く。

「調べさせてもらった。〇〇株式会社(例によって名前は伏せる)は都内の清掃業務を請け負っているそうだ。山手線沿線はもちろん、東京駅周辺を走る私鉄各線、その各駅周辺の企業オフィスの清掃も担当しているらしい。ジョブローテーション、というより従業員の経験値向上のために、頻繁に持ち場を交代させたり、複数の現場を受け持たせたりするそうだ」

 ふう、とため息。放尿時に漏れる息と似ている。

「複数の被害者が出ている。共通項は少ないが被害者たちがよく使っていた駅を教えてもらった。豊洲駅、浜松町駅、品川駅」

 特徴を考えた、と私は続ける。

「豊洲駅には有楽町線が走っている。東京メトロだね。地下鉄だ。続いて浜松町。JR山手線沿線だと思ったが、違った。ここに例外があったんだよ。浜松町駅から徒歩数秒で大門の駅に行くことができる。大門は都営大江戸線と都営浅草線が走っている。大門から少ししたところに新橋があるね。これも山手線の沿線だが、ここからは銀座線が伸びていて銀座に行くことができる。銀座駅の近くに銀座一丁目駅。これも有楽町線だ。さらに品川駅。これも山手線沿線だが近くに泉岳寺駅がある。これも浅草線。何が言いたいか分かるかな? 被害者が利用していた駅は直接は繋がっていないが間接的には繋がっていたんだ。特徴があった。マスキングされていたがね。つまり被害者同士の行動圏内は微妙に重なっていたんだ」

 〇〇株式会社は、と私は話す。

「先程も話したように、東京都内の様々な駅、ビルの清掃を受け持っている。主な担当場所はトイレだそうだ。さて、振り返ってみようか。ここはトイレだ。間違いなくね。多くの男性がズボンを下ろし、ペニスを出す。立ち便器って言うのは便利だね。少なくともこれがあるからスムーズな排泄ができる。一時期、アメリカのどこかの州で女性用立ち便器を考案した人がいるそうだ。実装され、多くの女性が特殊な器具を用いて立ったまま放尿したらしい。かなり便利で、評判はよかったそうだが、宗教的な理由で禁止された。不便だね、キリスト教ってのは……キリスト教徒が反対したという確証はないが……女性だって立ったまま放尿していいと思うけどねぇ。それを喜ぶ人だっているだろうし……これは、男性女性を問わずね」

 しゃべらない。沈黙。

「あったんだよ。自宅以外で男性がズボンを下ろす場所が。それがここ、共用トイレだ。駅のトイレ、会社の入っているビルのトイレ、私の場合は大学のトイレかな。ここではズボンを下ろす。当たり前だ。服を着たまま排泄することは珍しいからね。つまりここでなら男性の下着を確認することができたわけだ。必然、ここに入れる人間が怪しくなる……ああ、何の話をしているか分からないだろうね。前置きができていなかった。ブリーフ殺人事件の犯人について語っているんだよ。聞こえているだろう?」

 個室からは何も音がしない。もう長いこと籠っているというのに、トイレットペーパーを引き出す音も、流す音も聞こえない。きっと身じろぎ一つしていないだろう。

「ブリーフ殺人事件の犯人、ないしはその犯人側の関係者はおそらく男子トイレに入ることができる人間だろうと私は話しているのだよ。トイレでなら男性の下着を確認できる。ズボンを下ろすからね。しかしだね、ここで男性の立場に立ってほしい」

 私は自分の姿を示す。

「多くの男性は放尿時に両手と便器で性器を隠す。人によっては便器に体をくっつける。しかしそもそもペニスは自分より目線の低い位置にある。例えば隣の便器で放尿している男性の下着を見たかったとして、単純に視線を横にずらせば目的を達することは可能だろうか。不可能だろうと私は思うね。両手の陰、便器の陰に隠れてそれは叶わない。しかし、例外がある」

 私は視線を移す。横に。横の立ち小便器に。

「小便器の清掃を行っている人はどうだろう? 目線が低いよね。おそらくペニスの先くらいは見えるだろうな。必然、小便器から離れる際に同じ目線の高さにある下着も確認できるだろう。盲点だったよ。男子トイレ、という発想が浮かんだ瞬間、必然犯人は男性だろうと……あのペニスを根元から切断し、被害者の口に咥えさせるなんて鬼畜外道な行いができた恐ろしい男性だろうと……思ったんだ。だってそうだろう? 男子トイレだ。女性が入ったら怪しまれる。警察が調べた限りだと、事件現場近辺の男子トイレに不審な女性は出なかったらしい。以前何かのドラマで見たな。男子トイレで男装した女性が、小便器の自動洗浄を見て驚いてしまい、その現場を見られたが故に怪しまれる、という話を。でもこの犯人に限ってはそんなミスは犯すはずがなかった。しょっちゅう見ているからね。何せその自動洗浄は同業者みたいなものだ。もしかしたらこの機能が発明された時、業界は『仕事が奪われる』と思ったかもね」

