ぎしぎしと階段を酷使する音が聞こえ、ぬっと爬虫類知性体店主が現れた。

 手に五本のビンを掴んでいる。

 緑色の大きな手のひらに握られると、ちゃちな玩具のようだった。

「アリイ・コーラ」

 ぼそりと言って、店主は蓋を開けつつ配る。

 そして椅子を引き寄せて、どすんと座り込んだ。

 自然な流れとして店主の椅子は僕の横になる。

 肉々しい、みちみちとした圧迫感に苛まれた。

 何しろこないだ殺されかけた相手なのである。

「こちらの、ミスター・ロンに教師をしていただいたの」

 マーシュ社長が言った。

 僕は聞き間違いではないかと疑ったが、爬虫類知性体店主ロンの太い顎が頷いたところからすると、事実らしい。

「君との一幕の後、ロン先生はサニーデイズにいらっしゃったのよ。アリイ・コーラのことを危惧なさってね。というのも――」

 爬虫類知性体シュシュシュフシュ族の母星シャシュシャカッの惑星番号は二十二。

 番号は若いけど汎銀河系の中心部からは遠く、もしニューハワイキ星から行こうとなったら年単位の宙航が必要になるという。

 そこでは今、戦争が起こっていた。

 確かにニュースフィードに流れていた気がするし、現代汎銀河系情勢の授業でもほんの一瞬そういう話になった気もする。

 確か通信が遮断されていて内部の様子が分からなくなっている、とかそんな感じの。

 でも記憶の中に残っているのはそれだけ、爪の先ほどの知識だけ。

 遠い星の話で、僕には直接関係ないからだ。

 けれど店主のロン先生には大いに関係がある。

 シャシュシャカッ星で起った戦争は、爬虫類知性体シュシュシュフシュ族を二分する勢力AとBのせめぎ合いだという。

 第三勢力Cは無いか、あってもほとんど二大勢力に影響を及ぼすほどの力がない。

 そうなると戦争の口火が切られてしまった以上、終戦の条件はどちらかの完全降伏、あるいはどちらかの絶滅だ。

 二大勢力間の憎しみは強い。

 戦争に至る前に汎銀河系政府が調停に介入しようとしたが、シュシュシュフシュ族は拒絶した。

 というよりも、汎銀河系政府にはシュシュシュフシュ族が何を考えて争っているのかさっぱりわからなかったというのが正確らしい。

 つまり。

 汎銀河系の常識が通用しなかったということ。

 僕は軽く目を閉じた。

 今の僕になら少しわかる。

 チャイナタウンを我が物顔で歩こうとして叩きだされたというようなことだ。

 そも、チャイナタウンに入った時点で途方に暮れた僕のようになったのかもしれない。

 ああこれは無理だと匙を投げたら引火してしまった。

「その戦争から避難してきたシュシュシュフシュ族をニューハワイキ星は受け入れている。それは人道的に正しいわ。だけど、どちらの勢力でも受け入れているということでもある。だからロン先生たちは息を潜めないといけないのね。憎しみは終わっていないのよ」

 AかBか。

 シュシュシュフシュ族には二択しかなく、AはBを殺したいし、BはAを殺したい。

 その殺意は、母星から離れてもなお継続するものだった。

 ロン先生は希少な中立派だと言うが、何処かで同胞に会った時その論法が通じるとは限らないと悔しそうに語る。

 その憤りの響きに、横で聞いている僕の鼓膜がびんびん震えた。

 爬虫類知性体は発声法が違うから、ヒト族の耳には刺激的である。

「で、アリイ・コーラとどう関係するかと言うとね、このコーラ農園に雇われているのはシュシュシュフシュ族の避難民たちなの。コーラがおおやけに売り出されて、私たちみたいな観光業が入ったら……、分かるよね?」

