第7話 『窮地』

 とても疲れた。知らない場所放置され、家に帰る手段を見つけられず、人に騙され人身売買されそうになり、悪趣味で殺されかけた。知絵里は身体も精神も疲れ切っている。

 温室育ちの知絵里は、過度なストレスが掛かった事があまりない。頭の奥がモヤモヤするし、喉の奥が重く締め付けられるような苦しみがある。気分が悪い。


(もう……どうすればいいのか……)


 知絵里は今、檻の中に入れられている。その檻は簡易的に掘られた洞窟の奥にあり、檻の材質は金属ではなく、木製で出来ていた。木製ではあるが、とても頑丈な樫の木で作られており、ちょっとやそっとでは破壊できないだろう。


(でもここなら流れ弾とかの心配は……ないかな……)


 この檻のある洞窟の奥行きは二十メートルくらいで、檻は壁沿いに作られているので外の様子を見るためには檻の近くまで寄らないと見えない。知絵里が恐れている事態になっても、身を隠せる場所はある。警察が助けに来たら素早く遮蔽物に隠れる様にしようと考える。


 外の様子以外に見受けられるのは、向かい側の壁にも檻があり、そちらには知絵里以外の女性や子供が十人程いた。


「下手な真似しようだなんて思うなよ?」


 知絵里が辺りを観察していると、檻の中からでは死角になってる外に監視役の男が立っていた。


「もし逃げようものなら……分かっているな?」


 男は二メートル程の槍を持っており、知絵里にその得物をちらつかせる。迂闊な真似はできない様だ。

 無理やり脱出するのは出来なさそうなので、大人しく助けが来るのを待つ。


(それにしても……武器が槍って……他にも、『山、川』の暗号とか『岡っ引き』といい、何もかもが古い表現な気がする……色んな物だって古そうな感じだし……もしかして、ここは……)


 混乱しながらも、今日の間に目にした物は全て不自然であったと感じていた。第一、ここへは謎の仮面の男によって作られた大穴に落ちてたどり着いた場所なのだから、ありえないことが起こっていても納得できる。しかし、それでも知絵里は自分の考えに対し首を横に振る。


(ありえない……そんなバカみたいな事起こるわけない……ここの地域はとても古い物がいっぱいなんだろうな……きっとそう……)


 自身の考えが非常識的すぎるので、頭の中で即座に否定した。そんなはずはないと……。

 疲れのせいだろうか、馬鹿な事を考えてしまったがそんな余裕はない。それに、助けに期待するのもよした方がいいかもしれない。最悪の事態を考えなくては。


(もし助けが来なかったら、夜明けに私たちを運び出す時に逃げるしかないかな……もし失敗しちゃったら……)


 恐らく殺される……いや、もっとひどいことをされてから殺されるかもしれない。


 森の中で目覚めてから不安な事ばかりだ。謎の仮面の男が空けた大穴に、これまた別の謎の男に突き落とされてから、酷い目ばかりに合っている。

 知絵里はここまでの事を考える。家に帰れるかよりも、生きていられるか、このまま辱めを受けるのか、不安でならなかった。

 悲観するしかない現状に想いが爆発するかの様に泣き叫びたくなったその時だ―――









ドドーンッ!



 突如、大きい爆発音が轟く。

 洞窟内であるためか、音がより響いて知絵里の耳が打ち鳴らされた。


「うひゃぁ!」


「な、なんだぁ!」


 知絵里と檻の前にいる槍を持った見張りも飛び上がる様に驚く。知絵里の檻の向かい側の別の檻にいる女性や子供たちも驚いていた。

 その場の全員が狼狽えていると、一人の男が洞窟に入ってきた。


「敵襲!敵襲だ!入口から攻め込まれている!」


「なに!もうやってきたのか!」


 今の話を聞いて知絵里や他に捕らわれている人達の緊迫した表情が少しだけ緩む。だが、やってきた男の次にはなった言葉が、たった今芽生えた僅かな希望も摘み取る。


「親方からの命令だ!こいつらを人質にして戦況をひっくり返すぞ!!」


「あ、あなた達!人の心が無いの!」


 一日の間に他人から様々な危害を加えられ、人間不信になりそうな知絵里は声を上げた。

 予想はしていた。しかし、彼らがここまで外道だとは思わなかった……。いや、人という生き物は一度堕ちればどこまでも外道に成り下がるのだろう。他人に情があるかどうかを期待する自分の考えが浅はかだったと痛感した。

