第5話 『暗夜の森』
「ごめんよぉ……ほんとごめんよぉ……」
知絵里を縛り上げ、重い足取りで街道を進む男。
俯きながらそう謝罪されても知絵里の今の状況が良くなるわけじゃない。それならさっさとこの縄を解いて、口を覆う手ぬぐいを外せと思う。
まさか自分が拉致されて人身売買に利用されるとは思っていなかった。何としても脱出して逃げねば。
「うー!うーっ!」
「あ、あばれねぇでけろ!逃げられたらおっかぁに合わせる顔がねぇんだ!」
男は抵抗する知絵里を抱きかかえ直し、暴れないように腕に入れる力を強めた。
(ど、どうしよう!逃げることも出来なさそう……)
畑仕事をしている為か、男の腕は程よく逞しい。知絵里が抵抗した所で逃げることは不可能だった。
(まずい……このままだとどんどん人目の付かないとこに運ばれちゃう)
何とか逃げる方法を考えるが遅かったようだ。
知絵里を運ぶその男は、街道からいきなり外れて、右の草むらの方向へと進んで行く。
(あれ?この道ってもしかして)
そう、この道は知絵里が森の中を彷徨った時に見つけた細い道だ。街道から観ると全く道になる部分が見えないようになっていたので、一度通った道だが分からなかった。
(この道を見つけた時に山の方に行ってたらもっと早く捕まってたのかも……)
どうやらこの道は悪党共の秘密の通路だったようだ。今更そう考えるが、どちらにせよ捕まっているのだから、選択肢の後悔に意味はない。街道を見つけた時に左の道を選んでいればよかったとは思うが。
男が疲れた瞬間を狙いたかったが、体力もあるらしく一向に疲れた様子を見せない。焦る気持ちを抑えながら思考するが、すでに時間はもう無いようだ。
「お、盆暗じゃねぇか」
「なぁに抱えてんだ……女か?」
二人の男の声が聞こえる。抱えられている状態なので知絵里から姿は見えない。知絵里を抱えている男は『盆暗』と呼ばれているらしい。
「あ、ああ……めごいおなご攫ってこれたからなぁ……親方はおるか?」
「おう、家で休んでおられるとこだ、行ってこい……それよりもその嬢ちゃん……へへへ、なかなかいい肌しておるのぉ」
「全くだ、拝むだけじゃぁ男が廃っちまう……どれどれ」
姿が見えなかった二人の男が回り込んで知絵里を舐めまわすように見てくる。知絵里はにらみ返し、その二人の男の姿を見る。
その姿はまさに『汚い』そのものだった。二人の男は松明を持っており、照らされる顔は泥と油にまみれ、歯は幾つか抜け落ちているし息は臭い。服装は黄ばんだ白い褌と、傷だらけの甲冑、その甲冑の一部は動物の毛皮で結んで止めているだけだった。
(うえっ!キモチ悪い!やめて!見ないで!近づかないで!)
相手がどう思ってるかだなんて一切考えないような劣悪思考の男が二人、鼻の下を伸ばしながら攻めよって来る。そして、数か月は洗ってなさそうな手で知絵里の脚や頬に触れようとしてくる。
「うー!ゔーーーーッ!!!」
潔癖症と言うわけではないが、あまりにも汚いその二人の男に触られるのは生理的に無理だ。二人の男が手を伸ばそうとするのに抵抗できない。男たちのべたつく掌を想像した知絵里の肌に鳥肌が立つ。もがき暴れ出す。
「だめだだめだぁ!せめて親方に見せてからにしてけろぉ!」
盆暗と呼ばれた知絵里を抱える男が二人の男から離れる様に移動する。
「ケッ……盆暗のくせによぉ……」
「まあしょうがねぇさ、査定が終わった後でじっくり……じっくりとなぁ?」
(さ、査定?嫌な予感しかしない……これから……うう……)
二人の男を後にし、そそくさと盆暗男は親方とやらの元へ進んで行く。
(ここって、洞窟の入り口だったのか)
抱えられている知絵里からしたら、お尻を向けていたので見えなかったが、どうやら犯罪者たちのアジトは洞窟を超えたとこにあるらしい。
そしてこの洞窟はあたりを照らすいくつかのかがり火が設置されており。それ以外は人の手が入った様子はなかった。
(洞窟がアジトって……それにしても、さっきの二人の格好もそうだし、火で明りって……原始的と言うか、古風というか……)
犯罪事業で稼ぐのも大変なのだろうかと間の抜けたことを一瞬思う知絵里。すぐに頭を振り、再び逃げることを考える。無事に家に帰りたいから―――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夜の森に入った事はあるだろうか?入った事のあるものなら分かるだろう、人の住む街とは違い、どこを見渡しても光の見えないあの暗い世界を……。
そこは人が立ち入ってはいけない暗黒の空間。夜行性の野犬を初めとする、野生生物たちが獲物を狙う修羅場でもある。少し遠くを見れば明りが見える場所なのであればまだ良い方だろう。逃げ道が分るのだから。
知絵里をさらった犯罪者たちのアジトは、小さい山に囲まれた狭い盆地にある廃村を再利用しているのだ。
