第10話 世界で一番大切な


 * * * * * *



 それから、わたしの毎日は『ワンクロ』をプレイする前に戻った。

 なんとなくソシャゲをやって、なんとなく動画サイトでおすすめを観て、たまに勉強をして、お風呂を出たらストレッチして、あとはベッドでごろごろするだけ。

 学校では、莉愛先輩に会わないようとにかく気をつけた。

 きっと、わたしのことなんてすぐに忘れるよね。先輩は人気者だから、いつもそばに誰かがいてくれる。

 今までの日常に戻っただけだ。

 お父さんとお母さんはちょっとわたしを心配したけど、ヘーキだってば!

 大好きなゲームをクリアしたときみたいな感じ。きっと良い思い出になるよね。

 だいじょぶだいじょぶ!

 すぐにいつものわたしに戻る!



 そしてその日も、“いつものわたし”は放課後にすぐ教室を出て帰ろうとしていた。

 まだ他に誰もいない下駄箱で靴を履き替え、駆け足で昇降口を出る。

 

「待ってっ!」


 そこで左腕を掴まれた。

 振り返って、息が止まる。


「莉愛、先輩……」


 そこに、息を切らした先輩が立っていた。

 足元を見ると、上履きのままで。

 眉尻を上げて、怒ったような、悲しそうな表情をしていた。


「ど、どうしたんですか? あはは、あの、わ、わたし今日は――」

「来て」


 わたしは莉愛先輩に引っ張られるように、誰もいない中庭へと連れてこられた。

 いつも一緒にお昼ご飯を食べていた、思い出の場所。

 先輩はわたしの腕を掴んだまま、言う。


「どうして逃げるの」

「……」

「どうして私を避けるの」

「……」

「どうして……何も言ってくれないの!」


 莉愛先輩が声を大きくする。

 こんな先輩は、初めてだった。


 当然だ。

 怒らせたのは、わたし。

 あんなにお世話になったのに、最低だと思った。


 だから、先輩は怒って当然だった。

 わたしには、謝ることしか出来ない。

 本当のことは言えない。

 だって、それは先輩に迷惑をかけるから。


「……ごめんなさい。莉愛先輩」


 下を向いて、それだけを告げる。


 ぽたぽたと落ちてきた。

 わたしの目からじゃない。


 先輩の足元に、ぽたぽたと落ちてきていた。


 顔を上げる。


「でも、よかった」


 先輩が言う。



「また――優衣さんに会えた」



 莉愛先輩は、泣いていた。

 綺麗な笑顔で、泣いていた。


 痛い。

 ものすごく、胸が痛くなった。

 同時に、わたしの目からもぽろぽろ涙が出てきた。

 顔を抑えたって、止められなかった。

“いつものわたし”はとっくにいない。


「優衣さん」


 先輩が、わたしを呼んでくれる。

 ささやくように、わたしの名前を呼んでくれる。


「私のこと、嫌いになった?」


 うつむきながら、ぶんぶんと首を横に振った。


「私と一緒の時間は、楽しくなかった?」


 何度も首を横に振った。


「なら……どうして、私を避けるの?」

「……」

「お願い。教えて。でないと、この手は離せない」


 莉愛先輩が、細い腕で強くわたしの腕を掴んでいる。その手は、震えていた。


 もう、ダメだ。

 これ以上、隠せなかった。

 辛いから。

 苦しいから。

 何も言えずにいたことも、何も言えずに終わることも。

 言ってはいけないと思っても、止まらなかった。

 わたしの心が、


「……です」

「……え?」


 勝手に、叫んだ。


「好きです!」


 顔を上げる。

 莉愛先輩を見上げるように、わたしは叫んだ。



「莉愛先輩のことが、好きなんですっ!」



 言ってしまった。


 先輩は、大きく目を開いて驚いていた。

 当たり前だ。

 莉愛先輩は女の子なのに。

 後輩の女の子からこんなこと言われて、驚かないほうがおかしい。


「…………優衣、さん……」

「……ごめんなさい。言うつもりじゃ、なかったのに」


 片手で何度も涙を拭う。

 先輩が、そっとわたしの腕を離した。


「……それが、私を避けた……理由?」


 こくんと、無言でうなずいた。

 やがて、また勝手にわたしの口が喋りだした。


「ずっと、ずっと楽しかったです。莉愛先輩と、アイルさんと一緒の時間が、楽しくて、嬉しくて、わたしにとって、人生の中でいちばんに幸せな時間だったんです。でも、それが、怖くなったんです」

「……怖く?」


 また、うなずく。


「どうして怖いのか、気付いたんです。わたし、莉愛先輩のこと、本当に、好きに、なってたんです。先輩後輩じゃなくて、友達でもなくて、冒険仲間でもなくて、それ以上に……もっともっと、先輩のこと、好きになったんです」

「……」

「それが恋なのかとか、そんなのわかんないです。でも、先輩のことが好きなことだけは、わかるんです。だって、一緒にいるだけでずっと笑顔でいられて、胸がきゅ~ってなって、そばにいてくれるだけで熱くなって、手を繋いだら、ドキドキして。お風呂でも、ベッドの中でも、いつも先輩のことばかり考えて」


 胸元をぎゅっと掴む。

 今までに読んできた恋愛漫画の主人公たちは、きっとみんなこういう気持ちだったのかな。

 あの苦しくて幸せな時間が、わたしには、世界で一番大切なものに感じられた。

 でも――


「これ以上一緒にいたら……わたし、わたし、どこかで自分の気持ちが抑えられなくなりそうなんです。そうしたら、先輩に迷惑をかけちゃう。それは、嫌だから。先輩に嫌われて、終わりたくなかったから」

「……」

「上手にロールプレイができたら、わたし、ただの『ゆいまる』でいられたかもしれないです。リアルでも、ゲームでも、先輩の仲間の『ゆいまる』で。きっとそれが正しいことで、正しい距離感だったんです。一緒に笑っていられたら、ただ、それだけで幸せだったはずなのに。でも、わたしにはそれができなくって……自分でも、どうなっちゃうのかよくわかんなくて、だから、だから、わたし、もう……」


 全部、言ってしまった。

 自分では抱えきれないくらいに膨らんだものを、先輩にぶつけてしまった。


 これで終わり。

 わたしの冒険は終わり。


 ――『優衣』と『莉愛』

 ――『ゆいまる』と『アイル』


 奇跡的に繋がっていただけの淡い関係は、ゲームをアンインストールしたときみたいに消えてなくなる……。

 

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