第六話 回答『ひとこと余計なお嫁さん』


「だからアタシね、言ってやったの。毎日毎日年寄りふたりと自分の身の回りのこともできないおっさんと職にも就けないワガママ娘の面倒見てやってんのは誰? って。ニンゲン、衣食住さえ足りてりゃ幸せってもんでもないでしょ。ちょっとくらい遊び歩いたってバチは当たらないじゃない? 旦那の安月給やりくりして子供3人育て上げた後で、心にハリや潤いを求めるのがそんなに悪いわけ? アタシは家事ロボットじゃないんだから」


 憤然とした面持ちで一気に喋り切ると、一余ひとよ 計子けいこさんはメロンソーダをちゅーっと飲み干した。


 指定されたのは、奇しくも先日、市川美里(ギャル)さんに連れてこられたファミレス。目の前にはもちろん、ドリンクバーのアイスティーが置いてある。

 先日のように萎縮することはないけれど、こちらはこちらでまた辟易するシチュエーションだ。一余さんはわたしを格好の愚痴吐き出し相手としているようだから。入店してからかれこれ30分、たっぷり愚痴を聞かされている。


「アタシおかわり取ってくるわね。まぁ大して美味しいもんでもないんだけどね。ホラ、あんたも飲まなきゃ損よ。元取らなきゃ」


 美里さんのギャル友達、リッカさんと似たようなことを言いながら、一余さんはいそいそとおかわりを取りに行った。

 その後ろ姿を見送りながら、つい想いを馳せる。リッカさん、元鬼ギャル申畑さんの元でうまくやれているだろうか。ヒモ体質な彼氏と別れられたのだろうか。美里さんは安藤さんと話し合えたかな。数年後には「ギャルレーサー」として有名になっているかもしれないな……



「あら。何よ、ニマニマして。良いことでもあった?」


 カップとソーサーをカチャカチャ言わせながら、一余さんが戻ってきた。カップの中身は…抹茶ラテだろうか。


「あんたもね、借金の取り立て屋なんて怪しい商売やってるんだから、少なくとも見た目はちゃんとしてなきゃダメよ。周りにどう見られてるか、きちんと自覚しなきゃ」


 ……ごもっともです。うっかり想いが顔に出ていたらしい。気をつけねば。


「大体おたくの会社、変な人ばっかりじゃない。ひょろっとしたインチキくさいお兄さんとか、ダンサー崩れだかなんだか知らないけどアバズレみたいなお嬢ちゃん? あんなのどう見たってカタギじゃないもの」


 正直、カッチーンときた。わたしのことはいい。でも、彼らの何を知ってるというんだろう。二人とも、すごく良い人でわたしなんかよりよっぽど優秀で努力家なのに。そもそも自分はそんな会社から金を借りてるくせに、あんまりな言い草じゃないか。

 相手は顧客、黙って聞き流すべきなのはわかっている。でも……


 わたしは目の前のアイスティーをちゅーっと飲んだ。グラスについた結露が、ポタポタと落ちる。怒りで震えそうな手を抑え、ゆっくりとグラスをテーブルに戻す。そして、大きく息を吸った。


「お言葉ですが」


 静かに息を吐き出す。腹は立つけれど、声を荒らげてはいけない。落ち着いて。


「うちの八宇は将来爬虫類専門のペットショップを開くという夢のために、真面目に働いています。とても注意力が鋭くて、周囲をよく観察できる優しい人です。この間なんて、わたしの担当するお客さんの奥様の病気を見抜いてことなきを得たんですよ」


 八宇さんの映像記憶能力は、ペットの爬虫類たちの健康状態を観察するうちに身についたんだ。そんなの、優しい人じゃなきゃできるわけないじゃないか。


「また、町井は」


 町井さんが債務者から人気なのは、容姿やダンスだけが理由じゃない。どんな人も見下さず対等に、そして真摯に向き合うからだ。町井さんのおかげで、闇金に流れずに踏みとどまれている人だって少なくないんだ。


「ダンスに打ち込みながら、担当するお客さん一人一人の生活に寄り添った返済プランを立ててあげたり、自分の有給を使って各種支援団体に勉強しに行ったりと、お客さん思いの素敵な人です」


