第七話 エピローグ『たくさんの出会いに、乾杯🍻』

🍻



 いい気分ついでにいくつか客先を回って社に戻ると、拍手で迎えられた。


「「「借金完済おめでとー!」」」


「え?」



 手を叩きながら、関川さんがにこやかに近づいてきた。


「今日は給料日ですよ。今月で、無事完済です」


「ああ……そうでした」


「お疲れ様でした。よくがんばりましたね」

「うんうん、初めての業界なのによくやったよ」

「俺の入社したての頃なんて酷いもんだった。濁りっち、すごいよ」


 代わるがわる肩を叩かれ、労ってくれる。人生初の借金を無事に返し終えた安堵感に、そして仲間からの言葉に、思わず涙が滲む。



「で」


 関川さんがにっこり笑って人差し指をピッと上げると、拍手が止んだ。


「このあとはどうします? 借金返済するまで…という契約でしたからね。この仕事を辞めるのも続けるのも、君の自由です」



 そうだった。どうしよう、最近はそのことをすっかり忘れていた。今後の身の振り方か……


「あの、すぐに決めなきゃいけませんか?」


「そうですね……すぐにというわけではありません。ただ、次の就職先がまだ決まっていないのであれば、ひとつご紹介できますよ」


「……あの、迷っているのはそういうことじゃなくて……」


「はい?」


「えっと、わたしが前職で心を病んだのはご承知かと思いますが…」


「ええ、覚えてますよ。介護施設で窃盗の濡れ衣を着せられたんでしたね」


 町井さんと八宇さんが、それぞれ「何それ、初耳」「ひどい話じゃん」と言う顔で目を見交わしている。この二人には前職を辞めた経緯を話していなかったのだ。


「はい。それ以外にも、なんていうか……利用者さんもそのご家族も職員も、平気で嘘をつく人たちだったんです。利用者さんはわがままを通したくて嘘をつく。痴呆の進んだ利用者さんに対しては、ご家族も職員も『どうせ何も覚えちゃいないんだから今この場さえ乗り切ればいい』みたいな。それは確かにそうかもしれませんけど、わたしはそういうやり方にどうしても馴染めなかった。それで嫌がらせのターゲットにされたんだろうと、今は思います。でも、ここは……」



 皆の顔を順番に見渡す。穏やかな笑顔の関川さん、興味津々といった表情の町井さん、真剣な眼差しで話を聞いてくれる八宇さん。わたしを「チームの一員」に加えてくれた人たち。


「この職場は、とっても居心地がいいんです。そりゃ、お客さんは癖が強くて胃が痛くなることもありますけど、関川さんも町井さんも八宇さんもいい人だから」


「おや、嬉しいですね。ありがとうございます」


「なんだよ、照れるじゃん濁りっち」

「確かに居心地はいいよねえ。時間の融通がきくのもありがたいし」



 町井さんと八宇さんがくすぐったそうに笑いながら、うんうんと頷く。


「でも、わたしは……八宇さんや町井さんみたいに特技や能力があるわけでもないし、会社の役に立っているのかどうか不安で」


「なーんだ、深刻な顔してると思ったら、そんなことで悩んでんの?」

「ちゃんと仕事してたじゃん。おまけに社長賞だよ? 自信持ちなよ、濁りっち」


「君にもちゃんと特別な力がありますよ。『蓮沼はすぬま れんくん』」


 いきなり本名をフルネーム呼ばれて、ビクッとした。ここに入社して以来、初めてのことだ。それに、わたしの特別な力って……?



 関川さんは天使の笑みを浮かべ、続けた。


「私がなんの理由もなく、君をこの仕事にスカウトしたと思いますか? 君はね、最初にここへ来て借金の理由を話してくれた時、前の職場の人たちの悪口や恨み言を一切言わなかったんです。ただ、『自分には合わなかった』と言うだけ。酷いことをされて、身も心も生活も、ギリギリの状態だったのにね」



 ……そうだったっけ。よく覚えてないや。


「『名は体を表す』と言います。その名の通り、君には人を憐れみ思いやる力があります。人の言動の裏に隠された気持ちを汲み取ろうとする、優しさがあります。この仕事を続ける中でそういう気持ちを保ち続けられるというのは、簡単にできることじゃありません。君のその優しさに救われているお客さんは多いと思いますよ」