 知絵里と同じく人質にされる女性や子供もひどく怯えている。全員その顔は青ざめて、体は小刻みに震えていた。


「全員人質にするとの事だ、全員繋いで連れて行くぞ」


「む?二、三人程度で良いのでは?」


 牢の番人が疑問に思う。知絵里も入れて大体の人数が十か十一、全員に縄を通すには時間がかかるし連れて行くのも大変だ。


「いいや、頭の命令だ、連れて行くぞ」


「そ、それなら問題ないな……刻一刻を争う、急ぐぞ」


「おいお前ら!全員腕を後ろに回せ!言う通りにしないとこいつで串刺しにするぞ!」


 番人が牢を解錠する前に凶器を見せつけて保険を掛ける。人質一人でも逃げられたりでもしたら、彼らの主が罰を与えるだろう。

 彼らの主は知絵里も見たので知っている。あれは失敗した部下を処刑するタイプの悪人だ。この男二人も必死だろう、逃げられるくらいなら躊躇いなく人質を殺さなくてはいけない。

 知絵里だけじゃない、同じく人質にされる女性と子供たちも察したのだろう。見せしめにこの命を使い捨てにされる可能性だってある。一人一人が大人しく従うしかなかったのだ。

 両腕を後ろに回され、再び縄で縛られる。知絵里は悔しい気持ちでいっぱいになり、奥歯を噛みしめる。知絵里と女性、子供も同じ様に後ろ手に縛られ、最後に一つの縄で全員が繋がれた。縄で縛られている際に人質にされる人たちの人数を数えた。子供が四人、女性が七人、知絵里を含め捉えられていた人数は合計で十二人だった。


「これで全員だな、よし、こっちにこい」


 犯罪者たちのボスの命令でやってきた男が、先頭の女性に繋いだ縄を引っ張る。連なる人質たちの後ろには牢の番をしていた男がおり、誰も逃げないように槍を持ちながら追随してくる。

 他の人達とは違う牢屋に入れられていたからか、知絵里は人質の列の一番後ろにされてしまった。

 すぐ真後ろに凶器を持った男がいるのはとてもじゃないが生きた心地がしない。この立ち位置を誰かに変わって欲しい気持ちがよぎるが、知絵里はその考えを即座に捨てた。

 知絵里の目の前には五、六歳くらいの男の子がいた。体は小刻みに震えており、その子の心が恐怖に支配されているのが一目瞭然だった。


(ああ……こんな子供まで人質にしようだなんて……)


 助かりたい一心で周りが見えていなかった。確かに知絵里自身も不安な気持ちでいっぱいだが、誰かを蹴落としてまで助かろうとするのは間違っている。少しでもそんな考えがよぎってしまったことを反省する知絵里。

 仮に、誰かを犠牲にして危機から逃れる事が出来て、その選択肢を選んでいたとしたら、この犯罪者たちと同じく魂まで汚れてしまう。知絵里はそんな気がしてならなかった。

 その考えと共に知絵里の感情の中に小さな正義心が生まれる。危ないことがあったら、出来るだけこの子を守ろうと。もちろん生を手放すつもりは全くない。ここにいる被害者全員が生還出来る様に、一つ一つの行動に生じる選択肢を慎重に選んで行くと小さく意気込む。


「よーし、おめぇら、こっちの方に来い、もたつくんじゃねぇぞ」


 先頭に立つ男が一番前の女性を繋いだ縄を引っ張り、後ろに繋がっている知絵里たちも引っ張られ洞窟から出る。全員が洞窟から出終わると同時に、再び遠くから大きい爆発音が何度か炸裂する。


ドーンッ! ドゴーンッ!!


