第4話 『少女とあばら家』

 何も見えない暗い世界、知絵里は走り続けていた。走っても、走っても、走っても、走っているのに進んでいるのかも分からない。

 誰かがいる様な気配を感じ知絵里は振り返る。あの仮面の男が追って来る気がしてならない。


「はぁ……はぁ……」


 そう言えば何時から走っているのだろうか?とても長い間ずっと走っている気がしてならない。そう考えると同時に体が重く感じ始め、すぐに息が切れてしまう。

 しかし、どこまでも走らないとまた襲われる。心の奥から鳴り響く警鐘に背中を押されて、息を荒げながらも走り続ける。

 必死に走り続けるが、体力の限界がやって来る。立ち止まり、もう一度振り返る知絵里は絶望する。彼女の目に映るのはあの時の恐怖、無数のやじりだった。

 叫び声をあげて蹲る事しか出来ない。気が付けば鏃に囲まれている。無力な自分ではどうすることも出来ず、生を手放すしかないと諦めてしまう。ただ暗い世界で恐怖するしかなかった。


「誰か……助けて……」


 何処にも届かないか細い声は闇に飲まれる。

 助けなんか来ない。そう絶望するしかなかった―――



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 木々が生い茂る広い森。植物たちは日の光を浴びて生き生きとしている。

 風が吹き、木漏れ日が揺れ動き森の中をチラチラと照らす。その内の一筋の光が横たわる少女の顔に当たる。


「はっぁぁ!げほッ!げほッ!げほ……!」


 光が瞼に当たった弾みで目が覚めたのだろうか。その少女は飛び起きると同時にせき込みだす。どうやら目を覚ます直前息を止めていたようだ。その後、辺りを見回す。


「こ、ここは……」


どうやら知絵里は気絶していたらしい。相当うなされていたのだろうか。額にかなりの量の汗をかいている。


「そうだ!あの仮面の男と助けてくれた人は!?」


 再度辺りを見渡すが人は誰も居なさそうだ。何故か自分のスニーカーが乱雑に落ちているが、他には誰かがいたような痕跡も見受けられない。


「誰も居なさそうね……また襲われる前に人の居るとこに行かなきゃ」


 今いる所がどれだけ森奥深くなのか分からない。川のある所を探して、そこから人里やキャンプ場などにたどり着けないかと祈りながら知絵里は移動を開始する。


(食料とかもないし早くこの森を出なきゃ……それにしても、なんでこんな場所に連れてこられたんだろう……?何かされたわけでもないみたいだし……)


 今のところ森に連れてこられた以外、何かされたような形跡はない。自身を殺めようとしたあの鏃に対する恐怖心は植え付けられたが、その後暴力を受けたりはしてないようだ。

 知絵里はあらゆる結末を想像する。自分が気を失っている間に巻物以外も盗まれているのではないだろうか?家は燃やされていないだろうか?お母さんとお父さんは無事だろうか……。 どうしても良くない事ばかり考えてしまい気が滅入ってしまう。


「今の状態で前向きになんて考えられないんだから、今は生きる事だけを考えよう」


 今の知絵里が着ているのは、謎の大穴に落とされる前のままの部屋着だ。カーディガンにショートパンツとハイソックス、スニーカーはどうしてか分からないが近くに落ちていたので履いているが、森の中を彷徨うのには適さない格好だろう。

すぐにでも人里に降りなくてはと、焦る気持ちを抑えながら体力を消耗しないように程よいペースで進む。


「野生の動物とか出てきたりして……」


 動物は好きだが、野生生物と出会うのは大変危険だ。知絵里はケモナーであると同時に動物好きなので、動物に関するある程度の知識はある。

 殆どの動物は臆病である。野生とは厳しい世界。常に命の危険を感じながら生きる彼らが人間を目の当たりにした時、未知なる相手に警戒し牙をむく。この場合、静かに克速やかに身を引くべきなのだが例外も多い故、襲われてしまい命を失うこともある。


