第9話 『蜘蛛使い』

「今なら大丈夫そうね、みんな行くよ!」


 戦う三人の忍びの周りにいた盗賊達は全員気を失い倒れている。綾煉あやねが周りにいる全員に合図を出す。狐獣人に釘付けだった知絵里しえりも一旦落ち着き、避難指示に従って動き出す。


(ん?そう言えば、あのお狐様……どこかで見たような……)


 知絵里は狐獣人をどこかで見たような気がする。どこで見かけたのかド忘れしてしまった。

もしかしたら、SNSで似たような見た目のキャラクターのイラストを見たことがあるだけで、既視感が生じただけかもしれない。

 小さな疑問よりも考えなくてはいけない事を知絵里は思い出す。他に武装した犯罪者がいないか周りを警戒しながら移動しなくてはいけない。

 駆け足で廃村の入り口へと向かう。狐獣人の他にも、スラッとした浪人笠の男と、ガタイが良く身長190㎝はありそうな大男が立っていた。三人とも周りを警戒しながら、知絵里たちを先導している綾煉と目配せしていた。


「良し……みんな!このまま入り口の方まで走るよ!ついてきて!」


 安全なのを確信したのか、綾煉は引き連れる人達に急ぐように伝える。恐らく、綾煉ほどの忍者ならもっと早く走れるとは思うのだが、共に避難するメンバーの中には子供もいるのでそれなりの速度で走っていた。

 知絵里は心配で、並走している子供達の方へと目を向ける。しかし、子供達は素早く移動しており、息を上がらせている様子はない。どうやら普段から駆けっこをしているのだろう。

 普段から走っていない知絵里の方が遅れを取りそうかもしれない。急ぎながら廃村の入口へ近づく。


「はぁ……はぁ……若いのにこれじゃぁダメよね……運動不足、何とかしないと……」


 何とか皆の足取りに付いて行き、チェックポイントであった廃村の入り口までたどり着けた。だが、知絵里はとても息を切らしてしまっていた。

 無事家に帰れたらランニングでも始めて見ようかなと、その場限りの考えを持つ知絵里。


「みんな、次はここで一旦待機するよ」


 綾煉が全員無事なのを確認するように号令をかけている。

ふと、知絵里は戦っていた忍者たちの方へと目を向ける。三人の忍者たちは知絵里たちに背を向けながら、まだ警戒態勢で居た。

 知絵里が見ていると、その三人の忍者は知絵里たちが居る場所へ目を向け確認した。すると、三人のうちの一人である浪人笠ろうにんがさの忍者が、背筋を綺麗に立てながら知絵里たちの方へと向かって歩いて来る。


「うむ、綾煉、ご苦労じゃったな」


響鷹ひびたか老師!先程の居合、お見事でした!」


 人質全員を助け出した綾煉へ、浪人笠で顔を隠している老人がねぎらいの言葉を投げかける。綾煉は化の御仁を響鷹と呼んでいた。老師と言われるくらいなのだから相当な手練れなのだろう。

 腰には打刀と呼ばれる、刃長約65㎝の日本刀だけでなく、短い刀である脇差わきさしも帯刀している。


(うわぁ……カッコいいな……私のおじいちゃんも背は高かったけど、もっと大きい……)


 遠くにいる大男もかなり背は高いが、この老人もかなりの高身長である。知絵里がざっと見たところ185㎝はあるのではないだろうか。


箴之介しんのすけが気配を消したままという事は、周囲は安全という事じゃな」


 知絵里に見つめられている響鷹が辺りを見回しながら続ける。


儂らわしらで雑魚は全員倒した様じゃのぉ……後は……」


 そう言いながら響鷹は、廃村の奥にある荒寺へ鋭い眼光を向ける。綾煉も同じ方角へ向き直り、警戒態勢に入る。

 状況が分かっていない知絵里でも緊張感だけは感じ取れる。周囲にいる敵が居なくなり、強い二人が警戒し始めるという事は、そう―――


「まだ残っている悪い人……も、もしかして……!」


 知絵里は思い出す。未だ戦いの場に出ずに荒寺にこもり、不気味なほど静寂のままでいるあの男を―――


 知絵里がやっと、二人の忍びが警戒している相手を把握したと同時、荒寺の方角から強面で蜘蛛の入れ墨のある大男と、和弓を装備している中肉中背の男が歩いてきた。


「出たな……蜘蛛使い『悪蜘蛛うぐも』」


 響鷹がそう呟いたのを知絵里が聴いた。恐らく、牢に入れられる前、自分の首を絞めようとしてきたあの大男が悪蜘蛛というのだろう。

 悪蜘蛛の隣を歩いている男は、知絵里を品定めした与助という男だ。弓以外は短い刀だけを腰に付けている。それ以外は何も持っていないので、弓の腕前に自信があるのだろう。

 そして、通路の真ん中を堂々と歩く悪蜘蛛の背中には淀んだ紫の鞘に収まっている大太刀が掛けられていた。とてつもなく太く大きい太刀で、刃長は恐らく2ⅿはあるのではないだろうか。その刃に掛かってしまったら最後だ、真っ二つにされる事だろう……。

 この忍びの人達もかなり強いが、恐らくあの男も強いのだろう。忍びの人達が先程から警戒していたのは悪蜘蛛に違いない。


「洞窟の中を探ります」


「あいわかった、ワシは山と広場を見ておこう」


 二人の忍びは悪蜘蛛の方でなく、何故に誰も居ない方角を警戒するのだろうか?不安な気持ちで知絵里が二人の行動を気にする。いったい何が起こるのだろうか……湧き上がる嫌な予感で胸の奥が苦しい。


(一体何が……それにしても……何だか体が痒いなぁ……今日は汗をかいたのにお風呂入れてないからかな?)