「そんなの、皆さんだって……皆さんの方が、よっぽど…」


「そうかもしれません。でも、君だからこそ繋ぐことができたご縁も、確かにあったでしょう?」


「そう……なんでしょうか」


「間違いなく。それにね……」


 そして、目の奥に悪魔の炎をちらつかせた。


「君の書く報告書は臨場感とストーリー性があって、非常に読み応えがありました。私はね、仕事終わりにブランデーを一杯やりながら君の報告書を読むのを楽しみにしていましたよ」


「関川さんのソレ、ほとんど趣味だもんね。報告書ジャンキー」

「えー、俺の報告書なんてほぼ箇条書きだわ」


「……あの報告書が読めなくなるのは残念ですねえ」


「あの報告書って、関川さんの趣味のために書かされてたんだ……」


「いえいえ、ジャンキーだなんて人聞きの悪いことを言われちゃ困ります。私は皆さんの報告書を読み込んで情報を取捨選択し、そこから各顧客の資料を作成、または更新していくんですから。あの報告書は、とっても大事なデータなんですよ?」



……そ、そうなんですね……関川さん、笑顔なのに視線の圧がスゴイです……


「えっと、じゃあ……よかったら、今後も皆さんと一緒に」


「ちょっと待って。言っとくけど、あたし達ずっとここに居るわけじゃないよ? いずれは別の仕事に移るの」

「俺もっす。数年のうちにはショップ開くんで」


「あ・・・」


 そうだった。自分で一余さんに言っておきながら失念していた。八宇さんは爬虫類専門ショップ開業という目標があるし、町井さんはダンスの仕事次第でこの先どう転ぶかわからないのだ……



「ま、でも」


 パンと手を叩いて、関川さんが皆に等分に笑いかける。


「とりあえず、今はいいじゃないですか。寅間邸の方はリフォームにも時間がかかかりますし、それまでは」


「寅間邸?」


「ええ。さっき言った『紹介できる仕事』、あれは一棟丸々レンタルスペースにした寅間邸、そこの管理・運営なんです」


 関川さんは内ポケットに手を差し入れ、封筒を取り出した。


「薄井社長からいただいた企画案がまるっと採用されましてね。社長賞が出ました。普通なら企画会社に依頼するところが無料でしたから、予想以上の利益に対してのご褒美です」


「あの時の『気晴らしの雑談』、ほんとに社長賞に化けた!」

「っヒョ〜! 関川さん、やるぅ〜!」

「焼肉! 焼肉行きましょう!」

「賛成!! に〜く! に〜く!」



 二人は盛り上がっているが、わたしはまだ話の全容が掴めないでいた。いろんな話が一気に進みすぎて、追いつけない。

 そんなわたしに、関川さんがかいつまんで説明してくれたところによれば……


 寅間さんの遺言どおり、寅間邸は児童養護施設に寄付される。が、その使い道は未定だった。

 そこへイベント企画会社の薄井社長がレンタルスペースプランを提案、さらにいくつかのイベントも発案してくれた、と……


「その児童養護施設もうちのグループが運営してましてね。寅間邸のリフォームは安藤さんにお願いして安く上げて、イベントは薄井社長から回してもらえるので、当面は経営安泰ってわけです」