 全員が爆発音の聴こえる方へ振り向く。その方角は先程の男たちがした会話の内容通り、この村の出入り口にあたる洞窟付近で戦いが起こっているようだった。


(発砲音にしては音が大きすぎるよね……)


 知絵里も同じく爆発が起こった方角へ目を向ける。


「なにアレ?……は、花火?」


 知絵里は眼を疑う。花火だ。花火が遠くに見えたのだ。正確に言うと、地面で火花が爆発した様で、花火は球体を半分に切ったような形状で綺麗な火花を散らしていた。


 緊張感漂うこの状況で花火を目撃するとは思わなかった。しかし、火花は一瞬で消える。見間違いじゃなかったかなと知絵里は眼を擦った。そして、もう一度遠方に目をやると、ご親切にもう一度爆発が起こり再確認させてくれた。


「やっぱり花火だ……」


 3、400m程離れた場所で一体何が起こっているのだろうか?頭の中がハテナでいっぱいになる知絵里だが我に返り、ふと後ろにいる槍を持った男に目を配ると、男もあの花火を見て驚いたのか呆けている。


 全員が驚いており、止まらず進めと命令されていたことを忘れている。そんな中、一人だけ冷静な者が居た。それは先頭に居た男だった。


「はぁ……派手な事で……全員足が止まってるぞ~、早く進め~」


 どこか気怠そうな感じで知絵里たちを引っ張る。全員我に返り命令通り歩みを再開する。後ろの槍を持った男も同じく我に返っていた。

 盆地の向こう側で見えた花火の場所へ、中心地を迂回するようにしばらく歩かされた。

 相変わらず花火による爆発は絶えないので、時々爆発音で周りの音が聞こえないが、知絵里は後ろにいる槍を持った男が、ブツブツと独り言を漏らしているのに気が付いた。


「何故、遠回りするのだろうか?真ん中の道があるというのに……」


 それを耳にした知絵里も、確かにそうだと思った。だが、彼らの主の命令だ。何か考えがあるのだろう。

 相手にギリギリまで気が付かれない位置まで人質を運んで、突如人質を突き付けて相手を強く動揺させる……とか、何かあってもすぐ逃げる事が出来る隠し通路がある……とか、そういった何かしらの狙いがあるのだろう。

 結局、人質になった十二人も、槍を持った男も、疑問を持とうが持たないに関わらず、黙って先頭の男の足運びに行き先を任せた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 やがて先頭の男が立ち止まった。その場所は盆地の側面に点在しており、木に覆い囲まれた広場であった。


「着いたぞ、ここで待機だ」


 男に連れてこられたこの場所には、木刀やボロボロの刀が立てかけられている簡素な納屋や、試斬に使われたであろう藁を巻いた竹、使いこまれていて矢が刺さったままの巻き藁の的などが配置されていた。

 恐らく剣技や弓術を鍛錬するための場所なのだろう。それなりの広さがあり、奥行はおよそ150m、幅は100mくらいではないだろうか。

 訓練場を設けているくらい本格的な犯罪者集団なのは分ったが、問題なのはその予想できる訓練内容である。今時の犯罪行為で刀や弓矢を積極的に使用するはずない。

 知絵里の心中は今までの違和感でモヤモヤしていた。だが、様々な物や人々の言動を目にして、次第に頭の中に引っ掛かっていた疑問は、今まさに答えに近づいていた。


(やっぱりそうだ・・・この場所・・・この時代は・・・)


 そう、今の知絵里が置かれている状況や、周りにあるものは現代には見かけない物が多くある。やっと心の中で真相に辿り着きそうになったが、自身の身に起こった事があまりにも非現実的過ぎて、閃いてしまったこの考えを認めたくない気持ちが知絵里をパニックにさせる。