 知絵里は痒みを感じる脇腹や背中を軽く掻く。だが、首元だけ妙に痒い。虫刺されだろうか?鏡が無いので確認できないが恐らくそうだ。

 バリバリ掻くと傷にもなるし、人前で思いっきり掻くのも品が無いので、首も他の部位と同じ様に軽めに掻く。


(うう……結構痒い……早く帰ってお風呂に入りたいし、かゆみ止めの薬も塗りたい……)


 無事に帰れることを願いながら、村の中央広場へと目を向ける。

そこに居るのは仁王立ちをする大男と、先程まで花火を乱舞させていた狐獣人が煙管きせるを吹かせて立って居た。

 無類の獣人好きの彼女は、悪者に立ち向かう狐の獣人へとキラキラとした視線を送りながらこう思う―――


(あの子もお風呂に入った後はブルブルするのかな?気になる……)


 カーミングシグナルと呼ばれる犬の行動の一つである、犬が濡れた毛皮から水を払うための身震い。それをあの狐獣人がしている姿を妄想していた。

 彼女は相変わらずのんきである。己に降り掛かる悲劇が待っているとも知らずに……。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 いかなる理由があれど、悪に手を染めてしまえば裁かれる。

 この廃村にいる盗賊達の殆どは、ちょっとした不注意だったり、不運が重なったりなどして元の職を失った者である。

 もちろん、楽をして稼ぎたい等という外道な考えの者もいるが、どちらにせよ罪のない人々から略奪行為を繰り返してきた愚かな野盗共だ。

そんな奴らが身を潜めていた廃村の中央広場に立つ二人の忍びの周りには、成敗された下っ端の盗賊達が蹲ってうずくまっている。

 数十人のやからを相手にしてもなお息を切らしていない忍び達は、異様な気を放つ荒寺あれでらを刃の様な視線で見つめていた。


「うむ、滞りなく連れ出せたようだな」


 金棒を地面に突き刺し仁王立ちをする険しい顔の大男、董厳とうげん。背の向こうに居る仲間たちの安全を確認して、隣に居る仲間の忍びにそう呼び掛ける。

 董厳の横に立つ忍びとは、先程まで花火やら火炎やらド派手に戦っていたあの狐獣人が立っていた。彼は余裕そうな表情で煙管を吹かせていた。


「流石!綾姉あやねぇ箴兄しんにぃ、おいらももっと頑張らねぇとなぁ」


 煙管を咥えたまま喋るので、真っすぐな煙管が上下にカクカクと動く。

 片足に重心を乗せて、格好を付けたような立ち方をしながら荒寺を見つめる。


狐々丸ここまる、お主の成長も中々ではあるが……やはり、かような技は忍びにしては派手すぎる……というか金が掛かるのだ!」


 仁王立ちしたまま董厳が唸る。

 それに対して狐獣人の狐々丸は軽く笑い飛ばしながら言い返す。


「へへ、頭領とうりょうの頭は相変わらずお堅い事で……花火に刀はおいらの手製、なるべく安くて良質な素材使ってんだ、おいらの仕事道具を好きにしたって悪かぁねぇだろい?」


 董厳からの小言を軽くあしらう。緊迫とした状況ではあるのだが、狐々丸は余裕そうに振舞っている。

 狐々丸の態度に対して董厳が眼を閉じながらため息をつく。半ばあきらめているようだ。

 確かに、先程の狐々丸の戦いを思い返せば大量の花火を使用していた。材料も安価ではあると主張するが、使用している花火の量が量なので、費用はかなり掛かっているだろう。だがそれでも狐々丸は、小さく落胆する董厳に胸を張ってこう言う。


「おうおうおう、困っている人達を助けに来たんだからよぉ、出せるモンは出し見推しせずに景気よく出しちまって、人々の不安な心を照らすのも正義の味方のお仕事ってもんでぃ」


 狐々丸は右手を前に、左腕を斜め上の高さのまま後ろに付きだし、歌舞伎かぶきの『見得みえ』という決めポーズ、の様なものを軽く真似する。


「若造が調子に乗り追って……む、奴が出てきたぞ」


 董厳が、遠くに見える荒寺に人影があるのを目視する。同じく標的であろう人物を確認した狐々丸も、おどけているのをやめてその方向へと向き直す。


「やはり、今まで鎮座ちんざしていたというに正面から来るという事は……」


「てやんでぃ!けしかけた手下どもを時間稼ぎに使って、何か用意してやがったに違いねぇ!」


 遠くに見える荒寺から標的が出て来たとたん、二人の元にまで届く禍々しさ溢れる異様な空気。この気配の正体は、間違いなく人に害をなすモノであろう。二人はより一層警戒する。

 その荒寺の扉から出てきたのは、あの知絵里の首に手を掛けた蜘蛛の入れ墨の大男だった。右手にはとても太く長い大太刀が握られている。刃長は持ち主よりも長く、250㎝以上も在りそうだ。太刀を握る大男は間違いなくこちらを見て薄気味悪くニヤついている。

 そしてその隣には和弓わゆみを背負っている中肉中背の男がいた。他の盗賊達と雰囲気は変わらないのだが、あの悪人達のボスである大男の隣で余裕そうな表情を浮かべている辺り、彼もそれなりの強者なのだろう。

 悪人達は高所にある荒寺から狐々丸たちを見下ろす。ついに両者がにらみ合った。


「あの入れ墨の男が蜘蛛使い『悪蜘蛛うぐも』……」


「うむ、そうだ……あやつめ、かなり高位の呪術師じゅじゅつし黄泉返りの儀よみがえりのぎを施して貰ったようだな。肌が綺麗すぎる」


 そして、董厳が蜘蛛使いに関して狐々丸に再度確認をする。


「良いか、蜘蛛使いはその名の通り蜘蛛の妖怪を使役する。糸を吐く巨体も居れば、致死毒を打ち込んで来る小蜘蛛もいる、心して掛かれ!」


「おうよ!全部まとめて焼き切ってやるから任せなぁ!」


 蜘蛛の危険性が狐々丸に伝わっているのか不安になる董厳をよそに、狐々丸は意気込んで咥えたままの煙管をカクカク動かす。

 意気揚々な狐々丸と慎重な董厳、後ろには捕まって居た人達を保護する仲間たち。護衛対象が複数いるので、人数有利だが気は抜けない。

 しかし、豪恤ごうじゅつ忍者衆の面々は手練れのはぐれ忍者の集まりだ。流派は持ち合わせていないが、巧みな連携でどんな相手でも成敗してきた。

 今回の相手もそうなるであろう……そう思っていた時―――荒寺に居る蜘蛛使いが、自らの懐から禍々しいまがまがしい輝きを放つ水晶玉を取り出し、その光を天に差し出すように左手で掲げる。


