フェチは一日にして成らず


昨今のフェティシズムは、性的倒錯などと定義されてもおりますが、さて肉球フェチでもある私は、肉球に対しどんなリピドー(性的衝動)を感じるのだろう?

行動としては、あの感触を味わうだけなのだ。
そりゃあ猫にしてみれば迷惑以外のなにものでもないだろうが、それで私が満たされるし、猫も「ちゅーる」にありつけるのだからWin-Winだ。

そこで思う。
触れるだけで満たされるにも関わらず、フェチなどと呼んでいいのだろうか?

こちらの物語の主人公、陽菜子さんは、トカゲや鱗的な存在のことになると、心拍数が上がり、興奮状態に陥り、周りが見えなくなり、ハアハアして、興奮しすぎて、鼻血が出る。

挙句の果てに「正直彼が人間かどうかなんて私にとってはどうでも良いことなのだ」と断定するほど自分の偏愛に対し正直者だ。

なんという純粋な想いだろうか。

社会的な立場や、集団生活の秩序を破壊することすら厭わないその行為の数々に「おいちょっと落ち着けよ」とハラハラしてしまうのです。

でも、一見、そんなまっとうな意見こそが、自分を抑圧し縛っている社会常識であることに気付く。

そう、本物のフェティシズムは、自分の立場や社会的尊厳など、求めていないのではないだろうか?

元来は呪術信仰、崇拝対象的な意味であったとも聞く。

つまり私の「肉球フェチ」は、せいぜい「肉球ファン」程度の執着なのだろう。


本作で気付かされた、陽菜子さんの純粋で崇高な意志こそが、本物のフェティシズムなのだ。

私は、自らの「フェチ道」を極めるために、その行く末を見届けなくてはならない。

そしてもう一つ気付く、ちっとも作品の紹介になっていないことに!