 しかし、ここまでは全て知絵里の推測である。確認しなくてはいけない。乱れる心を何とか制し、知絵里は恐る恐る……一番近くにいる人質の女性に声を掛けた。もちろん、今は人質にされている状況なので、ひそひそ声で話し掛ける。


「あ、あのぉ……」


「え?あ、はい、どうかされましたか?」


 ぎこちなく話しかけてしまったが、女性は同じくひそひそ声で反応してくれる。こんな窮地にも関わらず応じてくれた優しそうな女性の態度に甘えさせて頂き、知絵里はそのまま質問を続ける。


「すみません……今この状況でするような質問じゃぁないんですけど……今って何年何月何日でしょうか?」


 知絵里が疑問に思っていること全てに辻褄が合う事、その可能性とは。確かめなければいけない。

 知絵里が気を失って目覚めてから今までに出会ってきた人の服装や振る舞い方、見てきた建物などは、これまでの知絵里の人生で今まで見たことがないものばかりだ。しかし、全て知らないというわけでは無かった。これらの事を知絵里は本などで目にしたことがあったのだ……だから、今、私の頭の中で渦巻いている予想が正しければ……


「日付ですか?ええっと今の日付は……」


 この女性が外から流れてくる情報が制限される牢屋に、どれくらいの間捕らえられていたかは分からないが、なんとか日付を把握していたようだ。

 知絵里が固唾を呑む。文字通り音を立てて喉がゴクリと鳴らしてしまった。

 自身も気付いていない程、知絵里の心の中は不安と焦りで、思いつめた表情をしている。これほど切迫しているように見える顔だが、知絵里の話を聞いてくれている女性は気に留める様子はない。そして、そのまま女性が日付を口にしようとしたその時―――


「おっかぁ!!!おらもうやだよ!!家さ帰りたいよぉ!!」


 突如、不安そうな声が足元から聞こえた。驚いた知絵里が顔を下に向け、その声の正体を確かめる。


「ッ!良い子だから静かにしてちょうだい……」


 先程の牢屋から出された直後に前に居た五、六歳くらいの男の子がそこにいた。女性に注目しすぎて足元にいるのを失念していた。どうやら、この女性は男の子の母親だったようだ。疲労感の中、常に怖い思いをさせられて精神的に限界だったようだ。駄々をこねて叫んでしまった男の子を急いで母親がなだめる。しかし、男の子の発した声は大きすぎた。


「おいおいそこのガキよぉ?喋らず、静かに出来ないならひでぇ目にあってもらうぞ?」


 槍を持った男がこちらへ詰め寄って来る。知絵里が牢屋内で辺りを見回している時も脅してきた男だ。男の発言はただの脅しではない。知絵里は直感的に危機を感じ、頭の中の警鐘が鳴り響く。


「すみません……子供のしたことなのでどうかお許しを…お許しを……」


「こわいよぉ……おっかぁ……」


 犯罪者相手に対し、地に頭を付けて謝る女性。男の子は土下座をしている母親に縋っている。


「だからよぉ、ガキが喋んなって言ってるのが分らねぇのか?」


 何故犯罪者に対して謝らなくてはいけないのだろう?相手が強い立場を確保しているというだけで、罪もない人がこんな仕打ちを受けるだなんて……何と不条理だろうか、目の前にいる槍を持った男への怒りが込み上げてくる。


