第8話 幼馴染のお姉ちゃん 前編

「分かったよ。リーリヤ」


「……分かってくれて嬉しいです」


「そうか」


「……そうなのです」


 そう言って、リーリヤは嬉しそうに……けれどやっぱり、いつものように頬を赤らめてそう言ったのだった。


 と、その時――。


 ピンポンとベルの音が鳴った。


 続けざま、ガチャガチャと鍵を開けて、ドアが開く音がこっちに響いてくる。



「リョーター、上がらせてもらうよー。ったく、どうせ朝ごはん食べてないんでしょ? サンドイッチ持ってきたから――」



 玄関口から聞こえて来たのは、甲高い声だった。


 靴を脱ぐのに手間取っているのか、玄関で止まっている気配がする。


「……ひょっとせずとも、香織さんですか?」


 小声でそういうリーリヤに――


「……だな」


 と、俺は小さくそう頷いた。


「……ええと、何故に香織さんがカギを持っているかとか、あの、えと……すごく…………そこは気になりますけども。ともかく、それは今は置いといて、これ見られると不味いですよリョータさん」


 実際問題、このリビングには俺とリーリヤの二人しかいないわけだ。

 しかもリーリヤに至っては制服の上にエプロン装備だ。


 こんなの、誰が見たって、どう考えても誤解を受けてしまうのは自明の理だろう。


「まあ、誤解されても俺は別に構わんが」


「……今は……さすがにそんなこと言ってる場合じゃないと思います」


 そりゃまあ、ごもっともな意見だ。


「……」


「……」


 しばし二人で見つめ合い、ほぼ同時に俺たちは周囲を伺い始めた。


 つまりは、隠れる場所を探さないといけない。


「……リョータさん。あそこならイケそうじゃないですか?」


 リーリヤが指さしたその先は、キッチンの流し台――シンク下の収納スペースだった。


 そこは確かに鍋が一つ置いてあるだけで空だけど……あんな場所に人間が入れるか?


