第10話 ロシア人、合鍵を貰う



「お前は俺の母親か」




 そんな言葉が飛び出したのはリーリヤがウチへ訪問を始めて2週間のことだった。


「いや、さすがにコレは汚すぎますよ」


「……確かに、その点については一切の反論の余地はない」


 実際、家は2週間前から……徐々に荒れていっている。


 洗濯物は乾燥機にかけた後に、脱衣所の隅の方で山になってるし、服だって2日おきのまとめ洗いだ。

 いや、だって面倒くさいもんな。こればっかりは性格だから仕方ない。


 まあ、台所周りはリーリヤが手を入れてくれているので綺麗だけど……その他は荒れ放題なのは認めざるをえないだろう。


「でも、どうしてこうなったんですか? この前まではお家は綺麗だったのに」


「俺の父親からのお願いもあって、香織やその母親がちょくちょく来て掃除してくれてたんだよ」


「あ、そういえば合鍵……もってましたよね香織さん」


「まあ、そういうことだ」


「でも、それじゃあどうして部屋が荒れてるんですか?」


 まさか香織が「通い妻に後は全部任せているから」などという、訳の分からない供述をしていると……そのままリーリヤに伝えるわけにもいかない。


 あと、オバさんもオバさんでニヤニヤしながら根掘り葉掘り聞いてくるから、うっとおしいことこの上無いんだよな……。


「まあ、あいつも忙しいんじゃね?」


「ともかくです。先ほど宣言した通りに私が片付けます。まったくもう……部屋が散らかっているのは良くありません、運気も逃げちゃいますよ?」


「しかし、そこまでしてもらう義理は……」


 と、そこでリーリヤは上目遣いで、俺の表情を伺うようにこう尋ねてきた。


「私が家のこと色々するの……迷惑……ですか?」


 なので、俺は素直な気持ちでこう答えた。


「いや、全然迷惑じゃないけどさ」


「じゃあ、学校終わったら来ますので。今日は晩御飯も作っちゃいますね」


「お、おう……」


 そういうことになったらしい。


 毎度思うんだけど、こいつって無自覚なのか自覚してやってるのかは知らないけど、妙に大胆な行動力あるよな……と、俺は苦笑いをした。






 と、まあそんなこんなで――。

 ものの一時間で、父親と俺の部屋以外の全てがピカピカになった。


 ちなみに洗濯物については「そこは辞めてくれ」と懇願したおかげか「条件として、毎日洗濯物が溜まってないかチェックしますからね? 溜めてたら怒りますからね?」との言葉と共にお許しをいただいた。


「いや……本当にお前は俺の母親気取りかよ?」

 

 リビング。

 冬用にこの前物置部屋から出したコタツに足を突っ込み、苦笑いしながらそう言うと、リーリヤもまたクスリと笑った。


「ふふ、そうかもしれませんね。でも、母親とかそういう感覚とは……多分……いや、絶対違うんですよ」


「っつーと?」


「ん-……。実はですね。私は……弟か妹が欲しいとずっと思っていたんです」


「一人っ子だったよな、確か」


「はい。それで……まあ、失礼ながら、かなりズボラなリョータさんを見てるとですね……。ダメな弟がいたらこんな感じだったんだろうな……と、そういう感覚は少しあります」


「あー、でも、そういうのはちょっと分かるかな」


「と、おっしゃいますと?」


「いや、俺も母親が早くになくなってるからな。同じくそういう感覚は少しある。まあ、お前が弟が欲しかったってのはちょっと分かるよ。生きてたらこんな感じだったのかな……なんて」