「熊とか出そう……早くこの森から出なきゃ」


 進む道のりが曲がらない様、真っすぐ進むように心掛ける。歩いた方角を少しでも覚えておくためだ……。


 森の中を一時間程彷徨った辺りだろうか、明らかに人が何度も通ったような形跡のある細道を見つけた。


「これ道かな?やった!助かるかも!」


 通り道の真横から侵入した形なので右か左に行くかで迷うがすぐに、遠目で見て山岳地形とは逆の方角へ進めば良いと考えた知絵里は、正解だと思う方向の道を駆け足で進む。

 運動はからっきしな知絵里は一時間森を歩いただけでかなり疲れている。だが、助かるかもしれないと思うとついつい急いでしまう。先ほど奇々怪々な事に巻き込まれ困惑しているが、自分なりに最善を尽くして助かる事だけは忘れない。

知絵里は思う、これは夢ではない。訳も分らず死にたくない。無事に帰ってみせる。


 偶然見つけた荒れた道を知絵里は進む、歩いてゆくうちに別の道に差し掛かった。

 その道は人の往来がそれなりにあるのか、舗装されてないのにもかかわらず草が生えていない歩きやすい道になっている。


「どっちに行っても人が居そうだと思うけど……」


 再び右か左に行くかで迷う。今回は遠くの景色も同じ様に見えてしまい、頼れる情報がない。


「日が暮れる前にどこでもいいから人の居るとこに行かなきゃ」


 森の中にいても日の光の方向は分っていたのである程度の方角は分る。今の知絵里から見て左の方に太陽が移動しているので恐らく左の道は西だろう。

 西日は眩しくて嫌なので右の道を選ぶことにした。間違ったであっても、これだけ人が通った形跡のある道ならどっちに向かっても大丈夫だろう。

 考えたとしても時間が惜しいので知絵里は急いで移動を開始する。東の方角が正解かは分からない……とにかく急ごうと……走って移動した。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 走って移動したが途中息が切れたりしてペースダウンしたので時間が掛かってしまった。すでに日も暮れ始めていたのでかなり焦っていた知絵里は遠く見えた景色で安心する。


「はぁ……はぁ……よ、よかったぁ~……あれって……村?」


 東の方角へ進んで正解だったようだ。稲が植えてある広い田んぼと、その奥に小さい小屋の様な……木製の家が幾つか見える。遠くからだが人も出入りしているのも確認出来る。


「なんだかとても田舎?なとこだなぁ……おしんで観たことある感じかな」


 以前、再放送で両親と一緒に見たことがある。『おしん』とは、明治時代の貧困な家庭に生まれた一人の少女の生涯を描いた作品である。その少女は貧しい百姓の家で生まれで、その物語の序盤で見かける家が茅葺かやぶき屋根の古い木造建築なのだが、知絵里が目にしている家はそれにどこか雰囲気が似ている。


「お、お世辞にも綺麗とは言えないくらいボロい……」


 遠くに人がいるであろうにも少し二の足を踏んでしまう知絵里。しかし、早く家に帰りたいので連絡手段が欲しい。何かしらの通信機器でもあればぜひ使わせてもらいたい。


 走ったので疲れたが、田んぼがとても広いので早歩きで民家へと向かう。田んぼの通路、畦道を通り抜けて人が見えた民家の前までたどり着いた。


「ご、ごめん下さーい」


 恐る恐る声を出す。先程人がいたと思ったが反応がない。少し声が小さかったかなと思い、知絵里はもう一度声を出す。


「ごめんくだ……」


「ん?なんだね?」


 不意に背後から声を掛けられ知絵里は驚く。ひゃぁ!と声を上げながら、すぐに声を掛けられた方を向く。


「なんだねそんなに驚いて……何か用でもあるのかえ?」


 ややしゃがれた声で知絵里に声を掛けたのは笠を被った老婆だった。古びた木綿製の着物を着込んだ、みずぼらしい恰好だった。


(うわ……ド田舎にしてもここまでヒドイのか……)


「なにキョトンとしとるんだい、用があるならさっさと言っておくれ」


「え、ああ……すみません……道に迷ってしまって困っているんです。家に帰りたいのですがここが何処かも分からず、連絡手段も無く困ってまして……助けて頂けないでしょうか?」