「いや、大丈夫そうだな」


 リーリヤの人外の華奢さと小柄さであれば、ギリギリいけないこともないような気がする。


 で、そそくさとリーリヤは流し台に向かってシンク下に隠れて、相当に窮屈そうだったけど、何とか入ることができたようだ。


「閉めるぞ」


「……はい」


 と、ほぼ同時に廊下を歩く音が向こうから聞こえてきた。


「リョータ、おっはよー☆」


 さて、いつもの通りのハイテンションと共に、香織がリビングに入ってきた。


 ブレザー姿に茶髪のショートカット。


 少し猫を思わせる感じの顔だが、学園四天王に数えられるだけあって、その美貌は誰がどうみても綺麗だという水準に達しているのは間違いないだろう。


 実際、昔一緒に歩いていたら結構な確率で振り返ってくる男を見たし。


 ちなみに、リーリヤの場合は性格と一緒で胸は控えめだけど、香織の場合も性格と同じで胸のサイズは大胆だ。


「勝手に入ってくるなっていつも言ってるだろ」


「さすがに、アンタの部屋に入る時はノックしてるでしょ?」


 俺の視線が一瞬シンクの下に移り、咳払いと共にこう言った。


「そういう、いつも家に来ているみたいな言い方をするなよな」


「まあ……確かにそういうのは中学時代までだったけどさ」


「ってか、旅行の土産物とか持ってくるときもだけどさ……勝手に入ってくるのは辞めてくれ」


「おじさんも別に怒ってないし良いじゃん? 将来の嫁なんだからいつでも遊びに来いとか言ってくれてるし」


「オイっ!」


 少し、言葉に怒気が混じってしまった。


「え? 何怒ってんの? なんか今日……アンタ変だよ?」


「親父たちがそういう冗談を言ってたのは5年以上前の話だろ。そこはちゃんと訂正してくれよ」


「訂正?」


「はてな」と香織は小首を傾げる。


「まあいいや。でもコレ……どういうこと?」


 テーブルの上に並んでいる食事を見て、香織は大きく目を見開いた。


「俺が自炊してちゃ悪いのか?」


「いや、悪くないけど……」


「正直驚いた」との言葉と共に、香織は俺の隣の椅子に座った。


 で、勝手に俺の椀を取って、味噌汁を奪って一口すすった。


「……ウチの母より……美味しい。ってか、アンタにこんな才能があったなんて驚きだわ」


「だから、そういうの辞めろって! 色んな意味で異常に距離近いんだよ香織は!」


「まあ良いじゃん。ほとんど姉弟みたいなもんだし」


「ったく……」と、俺は深く溜息をついた。


「ん-、でも困ったな」


「どうしたんだ?」


「いやね、朝ごはん作ってあげようと思ってきたんだけど……」


 見ると、確かに香織はスーパーの手提げ袋を持っていた。


 それと、カバンからランチボックスを取り出して、俺の眼前に置いた。


「あ、これウチの母が作ったサンドイッチね。お昼にでも食べといて。野菜とお肉たっぷりだし」


「お、おう……。そこについてはありがとうとオバさんに言っといてくれ」


「でも、朝ごはんの材料無駄になっちゃうね」


 そうしてスーパーの袋を見て、ポンと香織は掌を叩いた。


「良し、良いこと考えた! じゃあ、ここは……お姉ちゃんが晩御飯を作ってあげよう!」


 そのまま香織はキッチンに向かっていった。


「おい、ちょっ……待て――」


 制止しようと香織の肩を掴もうとするけれど、バレー部の運動神経のせいか、ひょいっとかわされてしまう。


「作ったら冷蔵庫入れとくから、チンして夜に食べてね。包丁って確か――あ、そうそう流し台の下にあったよね?」


 不味い! と、思った時にはもう遅い。


 そうしてシンク下を開いた香織は、しばしの間フリーズしていた。


 それはそうだろう。



 ――流しの下を開けば、そこにはロシア少女



 こんなの、逆の立場だったら俺ならめっちゃ怖い。


 下手すれば死体遺棄現場とでも、思ってしまうかもしれない。


「あ……あ……あ……っ!」


 後ろずさりながら、口をパクパクと開閉させる香織。

 そしてすぐにリーリヤはがシンクの下から出てきたんだが……。

 そのまま彼女は香織と少し距離を置いて、ペコリと頭を下げて、開口一番こう言ったんだ。


「……どうも。はじめまして」

 

 ごく自然な感じでの、一連の動作だった。


 どんな状況でも、まずは挨拶から……か。


 本当にコイツには真面目が染みついているんだろうなぁ……。

 

 いや、俺がリーリヤだったとして、確かに香織に対して最初に何と言えば良いのか分からんから、それはそれで正解なんだろうけど。


 そうして更に香織は口をパクパクとさせて、振り絞るようにしてこう言ったんだ。



「えーっと……とりあえず、状況説明してくれる?」




 ☆★☆★☆★


 リーリヤが俺に弁当を作ってきた辺りの話から――。



 その事情を説明するのに数分の時間がかかった。

 で、途中から香織は物凄い嬉しそうに、あるいはオモチャを見つけた悪戯っ娘のような表情で、ともかくニタニタと頬をほころばせていた。


 さっきから本当に面白そうに、俺とリーリヤの顔を交互に眺めてニヤニヤニヤニヤと……。


 っていうかコレはアレだな。

 犬猫の出産後、その子供を見にいった時みたいな顔だな。

 これはそのままの意味で完全に、まるで微笑ましい生物たちを眺めるような――。


 くっそ……一体全体、何なんだこいつは。


 と、そんなことを思いながら俺は溜息をついた。


「なるほど、大体の事情は分かったわ」


 そうして、香織は軽く息を吸い込んで、俺とリーリヤに、それはそれは嬉しそうにこう尋ねてきたんだ。


「で、アンタ等付き合ってんの?」


 それを聞いて、俺とリーリヤは互いに顔を見合わせる。

 そして、すぐに香織に顔を向けて――



「付き合ってない/ません!」




 ハモった感じのその声を聞いて「ブバフォっ!」と、口から息を吹き出し、心の底から楽しそうに香織は笑ったのだった。






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