第7話 幸せすぎて

 わたしは勇気を出して口を開いた。


「ふぁ、ふぁーん!」


 すると先輩はくすっと笑って、箸でつまんだ卵焼きをゆっくりわたしの口の中に入れてくれる。

 もぐもぐもぐ…………うーん、ほんのり甘くて優しい味……。


「どうでしょうか。その卵焼き、私が作ったのですけれど」

「ふぇ!?」

「少し焦げてしまったけれど、味は良いと思うの」


 驚いてごっくんと飲み込んでしまったわたし。うそー先輩の手作り!? しまったもっと味わっておけばよかったぁ! わーんわたしのばかばかばか!


「柊さん?」

「あっ、お、おいしかったです! とっても!」

「本当? 私、ゲームの中とは違って不器用だから……気を遣わなくてもいいんですよ」

「ぜんぜんそんなんじゃないです! ほんとにおいしかったです! もっと食べたいです! 藤ノ宮先輩の卵焼きは天下一で――あ、ご、ごめんなさい急に大きな声出して……」


 思わず迫ってしまったわたしに、藤ノ宮先輩は目をパチクリさせて呆然としてから、「ありがとう」と言ってまた小さく笑った。うう、わたし毎日先輩に笑われているような気がする……。


「あのね、柊さん」

「は、はい?」


 チラ、と先輩の方に目を向ける。

 先輩は長い髪の毛を耳にかけてから、わたしのほうを見た。


「『藤ノ宮先輩』は、少し言いにくいでしょう?」

「え?」

「莉愛でいいですよ。私も……その、優衣さんとお呼びしたくて」

「ほぇぁ……」


 気の抜けた声が口からへろへろと飛び出した。


 呼ばれた。

 下の名前、呼んでもらえた!

 先輩の口から。優衣って! 優衣さんって!


「優衣さん? あ、突然で失礼でしたよね、ごめんなさい。それならやっぱり今まで通り……」

「だいじょぶれす!」

「え?」

「ぜんぜん! だいじょぶ! です! り、り、りりりっ」

「りりり?」

「り、り、莉愛先輩っ!」


 勇気を振り絞って名前を呼ぶわたし。たぶん、初めてお小遣いでソシャゲに課金したとき――いやいや、中学時代に隠していたテストをお母さんに献上したとき以上に勇気を出した!


 すると。


「……ふふっ。優衣さんは、本当に素直な人なのね」


 先輩が嬉しそうに笑った。


「ありがとう、優衣さん」


 どくん、とわたしの胸が跳ねる。

 とろとろの温かいハニートーストを食べたときよりもっともっと幸せだった。


「それでは、私はそろそろ戻りますね。優衣さん、また」

「あ、は、はいっ」


 先輩がベンチから立ち上がり、姿勢正しく優雅に歩いて去っていく。先輩のほのかな匂いが残る中で、わたしはふにゃ~んと満たされた気持ちでいた。


 本当に、楽しい。

 楽しくて嬉しくて、幸せで。

 先輩といられる以上の幸運なんてない。


『――藤ノ宮先輩、本当に素敵な方ね』

『――優しい人だから、外部生の方にもお声を掛けているのよ』

『――羨ましいなぁ。私も先輩とお話してみたい』


 中庭で一部始終を見ていた生徒たちが、こちらを見てそんなことを話していた。


 そう。先輩は優しい。

 だからわたしと一緒にいてくれる。


 それ以上の理由なんて、きっとないんだけど。

 バカなわたしは、たまに、ちょっとだけ、勘違いしそうになる。


「って、ナニ考えてんのわたし~! 早く教室もどろっ!」


 バッと立ち上がり、ついおてんばに走りそうになったものの、すぐに気付いて先輩みたいに優雅なイメージでゆっくり歩く。こっちを見てた子たちに「ごきげんよう」と笑顔で挨拶をして通り過ぎると返事がくる。いまだに慣れなくて内心ドキドキなやりとりだ。


 * * * * * *


 それからも、わたしは毎日先輩と一緒にいた。

 

 学校の廊下で会うと、小さく手を振ってくれる。

 朝会でたまに目が合うと嬉しい。

 お昼休みのひとときはずっと夢みたいな時間で、先輩の好きなお菓子を一緒に食べれば幸せが溢れ出す。

 少しずつクラスメイトと話が出来るようになって、勉強もがんばって、お父さんもお母さんに憂鬱な相談をすることもなくなった。

 学校から帰るのが寂しくなるくらいだったけど、家に帰れば『ワンクロ』で先輩に会える!

 ゲームの中のアイルさんは、ちょっぴりお茶目で強引なところがあるけれど、とっても優しいところは変わらない。

 莉愛先輩と一緒にいられる毎日があんまり楽しいから、ちょっと嫌なことがあってもぜーんぜんヘーキ!


「はぁ~! 今日もぐっすり眠れそう~!」


『ワンクロ』の中でアイルさんと別れ、PCを閉じ、パジャマ姿でベッドにダイブ。


「んふふっ。二人だけのギルドも作っちゃったし、新しいクエストも出来るようになったから、明日から行けるかなー? あ、でも莉愛先輩忙しいだろうから、迷惑かけないようにしなきゃ」


 ニヤニヤしながら足をバタバタさせて、それからスマホを手に取る。


 『届いている?』


 先輩から貰った初めてのメールを、わたしはよくこうして眺めてしまう。

 莉愛先輩は家庭の事情でSNSの類いは禁止されているみたいで、そっちで手軽に連絡をとることは出来ないんだけど、じっくり考えて送信するメールのやりとりも楽しい。この初メールの時はどんな返事をしようか1時間くらい考えちゃって、もうドキドキだった。今でも送るたび内容を何回もチェックし直してかなり時間掛けちゃう!


「さすがに、今から送ったら迷惑だよね。莉愛先輩も、メール見返したりするのかなぁ……」


 そんなことを考えていたら、スマホがぶぶぶと震えて「わぁ!」と驚く。

 莉愛先輩からのメールだ!


『もう眠っていたらごめんなさい。

 優衣さんからのメールを見返していたら、こちらでもちゃんと伝えたくなって。 

 おやすみなさい。優衣さん』


 ただそれだけの内容で、わたしの心は輝く。

 先輩がわたしと同じ気持ちでいてくれた。

 嬉しくなって、またいっぱい返事を考えて、でもすぐ送らないと先輩が起きて待ってるかもしれないしって慌てて、結局『起きてます嬉しいですおやすみなさい!』とテンションを隠しきれない尻尾を振る子犬みたいな感じの文章を送ってしまった。先輩は笑ってるかも。


 そんなスマホを抱いたまま、わたしは目を閉じる。


 気付いたらわたしは。

 朝も、昼も、夜も、夢の中でだって、莉愛先輩のことばかり考えていた。


 そんな毎日はとっても幸せで、今までにないくらい満たされた日々だったけど。


 でも。


 わたしは。


 そんな幸せな日常が――だんだんと怖くなっていった。

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