フリマやろうよ

砂村かいり

フリマやろうよ

 違和感は、遅かれ早かれ必ずその正体を現すものだ。


 同期のメンバーが自分のわからない話をしていることに千江利ちえりが気づいたのは、入社2ヶ月目のことだった。

 千江利は5人の女性たちと共に、この大手化粧品会社のコールセンターに派遣社員として採用された。

 入社研修は3ヶ月間みっちり続き、その間新人たちはまったく同じスケジュールで過ごす。正午から1時間の昼休憩も、午前・午後10分ずつのトイレ休憩も、すべての行動を共にするのだ。

 なんなら、駅までの帰り道だってほとんどの子と一緒だ。


 ――それなのに。


「ジュンちゃんの言ってた店、昨日帰りに行ったよー」

 休憩中の更衣室兼休憩室で、柿崎かきざきさんが佐伯さえきさんに話しかける。佐伯さんは千江利には見せない親しみをこめた笑顔で振り向いた。

「うそー、どうだった? クーポンちゃんと使った?」

「使った使った! ちゃんと仙草ゼリー入りにしたよ〜」

「ね、ね、タピオカもちもちだったでしょ」

「あー、カッキー行ったんだ! いいなあ」

「あたしも行ったけどジュンちゃんみたいにえる写真撮れなかったよー」

 ふたりの会話に矢部やべさんや加藤かとうさんもすんなり入ってゆき、更衣室はぱっと花が咲いたように一気に賑やかになる。千江利には話題の輪郭をつかむのがやっとだ。

 疎外感を噛みしめながら、千江利は自分のスマホに気を取られているふりをする。


 タピオカ店の話題など、最近過ごした時間の中で出てきただろうか? 否。

 画像やクーポンのやりとりなど、いつのまにしていたのだろう。

「昨日、大丈夫だった?」などと前後の脈略のわからない会話が近頃取り交わされているのも、どうやら気のせいじゃないらしい。

 いつのまにかみんなジュンちゃんだのカッキーだの矢部っちだのと愛称で呼び合い、タメ口で会話している。まるで何年も共に過ごしてきた仲のように。

 千江利にだけは未だに「岩永いわながさん」だ。


 考えたくはないけれど――。千江利はある種の諦念を抱く。

 6人全員で参加しているLINEのトークルームの他に、千江利を除いたメンバーだけで作られたものがあるのだろう。その思考に至るたび、心臓が指できゅっと押されたように苦しくなる。

 そりゃそうだろう、仕方ない。

 春が来たら、千江利は39歳になる。幼児ふたりを育てながら働くワーキングマザーだ。

 そして他の同期たちは、全員25歳前後。最も歳が近い加藤さんでも27歳だ。

 ひとまわり以上離れている彼女たちとは、生活スタイルも責任の重さも見えている世界の色も、何もかも違う。混じり合わない異分子を、きっと敏感に感じ取っているのだろう。

 さもありなん、と頭では思う。


 少なくとも表向きは嫌われてはいないことはわかる。また仮に嫌われていたとして、それを態度に出すような子たちではない。

 女が6人も集まれば必ずいさかいを起こすと世間は思うだろうが、そんなことはない。全員が良識や品の良さを持ち合わせているパターンだってある。

 千江利が子どもの体調不良で突発休を取れば「お子さん大丈夫ですか?」「お大事になさってください」といったLINEのメッセージが当日中に全員から送られてくるし、使っているマニキュアや口紅を褒められることもある。

 でも千江利には、そんな彼女たちの人の良さが逆につらかった。あたたかなヴェールの裏側にある、はっとするほど冷たい本心に触れるのが。


「岩永さんも、タピオカとかってお好きですか?」

 最年少のはやしさんが気遣いを見せた。みんなが一斉にこっちを見て、好意的な、でもどこか気まずそうな笑顔を浮かべる。痛みに似た何かが胸に広がる。

「あ、うん、全然好きだよタピオカ! あたしがみんなくらいの頃にはさ、渋谷のPearl Ladyにちょくちょく行ってた、ブームってほどではなかったけどね。『タピる?』って今頃流行語とかになってるけどさ、もともとPearl Ladyが発祥なんだよね」

 千江利は必要以上にはりきってぺらぺらと応じてしまう。喋れば喋るほど言葉が上滑りしている気がするのに、勢いがついて止められない。

 みんなの控えめな笑顔や相槌が逆につらくて、ますますみじめな気持ちになった。


隆太りゅうたくん、おズボンがちょっとキツそうです。そろそろサイズアップをご検討いただければと思います」

 息子の保育園の連絡帳を読んで、千江利は思わず「げっ」と声を上げた。

「どしたー?」

 湯上がりの姿のままソファーに寝転んでスマホをいじりながら、夫が声を発した。

 最近生意気な口をきくようになった6歳の江利菜えりなが「パパどいてっ、そこはエリちゃんの場所!」と言いながらテレビを付けようとしており、3歳の隆太は床でレゴブロックを散らかしている。

