アヴァター・ボット(4)



 古代ギリシャ、キュプロス島の王ピュグマリオンは、著名な彫刻家であった。

 王は生身の女性の心のみにくさに絶望し、一生独身でいようと決意していた。彼は理想とする女性の姿を象牙に彫刻し、たいへん美しい像を彫りあげた。毎日こつこつと削り、眺め、磨くうちに、いつしか自分の創りだした女性を恋い慕うようになった。体を洗い、衣を着せ、色とりどりの花や小鳥の羽根や宝石で飾りたてた。王は像とともに眠り、彼女を妻と呼び、優しく話しかけた。彼女と部屋に閉じこもり、外界との接触を絶つようになった。女性だけでなく、生きているどんな人間も王の視界には入らなくなった。


 美の女神アプロディーテの大祭の日、王は祭壇の前でこっそり願いをたてた。


「神よ、どうかお願いです。私の象牙の乙女によく似た女性を、妻としてお与え下さい」


 さすがに象牙の乙女を妻にしてくれとは、畏れ多くて言えなかったのだ。けれども、アプロディーテは彼の本当の願いを聴き取った。女神は彼への恩寵のしるしとして、祭壇の炎を三度高くもえたたせた。

 祭りから帰ったピュグマリオン王は、臥床に寝かせていた象牙の乙女をそっと撫で、その唇に接吻した。すると彼女は瞬きをはじめ、頬は桃のように赤らみ、唇は甘い吐息をもらし、王に両腕を差し伸べたのだ。

 ピュグマリオン王は喜び、女神アプロディーテに感謝のことばを捧げた。女神は二人を祝福し、彼らはパポスという子どもを授かり、幸せに暮らしたという。


             **


 翌日。宇宙飛行士アストロノウツ訓練校内の喫茶店で紅茶を飲みつつ、リサは 『ピュグマリオン王の物語』 を読んでいた。知らなかったわけではないが、エンジニアのミッキーの口から古代神話が出たことが意外だったのだ。


(ピュグマリオンの傾向って、どういう意味かしら? 関連語には 『ピュグマリオン効果』 があるけれど、これは教育の話よね(注④))


 昨夜、ミッキーは古いロボットの分解に集中し、記録装置らしき部品を見つけ出した。今日はそれを銀河連合スペースセンターへ持って行き、解析してみるという。彼はメモリーを外したロボットをほぼ元通りに組み立て直したが、腕や足など失われた部分はそのままだ。


「直しても、大した動きは期待出来ないよ。画像と音声を記録するのが目的で、遠隔操作の機能はついていないからね」


 ミッキーは残念そうに呟くと、コアラ型ロボットをテーブルに置いて就寝した。可愛くないとリサに言われてしまったロボットだが、手足の欠けた状態で座る姿は、なんだか可哀想だった。


 ミッキーはリサより早く起きて出勤してしまったので、それ以上は訊けなかった。自分で調べていると、

「リーサ、何してるの?」


 同級生のイリス(安藤家の三女、ミッキーの義妹)が彼女をみつけ、声をかけてきた。ふわふわのコットンキャンディーのようなライトグリーンの髪をゆらし、タブレットを覗きこむ。


「ギリシャ神話? どうしたの」


 リサは照れ笑いを浮かべ、職場見学にやってきた少年ロボットと、ミッキーが持ち帰った古いロボットについて話をした。イリスは彼女の向かいに座り、紫色の瞳を煌めかせて相槌をうった。


「人間にはピュグマリオンの傾向があるから、そっくりなロボットは作らないんだって。存在の唯一性を守るために」

「へえ、AIにもそんな規制があるの。個体クローン製造禁止条約みたい」


 イリスは注文したチーズケーキを口へ運び、さくっと言った。


「え?」

「宇宙生物学の講義で習ったじゃない。存在の唯一性……尊厳の唯一性、だったかしら。それを守るために、個体レベルのクローン製造は禁止って。ロボットもそうなのね。なんか安心したわ」

「安心?」


 ラウル星人の遺伝子を半分もつ少女は、ケーキをすくったスプーンを舐め、満足げに頷いた。


「あたし達、ぬいぐるみにも人形にも、何にでも愛着をもつでしょ。相手は生き物じゃないと分かっていても、アニメのキャラクターに恋しちゃったり。大切な人にそっくりな AI 内臓ロボットが現れたら、どうなるんだろう?」


