終わりの見えない境界線の上で

読み始めてまず感じたことは「こういう作品も書けるのか」という驚きでした。……いえ、驚きではなく納得ですね。和田島さんの作品は今までにもいくつか読んでいるのですが、最も特徴的なのはその文体です。わかりやすさを至上とする書き方ではなく、かといって極端に婉曲な伝え方でもなく、普通じゃ思いつかない抜け道のような言い回しを繋げて物語を進めていく作風とでも言えばいいでしょうか。その抜け道の選び方がいつも見事で、脳の大喜利を見た時に活性化する部位が刺激されます。だから、今回のような文学作品(でいいんですかね、文学なにもわからないので断言するのが怖いですが)を書いたら面白いものができそうだな~と勝手に感じていました。

さて、物語では語り手に共感してもらうことがとても大切なのだと聞いたことがあります。
私小説『風』の今作においては『僕』がそれに当たるでしょう。
男子高専生、ピアス、BL……『僕』を構成する要素は作中に散りばめられていますが、それらと私が重なる部分はほとんどありませんでした。では『小指の欠けたおっさん』もしくは『Mさん』が重なったのかというとそんなこともなく、街で見知らぬ誰かに声をかけることも、かけられて応じることも、ネットで知り合い現実で顔を合わせることも、どれも自分とは遠い別の世界の出来事です。
にもかかわらず私は『僕』に強烈な共感を抱いていました。そんな経験などしたこともないのに「わかる」と頷いてしまいそうになる何かがこの小説にはあり、その小さな共通項こそまさにあらすじに書いてある『境界線の上でやじろべえのように揺れる日々』なのだと思います。
私と『僕』では境界線の色や形こそ違うけれど、その上を揺れながら歩く辛さは読んでいて他人事に思えませんでした。もういっそのこと転んでどちらかに傾いてしまえば楽になるんじゃないかなって。そんな破滅願望。いや、終結願望といった方が近いですかね。皆さんも一度くらいは感じたことがあるんじゃないですか?
あまりにも刺さったのでこうして勢い任せにレビューを書いてしまいましたが、実際のところはてんで的外れな見解かもしれません。気になる人はさっさと読んで確かめると良いと思います。帰るのは一口かじってからでも遅くないので。