 カルチャーショックを受けながらも今の状況を簡単に説明する。しかし、老婆は首を横に振りながらこう言った。


「連絡手段?見ての通り貧しい農家さいな。そんなもの出来るわけないよ、お嬢ちゃん」


 確かにこの家の周辺も含めてどこにも電線は見当たらない。地中に電話線があるわけでもないし、聞く前から通信手段が無い事は明白だった。


「そ、そうですか……それじゃあお聞きしたいのですが、ここが何処か教えて頂けないでしょうか?何処か近くに街があればいいのですが……」


「ここは観ての通りしがない百姓たちの集落だよ。私はこの地から出たことが無いから近くに村があるかとかも知らないさね」


 こんなところから出たことがないと老婆から聞いて驚く知絵里。もしこんなネットはおろか、何もかもがないような空間で死ぬまで生活しないといけないと思うとゾッとする。


(あれ?それじゃあ今日はどこで寝泊まりしよう……)


 さらに背筋の凍る状況が脳裏をよぎる。戻ってあの街道を夜歩くのは危険だ。知絵里が通ってきたところは灯りも何も無いただの道だった。


「はぁ……ここに来る行商人もかなり歩いてくるようだからね。すぐに人の居るとこには行けないだろうねぇ……どうだい、もう夕餉は済ましてるから何も食べさせれないけど、寝るとこはあるさね。お嬢ちゃんさえよければ今日は此処に泊まって行くと良いよ」


「え、良いんですか!ありがとうございます!よろしくお願いします!」


 正直このボロ屋で寝泊まりするのは気が引けるが、山や森で閉ざされたこの地で何もなしで野宿は危険すぎる。お言葉に甘えようと知絵里は老婆からの親切を受け取る。


「少し待ってな」


 家の中に入る老婆を見ながら。ふと、眼に刺し込む日の光を確認すると、もう日が落ちる寸前だった。


 程なくして家から出て来て知絵里に声を掛ける。

 知絵里は出来る範囲で作法を意識しながらおじゃまする。老婆の家の玄関は土間になっており、奥に台所、左には囲炉裏のある茶の間や畳のある部屋、座敷等があり、まさに昔話に出て来るの日本の家のようだった。


(わぁ……すっごい古風……)


「お飲み、うちじゃこれくらいしか出せないよ」


 老婆は台所にある水がめから杓で掬った井戸水を茶碗に入れて知絵里に渡す。


「ありがとうございます、頂きます」


 長時間歩いたので疲れているし、お腹も空いているが贅沢は言えない。この家に泊めてくれる老婆は……とても貧しい生活を送っているのにも関わらず、見ず知らずの自分を泊めてくれる親切な人だ。寝床を提供してくれるだけでもありがたい。


(最初に失礼な事考えちゃったなぁ……反省しよ……)


 老婆の第一印象はあまり良くなかった。しかし、見た目で判断してはいけないと知絵里は心構えを改めようと考えながら、頂いた井戸水を飲み干す。結構おいしい。


「茶碗は後で洗うからそこに置きな……その様子だと、とても歩いたんだろう?寝床は座敷にあるからそこで休むといいさ」


「何から何までありがとうございます……それではお言葉に甘えてお先に失礼します。おやすみなさい」


 老婆に一礼した知絵里は土間から茶の間へと上がり、座敷へ移動する。そして、そこにある物を見て困惑した。


「ええっと……これが布団?」


 座敷部屋にあるのは藁で出来た寝具……2つの藁叺わらかますしか置いていない。


「ここまで貧困とは……日本ってこんなに格差社会なの……」


 以前、おもしろ動画投稿サイトで聴いた曲の中で聴いた『俺らこんな村いやだ~』という歌詞の一部を思い出す。今の日本ではもう無いだろうと思っていた集落はあったのだ。『限界集落』という言葉は聞いたことがあるが、意味はあまり調べてなかった。恐らく、こういった地域の事なのだと知絵里は思う。


「昔話の作品で見た感じだとこれが布団なのよね」


 何度も訪れるカルチャーショックを受け入れる姿勢で臨む。

 取り敢えず今日はもう寝よう。ありがたいことに草むらの中で寝なくて済むのだから、古いだの汚いだのは考えないようにしよう。

 畳の上に横になり、藁叺で体を覆い床に就く。


(起きたらもっと人の居るとこにいかなきゃ……あれだけ部屋が荒らされていたらお母さんとお父さんが警察に届け出て捜索されているだろうからすぐ帰れるはず……ニュースとかにも出たらちょっと面倒だなぁ……)