「よぉし、さっきからちょいと腹の虫が治まんなかったんだ、それに良い機会だ、他の奴らがちゃんと従う様に見せしめになってもらうとしよう」


 男が親子に汚らしい手を伸ばす。


「おやめください!この子だけは!!」


「何勘違いしてんだ?お前だよお前」


 そこにいる誰もが息を詰まらせてしまった。男が掴んだのは子供ではなく、その子供をかばう女性の髪だったのだ。


「やめて!離して!」


「おっかぁを離せ!」


「おいクソガキ!よーく見て置け……お前の母親の最後だ!………くへへへ……ガキの声は耳障りで嫌いだが、目の前で母親を殺された時の音は好みなんだよなぁ……」


 なんと外道であるか。野蛮で残忍な人間が今までのうのうと生きていたとは。ここまで理不尽さを感じたことは無い。

 ああ、自分はなんと無力なのだろう。知絵里は男に対する怒りと、自分が何も出来ない事への悲しみが入り混じり、涙を流すしか出来ない。

 いや、このままではあの女性が殺されてしまう。私が話しかけたことで、子供の心の均衡が崩れてしまったのかもしれない。私がどうにかしなくてはいけない。


せめて、こちらの方に注意を逸らさなくては―――


「この臆病者!」


 気を引くためについ思った事を言ってしまった。この男の矛先がこちらに向くのは分っていたが、自身の馬鹿な正義感がしゃしゃり出てくる。


「ああ?今なんて言ったこのアマ?」


 男は知絵里の方に槍を向ける、そのままの意味で矛先をこちらに向けさせることが出来たわけだが、その後の事は一切考えていなかった。

 そのまま知絵里は、体を打ち付ける様にバクバクと脈打つ心臓に邪魔されながらも思った事をそのままぶつけてやる。


「何も出来ない相手にしか手を出せない無様な人間だと思ったから臆病者って言ってやったのよ!」


「…ッ!このアマが!」


 男が女性の髪を離し、両手で持ち直した槍の柄の方で知絵里の頬を殴る。


「うっ!い、痛い……」


「調子に乗るんじゃねぇぞ……お前はこいつらとは別の牢に入れられた商品だから、お偉いさんへの献上品にされる特別品かもしれねぇ……だけどな、俺を馬鹿にしたやつは誰だろうが許さねぇ」


 殴られて倒れた知絵里へと、男が槍を構え直し穂先を向ける。


「先にお前から殺してやる……」


 男の手に力が籠められる。吸い込まれるような明確な殺意が槍の先端から伝わったその瞬間、初めて生命の危機を感じた謎の仮面の男が放った禍々しい力を帯びた鏃の鋭さが、知絵里の脳裏で蘇る。


「あ……あっ……」


 トラウマ。悪夢が現実となって迎えに来た。足が竦み、刃を向けられているのに起き上がることが出来ない。


 男が息を強く吐くと同時に槍を突く。


 出しゃばるんじゃなかった。恐怖と涙でくしゃくしゃになった顔で知絵里は後悔する。


(お母さん……お父さん……)


 恐怖心に支配されていてもお母さんとお父さんや、おじいちゃん、友達の七菜香と友景たちとの記憶がフラッシュバックする。


 私は死ぬのだろう。これが走馬灯という物なのだろうな。


 一瞬の思考ではあるがとても鮮明で、長い時間をかけたかのように沢山の思い出を振り返った。


 しかし、現実がすぐに戻って来る。目の前には知絵里の命を奪う刃が迫っている。


(痛いだろうなぁ……)


 涙が流れ続ける目をギュッと瞑る。そして―――


ドスッ!


 鈍い音が聞こえた。音とは裏腹に、知絵里は何の痛みも衝撃も感じない。


「あ、あれ?」


 恐る恐る目を開ける。知絵里の目の前にはまだ男が立っている。


 しかし、眼を瞑る前とは大きな違いがあった。それは、男が手にしていた槍が何者かの脚で踏みつけられ、地面に叩きつけられていたのだ。


「て、てめぇ!何しやがる!」


 男は目の前の人物に罵声をぶつける。知絵里を殺めようとしたのを邪魔されたからだ。

 その人物とは?倒れたままの知絵里は自身を助けてくれた人の顔へと視線を運ぶ。そして、その恩人を目にして驚愕する。


「え?もう一人の……悪い人?」


 何という事だろうか。その人物とは、知絵里たちをここまで誘導して連れてきた犯罪者の男だったのだ。

 しかも、槍を持った男が地面に刺さった穂先を引き抜こうとするがビクともしない。相当強いのだろうか?