 何かが只ならぬモノが来る―――


 その場にいる者たちが身の危険を感じた次の瞬間、山に囲まれた廃村のいたるところが隆起りゅうきし、崩れる音と共に土煙が上がる。

 狐である狐々丸が耳を立てて周囲の音を素早く探る。


「下から来る!」


 狐ならではの集音能力で察知した危機。緊急の為、端的に董厳に危機を伝え、董厳もすぐさま反応し、二人を飲み込もうと、地の底からせり上がって来た何かから飛ぶように回避する。

 あわよくば二人を亡き者にしようと謀ったはかったその正体は、目を疑うほどの巨体で、八つの赤い眼球で獲物を睨む、見るだけで気分が悪くなる様な毒々しい紫色をした大蜘蛛だった。具体的に大きさを表すと、高さ6ⅿで奥行きは9mと言った所だろうか。


「なんでぇい!こんなでけぇ蜘蛛は頭領の武勇伝に出てこねぇぜ⁉」


「ちっ、悪蜘蛛め、相当な数のにえを捧げたとみえる……許せん、ますます放ってはおけん」


 妖怪とは、人々の想いによって自然に生まれた人ならざる存在だという。それは、狐々丸自身も人々の想いが集まって生まれたということにもなる。戦国の世までは怨嗟えんさが多く、人々に害をもたらす妖怪や化物が多かったらしいが、今の時代は人々に心の余裕が生まれ、個性的な妖怪も見られるようになったそうだ。狐々丸もその内の一人で、人間たちと共存にまで至るほど特殊である。

 しかし、今目の前に居る巨大蜘蛛の妖怪はこれまでの妖怪とは違う。狐々丸は以前聞いた董厳の話を覚えている。歴史の中で度重なったいくさ飢饉ききん疫病えきびょうによる人々の苦しみは未だ日ノひのもとに怨念として残っている。怨念は負の感情に集まる。これを悪用する者たちは、生贄を苦しめて殺し、儀式を用いて呪具じゅぐに怨念を集め、妖怪を意図的に生み出し使役する。そう言った妖怪の事を我々はこう呼ぶ。


にえ……するってぇと、こいつが『人造妖怪じんぞうようかい』ってやつかい、随分と淀んだよどんだ妖気じゃぁねぇか」


 大蜘蛛と対峙する狐々丸が、腰に帯刀した打刀を抜刀しながら周りを確認する。

 廃村の各地で発生した土煙からは目の前の大蜘蛛と同じくらいの大きさ人造妖怪の蜘蛛が這いずり出てきている。

 数はざっと見て20くらいと、目の前の大蜘蛛から目を離さない様に素早く眼を走らせて数える。


「くっくっくっく……久しいな董厳、霊峰富士れいほうふじ以来だな」


 野太い声が聞こえると同時、目の前の大蜘蛛の左に大きい影が見え始める。それは、もう一体の大蜘蛛が空から飛び降りてくるからだった。しなやかな蜘蛛の脚とは思えない程の大きな音を立てて着地する。


「悪蜘蛛!これだけの蜘蛛どもを用意するのにどれだけ殺めたあやめた!答えろ!」


 ものすごい剣幕けんまくで董厳が吠える。そう、飛び降りて来た大蜘蛛の上には先程まで荒寺に居た悪蜘蛛と弓を担いでいる男が乗っていた。


「ふん、お前の様な偽善者ぎぜんしゃどもに復讐する事しか考えてなかったからな、よく覚えておらんわ……与助よすけ、覚えているか?」


「へぇ、儀式を取り始めたのが二年前、少なくても月に6、7人は使ってたんでぇ……150は使ったんじゃねぇでしょうか?」


 ニヤニヤと笑いながら悪蜘蛛の質問に答えた弓持ちの男は与助と言うらしい。人の命を何とも思っていない二人のやり取りに狐々丸の毛は逆立つ。


「やいやいやい、この外道げどう共!へらへら笑ってられるのも今のうちでぇ!てめぇらが曇らせた日ノ本は、この狐々丸が鉄の焔てつのほむらで斬り晴らしてやらぁ!」


 啖呵たんかを切り、相手に切っ先を向け、握る打刀のつかを顔の近くに置くかすみの構え。高い位置に居る敵を警戒しての構えである。

 董厳も三節金棒さんせつかなぼうの関節部を固定して構えている。悪蜘蛛の相手も大事だが、数も多く、素早い大蜘蛛の相手をするつもりなのだろう。救出対象の安全確保を優先する。


「ほぉ、これがうわさに聞く忍び妖狐か、随分と珍妙ちんみょうなモノを育て上げたな」


 狐々丸たちの怒りを意に介さない悪蜘蛛は、大蜘蛛の頭の上に立ちながら、刃を向けてくる狐々丸を物珍しそうに眺めている。


「今まで人様を襲ってきた妖怪風情ふぜいが正義の味方だなんて、時代替りに合った良い見世物ですぜ」


 悪蜘蛛の後ろに立っていた与助が、もう片方の大蜘蛛に飛び乗りながら狐々丸に野次を飛ばす。


「全くだ、今や妖怪なぞ、良くて道具でしかない、未だ得体のしれない存在であるお前らが人間と共存など無理だ、今は物好き共に受け入れられているかもしれないが、いずれお前も人間たちから迫害される、世の常よのつねなのだ」


