成否なく、行動する意義を知る

 本作は成功も失敗も表しません。
 ただ、始まる前の不安、焦燥といった、恐らくだれもが容易く共感できる心情を描いています。

 さて、物事には経過、結果、成果という視点があります。
 経過とは、ここで言えばどんなシューズを選んだか、どんな練習メニューを作成したかというもので「努力した」という主観的な“スローガン”も含まれます。
 成果とは、単純に順位ということになります。対戦スポーツで言えば勝敗を明確にするということですね。

 経過に集中すると「頑張ったのに」とか「シューズが悪かった」などと自己弁護する要素になってしまう。
 成果に意識を向けると「勝てっこないし」とか「受賞なんか無理だし」いう言い訳が先に立ち、始める事すら辞めてしまう。
 もちろん根拠のない「勝てる!」という意識も残念ながら幻想です。

 ではどうすればいいかというと、行動するという「自分でできる結果」に集中するだけなのです。
 走り出す。スタートする。何かを始める。
 その先に何があるのか、何を得るのかは我々のコントロール外の現象なので、考えるだけ不毛です。

 本作の少女は我々の象徴にも思えます。
 ネガティブな想いを抱えながら、それでも始めることを辞めない。
 経過を誇示することも、成果を夢想することもせず、走り出すという「行動」に集中します。

 その描写に、これは人生に於ける普遍的な示唆だと気づくのです。

 機会を見つけ、それに対し自分で何ができるかを決断し。
 そして行動(スタート)する。

 成否を論じるより、行動を続ける。
 人生とはそんな愚直な行為によって紡がれる軌跡なのでしょう。
 その軌跡だけは、自分で足掻いて描くことができる唯一の結果なんだと思っています。