自殺名所の看板

白木錘角

ようこそ

 とある自殺名所に行った時の話だ。

 自殺の名所として有名な樹海―—まぁここまで言えば大体予想できると思うが、そこに俺と友人の2人で訪れた。別に心中したかったわけではない。死ぬにしてもあいつのようなゴリラ顔の男じゃなくて美女と死ぬ。目的地の観光地に行く途中で樹海のそばを通るので、興味本位で寄ってみる事にしたのだ。

 樹海の近くに来た俺らは適当なところに車を止め、さっそく森の中に足を踏み入れた。昼間だというのに辺りにはじめじめした空気が立ち込め、妙に肌がひりつく。何かが腐ったような微かな臭いが風に乗ってきた。

 まぁ当時は大学生、つまりは一番無謀な時期で友人も一緒だったので、異様な空気を気にする事もなく、俺らは軽口を叩き合いながら奥に進んでいった。


「お、見てみろよ」


 10分ほど歩いた頃だったろうか。友人が何かに気づいたようで、嬉しそうに前方を指さした。見ればそこには立て看板が。俺の背丈ほどある茶色のそれには「一つだけの命、大切にしましょう」と書かれている。


「へー、本当にこういうのあるんだな」


「俺、初めて見たわ」


 写真なんかで何度か目にしたことはあったが、こうして現物を見ると、今自分がいるのが自殺の名所なのだと改めて実感する。


「あれ?」


 ふと、看板の端の方が汚れているのに気が付いた。自然の中にあるのだから多少汚れはあるだろうが、どうもそういったものとは違う赤黒いそれは……。


「うわすっげぇ」


 看板の裏に回った友人が大きな声を上げる。

 俺も見てみると、看板の裏はナイフのような何かで無茶苦茶に切り刻まれていた。よく見てみれば「フザケンナ」「ダマレ」と書かれているようだ。


「やっぱ思いつめた奴はこんな看板1つじゃ止まらねぇよな……。なぁ、他の看板も探してみようぜ!」


 しまった。友人の変なスイッチが入ってしまった。


「でもあんまり車から離れるのも……」


「大丈夫だって。行こうぜ」


 俺の返答も待たず、友人はどんどん進んでいってしまう。

 思えばその時に無理やりにでも友人を車に戻らせるべきだった。だがまだ明るい時間帯だったこともあり、まぁ大丈夫かなんて当時の俺は思ってしまったのだ。




 最初の看板発見から1時間。大分歩いたが友人は疲れた様子も見せず新しく見つけた看板をノリノリで観察している。

 自殺の名所と言うだけあって、看板はいくつも見つかった。大抵は自殺者を優しく諭す文面だったが、中には「別の場所で死ね、迷惑だ」なんて直球の内容もあった。


「そろそろいいだろ。もう戻らないとホテルのチェックイン間に合わなくなるぞ」


「あぁ、そっか。じゃあさっさと戻ろうぜ。迷ってミイラ取りがミイラになってもかなわないからな!」


 友人は最後に看板の写真を撮ると、覚えたての諺を使っておどけてみせる。正直途中から「こいつ、もしかして憑かれていないだろうな」なんて心配をしていたがどうやら杞憂だったようだ。

 ずっと直線的に歩いてきたから来た道を戻れば車のある道路に出られる。俺が振り向いたその時。


「お、あそこにもなんかあんじゃん」


「おい、もう戻るって言っただろ」


「看板が倒れてんだよ。それ見たら戻るから」


 友人の言う通り、少し離れたところに木の板が落ちていた。風か何かで倒れてしまったのだろうか。


「さてさてこれは何が書いてある……」


 看板を持ち上げた友人の動きが止まった。


「おーい、どうした?」


「……ちょっと来てくれ」


 俺は首をかしげる。さっきまで有頂天と言った様子だった友人の声が急に低くなったからだ。


「なんだよ」


 俺が近づくと、友人は黙って看板を地面に立て直す。

 そこには、汚い字で「ようこそ」とだけ書かれていた。

 黄色のペンキで、子供の書いたような辛うじて文字だと分かるぐちゃぐちゃな字。いや、ペンキじゃない。何か、腐臭のする黄色の物体がボロボロの板に塗りつけられている。

 その腐臭に気づいた時、俺はハッとした。森に入ってから度々嗅いだ臭いと同じものだ。

 初めは気づかなかったほどの微かな臭いがどんどん強くなってくる。頭の上、生い茂った葉の中から視線が向けられているのが分かった。

 


「……」


 視線に気づいたのは俺だけじゃなかったらしい。俺と友人は無言で後ろに下がる。看板から目を離さないよう、ゆっくり後ろに下がり来た道を戻る。十分距離を取り、十分時間をかけて看板に背を向け、決して恐怖を気取られないように全力で静かにゆっくり歩く。

 だが、背後から舌打ちの音が聞こえてきた瞬間、俺らは走り出していた。

 正直どうやって車に戻ってきたかは覚えていない。車が動き出してもなお、俺らは横の森が視界に入らないようずっと正面を見据えていた。

 結局この後おかしなことは起こらなかったが、それ以来“ヤバそうな場所”にはどんな理由があろうと入らない事にしている。

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