 悪蜘蛛は自身が使役している蜘蛛たちですら道具としか見ていないようだ。人造妖怪として作られた蜘蛛たちも、分かりにくいのではあるがどこか目が虚ろうつろだ。

 人造とは言えど、蜘蛛たちと同じ妖怪である狐々丸に罵声ばせいを浴びせる悪蜘蛛。狐々丸は気にしていない素振りそぶりだが、少しばかり気にしているのか、刀を握る手に力が入る。


「妖怪とは人々の心の現れ、戦乱せんらんの世、そしてお前たちの様な外道がのさばった時代は、悪しき妖怪も多く蔓延るはびこるは必然、お前の様な悪人が妖怪を馬鹿にするとは虫唾むしずが走る……それに―――」


 悪蜘蛛の心無い言葉に対して董厳がすかさず言い返すのは狐々丸ではなく董厳だった。董厳は静かに怒りを表すが、表情を緩めながら真っすぐに伸ばした金棒を地面に突き立て、左手を腰に置く。


「比べるまでもない事ではあるが、お前たち外道よりも、我が育てたこのやんちゃ狐の方がよっぽど人間らしいぞ、良い時代が訪れている兆しに他ならぬ」


「と、頭領、そんな鼻っぱしが赤くなること言わねぇでくれやい……」


 董厳の言葉に困惑する狐々丸。大きな尻尾を丸め、耳をひょこひょこ動かしながら恥ずかしがっている。


「ふ、戯言ざれごとを、戦乱の世が生み出した大いなる怨嗟が残る限り、悪しき者たちは尽きぬ!今更我らの様な外道が居たとて大差ない!日ノ本の歴史は罪深いのだ!」


 悪蜘蛛が握る大太刀の柄を上に掲げる。その合図と共に廃村各地に現れた大蜘蛛の内の三体が高く飛び、狐々丸たちの退路を断つように飛び降りてくる。

 そして、悪蜘蛛が大太刀の柄を前に突き出す。その次の瞬間、悪蜘蛛と与助の乗っている大蜘蛛の口から紫色の毒煙が大量に吐き出され、狐々丸たちを襲う。

 すると狐々丸が、今まで咥えていた煙管を勢いよく噛み、下に向いていた煙管が勢いよく上に向く。勢いが強く、煙管の中に入っていた燃えたままの煙草たばこが宙を舞う。


「へっ!そんなもん!焼き斬ってやらぁ!」


 構えた打刀を左手で掲げ、体を回転させながら空いた右手で背中に携えた太刀を引き抜く。掲げた打刀は宙を舞った燃える煙草を受け止める。

煙草が火種となり、特製の打刀が瞬時に激しく燃え始める。回転しながら引き抜いた太刀と燃える太刀を交差させ、引火した太刀は打刀よりも更に激しく燃える。

 迫る毒煙、しかし、回転による遠心力で力任せに振られる燃え盛る二つの刃がその脅威を、焔の閃きほむらのひらめきによって燃え尽きさせる。


「どんなもんでぃ!」


 延焼した毒煙が消え、再び悪蜘蛛たちが狐々丸の目に映る。


「あっつ!なんて力業だ……」


「ほぉ、やるではないか」


 与助はたじろいでいるが、悪蜘蛛は依然として余裕そうである。

 両手に持つ燃える刃をくるくる回して上機嫌の狐々丸。そしてその後ろでは、退路を断つように現れた大蜘蛛が三体居たはずだが、その蜘蛛たちの頭部は拉げており、青黒い体液を流しながら絶命していた。それは、毒煙が燃え尽きるよりも先に董厳が蜘蛛の顔面を叩き割ったからだ。恐ろしい程のパワーとスピードである。


「くっ、流石に蜘蛛の数が多いか……狐々丸!ここは任せる!我は周囲の蜘蛛を一掃して舞い戻る!」


 董厳は今の毒煙が来ても狐々丸の事を信頼し、背中を預けて戦いながらも周囲を観察していたようだ。


「おう!心得た!」


 董厳は後ろの仲間たちと廃村周囲に現れた大蜘蛛を見ていた。周囲の大蜘蛛たちは狐々丸たちの方でなく、廃村入り口に居る仲間たちの方へゆっくりと進んでいたのだ。

 周囲の蜘蛛を退治しに向かう董厳が指笛を吹き鳴らしながら、後退する。忍びらしく瞬時にその場から姿を消した。

 董厳が立ち去ると同時に狐々丸が踏み込む。すかさずに大蜘蛛に乗った与助が弓を構え、狐々丸に向けて矢を三発撃つ。

 左手に持つ打刀で飛んできた矢を全て打ち払う。その衝撃で発生した火花で打刀が発火する。


下手人げしゅにん共!覚悟しろい!」


 悪蜘蛛の乗る巨大な蜘蛛の懐に潜り込み、脚に力を入れる。交差して燃え上がらせた打刀と太刀を両手に、舞う様に飛翔した忍びの狐は大蜘蛛を切り刻む。

 斬られると同時に焼かれた蜘蛛の傷口は燃え、痛みに悶えもだえ揺れる巨体に立っていた悪蜘蛛は舞い上がる狐々丸へ目掛けて飛び、向かい打つ。


「董厳の奴退くかか……まあ良い……貴様、中々やるようだが、所詮は狐一匹……軽く捻ってくれる」


 空中で悪蜘蛛が大太刀をさやから引き抜く。引き抜かれた大太刀の刀身には鮮やかな緑色の液体が塗られており、滴るしたたることなく刃を伝っている。

 蜘蛛のとは違う種類の毒であろうか。宙で再び霞の構えかすみのかまえをとる狐々丸は悪蜘蛛の攻撃に備える。


「覚悟するのは忍びの妖狐、お前の方だ!」


 とてつもなく長い刀身を活かして狐々丸との距離が縮まる前に大太刀を振るう悪蜘蛛。

 首を狙う太刀筋を見切った狐々丸は右手に持つ太刀で受け流す。しかし、巨体に見合わず、悪蜘蛛は素早い連撃で狐々丸へと繰り出す。


「うへぇ~、おいらが今まで見てきた中で一番おっかねぇ面ぁしてるぜ」


 連撃の最後に放たれた突きを受け流し、悪蜘蛛の大太刀の刀身を足場にして、更に飛び上がる。しなやかな体を横向きに捻らせて高速回転し、痛みで体を持ち上げた大蜘蛛の脳天目掛け突っ込む。