「くっ!先に何人か殺っちまっても構わねぇだろ!」


 槍を握る男が両手で引っ張るがそれでも動かない。そして、知絵里を助けた男が口を開く。


「構うわけないでしょう?私たちの目的は『弱気を助け強きを挫く』事なんだから」


 その場にいる全員が目を丸くする。数か所の部位しかない傷だらけの甲冑を身にまとった汚らしい男の声や口調ではないからだ。その声は男のもではない、女性だ。明らかに女性の声なのだ。


「ま、まさかお前も義賊の連中かぁっ!」


「うふふ、その通り」


 義賊と呼ばれた女声の男が脚を掛けた槍をそのまま足場にして、槍を持つ男の顎めがけて足蹴りを放つ。


「がふっ!」


 顎を打ちぬかれた槍を持った男の手から力が抜け、槍が放り投げられる。

 打撃をくらい吹っ飛ぶ男。そして、蹴りを繰り出した女声の男が宙を舞いながら身にまとった衣装を脱ぎ捨てる。

 そのまま宙返りしながら着地。そこに居たのは裸の男ではなく、赤い鉢金を額に着け、花から下をぴっちりとした黒いマスクで隠したポニーテールの女性が華麗に現れた。背中に短めの刀を携えており、黒色主体で露出度が控えめの忍衣装、赤色の腰帯や紐で服の乱れを抑え、足首から膝付近まで紐で止めている袴、通称・たっつけ袴という服装で動きやすそうだ。

 なんと鮮やかなサマーソルトキックだっただろうか。絶望の中現れた女性は恐怖心も蹴飛ばしてくれた恩人だ。その恩人が周囲を見て口を開く。


「綾煉、推参っと」


 呆けたままの知絵里をよそに、周りにいる他の人質たちが綾煉と名乗った人物に感謝の意を捧げる。


「おお、義賊様でしたか……ありがたやありがたや……」


「お命救って下さりありがとうございます……この恩どうお返しすればよいか……」


 女性たちが手を合わせて拝むように感謝している。その横で先程の怖がっていた男の子も含めて三人の子供たちがヒーローに向ける様なキラキラした目で綾煉を見つめていた。

 呆けてしまっていた知絵里が我に返る。崩れた体制を整え直し、もう一度綾煉という女性を見る。


「あの姿って忍者とかの……くノ一、だよね?」


 知絵里が目にした綾煉という女性の出で立ちは、くノ一と呼ばれる女忍者の格好だ。知絵里へと勢いよく放たれた凶器を素早く無力化し、テクニカルに相手を鎮圧する実力。まさしく、忍者と呼ぶにふさわしい。

 それに、先程解いた完璧な変装にはその場にいた誰もが驚いた。女性であるのに、変装時の彼女は声もしぐさも見た目も男して疑いようのない物を披露してくれた。恐らく、誰しもが再現不可能、理解不能な技術なのだろう。あの変装技術は彼女の専売特許に違いない。

 綾煉と名乗ったくノ一は、ありがたみから拝んでいる解放された人質の人達へ軽く微笑んだ後、あたりを見回している。

 知絵里はしなくてはいけない事がある。お礼だ。綾煉さんが居なかったら槍で突かれて死んでいた。立ち上がり、傍まで近づいて声を掛けようとする。


「あ、綾煉さん……でよろしいのでしょうか?」


 出来事が非現実的過ぎて、まだ全身の筋肉が緊張している。それ故、声が小さく聞こえにくかったのか綾煉には声が届かなかったようで、綾煉は知絵里の居る方角とは別の方へ話しかけ始めた。