 明日は街道の反対の道を進んでみようと考える知絵里。現実では起こり得ないような怪奇現象を引き起こしたあの、謎の仮面の男とフードの男の事も頭の中で考える。だが、今日はとても疲れた。初めて畳の上で寝るので体が慣れないが、とても強い眠気が知絵里を飲み込んだ。


(早く……帰りたいなぁ……)


 両親を心配させてしまっている事を考え、胸を焦がす想い。明日こそ連絡手段を見つけてみせる。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「んん……」


 あまりにも疲れていたのでとても深い眠りに落ちていたようだ。

 家に帰るため早めに起きて行動しなくてはいけない。まだ疲れが残る体を無理やり動かし、知絵里は起き上がろうとする。だが、動けない。疲れから金縛りが起こりやすくなると聞いたが妙だ……なにか腕を縛られているような……。


「ちょっ!何この縄!え、どゆこと⁉」


 体が動けないのではない。動けないようにされていた。両手は後ろに回され縛られ、同じ様に両足首も縄で縛られ身動きが殆ど取れない。


「一体どうなってるの⁉」


 状況を整理する。縛られているせいで芋虫の様に移動する事しか出来ず、今いる場所が寝床に付いた部屋と変わっていないという事。そして、障子越しだがまだ夜だというのが分かった。


「だ、誰かぁ!助けて!」


 助けが来ることを願って声を出す。すると、襖が開き何者かの人影が見える。


「大丈夫だべか……こんなことしちまってよぉ……」


「良いんだ……さあ、夜が明ける前に持って行きな」


 その話声と同時に姿を現したのは知らない男性と先程の老婆だった。その男は頼りなさそうな顔で、短い髪の毛を後ろで束ねており、服装は老婆と同じく古びた木綿製の着物でこちらもかなりボロボロでみずぼらしい。


「お、おばあさん!これはどういうことですか!」


 声を荒げて訴えかける知絵里に対し、老婆は冷たく言葉を吐き出す。


「む、もう起きていたのかい。面倒だけどまあ良いさね。まあもう分かってると思うけど今からお前さんを売り飛ばすんだよ」


 売り飛ばすと言われた知絵里は愕然とする。行方不明の少女を法治国家日本で人身売買するという話は聞いたことがない。いや、報道されてないだけで裏社会などではあるのだろうか……この家の人たちはそう言った裏社会に対して繋がりを持つ人なのだと悟ったとたんに絶望する。


「騒いでも誰も来やしないよ。でもうるさくされるのも困るからねぇ」


 老婆がアゴで男性に命令する。

 慌てた男性が知絵里の視界から外れた奥に移動する。すぐに戻って来るとその手には手ぬぐいがあり、知絵里の口を塞ごうとする。


「や、やめて!」


 無言だが情けない顔で知絵里を抑える男性。そこに老婆が支援するように呼び掛ける。


「……こっちも生きて行くために必死なんだ。悪く思わんどくれよ」


 その手には包丁が逆手に握られており、知絵里を明らかに脅している。


「ひっ……!」


 一気に血の気が引いた。抵抗すれば殺される。何てことだろうか、今日だけでもう2回も命を狙われている。今日はありえない事が起こりすぎて疲れているのに、また知絵里は窮地に立たされていた。

 この地域は人が殆どいないし、山に囲まれた地。死体を処理するのには困らないだろう。それに、私が抵抗して売り飛ばせないと老婆が判断したらすぐに殺される。


「こ、怖がらせてごめんよぉ……」


 男が再び手ぬぐいを口にかけてくる。

 知絵里は老婆の脅しに屈し、抵抗をやめて口も拘束された。


「よし、それじゃあ行ってきなさい。ちゃんと褒美も貰って来るんだよ……」


「わ、分かったよおっかぁ……行ってくらぁ……」


 縛られた状態の知絵里は男に担がれ、外に連れ出された。

 そのまま男は何も言えない知絵里を連れて、街道の方へと向かう。運ばれて行く知絵里は、怒りと憐れみが入り混じった、そんな悲しい目で老婆を見つめながら連れて行かれるのであった……。

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