 私は隣で小便器を磨いていた清掃員の方を見る。ペニスを出したまま。乾ききったペニスを出したまま。

「清掃員なら、女性でも怪しまれることなく男子トイレに入れる。清掃員なら、女性でも男性のペニスを確認できる。清掃員なら、目線が低いから男性の下着を確認できる。清掃員なら、女性でもなることができる。清掃員なら、男子トイレに入れるのは男性、という盲点もつくことができる。清掃員はセキュリティのしっかりしたビルにも入ることができる。セキュリティカードだって業務上の都合で手にすることができる。有利なんだ、清掃員という仕事は」

 清掃員が顔を上げる。

 ゆっくりと、睨みつけるように。

 憎々し気な顔だった。鬼のような形相をした女性だった。中年だった。刻まれた皺は深い。だが利発そうな女性だった。きっと何かの都合で職を失い、しかし生きていくためには金が必要で、仕方なくこの清掃員という仕事に流れ着いたのだろう。

 私は清掃員には敬意を払っている。ブロークン・ウィンドウ理論なんていうのは心理学を少しでもかじった人間なら知っているだろう。割れた窓があるとそれがその場に対する無関心の象徴になり、犯罪の温床になる。汚い空間はそれだけで治安悪化の原因になるのだ。道、建物、トイレ、駅。これらを清掃し、綺麗な状態を保ってくれる清掃員は警備員や警察に並ぶ「その場所の治安維持係」なのだ。素晴らしい職業じゃないか。誇るべき仕事だ。

 だが、殺人犯の隠れ蓑となると話は別だ。

 私はこちらを見上げてきた女性としっかり目を合わせた。ペニスを出したまま、振ることもなくなったペニスを出したまま女性と見つめ合った。きっと間抜けな絵だったろうが、その間抜けさがたまらなく愛おしかった。私は告げた。

「娘さんか、ご姉妹か、母親か、友人か」

 私の列挙に、女は反応した。「娘」という言葉に目の色が変わった。

「娘さんか」

 私は続ける。

「となると、女子高生の例かな? 痴漢された挙句強姦され、金を握らされて黙秘させられた女子高生。一応彼女についても調べてもらったんだよ。警察にね」

 私は続ける。

「都内の高校に通う二年生。部活や委員会の類はやっていなかったが趣味でパルクールをやっていたそうだ。パルクールっていうのは、街の障害物を活かして行う体操みたいなものだね。走りながら障害物を華麗に飛び越えたり、障害物を利用したアクロバットなんかをする。かっこいいスポーツだよ。彼女はそれが得意だった。しかし例の痴漢事件以来、彼女が街を飛び回ることはなくなった。きっと路地裏を飛び越える時、軽やかにジャンプして衣服が揺れる時、思い出したんだろうね。自分がされた卑猥なことを。猥褻行為を」

 ぎりり、という微かな音。清掃員の女性が歯ぎしりをしていた。

「ところでね、先日の学会発表で面白いことを聞いたんだよ。性犯罪の被害者自助グループが結託して、性犯罪のハザードマップを作っている、という研究だ。非常に面白い試みだと思った。このデータを元に犯罪抑止の具体的なプランを練ることができるだろう。と、同時に、だ」

 私の指先でペニスは萎えていた。睾丸を触る。緊張しているのだろう。委縮していた。睾丸は固まったり緩くなったりすることを知っているかな? 男子の育児経験がない女性なら知らないんだろうな。

「性犯罪を憎んでいる人間の立場に立ってみよう。ハザードマップはそこで性犯罪があったことの証拠だ。例えば性犯罪が検挙された場合、ハザードマップと照らし合わせれば必然犯人の行動範囲が分かるんだ。これって便利じゃないか? 性犯罪の加害者に……まだ裁かれていない野放しの加害者に、迫れるいい機会じゃないか?」

 おそらく、と私は続ける。

「ブリーフ殺人事件の犯人はこのハザードマップを使って性犯罪と、その犯人の行動範囲とを確認した。時間をかけてその犯人を特定する。自助グループに参加していれば、被害者から『誰にどのような目に遭わされたか』を聞き出す機会も得られたかもしれない。そうした情報を元に、時間をかけて加害者を特定する。そしてその加害者に罰を与える」

