第5話 審美、衝撃。
「バルスキ作戦」一行は、トンネルの入り口から5キロ地点まで進む間に、3度、人が死ぬ現場を目撃した。
「腐臭が漂っているな」
ドルフ・マッケル大佐は言った。腐臭とは人体の腐臭であり、脇に転がる動物の死骸の腐臭でもあったが、何より、人の精神の腐臭であった。
無論彼らとて軍人であり、拷問の末に舌を噛み切る国事犯や、飼い主である貴族に盾ついたせいで殴り殺される奴隷など、死を見るのには慣れていたが、恐らくは生きる為、自分一人の為に他人一人を殺す、これほど純粋な暴力というものが蔓延する光景に、動揺せずにはいられなかった。
「化石のようなものだな。大昔の人間がどのように生き、殺し、死んのかを残す、これは化石だ」
「確かにそうかもしれません。……が、彼らを収集し保存したいとは思いませんね。このまま廃墟の中に眠っていてもらいましょう」
これが帝国領内で起こっていることであれば、マッケル等はすぐにでも取り押さえにかかったであろうし、今このときもそうしたいという欲求に駆られていた。しかし、
「ここは厳密には帝国領土ではなく緩衝地帯であるから、我々が彼らを拘束する義務を負うかは議論の分かれるところだろうな」
「生き物なら兎も角、化石を取り締まったところで意味はありませんね」
こう言って、貴重な化石資料をそっとしておくことにしたのである。
一方で由利幸之助は、恥や外聞といった鎧を脱ぎ捨てて身軽に生きる彼らの姿に、著名な絵画に宿る躍動感の如き、凝り固まった価値観に訴えかけるような、言い表しがたい美しさを感じずにはいられなかった。
皇帝の為に人を殺すことと、自分の為に人を殺すことの、どちらが美しいだろうか……
一方が死に、その分一方が生きるなら全体としてはゼロサムである。しかし、戦場で生まれる大量のマイナスを、国を統べる指導者が享受し国民に還元するプラスが上回るという保証はあるだろうか……
幸之助は考え込んだが、やがては無益な感傷であると忘れることにしたのだった。
「すると何か? その『ハジャン』とかいうマフィアグループは、そっくりそのまま連邦からこのトンネルに引っ越してきて、30年以上ここに住んでるって言うのか?」
「だからそう言ってんだろ」
「……ああ、よりにもよって憲兵がマフィアグループの、しかも、お縄に掛かって逃げてきた頭目を追って組員まるごと付いてくるような救い難い馬鹿マフィア共の助けを借りねばならんとは」
「嫌ならいいんだぜ。猫の手でも借りるんだな」
接触に成功したミナト、タン両連邦陸軍元一等兵から、このトンネルを連邦側に抜けるにはハジャンの助けが必要であると聞かされたとき、ドルフ・マッケル大佐は閉口し、マーシー・カシアス大尉は、上官が体内に押し込めた量と同じだけの文句を吐き出した。
「ハジャン」とは、かつて連邦各都市の金融商人を束ねていたハジャン一族が、没落の末に一主要都市の利権だけを辛うじて後世に残した、巨大な権威の抜け殻の名前である。
子孫らはその抜け殻を借りて生業としたが、やがては連邦政府の汚職から市民の目を逸らす為、国民的罪人として頭目たるシヴァ・ハジャンが祭り上げられると、行く当てのない構成員たちは砂鉄のようにこのヤラルトまで付いてきたのだった。これが今から30年前の話である。
「……その馬鹿共は信用できるのか?」
マーシー・カシアス大尉は、マフィアとかギャングとかいう連中が、またそれらと関わりを持つ連中が、如何に信頼に値しない人種であるかを身をもって知っていた。
「確かに、こういうことであれば事前のブリーフィングで知らされても良さそうなものですが」
「俺たちがマフィアとつるんでることはオスローさんも知ってるだろうよ。心配しなくてもアイツ等は連邦を恨んでるんだから、アンタ等に害を加えるようなことはしないだろうぜ。それに、信用できようとできまいと、あんたらはヤラルトを抜けねきゃならねんだろ?なら黙って付いてくるか、無理にでも信用するしかないんじゃないのか?」
彼らの言葉は正鵠を射て、やがてマッケル等は事の是非に口を出さなくなった。
途中、休憩に寄った元喫茶店の冷蔵庫には、流れてきた軍用食が保存されていた。
「おい、連邦軍の奴らは全員これを食べているのか?」
「なんだ、この口どけは……」
「コウノスケ准尉、これ作れますか?」
「いえ、食べたことのない味です。甘くて美味しいですね」
「そうか?」
タンが首を傾げると、今まで一言も話さなかったミナトが、
「そっちの軍用食の製造元は、きっと軍のお抱えになって満足してしまうのね。私たちの国では、常に競争していないと蹴落とされてしまうから。」
と自慢げな表情を浮かべた。
マーシーは、帝国文化全体が連邦文化全体に敗北したような錯覚に襲われ、深刻な顔をして最後の一口を食べた。
バルトロメオ歴260年・大陸歴2860年12月25日正午。
ジルト連邦首都セントルの上空を舞ったビラが、民衆を歓喜の渦に飲み込んだ。
『帝国陸軍大将アーノルド・ゲルグン 謀殺』
帝国陸軍准将クウェント・ベリノルバッハは、セントルからヤラルト廃墟入り口までの道のりを進む途中、車の中でその報を聞いた。
「……どうなってやがる」
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