筆を折りたくなるとき
23 クリエイターはまたしても悩む
俺は趣味でホラー小説を書いている。
小説のネタは霊感のある友人の体験をもとにしたものだ。聞いた話はできるだけそのまま文章化し、実話に近い物語にするのが俺のスタイルだ。
小説の執筆はやりがいがある。たまにどうしても書けなくて投げ出したくなるときもあるが、それでも書くことがやめられず、また筆をとる。
これまで幾度もスランプを乗り越えてきたけど、このままホラー小説を書き続けようか真剣に迷っている。
✿
時計を見れば深夜2時前。
夜更けだというのに俺――
ひさしぶりに友人と会い、さっきまで話していたのだが、友人・コオロギ――
時計を見るまで気にしていなかったが、初めて訪れた店なので閉店時間を知らない。こんなに遅くまでいて大丈夫なのか?
階下から上がってくる足音がして階段を向くと男性が姿を現した。総白髪できれいにセットされた髪。銀縁眼鏡をかけた顔にはしわがあるけど端整な顔立ちだ。1階のカウンター内にいた男性でたぶん店のマスターだろう。
俺より背が高くて中肉中背。アイロンの利いた白いシャツに、店名が書かれた
マスターは階段付近から客のいないテーブルを整え始めたが、俺と目が合うとこちらへやってきた。
やばいな、閉店を告げに来たのかな?
コオロギは眠ったままだ。起こすのは忍びないけどタイムリミットかな。
マスターがテーブルまで来ると俺は席を立って小声で話しかけた。
「閉店時間ですよね。気づかなくてすみません。今から出る準備をします」
マスターは俺から寝ているコオロギへ視線を移すと口元をゆるめた。表情はとてもやわらかくて男の俺でもどきりとする。コオロギから再び俺へ視線を戻すと、マスターは落ちついた口調で話してきた。
「時間はお気になさらず。まだ営業していますから」
「そう……なんですか。では閉店は何時ですか?」
「わたしの都合で閉店時間を決めています。
まだ開けていますから時間は気にしなくて大丈夫ですよ」
「でも、ご迷惑では」
「趣味でやっている店です。それにこちらのお客様はひさしぶりですから、ゆっくりすごしていただきたいのです」
寝ているコオロギを見てからマスターは話し、目を細めて柔和に微笑んだ。俺は男前にぽうっとなり、「ありがとうございます」としか言えなかった。
マスターはコーヒーカップを片づけていく。お客に対する心配りがマスターのまなざしや言葉から伝わり、コオロギがこの店をお気に入りと言っていた意味が改めてわかる。ここはとても温かい。
寝ているコオロギを起こしたくないし、俺ももっとここにいたい。閉店時間を延ばしていることに気づいていたけど、素直にマスターの言葉に甘えることにして、追加のコーヒーを注文した。
小さくBGMが流れる店内。コーヒーの良い香りがただよう。
俺はコーヒーを飲みながら、スマートフォンのメモアプリを使ってコオロギが話してくれた体験をまとめていく。最後に話してくれた線香のニオイの体験談まできたら、スマートフォンを操作する手が止まった。
なにもない所から線香のニオイを感知した場合、ニオイはコオロギにとって死の
コオロギは線香のニオイは嫌いだと言い、ニオイを感知できる能力なんていらないと、眠りに落ちる前に異能を嫌悪した言葉をこぼした。
でもコオロギは自分が望まないのに、
もしかして体験談を聞かれるのはつらいことなのでは……?
ちらとコオロギを見ると、向かいで椅子にもたれて腕を組み、器用な姿勢で寝息を立てている。ふだんは弱音を言わないから、眠る前にぽろっと言った言葉がずしりと響く。罪悪感がわいて俺は気分が落ちこんだ。
2時間ほど仮眠をとったコオロギは目を覚ました。
座ったまま両腕を上げて大きな伸びをする。熟睡できたようですっきりした顔をしている。腕を下げるとおもむろに時計を見た。
「うわわっ、もう朝じゃないか!