 この先は完全に、余計な一言。でも、言わずにはいられない。


「あなたに、彼らをインチキだのアバズレだのと言われる筋合いはありません」


 言い放って、わたしは大きく息を吐いた。こんなに一気に喋ったのは久しぶりだ。それに、職場の人間にこんなふうに肩入れするのは初めてのことだった。


 抹茶ラテのカップがカチャカチャと音をたて、一余さんがカップから手を離した。


「んまっ……あんたのためを思って言ってあげたのに。ほーらやっぱり、人畜無害みたいな顔してても、借金取りなんてヤクザと変わらないわね。すぐカッとなるんだから」


 テーブルの下に隠した両手は、きっとまだ震えているに違いない。まさか言い返されると思っていなかったのだろう、悔しさからか横じわの刻まれた首がどんどん赤くなっていく。


「もういいわ。あんたのとこなんかから二度と借りてやらないから」



 わたしは専業主婦だって立派な仕事だと思っているし、子供をしっかり育て上げた後の人生を豊かに過ごすことにも賛成だ。(正直、借金までして…とは思うけれど)

 だからと言って、他の職業を馬鹿にしたり、ましてや職場の仲間を悪く言われるのは別の話。

 顧客を怒らせてしまったが、後悔は全くしていない。あんなことを言われたまま黙っている方がよっぽど後悔することは、わかっているから。



 わたしはにっこりと天使の笑みを浮かべた。


「そうですか。でも……」


 そして、目の奥に悪魔の炎をちらつかせた。


「ウチから借りられなくなったら、どこで借りるんです? ヨソは利子も高いし取り立てもかな〜りキツいですよ? インチキやアバズレどころじゃない、本物のこわ〜いおじさんが、自宅だろうが旦那さんの職場だろうがお義父さんの将棋クラブだろうがお義母さんのデイケア施設だろうが娘さんのバイト先だろうが、昼夜を問わず押しかけますよ?」


 再びグラスを取り、半分残っていたアイスティーをちゅーっと飲み干す。


「ま、わたしには関係ありませんけどね」


 グラスを脇に避け、鞄から取り出した領収証を顧客の前に滑らせた。


「さぁ。貸付け分と利息分、きっちり耳を揃えてお支払いください」



 ワナワナと震える手で差し出された現金をゆっくり検めながら、わたしはこっそり目の前の一余さんを観察していた。さっきまで赤かった顔から血の気が引いている。娘さんのことにまで言及したのは、少々やり過ぎだったかもしれない。


「……そういえば、一余さんの推してる地下アイドル、来月新曲が出るらしいですね」

「えっ?」


 どうやら初耳だったらしい。


「新曲とライブDVD、グッズも新しいのが出るみたいですよ?」

「そ、そうなの?」


 途端に、目の中に物欲しそうな光がちらつく。これでまた、お金借りに来るかな……ま、どうでもいいけど。


 その地下アイドルグループと町井さんが知り合いなのは、教えてあーげない。ダンスの世界は狭くて、ダンススタジオや地区大会なんかで顔を合わせるし、横の繋がりも強いんだって。



「確かに、頂戴しました」


 預かったお金を鞄にしまうと、さっきもらったお菓子が目に入った。


 そうか。このおからクッキー……


「あの、よかったら、これどうぞ。お裾分けです。では、わたしはこれで」



 口の中の水分を持っていかれるクッキーと、関川さんの含みある笑顔。

 それは、一言多いおばちゃんの余計な一言封じ。「それ食って黙っとけ」的な、一余さんへの皮肉だったんじゃないか? もしかしたら関川さんも、過去に何か嫌なことを言われたのかも……って、考えすぎかな。


 領収書を渡して軽く一礼し、わたしは店を出た。一余さんの余計な一言に意趣返しできて、正直清々した。スキップしたいくらい気分がいい。



 ……我ながら、こういうところは子供っぽいなと思う。でも、いいんだ。八宇さんが言ってくれた。俺らはチームなんだから、って。

 関川さんも町井さんも八宇さんも、みんないい人だ。成り行きで入った会社だけれど、わたしはラッキーだと思う。そりゃ、一余さんが言っていたように、借金取りなんて世間から見ればヤクザまがいの仕事かもしれない。でも、猜疑心と妬みの蔓延していた少なくとも前の職場よりはずっといい。


 そう。わたしは今の職場が好きだ。


 彼らのように特別な力は、わたしには無いけれど。

 職場の仲間には恵まれた。ここにスカウトされたのは幸運だった。

 かつて心を病んで引きこもっていた私が、今ではそんな風に思えている。そのことが、とても嬉しい。


 さすがにスキップはしないけど。




🍻


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