「リュウのズボンがキツそうだからサイズ上げたらどうかって、宇野うの先生から。たしかに最近ぴっちりしてきたけど、もうちょいいけると思ってたんだよねー」

「ああ……」

 夫は江利菜の髪を撫でながらのんびりと応じる。

 子煩悩な、優しい夫だ。夕食後の食器を片付けてくれたら、もっと優しいのだが。

「それじゃ、週末は西松屋かあ」

「リュウがエリのお下がりを着てくれたらいいのにねえ」

 クローゼットに溜まってゆく江利菜の女児服を思いながら、深い溜息をついた。いただきもののブランド服も、もったいないと思っているうちにほとんど着ないままサイズアウトしてしまった。

「着ないよ、エリちゃんの服なんかっ」

 隆太が耳ざとく反応してレゴブロックから顔を上げた。本当にふたりとも生意気盛りだ。


 子どもたちの健やかな成長は何より喜ばしいものだが、どうせ来シーズンには着られないもののために財布を開くたび、どうしても虚しさが襲う。

 この冬に買い替えた子ども服は、時給1,250円×何日働けば賄える額だろうか。計算しようとすると軽いめまいが襲う。自分の服なんて、もう何年も新調していないのに。

 以前は比較的傷みの少ない子ども服をメルカリでちまちまと売っていたが、一度購入者から「写真で見たよりずいぶん毛玉がありました。素人検品とは言えもう少し細かくチェックしてから出品してください」と手厳しいコメントを付けられて以来、なんだか億劫になってしまった。

 汚れた食器のあふれるシンクに向かいながら、千江利はまた重たい溜息を肺の奥から取り出す。最近ことさらに自分がひどく矮小な、価値のないもののように思えてくる。

 鍋の底にこびりついた油が、蛍光灯の白い光に照らされていやにぎらついて見えた。


 西松屋で散財した週末が過ぎ、手つかずの一週間がまたやってくる。

 月曜の昼過ぎ、同期たちはまたしても千江利のあずかり知らぬ話を始めた。

「ちょっと淋しいんだよね。1時間くらいで売り切れちゃいそう」

「いや、点数少ないのにいつまでも売れなかったら地獄だよー」

 女子トイレに隣接したこのパウダールームは広めの面積が取られており、歯磨きや化粧直しをするオペレーターたちでひしめいている。

 むせかえるような化粧品やデオドラントのにおいが満ち、千江利から距離を置いた鏡に向かう同期たちの声は断片的に耳に届いた。


 入社日からずっと、昼食後のこの時間は6人ぴったりくっついて動いていた。しかし、気づけばここ最近はみんなさりげなく離れた鏡の前に行ってしまう気がする。この微妙な距離が、彼女たちとの心の距離なんだろう。

 スポンジを折り曲げて小鼻にファンデーションを叩きこみながら、千江利は苦い気持ちを噛みしめる。

 好きだったのにな、私、あの子たちのこと。

 若くて、かわいくて、垢抜けていて。

 毒にも薬にもならない話ばかりして、お産の苦しみも子育ての大変さも知らなくて、社会問題になんかまるで興味もなさそうで。

 それでも、好きだったんだけどな。好かれたかったんだけどな。

 目の淵がじわりと熱くなり、視界が滲んだ。目元のファンデーションのヨレを直すスポンジが、わずかにこぼれた涙をすばやく吸い取ってゆく。


「去年出店した人のインスタ見たらさー」

 意識するまいと思うのに、どうしても神経が話題の全容をとらえようと働いてしまう。

 このしっとり甘い声は矢部さんだ。佐伯さんはよく通るハイトーンボイスだし、加藤さんはややハスキーな落ち着いた声。

 オペレーターを志すだけあって、本当にみんないい声をしている。千江利はそのそれぞれの特徴が好きだった。

「なんかさ、あのフリマの客層って若い人より家族連れが多いんだって」

「えー、そうなの?」

 フリマ。

 その単語に、ふと指の動きが止まった。

「あたしもそれ読んだかも。若者向けのばっかり出してるブースより、ベビー服とか子ども服とかいろいろ出してる方が人気なんだって」

「イベント自体がファミリー向けだもんね。やっぱり財布の紐握ってるのは母ちゃんだし」

「車ごと搬入してどーんと並べる感じなんでしょ」

「そうなんだあ……うちらだけじゃ限界あるかもだね」

「なんか無理ゲーな気がしてきた」

「――あのっ」

 考えるより先に、反射的に声が出ていた。

 みんな、今初めて千江利の存在に気づいたかのようにこちらを見る。


 隣りの鏡の前に立つ先輩の視線を遮って、千江利はコンパクトとスポンジを手にしたまま同期たちの方にずいっと大きく歩み寄る。

「あの、あたしあのっ、フリマなら若い頃いっぱい出店したことあるんだ。呼びこみとか得意だし、売り切るコツも知ってるし」

 佐伯さんも柿崎さんも矢部さんも加藤さんも林さんも、ぽかんとした顔で千江利を見つめている。また上滑りしているような気がしたが、ゼニゴマのように回りだした舌は止まらない。

「それにね、うち、きれいめのベビー服とか子ども服、どっさりあるんだ、着ないで終わっちゃったブランドものとか、靴とか鞄とかもいろいろ。だから」

 そこまでひと息に喋って、頭が真っ白になった。

 ええと、だから――。


 ふっと空気が変わる気配がした。

 同期たちの顔に、笑みが広がっている。こしらえものじゃない、本物の微笑みが。

「岩永さん、来月の第2土曜日って空いてますか?」

 柿崎さんが言った。

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フリマやろうよ 砂村かいり @sunamura

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