 ……なるほど。つまり、うちの元顧客の邸宅を、顧客の一人がリフォームして、また別の顧客がその邸宅の使い道を無料で考えてくれて、さらにその後も協力してくれる……と。


 ……うちの顧客って、実は皆さんかなり優秀なのでは? そして、金を貸す相手を選別しているのは、関川さん………むむむ、この人やはり侮れない。




「というわけで濁沼くん、お仕事です。明日、柱間玲央くんに連絡してください」


「え?」


「レンタルスペースのHPに載せる、写真および動画のモデルを依頼します」


「それと、市川美里さんにも連絡を。SNSでの発信力とギャルネットワークをお借りしましょう。撮影スポットとしても需要ありそうですから」


「あの、それって……」


「世の中には本当に色んな人がいて、触れ合うことで様々な発見がある。人との出会いや人脈は、何より得難い資産です。そうは思いませんか?」


 ……言われてみれば、確かに。年齢や職業、性格など、様々な属性の人々と関わってきた。


「……はい。この仕事を通じて、今までの人生で想像だにしなかった個性的な人達に出会うことができました。自分の世界がぐんと広がった気がします」


 関川さんはにっこりと微笑み、わたしの肩に手を置いた。


「そうでしょう。せっかく君が繋いでくれたコネですからね。使えるモノは片っ端から使い倒していきましょう」


 前半いいこと言ってた風だったのに……できたらもうちょっとこう、マイルドに……



「町井さんにはレッスン室の映像モデルをやってもらいますよ。ダンスのお仲間も誘ってください。もちろんギャラも出ます。僅かですが」


「やりぃ!」


「俺は? 俺は〜?」


「八宇さんは今まで通り、庭の虫取りをお願いします。こちらはギャラは出ませんが……」


「問題ないっす。自由に虫取りできる場所って限られてるんで、うちのコらに新鮮な生き餌をタダで持って帰れるのは逆にありがたいっす。虫のいそうな場所はバッチリ把握済みっす」


「助かります」



 皆、そわそわと帰り支度を始めた。なんだかやけに嬉しそうだ。わたしもつられてそわそわしてきた。焼肉なんていつぶりだろう。それに、みんなで食事なんて初めてだし。

 またもやなし崩し的に次の仕事が決まりそうな流れではあるけれど、それもまぁいいかと思えてくる。


 と、事務所のドアが開いた。



「あのう……」


「ああ、すみません。今日はもう…って、一余さん?」



 つい数時間前に借金を回収して別れたばかりの、ひとこと余計な一余さんだ。



「お借入れですか?」


 関川さんが鉄壁の営業スマイルを浮かべながら問いかけるが、一余さんはかぶりを振ってわたしを手招きした。



「……なんでしょう」


「あの……さっきはごめんね。あたし、余計なこと言っちゃって」



「……え」


 一余さんは腕に下げたナイロンのエコバッグから、ゴソゴソと白いビニール袋を取り出した。


「これ、昨日実家から送ってきたの。たくさんあるから……その、皆さんで」


「えー、いいのぉ? 嬉しい!」



 横からさっと袋を取り上げて中を覗いたのは、もちろん町井さんだ。


「桃じゃん! あたし大好きー! 早速冷やして、あした食べよう。一余さん、ありがとうね!」


 町井さんの悪口を言っていた一余さんは、気まずいのか、目を逸らして何かゴニョゴニョと呟いた。そして全員に頭を下げて、一余さんはそそくさと帰っていった。



 うん。やっぱり悪い人ではないんだよな……


 あの時、ちゃんと言い返せてよかった。感情を飲み込んで我慢するばかりがいいわけじゃない。自分の思いを言葉にして相手に伝えるって、本当に大切なことだ。恐れずにちゃんと伝えたからこそ、一余さんはこうしてわざわざ謝りに来てくれたんだから。



「さ、行こう! 焼肉!!」

「行こうぜ! 焼肉ぅ!!」


 町井さんと八宇さんは弾む足取りで部屋を出ていく。

 関川さんがわたしの肩を叩き、薄く微笑んだ。


「一余さんと何かありましたね?」

「うっ…」


「報告書、楽しみにしてます」

「……ははは」


 ……まさかの、報告書の取り立て。なんというプレッシャー。急に胃が重くなってきた……


「さあ、私たちも行きましょう。今日は君の歓迎会と借金完済祝いと勤務継続祝いです」

「今頃歓迎会……ってか、盛りだくさんですね」

「細かいことは置いておいて。お肉ですよ。君の報告書もまだしばらく楽しめそうですし、めでたいから飲み放題も付けちゃいましょうか」



 かくしてわたしは胃薬をガリリと噛み砕く暇もなく、上役にずるずると引きずられながら、仲間の待つ焼肉屋へと足を運ぶのだった。




おわり



🍻



 諸事情により遅れに遅れまくりましたが、なんとか完結できました。


 最後までお付き合いくださった皆様、ありがとうございます。


 また、毎回楽しいお題を考えてくださった関川さま、本当にありがとうございます。キャラクターを考えるの、すごく楽しかったです! 勉強にもなり……なった、気がします!!


 今回も、参加させていただけて幸せでした。

 企画主の関川様、そして参加された皆様。

 遅ればせながらですが、お疲れ様でした!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ハーフ&ハーフ企画 参加作品集(2021〜2023) 霧野 @kirino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