 まるでそれは燃えながら回転する鋸の刃の様で、縦回転しながら大蜘蛛の顔面から尻先までを真っすぐに燃やし斬る。

断末魔を上げながら斬られた大蜘蛛がぴたりと止まる。


「くくく、流石はあの男に育てられただけはある、その余裕そうな態度は気に食わんがな」


 狐々丸に連撃をいなされた悪蜘蛛は、着地すると同時に素早く自身が乗っていた大蜘蛛から離れる。そして、その大蜘蛛は真っ二つになり。燃え上がる切り口を晒しながら豪快に倒れる。


「与助!そこをどけ!」


「へい!」


 悪蜘蛛に命令され、乗っていたもう一匹の大蜘蛛から飛び降りる与助。

 与助をどかして大蜘蛛に飛び乗る悪蜘蛛は手に持つ大太刀の切っ先を大蜘蛛の頭頂部へと向ける。


「この刃には呪薬じゅやくが塗られていてな、俺が調合した蜘蛛によく効く麻薬なのだ」


 与助が乗っていた大蜘蛛の脳に刃が突き刺さる。大蜘蛛が、甲高い声で喚くが一瞬で収まる。

 悪蜘蛛が再び狐々丸を見下ろしながら不敵な笑みを浮かべる。そして、蜘蛛に刺したままの大太刀で蜘蛛の脳をグリグリとかき回す。すると大蜘蛛は猛スピードで狐々丸のいる方角へと突っ込み、その巨体に見合うだけの破壊力を披露する。

 狐々丸は予想もしてなかった大蜘蛛の身体能力向上に驚くが、そばに合った先程の大蜘蛛の死体の裏に飛び込み突進をかわす。


「一滴でも脳に呪薬が入ればこのように直接操れる傀儡くぐつと化す、ただ、見ての通り脳に刃が入り込んでいるのでな、引き抜いたとたんに即死する故にあまり使いたくはないのだ」


 大蜘蛛は顔面から巨大な蜘蛛の死体の断面に突っ込む。そして、悪蜘蛛が刺し込んでいる大太刀を軽く傾ける。

 大蜘蛛は死体から真っ黒い臓物ぞうもつを牙で引きちぎり、その臓物の中に入っていた黒紫の液体を一瞬で飲み込み、それを狐々丸目掛けて霧状に噴出する。


「くっ!血を混ぜたか!」


 最初は焼き尽くせた毒の霧、死体になった蜘蛛の体液も混ざり水分量が増したので先程と同じ手は通用しない。そう判断した狐々丸は刃を振るわずに大蜘蛛の後ろに回り込もうと素早く駆ける。

 それに合わせ悪蜘蛛が大蜘蛛を動かし、狐々丸を視界に捉えさせながら狙い吐き出させ続ける。

 辺りが毒霧にまみれ、蜘蛛から距離を取って逃れようとする狐々丸の耳が動く。僅かわずかではあるが空を切る音。すかさず身を翻してひるがえして、次々と背後から飛んでくる矢をかわす。

 矢が飛んできた方向には与助が弓を構えている。狐々丸との距離は100ⅿくらいだ。


射手しゃしゅをどうにか……」


 遠くから矢を放たれ続けられては戦いにくい。与助との距離を詰める前に、着火させた花火玉を4つ毒霧の中へ放り投げ悪蜘蛛を少しでも足止めを行い、与助から放たれる矢をかわしながら素早く近づき、打刀と太刀を鞘に納めて新たな武器を取り出すために懐に手を入れる。


「行かせんぞ!」


 花火の爆風で悪蜘蛛の乗る大蜘蛛は怯んでしまいすぐさま動けない。だが、悪蜘蛛は懐から取り出した邪玉じゃぎょくを掲げ、禍々しい光を放つと共に、与助の足元の地面から大蜘蛛を召喚しょうかんし、与助に足場を与える。


「その水晶玉が蜘蛛を操る呪具か!」


 土煙をまき散らし、地中から現れた大蜘蛛は鋭い牙と前足を狐々丸目掛けて振り放つ。狐々丸は身をよじる様に鋭い攻撃をかわしながら、懐から新たな得物を取り出す。その次の瞬間、今まさに回避の最中である狐々丸から三本の閃光が放たれ、同時に三回の乾いた音が鳴った。


「うわっ!ゆ、弓が!」


「鉄砲玉か!」


 狐々丸が取り出したのは『傍装雷火銃ぼうそうらいかじゅう』旧式の火縄銃ひなわじゅうとは違い、あらかじめ装填した雷粒らいつぶと呼ばれる小さな玉を撃鉄で叩いて、生じた火花で火薬を爆発させる。縄を使わない銃である。


「げっ!二発とも防ぎやがるとは!」


 狐々丸が悪蜘蛛目掛けて放った二発の弾丸は、悪蜘蛛が大蜘蛛の脳天に刺していた大太刀を引き抜いて打ち払った。

 一発は与助の弓を破壊するために撃った。これは成功したのだが、悪蜘蛛が弾丸を見切るとは思っていなかったので焦りを感じ始める。何故ならば、狐々丸の持っていた小型の雷火銃は全部で三丁、次の弾丸を装填するのに時間がかかるため、敵の攻撃を回避しながら連続で撃つ際に二丁は放り投げてしまっているし、今手に握る残りの銃を装填したとしても、手の内を見せてしまったので更に警戒されてしまう。

