アヴァター・ボット(5)



 帰宅したミッキーに、リサがイリスの感想(ピュグマリオンは、)を伝えると、彼はふき出した。脇腹をおさえ、涙をうかべてひとしきり笑ったのち、うれしげに言った。


「そんな風に自由に考えられるのが人間だよ。AI はオーナーの意思に反抗できないからね……。ところで、実在の人物をモデルにするのは駄目だけれど、架空の人物のヒューマノイド(人型ロボット)作製は禁止されていないよ」


 リサは眼をまるくみひらいた。ミッキーは笑みをふくむ声で続けた。


「アニメのキャラクターや空想世界の動物を模したロボットは、フィギュアの延長とみなされている。人間に危害さえ加えなければいいんだ。AI に複数の反応パターンをインプットして、複雑な性格にみせかけることも可能だよ。生身の人間には及ばないけれどね」

「そうなの?」

「そういうものを必要とする人もいるからね。ただ、すっごく高価だよ」


 最後のひとことを、ミッキーは片目を閉じて囁いた。リサは納得した――生身の人間と間違えるほどのヒューマノイドは、やはり実用的ではないのだろう。ロボットや AI は、あくまで人間を助ける道具なのだ。

 ミッキーは笑いをおさめると、バックパックからロボットの記録装置を取り出した。リサは彼の手元に視線を向けた。


「解析できた?」

「ああ。かなり個人的なものだったよ」


 ミッキーはコアラ型(?)ロボットを抱き上げ、記録装置を元の場所に収める作業をはじめた。手を動かしながら説明する。


「四人のグループが地球から月へ来て、火星のドーム基地へ行って、また月へ戻ってきた記録が入っていた。標準時間で約二年分」

「そんなに?」

「全部観るのは大変だよ」


 わくわくしているリサに、ミッキーはかるく釘を刺した。


「四百年前に生きた人たちのプライヴェートな記録だからね。機密事項はないから観るのに支障はないけれど……端折はしょった方がいいと思う」

「観たいわ」


 リサが力をこめて言うと、ミッキーは小さく頷いた。コアラ型ロボットの背中のカバーを開け、家庭用VRに接続する。身振りで、リサに座るよう促した。


「待っていて。準備するから」


 リサがソファに腰を下ろすと、すぐに部屋の明かりが消えた。目の前に巨大な地球があらわれ、ぐらぐら視界が揺れる。上下が反転して悲鳴をあげかける彼女の手を、ミッキーが掴んだ。


「何これ?」

「無重力だよ。定期便シャトルに重力制御装置がついていなかった時代は、宇宙で無重力を体験するのが流行りだったんだ」


 リサは驚愕した。(無重力! なんて危険な……) しかし、明るい笑声がわき起こり、手をつないで宙にうく男女の姿を目にすると、戸惑いは消えた。ロボットとともに楽しんでいるらしい。


 黒目黒髪をもつアジア系の男性、褐色の肌をした大柄な女性、燃えるような赤毛の白人女性、浅黒い肌に金髪と青い瞳をもつ男性――四人の若い男女が、コアラ型ロボットを連れていた。旧式のかさばるデザインのスペース・スーツを着ている。シャトルが月に到着すると、彼らは交代でロボットを抱いて行った。現在のドーム都市とは似ても似つかない基地の中を、あちらこちら動きまわる。小さな建物らしく、散策は短時間で終わった。

 視界の揺れがおさまり、ようやく落ち着いて観られるようになったリサは、隣りに座るミッキーに身を寄せた。


「この人達は、地球連邦の職員?」

「観光らしいよ」

「ええっ?」


 ただの観光に二年もかけているのは、移動に時間がかかるからだった。地球から月まで片道三日、月から火星まで(速い方で)半年――現在(27世紀)の倍以上の時間を要するのだと知り、リサは溜息をついた。


「大変だったのね」


 ミッキーは頷き、記録を早送りした。


「重力制御装置が普及するまで、訓練を受けた人しか宇宙へは行けなかった。シャトルの便数も少なかったしね」


 リサ達が暮らす月都市は、人口百万人を超えている。太陽からの放射線をさえぎるため地下に築かれた街は、人工重力が装備され、高層ビルが建ちならび、風圧制動ホバー自動車やSCM(超電導リニア)トレインが走っている。膨大な数の AI が人間のために快適なサーヴィスを提供している。技術の違いは別世界を観るようだ。

 それでも映像の四人は、月の砂漠に歓声をあげ、弱い重力を楽しみ、日の出ならぬ地球の出に感動していた。ロボットに話しかける内容から、地球に留まっている彼らの友人は病気療養中だと判った。吸い込まれそうな銀河や華やかに盛りつけられた料理をじっくり映し、臨場感をもりあげている。

