第4話 出自、廃墟。
バルスキ作戦は、バルトロメオ歴260年12月24日、すなわちケイヘルン教の神ヨーヴェ誕生日の前日に行われたことから、後に「前夜祭作戦」と俗称されることになるのだが、当の実行者からみたときに、その語感の如き華やかさと無縁であったことは言うまでもない。
バルバール・オスロー少将の第2部隊から今作戦に選抜されたのは、ドルフ・マッケル大佐とその副官の由利幸之助、加えてマーシー・カシアス大尉、アレックス・カシアス中尉の計4名である。両カシアス尉官は2つ違いの兄弟で、二人そろって選抜されたのには無論オスローの配慮があった。
「我々兄弟がそろって同じ任務に就けたこと、果たして喜ぶべきなのでしょうか」
「アレックス、何を言ってるんだ」
「オスロー閣下は実は我々のことがお嫌いで、2人まとめてあの世に送ってしまう良い機会と考えたのでは……」
「馬鹿が。閣下がそのような安直な人事をなさるか。もし本当に我々を消し去りたいとお考えなら、そのときは……む、そのときは……」
「おい、案外本当かも、というのではあるまいな」
オスローが任務に私情を挟む人物でないことは周知であったし、マッケルが諫めたこの会話も無論ジョークであった。しかしながら、任務が死の危険と隣り合っていることは事実であり、弟のアレックス中尉がおどけて作った沈痛な面持ちに、若干の本気が含まれていたことも否めない。
「コウノスケ准尉といったな。なんでも異世界からきたとか」
「第3、第4の連中も噂してましたよ。マッケル大佐が不可思議な人事をなさったと」
マッケルが幸之助を採用したように、副官の人事が個人の裁量で行われることは珍しくなかった。しかし周囲が珍しがったのはその副官の出自が知れぬことであり、一部には、帝国憲章の認める権利は帝国人を対象とすることを前提としているのである、と文句を垂れる者もいた。
「どのようなところだ、お前の生まれた国は」
「詳しくはマッケル大佐にも、オスロー閣下にもお話になっていないとか。これから帝国の未来を左右する任務を共にするのですから、我々には教えてくれてもよいのではないですか?」
「俺もずっと知りたいと思っていたんだがな、コウノスケ。作戦の成功率を上げる為にも、互いを知っておくことは重要だぞ」
一台の武装した輸送車両の中で、根負けした幸之助はまず、日本という国について話し始めた。
「日本人である私にとって、このような武力の衝突は過去のものでした。いや、この世界が私の世界と時間軸上の前後関係にないと考えられる以上、でした、と過去形にするのは間違いかも知れません。兎も角も、私の国は世界大戦に敗れて以降、積極的軍事からは一切遠ざかっているのです」
「すると、お前の日本は、軍事的にはアメリカ合衆国という国に依存しているのか?」
「確かにドルフさんの仰る通り、事実としては依存しています。しかしながら肝心なのは事実ではなく、それをどのように捉えるかです。我々の世界は日本を、独立した国家とみなしています。それは武力に依る独立ではなく、政治戦略と経済戦略に依る独立です。我々の世界では、それが可能なのです」
「鉛弾がなくとも、経済と弁論で戦えるということですか」
「まあ、そのようなものです」
幸之助は他にも、幼くして父親を失ったこと、曲がりなりにも大学で学問を修めたこと、ハンバーガーを皆に振舞ってみたいことなど、色々な話をした。
「さて、ようやくヤラルト山の麓に到着した訳だが」
「ここから約30キロの行軍ですね」
「アレックス、お前は緊張するとよく腹を下すな。排泄は済ませておけよ」
「……トンネルの中でも出来るかと存じますが」
「馬鹿、トンネルに音が響いたらどうする」
打ち解けた4人の視線を、ヤラルトトンネルの暗闇が吸い込んだ。
ヤラルト山にくり抜かれた全長30キロメートル、縦幅400、横幅300メートルの巨大な空洞は、かつてその中に100本もの線路を通し、大陸随一のターミナルと称されたヤラルト駅の廃墟である。
「ここからは、隠密行動だな」
「オスロー閣下が頼れと仰ったのは、ミナトとタンという二人だ」
「車が使えれば、これほど楽なことは無いのですが」
ヤラルトトンネルの中間、丁度15キロメートル地点には、巨大な関門が設けられている。
引かれた白線を境として、連邦側を向いた連邦陸軍兵と、帝国側を向いた帝国陸軍兵の計4名は、無言のまま小さな戦争をしていた。
時たま、無線が入ると、
「こちらノルン中佐。異常無し」
『了解。あと20分ほどでそちらに到着する。帝国の犬共の背中に穴を開けてやりたくてたまらんだろうが、我慢しろよ。』
「こちらはアッカ―ド中佐。異常無し」
『了解。奴らが手を挙げたらこちらも手を挙げるのを忘れるなよ。2対2であれば奴らは何も決められんのだ』
ヤラルト駅廃墟には、推定で10万程の人間が住んでいるとされた。それは、国内で罪を犯して逃れて来たものや、誘拐され、臓器を売られた挙句に捨てられて死を待つ者など様々であり、300年もの昔から細々と薄暗い文化が伝承されてきたのであるが、この当時その人口割合の最も多くを占めていたのは、最前線の死の恐怖から逃れてきた者であった。
そうした元兵士の中には、祖国からの追及を恐れ、寝返るような形で敵国に協力しようとする者もおり、互いがどちらの側の人間であるのか、隣人と腹の探り合いをしながら生きるのも珍しくないことであった。
オスロ―がマッケルに渡した写真付きの資料は、ミナトとタンのものであり、2人とも、連邦陸軍の元一兵卒であった。
「奴らに案内してもらわんことには、連邦側の連中に悟られずに抜けることなど不可能だ」
「彼らがどのあたりに住んでいるか、資料には住所の記載はないのでしょう、ドルフさん」
「そもそもこの半死人の街に住所などあるのでしょうか」
関門を区切る白線から連邦首都セントルまでは道則にして約520キロメートル、彼ら実行部隊は、帝国陸軍情報部の諜報部員が手配する車両で、ジルト陸軍兵器研究社の徒歩圏内にまで接近する予定であった。
リード・ウェルナー海軍大将の素性を知る者は少ない。任務中、あるいは部下との会食中でさえその私生活の一切を漏らさないことで有名であった彼は、一部から「秘密提督」の名で慕われ、また陰では蔑まれてきた。
そのウェルナーが如何にしてパトロ・バルスキ誘拐案を提出するに至ったか、幸之助はこの人物に大きく翻弄されることになるのだが、このときはまだ知る由もない。
「そうか、作戦部隊は出発したか」
「今夜中にも関門に到着するようでございます」
「奴らには何としても成功してもらわねばならん。私の自由の為にもな」
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