 先程まで暴れ狂っていた悪蜘蛛の大蜘蛛が崩れ落ち絶命する。狐々丸の砲撃を防ぐために呪薬濡れの大太刀を引き抜いたので、効能が一気に無くなったからである。


「むぅ!なんと面倒か」


 悪蜘蛛が邪玉を再び掲げると地中から新たな大蜘蛛が三体も現れ、悪蜘蛛はすぐに三体の内、真ん中の大蜘蛛に飛び乗る。


「鉄砲玉も無駄じゃぁなさそうだ」


 与助から距離を取りながら、手元に残る最後の雷火銃に雷粒と、装填しやすいようにあらかじめ包み紙でまとめられた弾丸を込める。

 狐々丸と悪蜘蛛は、残りの大蜘蛛二体を前に歩かせて銃弾を防ぐ遮蔽物にする。


「くっくっく……絶望するがいい、この水晶には相当な量の怨念を込めている……淀む怨嗟は更なる負を生む終わりなき力を制すればこの通りだ、無尽蔵に傀儡を手に出来る」


 悪蜘蛛が防御を固めていると同時に、大蜘蛛たちの背後からわらわらと大量の子蜘蛛が湧いてくる。大蜘蛛も子蜘蛛も表情の変わらない顔なのだが、憎悪の眼差しを向けてくる八つの眼の奥からは、苦しみを訴えかけているような気がする。


「べらんめぇ!他者の苦しみまで利用しやがるったぁ許せねぇ!てめぇが閉じ込めた人々の想い、おいらが必ず救って見せらぁ!」


 くるりと回ると同時に大量の花火玉を投げつけ、正面に向き直ると同時に打刀を引き抜く。花火玉はすぐに爆発し、子蜘蛛たちの大半がその火花と爆風で吹き飛び道が出来上がる。

 それでも周囲は大量の子蜘蛛たちが埋め尽くしており、たった今出来上がった道を再び飲み込もうとする。

 前に進む狐は舞い散る花火で刃を燃やす。間も無く子蜘蛛に覆いつくされる地面を蹴り、悪蜘蛛を護る要塞へと立ち向かうのだった――――



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 自分たちを救出してくれた精鋭の忍者たちが警戒している最中、廃村周囲の地中から突如現れた巨大な蜘蛛たち。平凡な一般人である少女はこのような状況に見舞われることは全く想定しておらず、空想上にしか存在しないような怪物がぞろぞろと目に映る光景に恐れ戦いておそれおののいていた。

 少女以外にも忍びに救われた女性や子供も怪物に畏怖いふしている。だが、それよりも恐怖に怯えているのは間違いなくその少女である。


「ああ……あああ!な、なんなのよこれ……なんなのよ!」


 村を囲む山々から現れた二十数匹の大蜘蛛が知絵里の眼に映る、温室育ちの彼女がパニックに陥るおちいるには十分な光景だった。

 村の出入り口である近くの洞窟から崩れる様な大きな音が聞こえる。


「皆の衆!下がれ!」


 振り返ると洞窟の中の地中からも大蜘蛛が這い出てきており、狭い洞窟の壁や天井を破壊しながら現れ、退路を塞がれてしまっていた。しかも、洞窟から出てきた蜘蛛はお尻から大量の糸をはいており、蜘蛛が洞窟から抜け出た頃にはすでに洞窟は蜘蛛の糸で覆われてしまっていた。


「やってくれおったな」


 狭い洞窟から出て来た大蜘蛛は、鋭く硬質な殻で出来た二本の前足を一同に振り下ろす。

 すかさず前に出て居合の構えをする老人。響鷹と呼ばれていた達人が瞬時に刃を走らせる。

 風を切る音よりも先に飛んだ響鷹の飛ぶ斬撃『真空刃しんくうは』は大蜘蛛の振り下ろした前足二本だけでなく、蜘蛛ならではの八本の脚を全てを切り捨てた。


「面までは刃が通らなんだ……なんという硬さ……」


 響鷹は蜘蛛の足以外にも狙っていた。あの一瞬で、眼にも真空刃を飛ばしていたのだが、蜘蛛が体勢を変えて直撃を免れていた。

なんという早業なのだろう。だが蜘蛛の顔に当たった真空刃では致命傷は与えられなかった。

 足を切断されて一叫びする大蜘蛛。しかし、痛みを即座にこらえ、叫びをそのまま呼吸に変えて毒霧を吐き出し、人々に向けて容赦なく放つ。

 手に持つ刀を持ったままの響鷹はその霧に向かい、尋常じゃない速度で無数の斬撃を繰り出す。力技とは違う、気の様なものを刀に乗せて放たれた斬撃は空を切り裂き、蜘蛛が吐いた毒霧を切り裂きながら押し返す。


「これならどうかしら!」


 知絵里よりも身長の高いくノ一の綾煉が、響鷹が毒霧を防いだ直後に忍者の武器である苦無くないを蜘蛛の額に投げる。

 投げた苦無は当たったのだが、深く刺さる事は無く大蜘蛛も気に留めていない様子。しかし、その苦無には爆薬と火の付いた導火線が仕掛けられており、今まさに爆発する寸前である。


「みんな伏せて!」


 綾煉が全員に号令をかけ、その場にいる者たち全員が身の安全を守るため体制を低くしたその直後、大蜘蛛の額に刺さっていた苦無の導火線が根元まで達し爆発する。

 大蜘蛛は脚を斬られても何とか立ち上がろうとしていたが、爆発で顔を吹き飛ばされ絶命。その巨体は音を立てながら崩れてゆく。


「老師!今日は爆破苦無を大量に仕込んで来ました!」


「うむ、今と同じ要領で参ろう」


 忍びの二人は大蜘蛛への有効な対処法を決め、保護している人達を囲もうとする脅威を瞬く間に無力化する。


「す、すごい……これって私のいた世界とは別の世界なのかな……」


 知絵里の眼に映るのは無数の真空刃を飛ばす老人と、縦横無尽に飛び回りながら大蜘蛛を爆破するくノ一くのいち。しかも、遠くには金棒一本で大量の大蜘蛛たちを屠るほふる大男に、謎の力で蜘蛛たちを操る悪人達に、その悪人達と戦う炎を放つ狐の獣人。