「箴、周りは大丈夫?」


 知絵里が誰に対して話しかけているのだろうと思ったその直後、知絵里の背後から声がした。


「うん、残りの敵全ては親方たちの方へ向かったよ」


「え、お!わぁ!?」


 不意な出来事だったので驚いて振り返って尻もちをついてしまった。

 さっきまで知絵里の後ろには誰も居なかったはずなのに、そこには綾煉と同じ様な藍色の忍び装束の知絵里より年上そうな若い男がいた。

 同じ忍び装束でも、彼は狼の頭部がそのまま残った毛皮を被り、腰に鹿の毛皮を巻き付け、弓と矢筒を背負っており、まるで忍者と狩人を同時に連想させるような姿だった。


「ちょっと、そんなとこに立ってたら驚かせちゃうでしょ」


「かたじけない……」


 気配を完全に消していた忍者は、驚かせてしまって再び倒れた知絵里に対して謝罪する。倒れた知絵里へ綾煉が知絵里の元に近づき、手を差し伸べる。


「さっきのあなたすごかったわ!勇気あるわねー、でも怖かったでしょ?」


「はい……とっても怖かったです……助けてくれてありがとうございます……」


 何とかお礼を伝える事が出来た。しかし、命を救ってもらったのだからそれ相応のお礼を用意して受け取って欲しい。この騒動が終結した後もお会い出来るかなと考えながら、綾煉の手を借り知絵里は再び立ち上がる。そして、立ち上がった知絵里の後ろに綾煉が回り込む。


「腕を出して、縄を切るよ」


「は、はい!お願いします!」


 綾煉が背中の小刀を抜き、知絵里の腕を縛る縄を切り解放してくれた。


「ありがとうございます!ああ……助かった……」


 男の忍者の方は他の人質になった人達を拘束する縄を手際よく切っている。知絵里と同じく人質になっていた人達の緊張してた表情も少しだけ和らぎ安堵していた。


 しかし、まだ安心してはいけない。まだ犯罪者たちのアジトの中に居るからというのもあるが、知絵里にとっては分からないことが多すぎるからだ。助けに来てくれた人達なら何か知っているかもしれないので、この流れで綾煉に質問させて頂くことにする。


「あ、すみません……突然、悪い人達に捕まって訳が分からなくて……大人数で助けに来て下さったのでしょうか?今がどういう状況なのか気になっていますし、入口の方とか花火まで見えてましたし……」


 一体どれくらいの人数で悪人達と戦いに来たのか?ここの廃村を再利用して活動拠点にするくらいの悪党たちが相手なのだから、恐らく人数も多いはずだ。特殊隊員……なのか忍者なのか分からないが、助けに来てくれた人達の数も多い事だろう。それに、先程から廃村の入り口付近で花火の炸裂音がまだ響いている。いったい何が起こっているのか知りたい所だ。

 それに、知絵里の目の前にいる二人が忍者かどうかも確認も取りたい。忍者っぽい見た目をしているのだが本当に忍者なのか?軽やかな身のこなしで戦ったり、気配を完全に消していたりしたが、知絵里は実物の忍者を見たことが無いので本当に忍者なのか気になっている。

 知絵里の質問を聴いた綾煉は快く答えてくれた。


「私達も含めて五人よ、他の三人は音のする方で戦っている……心配しないで、我ら豪恤忍者衆ならこんな賊たちすぐ成敗できるから!安心してね」


「ご、五人⁉かなりの少数精鋭なのですね……(忍者って実在したんだ……)」


 テレビの特集などではまだ現代でも忍者は存在すると聞いていたが、少し疑っていたところがあった。だが、これだけの事をやっているのだから本当なのだろう。

 それに、たった五人かと思ったが、豪恤忍者衆という忍者たちはとても強いのだろう。前線で戦っている三人はまだ大勢を相手に戦っているらしい。


 そして、実在した頼もしい忍者、くノ一の綾女は続けて状況を説明してくれる。


「それと、花火は仲間の武器……だね」


「え⁉花火を武器にって……忍びの雰囲気とはかなり違うような……」


 目の前の二人の忍びは身を潜め、正体を隠して戦っていた。それとは真逆な戦闘スタイルの忍びがおり、綺麗な火花をだす花火で戦っていると聞いて知絵里はまたも驚いてしまった。


