待合室とは別に喫茶室が併設されている駅舎。廃線に伴い、解体される駅舎の未来を、主人公がカフェを開くことで阻止します。この物語は、そこへ来店される人たちとの出会いと別れを繊細に描いた、心温まるヒューマンドラマです。
窓の外を眺める一人の女性とそれを取り巻く人々との関わり合い。時折見せる当時の街並みの賑わい。重層的に織り成す想いの筆致が、確かな心の温もりを感じさせます。見えるようで見えないもの。丁寧に回収される伏線はまるで、コーヒーの湯気に溶けた馥郁たる香りと、過去のほろ苦い思い出とが優しくブレンドされて、口中に広がる上質な味覚に憩うよう。味わい深い不思議な縁を結ぶ描写が秀逸な本作を、ぜひご賞味ください。
「ご褒美」
という言葉を聞いて皆様は何を想像したでしょうか。
一般的には、褒めるほどの評価に合わせ贈呈される金品、といった感覚でしょう。
中には、ご褒美という言葉だけで甘美な響きを連想し「えへへむしろご褒美っすよ」などと下卑た声を上げてしまう紳士淑女もいらっしゃるかもしれません。
何を連想したかは問いません。大丈夫です。どんな思考や性癖も黙っていれば聖人でいられるのですから。
さて、身も心も真に聖人な私の言うご褒美とは、小綺麗なカッフェで、ちょいと高級な珈琲を堪能しつつ、好きな作家さんの短編小説に浸るという、これ以上、有意義な時間の過ごし方は他には無いんじゃない? って類のものです。
私は、お金と時間と想いを「使う」ことに命を賭けていると言っても過言ではないのです。
ちなみに、極力避けているのは、お金と時間と想いを「浪費」することです。
閑話休題
さて『縁』と『駅』の物語ということで、演繹法で語ってみるとこんな感じです。
・私は2024年、良い小説に出会えた。
・この小説を肴に、美味いコーヒーと甘美で素晴らしい時間を過ごせた。
↓
よって、2024年は素晴らしい年だ!
まだ十日も経たないうちに良い年であることが確定してしまいました。
……どうも私の知っている論理展開ではない気がしますが、そこはご愛敬ですね。
結論から申しますと、演繹法なんてどうでもよろしい。
次なる願いは、作者様からも言質をいただいた長編化の果て、書籍化された本作を片手に、たっぷりと一日中、優雅な時間を過ごすというご褒美時間を満喫したい。
もちろん、それが映像作品であっても構いません。タブレットもイヤフォンも充電器もWi-Fiルーターも、準備完了しています。
廃線の駅舎。
繁盛していないカフェ。
雰囲気のある舞台設定です。
わたしには、彩度をおとした緑と、枕木に揺れる白い花まで見えました。
それで、すすんでもいい。
そのまますすんで、静やかに時間の色を描写して、やがて日没のように、す、と、物語の幕が降りる。そうであっても、わたしは、このおはなしに上手に這入り込むことができたと思います。
でも、ちがった。
さっきから、上手にことばがでてこなくて。
この感情、ありがとう、ってことばに近いのだけれど。
時間の向こうから、知らない情景の果てから。
思い出して、招んでくれて、ありがとう、って。
招んで、もういちど、命を与えてくれて。
いえ、わたし、登場していません、おはなしに。
でも、そうなんですって。
だれしもの胸にある、もう、かたちの無くなった、物語。
ずっと向こうにおきっぱなしになっていた、大切な記憶。
呼び出して、見せてくれて。
こんな優しい、きれいなおはなしのなかで。
ありがとう、って。
わたしの祖父は、炭鉱のひとでした。