 そのどれもが知絵里が現実に見ないような光景で、まるで創作の世界に入り込んでしまったのではと錯覚するほどである。

 知絵里はただ自分の中の常識が崩れて行くのを黙って見ているしかない。


「やっぱり狐獣人がいるんだからここは現実じゃないよね……もしかしたら着ぐるみだったりするかな?」


 好きなケモノが存在しているおかげか、パニックになったりしても精神的にどこか余裕がある知絵里。自分たちを護ってくれている忍者たちがあまりにも強いのでバケモノだらけの戦場でも、こんなのんきな事を考えていられるのだ。


(あれ?あの子と蜘蛛たち、こっちに近づいて来ているような?)


 先程から遠くに見える彼らを観察していたが、洞窟から出てきた蜘蛛に気を取られている間にこちらに近づいてきているようだ。様子から見ると、悪人が乗った大蜘蛛がこちらに向かって移動するのを狐の獣人が火炎の刃で切り付けて抑え込んでいるようだ。


「ちょ、ちょっとこれマズイんじゃ⁉」


 とても鈍感な知絵里であっても、大蜘蛛に乗っているあの強面の悪人の眼から伝わる殺気、非力な自分たちを狙っている事だけは感じ取れた。他の女性や子供達もそれを見てひどく怯えている。

 周りの蜘蛛たちはくノ一と老人、金棒を振り回す大男達によってたった今、殲滅せんめつされたようだが、距離があるので突っ込んで来る大蜘蛛を抑え込める位置には居ない。狐の獣人も、もう一人の大蜘蛛に乗る悪人と子蜘蛛に邪魔をされている。


「どどどど、どうしよう!たすけて!」


 知絵里が叫ぶと同時に老人、響鷹が握る刀を鞘に納め構える。スゥッと瞬間的に深呼吸し、渾身の真空刃を放つ。

 強面の悪人が、大蜘蛛の脳天に刺している大太刀をいじると走る大蜘蛛は大きく飛び上がった。真空刃の直撃を免れるが、大蜘蛛の左側の脚四本が半分の長さになるくらいまで斬られる。

 次にくノ一の綾煉が爆破苦無を投げつける。


「これならどうかしら!」


響鷹の真空刃を交わすために飛んだ大蜘蛛は、地に足を付けるまでの間は大きな隙がある。回避不能、投げた苦無は大蜘蛛の胸に目掛けて飛んで行く。

 再び、強面の悪人が蜘蛛の脳天に刺さる大太刀を動かす。すると、大蜘蛛がおしりを前に突き出し、知絵里たちの背にある山の木々に糸を飛ばす。飛ばした糸をすぐに右前脚で引っ張り爆破苦無の直撃を免れるが、右側の後ろ脚足二本が根元から吹き飛ばされる。


「いけない!」


 二人の忍びが焦りを見せる頃、村の中央から急いで走る狐の忍び。行く手を阻んでいたもう一人の悪人は、首筋に狐が放った回し蹴りを食らって気絶していた。他にも、狐を邪魔していた子蜘蛛や大蜘蛛は燃えて動かなくなっている。


「てやんでぇ!これじゃぁ間に合わねぇ!」


 風を切る様に狐が四足歩行で走る。真っすぐ走る時はこの状態で走るのが早いようだがそれでも邪魔があったせいで追いつけない……そう考えていると、遠くから大きい声が聞こえると共に、狐に目掛けて1㎡程の歪な形をした紫色の硬い板状の物が飛んでくる。


「狐々丸!そいつを使え!」


 金棒で大蜘蛛たちを薙ぎ払っていた大男が狐にそう言って板状の物を投げつけていたのだ。ちなみに、この板状のものは倒された大蜘蛛の頭の硬い外殻がいかくである。大男が素手で叩き割って投げつけたのだ。


合点承知がってんしょうち!」


 四足歩行で走る狐が飛び上がり、フリスビーの様に飛んできた外殻を口で……はなく手でキャッチし、体勢をくるりと空中で変えると、外殻をサーフボードの様に踏み、横になる体勢で落下体勢になる。そのまま落ちる様に思えたが、外殻の裏側には導火線に火の付いた大きな花火玉があった。


「行くぜぃ!」


 短い導火線の花火が爆発し大きな花火を輝かせると、外殻で爆発を受け止めた狐が真っすぐ弾丸の様に吹き飛ぶ。

 とてつもないスピードで飛びながらも、走る時に納刀した打刀と太刀を引き抜いて擦り合わせ、二つの刀に火を纏わせまとわせる。

 勢いよく飛ぶ外殻を蹴る。知絵里たちを襲おうとする悪人が乗る大蜘蛛に追いつくと同時に、高速回転する。

 宙を舞う大蜘蛛の腹の下を狐が弾丸の様に素早く飛び回転しながら通過。すると、遅れてやってくるように燃える斬撃が大蜘蛛を斬り裂き、大蜘蛛は胴体と頭部の間辺りを両断される。

 頭部と右前脚二本だけになった大蜘蛛は絶命。しかし、大蜘蛛に乗った悪人が大太刀を深々と大蜘蛛の脳に突き刺すと、少しだけ大蜘蛛が残った前足で糸を引っ張る。

 知絵里たちの目の前に大蜘蛛の亡骸が落ちてきて、地面に叩きつけられると共に大きな音を立て土煙をまき散らす。

 土煙で顔を覆う知絵里、しかし今はすぐにでも身を守らなくてはいけない。眼に入った埃のせいで涙が出る。


(どうなっているの⁉)


