第7話 筋道、信仰。

 バルトロメオ歴260年・大陸歴2860年12月16日。

 

「陸軍大将、先ほどから道義道義と繰り返しているが、そもそも道義とは何の為にあるとお考えか……。生きた人間の為であろう。その道義の為に何万何十万という兵が死ぬとあっては、本末転倒というものではないのかな?」


「無論、海軍大将。道義とは生きた人間の為にあるものである。そして、死んだ人間が残していったものでもある。これまでジルトと戦ってきた40年間、一体何百万人の人間が、皇帝陛下万歳と叫んで死んでいったのだろうな?彼らは、互いに領土を奪い合うだけの戦争の、愚かなることを承知で死んだのではないのか?愚かであっても、それが皇帝陛下の御名の元の誇り高い死であればと、愚かさに勝る美しさを皇帝陛下に託して死んでいったのではないのか?それを今更人命の為などと尻込みしては、今現在の生の為に、それに十倍する過去の死を無駄にすることも同じではないか」


「成程、貴方が勇猛にして苛烈な思想をお持ちであることはよく分かった。しかし陸軍大将、肝要なのは勝つことではないのかな?聞けば、新型戦闘機の開発も順調ではないらしいではないか。私がこのように『不名誉』な作戦を立案せねばならぬのも、勝たねばこれまでの死が無駄になってしまうと思うからなのだがな?」


「……そんなことは海軍大将、貴殿に言われるまでもない。陸軍は勝つ。大義名分にもとらずな」


 アーノルド・ゲルグン陸軍大将とリード・ウェルナー海軍大将が不仲であったことは、帝国全土に知れていることであった。臣民が知る程度のことを軍内部が知らぬはずもなかったが、陸軍と海軍が不仲だから大将も不仲なのか、或いはその逆なのかは、定かでない。

 兎も角もこの4日後、ゲルグンは8第皇帝テトラ・バルトロメオに対して、戦闘機開発が事実上失敗したことを報告し、バルトロメオはウェルナーの作戦を承諾したのである。

 ゲルグンの無言の背中をウェルナーの作戦への了承と見て取ったバルトロメオは、間もなく作戦案に署名した。このときゲルグンに一言も声を掛けなかったのは、長年バルトロメオ家に対して忠臣として仕えてきたゲルグンに対する、優しさであったに違いない。



「やめてくれ、勘弁してくれ……」


 30メートル前方を見つめる男の顔は、恐怖にわなないていた。

 マーシーとアレックスが腕を掴んで引きずると、男はすり減った汚い靴で必死に足掻く。アレックスが男の背中に銃口を突き付け、


「選んでください。今この瞬間に死ぬか、10秒後に死ぬか」


 男の身体が力を失って崩れ落ちると、無理やりに引き起こされる。


「さあ、行け。でなければ殺す」


 男は錯乱し、絶叫しながら関門に向かって走り出した。

 連邦兵が気付き、帝国兵に向かって声を掛ける。


「おい」


 帝国兵は背中を向け黙っている。男が白線に迫る。


「おい!聞こえないのか!」


 なおも反応を示さない帝国兵に対して、連邦兵2人は悟ったように、本来向いているべき方に向き直って銃を構えた。


「……敵に向けて銃を撃ってはならない。緩衝地域で敵との銃撃戦が起こってはならない」

「俺たちはただ、連邦の支配領域で錯乱し、警備兵の任務を妨害する恐れのある男を除くだけ……そうだな?」


 男が白線を越えて10歩程も走り過ぎると、やがて二人からの銃撃に見舞われ、投げ捨てられた人形のように動かなくなった。

 その後二人は、連邦本部に宛てた無線で一連を報告すると、遺体を木製のリアカーに乗せ、連邦側出口に向かって歩き出した。



「民間人一人を犠牲にするという訳か」

「あまり気は進みませんが」

「前に一度、帝国側から脱走した男が射殺されるのを見たことがある。アイツ等、遺体を二人がかりで運んでいきやがったんだ、関門をガラ空きにしてな。俺もミナトも連邦軍にいたから分かるんだが、戦争以外でやむを得ず人を殺した場合、本人が本部に出頭して届け出をしなきゃならねんだよ。」

「それにしたって、一人は残るべきではないのですか?」

「手柄を独占されるのを嫌ってるんだろうぜ。どっちが撃ち殺したかなんて本人たちしか知らないんだから。それに、誰もこんな薄汚いところに一人で居たいなんて思わないだろう」


 幸之助たちはトンネル内連邦側で夜を明かした後、12月25日の昼、連邦側出口で帝国陸軍准将クウェント・ベリノルバッハと合流し、ゲルグンの死去を知らされた。



 神聖ケイヘルン国は、宗教国家である。

 民衆、すなわちケイヘルン教信者は、一年365日の内の21日間を聖地フルトで過ごさねばならない。

 聖地フルトとは、預言者ケイヘルンが、神ヨーヴェの言葉を聞いたとされる場所である。

 信者がフルトを訪れた際、神水と称される液体が、一家族ラクダ10頭分程も与えらえる。信者はその液体を一年かけて少しずつ飲み続け、少なくなる頃にまたフルトへと砂漠の旅に出る。

 神水を拒むものは、罪人として処罰される。

 

 教皇エリス・ミドヴェジェワ5世は、歴史上の宗教国家がそうであった例に漏れず、政治的権威と宗教的権威をイコールで結び付け、枢機卿や大司教といった身近な者からの羨望の眼差し、加えて酒と女に溺れて我が世の春を謳歌していた。

 

「猊下、シルラントル市の下町から、娘が3人ほど献上されまして御座います。」

「会おう」

「アルシュ大司教からのご相談の件は、後になさいますか?」

「そうしてくれ。我々の主も、汚れた戦争国家などより麗しい少女を愛するであろうよ」


 カッパー・アルシュ大司教は当時の教皇を酷く憎んでいたという。

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