 その言葉でリーリヤはしばし固まり、少しだけ間をおいて小さな声でこう言った。


「あの……その……何ていうかごめんなさい」


「いや、別に俺は気にしちゃいねーし」


 そして、続けざま「いや、母親ってのとは違うか……」との前置きと共に、俺は肩をすくめてこう言った。


「まあ、お前の場合は、母親というよりは嫁っぽい感じなんだけどな」


「ふぁっ!?」


「……」


「……」


「……」


「……」


「……有名なYoutuberがどうかしたのか?」


「いや……今のは動揺から思わず出てしまった小さな悲鳴であって……フワちゃんの……ことでは……ないです」


「そうか」


「……そうなのです」


「……」


「……」


 と、そこでリーリヤは何かに気が付いたようにポンと掌を叩いた。


「あ、温かいお茶……飲みませんか? リョータさんが飲みたいなら淹れちゃいますけど。私も喉乾いちゃいましたし」


「ん? 喉乾いてるなら俺を気にせず勝手にしろ……ってか、家にあるものは何でも好きに使って良いぞ。掃除もやってもらってるし、メシも作ってもらってるしな」


「じゃあ、お言葉に甘えて」


「いや、俺がお前に甘えてるんだけどな」


 これは本当にそうだ。


 朝飯作って貰って掃除もしてもらって、お茶も淹れてもらえる。


 俺一人のままだったら、ぶっちゃけヤバい状態だったろう。


 そして台所から物音がして数分。


 ポテトチップスの袋と共に、お茶を淹れたリーリヤが戻ってきた。


「好きにしても良いと言われたので……」


 舌を出して悪戯っぽい笑顔のリーリヤだったが、彼女の中ではこのレベルでも「かなり無遠慮なことをしてやった」的な感じであろうことに、むしろ驚愕を禁じ得ない。


 何というか、本当に……マジメだなあ……。


 と、まあ、そんな感じでポテトチップスの袋を開けて、お茶をすすりながら俺たちはテレビを見ることになった。









 テレビの音が流れる中、ポリポリと二人がポテトチップスが食べる音だけが部屋に響き渡る。


 リーリヤは別にお喋りと言うわけでもないし、俺も自分から話しかけるタイプでもない。


 必然的に二人は沈黙となるんだが……まあ、嫌な沈黙ではない。


 テレビ自体はつまらなかったが、リーリヤの横顔を見ているだけで、俺的には全く飽きないし……。


 と、俺がポテトチップの袋に手を差し入れた時――


「あっ!」


「ん?」


 同じタイミングでポテトチップの袋に手を伸ばした、リーリヤと俺の手と手が触れあった。


 するとリーリヤは顔を真っ赤にして、慌てて手を引っ込めたんだ。


「……」


「……」


「あ……」


「ん?」


「いや、手が触れてしまったので」


「……嫌だったか?」


「……」


「……」


「……嫌では……ない……です」


「なら、問題ないだろう」


 そこでリーリヤは呆れたように肩をすくめた。


「いつもいつも淡々としてますよねリョータさんは」


「こういう性分なんでな」


「でも、リョータさんは……。これは別に私だからどうとかいう話じゃないんですけど、女子と手が触れてもドキっとかしたりしないんですか?」


「ん? どういうことだ?」


「少なからず、そういうことってあると思うんですよ。あの……なんていうか好意を持っているとか、嫌いであるだとか、そういうのを完全に別にしたところで、ただ異性と……例えば不可抗力だったりで、不意打ち気味に手が触れる時っていうのは……なんていうか……「ひゃっ!」って感じになったりしません?」


「いや、ならん」


「……そうなのですか」


「そうなのです」


 いつもの自分の「そうなのです」というセリフを取られたからか、ふふっとリーリヤは笑った。


「ああ、でもなリーリヤ」


「はい、何でしょう?」


「さっきお前と手が触れたときな、ちょっとだけ「あ……」って気持ちになったぞ?」


「と、おっしゃいますと?」


「とても幸せで嬉しい気持ちになった」


「……ふぁっ!?」


「……」


「……」


「……Youtuber?」


「……」


「……だからフワちゃんじゃないんですって」


 そこでリーリヤは「ハっ!」と何かに気づいたような表情をする。

 そして続けざま、露骨に眉をしかめ、大きく頬を膨らませた。


「絶対ワザとやってますよね?」


「……」


「もう……いつもいつも私をからかって……これって新手のイジメですか?」


「さあ、どうだろうな? ああ、そうだリーリヤ……」


「はい、何でしょう?」


 ポケットから金属片を取り出して、俺はコタツにコトリと差し置いた。


「はい、合鍵だ」


「……どういうことでしょうか?」


「朝来るときな……俺もシャワーを浴びてる時もあれば、寝過ごしていることもあるしな。あったほうが便利だろう?」


「……」


「……」


「……」


「……でも、こんなの……本当に良いんですか?」


「構わない。香織も持ってるし」


「でも、それは香織さんは家族全体として……リョータさんのお父さんから合鍵を渡されているわけでしょう? やっぱりちょっと……」


「なら、俺から……お前個人に合鍵を渡すってことなら問題ないよな?」


「……」


「……」


 そしてリーリヤは小さく溜息をついて、やはり小さな声で……異国の言葉でこう言ったのだ。


『ここまでするんだったら……絶対責任とってくださいよ?』


「何て言ったんだ?」


「……教えません」


 そうしてリーリヤは軽く頬を染めニコリと笑い、まるで宝物をしまうかのように大切に鍵を懐にしまったのだった。





・作者から


① この作品好き。更新頑張れ

② リーリヤさん可愛い

③ フォロワー2000人突破! この前ラブコメ週間1位! ヤッタネ!

 

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ロシア人が毎朝味噌汁を作りにくるんだが、ロシアといえばボルシチなので国籍詐称しているのではと俺は疑っている(ただし、日本人でも毎朝味噌汁を作るのは特別なことだと気づかないフリをしている主人公だとする) 白石新 @aratashiraishi

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