第3話 作戦、国家。
「憲兵団の中から『バルスキ作戦』の実行部隊が組織されることになった。少将以上の者は本部に出頭するように」
憲兵団総司令のエドワード・カトラス大将が、リード・ウェルナー海軍大将の発案になるバルスキ作戦の概要をモニター越しに説明したとき、部隊長を務める少将たちは、その作戦が如何なる道理で立案され、また如何なる根拠で憲兵団に任されるに至ったのか、少なからぬ疑問と反感を抱いた。
「なぜ陸軍連中の手助けをしてやらねばならぬのか」
「我々がいつゲルグン陸軍大将の部下になった」
「カトラス閣下も存外、気の弱いことだな」
このとき憲兵たちが、同じ帝国内の陸軍を敵視するかのような態度をとったのには、もっともな理由がない訳でもなかった。
40年もの長きにわたって続けられてきたジルト連邦との戦争の、その勝利や敗北、あるいは膠着状態のいずれをも演出してきた陸軍は、やがて自らが軍事的活動の中心であるかのように振舞うようになっていた。無論一部分だけを見ればそれは事実であったかもしれないが、一方面に向けての攻勢が、他方面での防御と国内の秩序だった統制なしに成り立つものでない以上、攻める者に無条件で権利の優越が認められる道理もない。
加えて、「ジルト連邦陸軍兵器開発主任たるパトロ・バルスキを誘拐、強制的に亡命させたのち、我が帝国の兵器開発任務にこれをあたらせる」という作戦の趣旨に、何らの道義的正当性もないことは誰の目にも明らかであったため、これに対する不満が噴出したのは当然ともいえることであった。
「して、誰ぞ進んで引き受けようという者はおらんのか」
御年60を数える第1部隊隊長のミハイエル・フィンツァー少将は、円卓を囲む他の少将連中に向かって問いかけた。
「おりますまい。このような不名誉な任務に就きたがる者は」
「おい、口を慎め。畏れ多くも皇帝陛下の御名における勅命だぞ」
「大体、陛下も陛下であらせれる。何故このような発案をお認めになったのか」
「おい!」
各隊長は議論した。
フィンツァーがバルバール・オスロー少将率いる第2部隊を推したとき、周囲は若き才能をひがんだのではあるまいか、と陰で噂した。その噂は事実であって、フィンツァーが60という高齢に達してもなお年の功に見合わぬ位にとどまっていたのは、そうした小人の如き人格が邪魔をしているからであったのだが、遂に彼自身がそれに気づくことはなく、23年後に少将位のまま人生を終えることとなる。
「謹んで拝命いたします」
一方でオスローは、些細なことを気にも留めず、その思考を作戦実行に必要な具体的計画の作成に移していた。
オスロ―がフィンツァーや他の少将の目を全く気にしなかったのは、単に愚鈍であったからではない。
作戦の道義的正当性をいくら問題にされようとも、それが憲兵団の内での議論に過ぎず、その法的根拠が皇帝の署名で保障されている以上は、自分の行動が後に何らの責任を問われることもないと、オスローはそう考えていたのである。
加えて、ある人物を亡命させようとする際、それを取り締まるのは結局のところ敵国の憲兵であるのだから、国家治安の事情に通じている彼ら憲兵に作戦実行が任されることも当然と考えていた。
「我々が軍人として果たしてきた義務も、享受してきた恩恵も、全ては皇帝陛下の御名によって保証されてきたのであるから、今回に限って、御名に背いて任務の道義的正当性を議論するのはおかしかろう。であれば、栄達に向けて、出来る仕事は全て引き受けるのが当然であろうよ」
また、オスローが非凡であった理由はそれに止まらない。
「戦争を早期に終結させ、出費と人命の犠牲とを最小限にするには、やはりパトロ・バルスキをこちら側に引き入れてしまうのが手っ取り早いだろうな」
「はい閣下。問題はどのように実行するか、ですが」
ドルフ・マッケル大佐はオスローの邸宅に招かれ、一見不可解な作戦に秘められた皇帝の真意を知る上司の意見を聞いた。
「やはりヤラルトの関門を突破するよりあるまい。戦場を突っ切ったのでは命がいくつあっても足りんからな」
「まさかヤラルト山8500メートルを超える訳にもゆきませんから、閣下のお考えの他にはないと小官も存じます」
ヤラルトの関門とは、帝国と連邦の国境にそびえるヤラルト山に設けられた関門のことである。
隣接するジルト連邦、帝国、そしてその国境の南端を担う広大なヘドウィグ海から伸びるヘドウィグ運河の、その先にある神聖ケイヘルン国。これらの国はかつて、広く大陸全土を支配したコルランドという一つの国家であった。
大陸歴2600年に、当時の海洋国家ベルンからの核弾頭攻撃によって事実上滅亡したコルランドが、如何にして三つ子を産むに至ったのか。詳細な事実は戦後再建の混沌の中に紛れてしまい、バルトロメオ歴260年のこの時点では分かっていない。
分かっているのは、ジルト連邦が建国の父レドネークワ・ジルトの唱えた議会民主制を奉じていること、帝国はその主権を絶対君主たる皇帝に委ね、憲章すらそれに優先はしないこと、神聖ケイヘルン国は、ケイヘルン教への殉教を絶対価値とする信者によってその国家を営まれていること、それだけである。
「行ってくるよ」
「今日は早くに帰ってこられるのでしたね」
パトロ・バルスキは愛妻家として知られていた。それは兵器研究者である前に愛妻家だったのであり、甚だしいときには「人である前に愛妻家」とまで言われることもあった。
同僚と飲み明かすことは殆どなく、作業が長引いたとき以外は必ず定時で帰宅した。そのため一部の者から陰口を叩かれることもあったが、それでも職場内での確固たる地位を維持し得たのは、その功績が偉大だったからに他ならない。
バルスキは、開発を担当した制御装置が軍に正式採用されたことを喜びはしたが、それすらも「収入が増えて家庭が安定するから」などとして、会社の業績や自身の研究者としての才能を強調するようなことは殆どしなかった。
彼にとっては、妻が全てだったのである。
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