 月から火星コロニーへの移動中、彼らは星を観るよりボード・ゲームをしていることの方が多かった。当時の流行なのか。ここでも四人は絶えずロボットに話しかけ、《彼》 の意思を尊重していた。火星ではピンク色の空の下、地上車に乗って移動する体験をした。植物育成プラントや貴重な液体の水を再生する工場など、人間の生活を支える設備の見学もした。


 記録を観ているうちに、リサはしんみりとしてきた。この人達は全員、今はもういないのだ。分身ロボットの主はメッセージをちゃんと受け取っただろうか? 何故、ロボットは月に残されたのだろう……。


 最後の場面は、月面の天体観測所だった。真っ黒な宇宙に、青い地球がぽつんと浮いている。四人はひとりずつ順にコアラ型ロボットを抱きしめ、キスをし、赤毛の女性と東洋系の男性は泣きながら別れを告げた。そこでリサは、彼らの友人がこの旅行中に亡くなったことを知った。遂に宇宙に出られなかった友の代わりに、彼らは地球の観える場所に分身を置いて行ったのだ。


 部屋に明かりが点き、リサはほうと溜息をついた。ミッキーはロボットをVR再生装置から外した。


「この子、これからどうなるの?」

「スペースセンターの管理事務所に許可をもらったよ。月開拓時代の建物や機械は、宇宙港の博物館に保存されている。この子もそこに置いてもらえることになった。地球の観える窓の傍にね」

「良かった」


 リサは心から安堵した。ロボットとともに彼らの想いが消えてしまうのは悲しかったのだ。もう誰も生きていないのだとしても……。

 ミッキーは労わるようにコアラを撫で、保護シートに包み直した。バックパックにしまい、そっと告げる。


「あのね、リサ」

「なあに?」

「おれの脳に入っている記憶モジュールだけど……使わなくなったら、アレックス統制官に預けようと思う」


 リサは眼を瞠り、瞬きを繰り返した。ミッキーはあわく微笑んで続けた。


「七年前の事故の後から、ルネや鷹弘やフィーン、ラグといた記録が残っているんだ。きみと出会った時も、あいつらが出掛けた後も……今も、これからも、ずっと」

「…………」

「あいつらが帰って来たとき、おれたちはもう生きていないからね(注⑤)。ルネやライムの為に遺しておこうと思うんだ。おれたちの記憶を」

「うん、そうね」


 リサは頷き、ミッキーの腕を抱きしめた。彼の肩に頬をのせる。ミッキーは黙って彼女の髪を撫でた。


「……ちょっと待って、ミッキー」

「えっ?」

「あなたの記憶モジュールってことは、わたし達の……アンナコトやソンナコトも、ぜーんぶ、ルネやラグに知られちゃうってこと?(注⑥)」

「あー……。そういうことに、なる、かな」

「駄目っ! ダメダメダメ、いや、やめて。絶対にだめっ」

「そう? 別にいいんじゃない? その頃には、おれ達はもう死んでいるんだから」

「そういう問題じゃないのっ。死んでいても、恥ずかしいものは恥ずかしいの!」



          ◇◇



 一週間後、『月うさぎ』のロビーでは、トマス君の運転する分身ロボットが活動していた。麻美と美弥と一緒にウサギに餌をやっている姿をみつけ、リサは声をかけた。


「こんにちは、トマス君」

『あっ、こんにちは』


 スクリーンに映る少年の顔色はよい。変声前の澄んだ声がはずんだ。


「手術が終わったのね。調子はどう?」

『順調です。昨日、ICU (集中治療室)から出られたんです。三か月くらいリハビリテーションをしたら、学校へ行けるって!』

「良かったわね。おめでとう」


 カウンターの中では、アンソニーとミッキーが笑顔を並べている。少年ロボットは照れたように頭を掻いた。


「そのロボットはどうなるの?」

『ぼくが卒業したら、次の子が使うんです。メンテナンスしながら大切に使うんですよ』

「そうかあ、安心ね」

『自分の体で登校するのって、なんだか変な気分です。みんな、ぼくって分かるかなあ?』


 少年の言葉に、ミッキーはくすりと笑った。


「大丈夫だよ。はりきり過ぎて、体調を崩さないようにね。お大事に」

『はあい! ありがとうございます。あっ、まだしばらくはアヴォット(R) でお邪魔します。よろしくお願いしますっ』


 少年は頬を染め、ぺこりと頭を下げた。美弥がロボットの腕をとる。はしゃぎながらエレベーターに乗り込む二人を、リサ達は微笑んで見送った。






~『アヴァター・ボット』 了~

(注⑤)本編参照: ラグ達の乗った宇宙船は、銀河系の中心まで往復する予定です。

(注⑥)リサとミッキーは夫婦です。

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アヴァター・ボット 石燈 梓 @Azurite-mysticvalley

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