「そうよね……本来は打ち上げる物なのだけど、その花火も武器にしてしまう派手な忍びが仲間に居るのよね……全く忍んでないけど」


「へぇぇ……随分変わった忍者の方なのですね……」


 目の前にいる二人の忍者は知絵里たちを助けるために隠密行動をしていた。まさしく忍んで目的を遂行したので忍びらしい忍びと言えるだろう。


 それとは裏腹に、派手好きな忍者がいるというのが驚きだ。敵の攻撃によるものかなとも思っていたが、まさか忍者による花火の炸裂音だったとは。

 鳴り響いていた音の正体を聴いた知絵里は、恥ずかしい事に口を開けて驚いてしまっていた。だが、綾煉にとっては予想通りのリアクションだったらしい。意に介せずに綾煉は知絵里にあることを提案してくる。


「あははは……こっちが安全に移動しやすいように派手に戦ってくれているんだけど、普段からあんな感じだから忍びっぽくないのよねあの子……あ、そうだここからなら安全だし、戦っている所見てみる?三人とも結構強いから見ごたえあるわよ」


「見てみたいかも!」


 知絵里は即答した。三人の忍者がどのように戦っているのか興味があったからだ。顔を出すのも危ない気がするが、この二人が居るのだから安全に観戦出来るだろう。


「三人の戦いの状況によってはすぐに逃げることが出来るかもしれない、その時は回り込んで入り口まで移動するよ」


 知絵里が返事をし、同じくそれを聞いていた他の人質になっていた人たちも頷く。知絵里がその様子を見ていて気が付いたことがあった。


「あれ?ご一緒に居た男の人は?」


 男の忍者が居ないのだ。先程まで人質になって居た人達の拘束具を外していたはずなのだが、今は見当たらない。


「箴?あ、箴之介の事ね、私達の安全確保のために周囲を偵察しに行ったわよ」


「い、いつの間に……」


 またしても気配無く行動していた男の忍者。彼の名前は箴之介というらしい。


 箴之介が安全確保をしてくれてはいるが、綾煉は警戒しながら戦いの場が見える所へ行き、身を屈めながら当たりの様子を確認する。


「大丈夫、みんなこっちまで来て」


 知絵里を先頭に綾煉の方へと助けられた人達が移動する。

 全員が綾煉と同じ様に、木や藪に身を隠しながら顔を覗かせて三人の忍者の雄姿を遠目から観戦する。

 知絵里も炸裂音のする廃村入り口付近を観察し始める為に顔を出す。檻から出された直後に見た時よりも間近に花火が破裂しているため、音も大きくうるさいし火花がこちらまで届きそうだった。


「うわっととと」


 届きそうだと思っていたら本当に火花が飛んできた。なんて威力の花火なのだろう。これを爆心地付近で食らっている犯罪者たちが少しだけ哀れに思えてくる。


 飛んできた火花で心臓がドキドキと脈打つが、花火の音がまた轟き、不意な心臓の暴走を強制的に抑え込んで来る。そして、息を整えた知絵里はもう一度顔を覗かせる。


「わあぁ……すごい迫力……」


 三人の忍者が戦っていた場所はおおよそ75m先。知絵里の眼は裸眼で視力2.0と、眼は良い方であるので難なく姿を見ることが出来る。その忍者たちは敵に囲まれながらも一定の範囲をキープしており、圧倒的に優勢な戦いをしていた。


 花火が次々に炸裂し、色とりどりの光が百花繚乱の如く花を咲かせ散って行く戦場の中から、知絵里は真っ先に花火……様々な大きさの花火玉を犯罪者たちに投げつけまくっている忍者の姿を確認する。


「……え…?あ?ん?ええ!!!」


 派手な戦い方をする忍者とはどういう人物なのか気になっていた……。だが、今の知絵里にそんな好奇心は吹き飛ぶように頭の中から無くなっていた。



そう、何故ならばその忍びは―――

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