アジトに入りやすい場所である洞窟は明りで目立つと思われるが、その場所への道は木々に囲まれとても狭く、近くからでないと発見出来ないくらいだ。光は森に遮られ、闇へと消える。そして、この深い森は……助けを求める声が誰の耳にも届かない程に広い。どこまでも、どこまでも……。
例えこの暗い森に人がいたとしても、それは夜目が利く人間だろう。こんな暗い森をうろつくのであれば、十中八九やましい事を企む者たちに違いない。一般人が立ち入り、迷ってしまったのなら、彼らによって口封じされるか、或いは想像もできない程の恐ろしい目に合う事だろう……たとえ必死に走って逃げ切れたとしても、その時には帰り道を失い遭難してしまう。それだけ暗闇というのは恐ろしいのだ。闇に覆われれば善悪の区別などつけようがないのだから。
故に、夜の森に易々と近寄る愚か者はそう居ない。夜行性の野生生物も獲物を狩るために静かに、息をひそめて生きている。こうして生まれた静寂なるこの世界……だが、今日だけは例外が発生した。
その例外とは、木々の間を駆け抜ける風の音に溶け込み、5つの影が飛び回っていたからだ。
「件の盗賊共が塒にしている廃村はこの先だ、数は目測で五十、頭は山岳にある廃寺を塒にしている」
「奴らに攫われた女子供は村の奥にある小洞窟に捕らえられている模様……買い手が付いた様で、夜が明けたら何人か運ぶつもりよ、すでに番屋には伝えてある」
「いつもの番屋か、なら急いで仕事を済ませねばじゃ……あやつは無っ鉄砲じゃからのぉ、一人で行けば殺されるとあれほどゆうとるに……」
「盗賊たちは近くの村の者と手を組み、旅人を騙し悪事を働いている模様……許しがたいものね」
その影たちは目にも止まらぬ速さで木々を飛び移り移動しながらも、息を切らさずに情報を伝えあっている。声からして想像出来るのは、爽やかそうな若い男と、クールな女性、芯の通った翁と言ったとこだろうか。
そのやり取りに続いて、深々とした低い男の声が聞こえる。
「ほぉ、その手口……聞き覚えがある……だが、あやつは吾が滅したはず……しかし、奴の事だ、禁呪による黄泉返りを果たしたのやもしれんな」
低い声の主は影越しでも分かる程の巨体で、その体でも軽々と木々を飛び渡っている。
その巨体の大男に対し、若い男、それも意気込んだ声で反応する者がいた。
「おうおうおう!誰であろうと不義なす悪党は成敗よぉ!不死だろうが物の怪だろうが、おいらの【
江戸っ子かぶれの喋り方をする若い声、その者の影は他の四人の影とは少し違和感がある。手や足はある様だが、後ろには太い何かが生えてる様にも見えるし、頭からもトゲのような物……が生えているようだ。
「ふん、威勢だけいっちょ前になりおって……それよりもだ、今から相手にする愚か者共の長だが、以前皆に話した『蜘蛛使い』やもしれん」
「頭領の武勇伝其之十二に出てきた外道野郎か!するってぇと、正面から突っ込むのはやめねぇとだな、捕まってる人達があぶねえな……うーん……」
「お主にしてはよく考え、気が付いたな……だが、その【武勇伝】と呼ぶのはやめんか、尻がむず痒くなる、やめんと後で殴るぞ」
「えー、頭領の勇ましい昔話なんだからいいだろぉ~、勘弁してくれよぉ」
「これまで相まみえた者どもを書き記しただけだ」
江戸っ子と大男の会話を聴いて、クールそうな女性が提案する。
「はいはい、親子で仲の良い事で何よりです……それより話の続き、捕まった人達なら任せて頂戴、裏から侵入して上手い事やってみせます」
「うむ、適任だな……念のためお前も行き、支援するのだ」
クールそうな女性の提案を採用した大男からの命令を受けた若い男が、「御意」と一言だけで承諾する。
「ふむ、ではこう行こう」
大男が全員に呼び掛ける。
「二手に分かれて救出と成敗を行う、裏から回る二人とは別に、我々三人は陽動の為に正面から臨むぞ、正面組は出来るだけ目立つよう戦え」
大男が端的に作戦内容をまとめて他の四人に伝える。
「よしきた!派手なのはおいらの十八番でぃ!任せとけ!」
「お主の場合は派手すぎる気もするのじゃがのぉ……まあ良い、ワシは“ワシの範囲”で頑張らせて頂くとしよう」
江戸っ子と翁も大男の考えに異議は無いようだ。
皆の面構えを確認した大男は、拍子を置くように咳払いする。
「よし!話もまとまったので急ぎ向かうぞ!」
作戦開始の宣言に続き、大男は𠮟咤激励する。
「女子供を売りさばく不届き者らの巣はあの山の向こうにあり!我ら【
「「「「おう!」」」」
一斉に掛け声を上げたその謎の集団は、さらに速度を上げてどんどん闇に覆われた森の奥へと進む。どんどん、どんどん、山の方へと進んで行った。
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