 涙を手でぬぐい、状況を確認しようと目を開ける。前を見るとそこには悪人ではなく、悪人に立ち向かい知絵里に背を向ける狐獣人の忍者の姿だった。


「おうおうおう!人質取ろうたってそうは問屋とんやが卸さねぇ!悪蜘蛛、お縄につくか成敗されるかどっちか選びな!」


 知絵里は狐の後ろ姿をまじまじと見る。橙色のゆかた姿で赤いマフラーをしており、男の子らしい。濃い目のあずき色で、青い花の刺繍ししゅうが入った角帯をしている。男の子らしいのだが、その角帯は蝶結びであった。それと特徴的だったのは尻尾だ。遠目で見ていた時から分かっていたが、尻尾がとても大きい。


(あらぁ可愛らしい~)


 狐が打刀と銃を持って構え、知絵里たちを護る。どうやら追い詰められた悪人の悪蜘蛛が、知絵里たちを人質にして優位になろうとしていたらしい。

 そんな状況だったのを理解した知絵里は、自らが置かれている状況に恐怖する。

 狐が立ち向かうあの男、悪蜘蛛は知絵里の首を絞めようとした。悪蜘蛛の腕は太く、知絵里の様なか細い首など絞めるどころかへし折ることも造作でないだろう。


「あ……ああ……」


 首に手を掛けられた時の事を思い出す。心の奥から死の存在に恐怖した時の感情が湧いてくる。首を触られた時の手の感触が蘇って気分が悪い。

 知絵里がたじろいでいる間も狐と大蜘蛛はにらみ合っている。


「狐よ、名は何と言ったか?」


 悪蜘蛛が狐に名を問う。


狐々丸ここまるだ!」


 最初は狐々丸に興味の無かった悪蜘蛛が、気味の悪い薄ら笑いを浮かべる


「狐々丸よ、お前は良い忍びだ……邪魔立てがありながらも、その者たちを人質にしようとした俺よりも先にここに辿り着いたのだからな」


 やはり悪蜘蛛は人質を取って、この窮地きゅうちを脱しようとしたらしい。だが、狐々丸によってその悪事は抑え込まれている。しかも、義賊の仲間たちが近くまで集まってきている。もう逃げ場はない……だが、悪蜘蛛の表情は余裕そうである。

 それなのに、悪蜘蛛は何度も見せつけてくるあの邪玉を突き出す。また大蜘蛛を呼び出したとしても、義賊たちによってすぐに討伐されるだろう。


「だが残念だったな……ここまで辿り着いた時点で俺の勝ちだ」


 義賊たちに囲まれながらも余裕を見せる悪蜘蛛。そう言い終わると同時に邪玉が激しく光り、紫の眩い光が辺りを包む。


「目くらまし⁉」


 義賊たちは熟練の忍びである。眩いまばゆい光程度では目潰しにはならず、その場にいる者たちの位置は分る。

悪蜘蛛も小細工程度は通用しないことを知っている。それなのになぜこのような事をするのかが謎である。


「な、何も……起きていない?」


 何も変化が感じられず、何をされたのか分からないためより一層の警戒をする義賊たち。悪蜘蛛は未だに笑みを浮かべている。

 一方、この状況で何も出来ず、不安に思う少女が一人。


「今の光は……?」


 眩しい光を間近に見てしまったせいか頭が痛い。パニック状態なのも相まって、かなり重い痛みがある。


「き、気持ち悪い……首が苦しい……」


 光を浴びたとたんにうなじが妙に重く感じ痛み出す。

 その場に倒れ込む知絵里。徐々に痛みは体全体に広がって行く。


「大変!」


「どうした⁉」


 綾煉と狐々丸が知絵里の元へ駆け寄り、出来るだけ楽な体勢にする。突然倒れた知絵里に触れて狐々丸は違和感を覚える。


「妖気がある?てやんでぇ悪蜘蛛、何をした!」


 狐々丸が悪蜘蛛に問い詰める。

 狐々丸は妖怪であるため、妖気を感じ取れる。目の前で蹲る少女から妖気を感じるのは異常だ。悪蜘蛛が何かをしたに違いない。


「なぁに、容姿が良い物だからつい仕込んでおいたのよ……それ見ろ、そいつが答えだ」


 悪蜘蛛が知絵里を指差すと同時に、知絵里の服の中で何かが蠢き、背中や脇腹辺りが膨らみだす。


「こ、こいつはぁ⁉」


 着ているカーディガンが破れ、何かが飛び出して来る。それは黒紫色をしており、鋭く、硬質であり関節があった。そう、先程まで周りで暴れまわっていた大蜘蛛の脚と同じである。


「キャーーーー!!!」


 知絵里が絶叫する。自分の体から生えてきた蜘蛛の脚は長い。それが四本、勝手に動き始めるが感覚もあり、目の当たりにしてしまったらまともではいられない。

 近くに居た女性や子供も驚き、戸惑っている。


「美しい女蜘蛛になるだろう、まさしく生きる芸術だ……その娘には素質があったのだ」


「てやんでぇ!妖怪化まで謀ってやがったとは!」


 蜘蛛の脚だけではない。うなじと下半身からも同じ様な感覚が出始めている。


(あれ……私ってどうなっちゃうのだろう……私?私ってなんだっけ……?)


 着ている服は変貌する体によって破れて行くが、羞恥心しゅうちしんなどはない。逆に高揚感こうようかんがあり、何でも出来そうな気がしてしまう。

 それとは別にどす黒い感情が芽生えてくる。悔しさや悲しみ、殺人欲求など、自分の物でない感情が心の中に流れ込んでくる。


(これは……一体……?)


 自分の体だけでなく心まで蝕まれてゆく。自分の理性が失っていく恐怖の中、何も出来ない知絵里はただ涙を流す事しか出来なかった……。

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