 多分最初は。私の言葉だ。

「最初は自分の近親者の復讐だったんだろう。散々陵辱された挙句、死に追いやられた娘の復讐。劣悪な性欲の象徴であるペニスを生きたまま切断し、それを咥えさせ、失血により死に至らせる。男性からしたら最悪の死に方だね。いっそ切腹させてくれた方がいい。そんな復讐を果たした時、君は……」

 と、私は、私の隣にいた清掃員を示す。

「君はその男がワコールのブリーフを着用していることに気づいた。それから漠然と、ワコールのブリーフを履いている人間が憎くなってきた。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというやつだね。そして性被害者の自助グループに混じって性犯罪の犯人を捜す傍ら、その犯人がどんな下着を履いているかも調べた。さっきも言った通り、トイレの清掃をするついでに利用者の下着を見ることでね。そして、『性犯罪者かつワコールのブリーフを履いている』人間を見つけると、その人間をつけ回し、情報を集め、犯行に及んだ。生きている被害者を縛り上げ、散々恐怖を煽った挙句に、性器を生きたまま切断し、激痛と恐怖に悶える被害者の口に突っ込んで放置する。娘の仇をとれる。娘の復讐ができる」

 清掃員はしゃべらない。下手にしゃべるとよくないことを知っているのだろう。

「さっきも話したが、パルクールが得意な女の子が性犯罪の被害に遭った苦を理由に死んでいる。必然、彼女の周辺にいる人間もパルクールを習得していたり、あるいは娘の影響を受けて知識を持っている可能性はある。私もブリーフ殺人事件の被害に遭いそうになったことがあるんだけどね、犯人は障害物の多い街中を華麗に駆け抜けて消えてしまったんだよ。でもよくよく考えれば、パルクールを習得しているなら当然のことかもしれないね」

 私は押し黙る。清掃員も黙る。静寂。重たい静寂。

「女子高生のお姉さん……っていうのはちょっとサービスかな。本音を言おう。お母さんだね?」

 清掃員が鋭い目を投げてくる。

「娘の死が理由で家庭環境が荒む。当然あなたの心もまともじゃいられない。まともな状況じゃ仕事はできない。職を失う。でも生きていかなければならない。仕事を探す。男女平等が進んできたとは言え、中年女性を一から雇うところはもしかしたらあまりないかもね。ましてや精神を病んだ女性だ。少し障害が多い。結果、清掃員のアルバイトに流れ着いたのかもね。そしてそこが、娘の仇を打つのに持ってこいの場所だということに気づく。自助グループを利用して情報を集める。娘を穢したのと同じ特徴を持つかつ性犯罪に手を染めている男性を見つける。腹いせに殺す。この繰り返しで九人も被害者を出した。よくやったよ。その執念は高く評価する」

 清掃員がピックを握るところを私は目撃した。多分、便器やトイレの床に貼りついたガムか何かを剥がす道具だろう。切断は、諦めたか。でも確実に私を仕留める決意をしたらしい。

「罪は償われるべき。その発想は正しい」

 私は続ける。

「復讐することで報われる気持ちがある。それも正しい」

 さらに続ける。

「されたことを許さなくてもいい。それも正しい」

 もっと続ける。

「暴力は連鎖する。それも正しい」

 私のこの言葉が不思議な重みを持ったのだろう。

 女性がハッとした顔になった。だんだんと目が滲んでくる。私はさらに続ける。

「自業自得なんだ。自分の行いは自分に返ってくる。君は返したんだね。犯罪者に。でも返すっていうことはどういうことか分かるだろう? 例えば店と客だ。店は商品を提供する代わりに代金をもらう。客は代金を払う代わりに商品をもらう。両者の関係は対等だ。受け取ったものを返す、という関係なのだから。同じことが言えるね。君は受け取ったものを返した。つまり対等なんだ。君と性犯罪者とは」

「違う……」

 女性がようやく口を開いた。

「対等なことの何が悪い? いいんだよ。復讐しても。その結果自分と犯人とが対等になることなんていいじゃないか。犯罪の被害者は一方的に貶められた存在なんだ。マイナススタートなんだ。それが対等に、イーブンになれる。つまりポジティブだ。いいじゃないか。犯人と『対等』になれて」

「違う、違う……」

「性犯罪者は自分より下だと思っていたのか? まぁ、思想的にはそうかもな。卑しい存在だという意見には頷ける。しかし君はその卑しい存在に卑しい行為を返すことで復讐とした。結果的に『卑しい行為をした』という一面は変わらないんだよ。やっぱりイーブンなんだ。『対等』なんだ」