 イリスはリサに横顔を向け、窓の外を眺めて続けた。


「例えば……凄く大切な、でももう二度と逢えない人。その人に外見そっくりで、性格も記憶も口調も全部写したヒューマノイド(人型ロボット)が現れたら、あたしはそのロボットを本人と区別できるかしら? 『ロボットこの子を本人と思って』自分を慰めるどころじゃなく、『この子がいるから、本人がいなくても大丈夫』にならないかしら」


 イリスはテーブルに頬杖をつき、そっと溜息をついた。


「でもそれはコピーよ。機械は機械であって人間じゃない。自分にそっくりなロボットと仲良くやっているあたしを観たら、本人はどう思うかしら? あたしだったら嫌だな。『あたしはこっちよ』って言うと思う」


 リサは、イリスがフィーンやルネ、ライム、鷹弘たち――ラグとともに旅立ち、会えなくなった友人たちを想っているのだと察した。亡き父や真織マオ史織シオを想えば、リサにも理解できた。(ひとはひとり。過去にも未来にも、同じ人は存在しない……)それは切ない痛みを伴い、彼女の胸をちくりと刺した。

 イリスは肩をすくめ、紅茶のカップに唇をつけた。


「大切な人を失って辛さのあまり病気になっちゃう人は別よ。あたしはそうじゃない。フィーンに会えなくて寂しい気持ちは、そのまま感じていたいわ。それが彼らと一緒にいたってことだもの。ルネちゃんや皆川さんに会えなくて、悲しいことがね」

「そうね……」


 リサは頷き、冷めた紅茶を飲み干した。おかわりを注文して、イリスに提案する。


「今夜、メール送ってみようか」

「いいわね」


 二人は秘密をわけあうかの如く、くすくす笑いあった。彼らの乗る宇宙船ふねに宛て、リサはときどき光メールを送っている。互いの間の距離がひろがるにつれ、返事は遅くなっている。それでも、届く限りは送ろうと思うのだ……。

 イリスはスプーンの先でケーキをつつき、悪戯っぽく瞳を動かした。


「考えてみたら、『ピュグマリオン』って変な話よね。人間になった乙女が好いてくれたからいいけれど、そうとは限らないじゃない」

「そう?」

「そうよ~。あたしなら、目覚めてすぐ目の前に髭面のオッサンがいたら、悲鳴をあげるわよ。恋するどころじゃないわ。『なにこの人、!』って言われたら、どうするの」

「……確かに」


 リサは頷き、二人は声をあげて笑いだした。




 講義を終えて『月うさぎ』に帰宅したリサとイリスは、カウンター奥のスタッフルームで、ぽつんと椅子に座るアヴォット(R) をみつけた。傍では、麻美あさみ芳美よしみの双子(安藤家の四、五女)と美弥みやが、仲良くおやつのクッキーを食べている。アメリカ開拓時代風の、チョコチップをまぶした分厚いクッキーだ。


「ただいま。あら? トマス君、どうしたの?」


 ロボットの反応がなかったので、リサは首をかしげた。イリスは興味津々で 《彼》 の顔をのぞきこんでいる。

 美弥が口の周りにクッキーの欠片をつけたまま答えた。


「調子が悪くなって、緊急手術になっちゃったの。元気になって動かせるようになるまで、電源はオフにしておくんだって」

「そうなの。はやく良くなるといいわね」

「うん」


 イリスはちょんちょん、とロボットの頬をつついて微笑んだ。《彼》 は軽く首を傾けた姿勢で動かない。リサは寂しさと一抹の不安を感じたが、自分に言い聞かせた。

(トマス君が操縦してこその分身なのだから、これでいいのよね)


 そんな彼女の思いを知る由もなく、麻美と芳美は、紅茶に入れるのはミルクかレモン果汁かという議論を続けていた。





~(5)へ~

(注④)ピュグマリオン効果: 教育心理学用語。教育者の期待によって、学習者の成績が向上すること。

 イリスが話しているのは、ギリシャ神話のピュグマリオン王のように、生命のない人形などの対象に「自分自身の姿」や「理想像」を投影し、美化するあまり疑似的な恋愛感情を抱いたり、感情移入したりする心理のことです(ピグマリオン・コンプレックス)。

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