コーヒーを飲み終えたら24時間営業のカフェに行こうと思っていたのに、長居しちゃっている!」
朝になっていることに驚いたコオロギは、ばたばたと帰り支度を始めた。荷物をまとめて準備が整うと1階へ降りた。1階に着いたらコオロギは先に店を出ていてと言ってからカウンターへ向かった。
ドアを開けたときにちらと見ると、コオロギは支払いをしながらマスターと言葉を交わしていた。
外で待っていたらコオロギが笑顔で店から出てきて、そのまま連れだって駅へ向かった。
空は白んできていて、ひさしぶりに完徹した俺にはとてもまぶしく見える。駅へ向かう道中で俺はコオロギに質問した。
「なあ……コオロギ……
体験したことをホラー小説として書かれるのは……つらいか?」
「いきなりどうしたの? なんでそう思うんだ?」
コオロギは驚いた口調で聞き返し、俺に顔を向けたら思考をさぐるように見つめてきた。
そうか、コオロギは話しながら眠ったから、言った
「コオロギは明るく話すけど……本当はつらい記憶もあるんじゃないのか?
つらい思いをしているなら、掘り返すように体験を聞くようなことはしたくないし、小説も書きたくない……」
俺はコオロギの目が見れなくて視線を地面に落とした。すぐに返答はなくて、やっぱりいやな思いをしていたのかと後悔の念がわいて、手に汗がにじむ。
他人事だからどこか軽く考えていた。
俺にとってはわくわくするような物語でも、コオロギにとっては我が身に起きた出来事だ……。
「紫桃、書くことをやめるなよ」
意外な言葉が聞こえてきて、俺は地面からコオロギへと視線を移した。コオロギは俺の目を真っすぐとらえて、やわらかい表情で言葉を続ける。
「たまたま異能をもつ体質でさ、
異能は……理解されにくい。
身に起こっている現象が精神的に参っているからなのか、異能によるものなのか判断できなくて苦しむこともある。
だれにも話せず自己解決しようと苦心していて、どんなに小さな情報でもいいから、
紫桃の小説はそんな人たちに、情報を与えているかもしれないんだから」
「でも……」
いいことだけじゃなく、むしろいやな目に遭うことのほうが多いんだろう?
俺が体験を聞くことで
答えが怖いから言葉にすることはできなくて黙ってしまう。いたたまれなくなった俺はコオロギから視線をそらした。
コオロギの視線を感じているが見ることができない。もう駅のすぐそばまで来ていて、このままだといやな雰囲気のまま別れてしまうことになる。
なにか……なにか言わないと。
コオロギに、なにか。
でもなにを言えばいい……?
気持ちばかりがあせり、下手なことを言ってコオロギとの関係が崩れてしまうことが怖い。
「……ねえ、紫桃。『霊能者に会った』っていう話、聞きたい?」
「一般に『死神』っていわれているやつの話、聞きたい?」
コオロギの言葉を聞き
罪悪感よりも探求心が勝り、俺は我慢ができずに顔を上げた。おそらくコオロギはいたずらっぽく笑っているんだろうと思っていたら違った。
穏やかな
どこで見たんだろうと思考をめぐらせていたら、コオロギの顔にいつぞやの古寺で見た中性的な容姿をした
俺が見とれていたら、コオロギの表情が変わった。
「なに、紫桃。じっとにらまないでよ。
今日は話してあげないぞ。また今度、ね」
にぱっと歯を見せて笑い、いつもの人なつこい顔に戻っていた。目をきらきらとさせて俺の反応を待つ表情はさっきとは逆の、いたずらを楽しむ子どもそのものだ。
俺がこれからも体験を聞きやすくするために、わざと明るい雰囲気をつくっているのか?
それとも本心からのことなのか?
『いい』って言うなら……甘えさせてもらうぞ……。
「なんだよ、もったいつけやがって! 今すぐ教えろよ!」
コオロギは楽しそうに笑いながら駅の改札へ軽快に歩いていく。
朝日はすでに昇っていて周囲は明るい。電車の走る音が聞こえていて、今日も東京の一日がスタートした。
――『ホラーが書けない』 素人ホラー作家の舞台裏編 了 ――
ホラーが書けない 神無月そぞろ @coinxcastle
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