「違う!」

 女性が叫んだ。私は笑った。

「まぁ、差異を作ることはできる」

 女性の目が縋るような輝きを持った。私はそんな彼女に手を差し伸べるように告げた。

「罪を認めることだね。金を握らせたり暴力で屈しさせて自分の罪を隠したら、本当に『対等』だ。ところがここで僅かにでも違う行動が取れれば、そこに『差』を生むことができる。どうするかは君に任せるよ。好きな結末を選ぶといい」

 私はワコールのブリーフに大切なペニスを包んだ。もう用は足した。帰ろう。

「……それでも」

 手を洗っていると。

 女性の低い声が聞こえてきた。

「それでもお前の罪は消えない。お前は女性を貶めた。女性を辱め、陵辱し、穢した。その罪は、償われなければならない」

 背後に殺意を感じた。だが感じただけだった。

「自首はする。私はあんな連中と対等にはならない。でもこの命がある限り、私が見つけた汚らわしい連中は確実に、殺してやる。女性を穢した馬鹿どもは確実に始末してやる。お前なんか、お前なんか……」

 手洗いの鏡越しに。

 女性がピックを振り上げたのが見える。愚かな女だ。馬鹿な女だ。

「そこまでだ」

 個室のドアが開く音。素早く数名の男性が姿を現す。どれも私服姿だが、目つきが鋭く体格もいい。

 その男性陣の中に西島がいた。彼の声が響く。たくましい手が、女性の手首をつかむ。

「離せっ、私はこいつをっ、この汚らしい男をっ」

 女性が暴れる。しかし体格差は覆しようがない。手からピックが奪われる。そして手錠がかけられる。

 私は手を洗った。ハンカチで手を拭く。それを待っていたかのように別の刑事が私の背に手を伸ばした。私は素直に男子トイレを後にした。



 ブリーフ殺人事件はこのような終末を迎えた。呆気ない結末だった。

 永場が女子高生の件だけ語ったのはやはり同じ趣味を持っている人間だからだった。思い入れがあったのだろう。同じ女性という立場が性犯罪への憎しみを増加させたのかもしれない。あるいは、自分も痴漢に遭ったことがあるか。まぁ、そんなことはどうでもいい。

「準備できましたぁん」

 とあるSMハプニングバー。

 場所は伏せる。この手の店はあまりおおっぴらには動かない。何せ男女が裸で酒を飲むような場所なのだ。性風俗と違って女性の質は保証されないし、店に行ったからと言って必ずセックスができるわけではないが、それでもその辺の居酒屋よりはいやらしい。そんな空間。そこで私は幸運に恵まれる。

 目隠しをされ、拘束され、卑猥な言葉を連呼して男を求める憐れな女。性器と言わず肛門と言わず男性器を突っ込まれ、ひいひい言わされた挙句、豚の尻尾を象ったアナルプラグを突っ込まれ、「ぶひぶひと鳴け」と強要される惨めな女。

「ぶひ……ぶひぶひぃ」

 それは永場三咲だった。

 目隠しをされていたから顔を見ただけで当人と分かったわけではない。

 だがほとんど男性に近い短い髪型。

 耳たぶにぶら下がったキリンの耳飾り。

 身長、肉付き。

 間違いなく永場三咲だった。彼女は目隠しをしていたから目の前にいるのが私だと気づかない。……気づく術がない。

 滑稽だった。性犯罪を憎み、女性を貶める人間を憎み、私を憎んだ人間が、自ら低い立場に行って、虐待や辱めを受けることに快感を覚える。

 ここはハプニングバーだ。風俗と違う。性行為をせざるを得ない人が来る場所じゃない。性行為をしに来る人、性行為を期待する人が集まる場所だ。

 おそらく永場はそういう趣味の女性だったのだろう。自らを滅茶苦茶に扱ってほしい女性だったのだろう。私に啖呵を切り、性犯罪を憎んでおきながら、同意の上でのセックスでは自らを屈しさせてくれる存在を求める。

 人間、何を求めているかは見た目からでは分からないものだ。

 人間、矛盾を含むからひとつの尺度では測れないものだ。

 人間、どういう主張をするのかは立場に影響を受けるものだ。

 警視庁の刑事という仮面をかぶった永場は、犯罪を非難する一方で、ここで仮面を脱ぐ。仮面も服も下着も脱いで、自らの欲するままに男に抱かれる。

 私は目隠しされた永場三咲に近づいた。

 私と彼女がまぐわったことは、言うまでもない。

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ブリーフ殺人事件 飯田太朗 @taroIda

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