「身元がばれて、そこで戦争の続きが起こるってことですか」

「その通り。血が流れて、政府が介入して、シュシュシュフシュ族のイメージは最低になる。ロン先生たちは暮らしづらくなるし、戦争から逃げてくる人たちを締め出すことにもなって、それはまた新しい命の危険を産むでしょうね。だから事情を知っていたロン先生は絶対に止めなきゃならなかった。そのために危険を冒してでもチャイナタウンから出て、サニーデイズまで歩いて来てくださった。事情を知らなかった私たちと、そして農園の雇用者は、あまりにも軽く考えてたのよ。ロン先生はこの店にアリイ・コーラの看板を掲げることでいち早く外の世界の異変を察知しようとしてらっしゃった、というわけ」

 深々とため息を吐いたマーシュ社長は、この日の何回目になるか分からない謝罪の言葉を口にする。

 ロン先生は喉の奥で唸ったけど、それは怒った音じゃなかった。

「翻訳します――」

 と、唐突に給仕ドローンが言う。

「<謝るのは私の方だ。この少年には私が謝らなければならない。暴力を振るってはいけなかった>」

「いいえ」

 僕は咄嗟に言った。

「僕は何も知らなかったけど、知らなかったから許されるってことでは無いと思います。ロン先生には命がかかってた。当然です」

「翻訳します」

 ロン先生が椅子をずらして、僕と向き合う。

「<あなたの勇気に感謝する。そして、あなたは暴力を振るわれてもうちの食べ物を吐かなかった。それだけでも私は大いに評価するだろう>」

「だって」

 僕は照れ臭くなって、小さな声で言う。

「とっても美味しかったから、吐くのもったいなかったんで」

 給仕ドローンが通訳すると、ロン先生は皿が割れそうな大声で笑った。


 マーシュ社長とリチャードさんと連れ立ってサニーデイズに戻ると、デスクにぽつんと座っていたトミーおじさんは僕たちのニンニク臭に顔をしかめる。

「予約も無し、今日はもう閉めましょう」

 そう宣言すると、トミーおじさんはあからさまにほっとした様子で退勤した。

 どうやら中華料理は苦手なのかもしれない。

 シャッターを下ろした事務所のテーブルを囲み、三人で反省会の時間となった。

「コーラは予定通り仕入れるけど、お客様に出すのも無し、農場見学とかそういうオプショナル・パッケージの作成も無しね。ちょっと痛い。でも勉強料だわ」

「それがよかろうな。ふん、細々と無益に争うものよ」

「どうだろう。私たちには無益か有益かなんて永遠に分からないけど、あの人たちにとっては大切なんじゃないの」

 リチャードさんは目を細めて思案顔になる。

 マーシュ社長との議論を楽しんでいるようだ。

 この得体のしれない大富豪(?)に怯まないマーシュ社長は凄いと思う。

「農園主さんもシュシュシュフシュ族の人たちに同情したから雇ったんだと思うけどさ、農園だって稼がなきゃやっていけないのよね。道楽じゃないから。コーラが売れないと全員路頭に迷うわけ。だからうちみたいな弱小旅行会社にも声をかけてきた。でも、事情を知ってしまったら、もう表舞台には宣伝を出せないよ。実際のところ、私たちはそのシュシュシュフシュ族の人たちがどっちの派閥かなんて見極めることもできないんだし。あーあ、事情を知ったからこそ悩むこともあるのねえ!」

「それこそ無益ではないか」

「何で」

「どちらの味方も出来ぬというならどちらの味方もせんと言うか?」

「イエス。だけど困った人は見て見ぬふりできない。放置とか冷笑とかは正義じゃない」

「ならばそれは矛盾ではないか。既に肩入れしておるのであれば」

「それは」

「故に無益と評す。いさかいの理屈は当事者にしか分からぬと、先ほどその口が言うたな」

「じゃあどうしろと」

「知らん」

「あのね」

知性体ひとは所詮、己の側に立つことしか出来ぬ。己の体に立脚し、己の感覚で物を語る。つまるところ、お主の正解はお主にしか導けんということよ。他人に導かれる解が如何に正しくあろうとも、それをお主が受け入れねば正答にはならんのであろう。マーシュ・フォーシュイン、そのほうが語る正義なる概念は単一のものなれば、他人の正義と完全に一致することなど金輪際起こり得ぬ」

「ああ、そういう――」

「それは心あるものすべからく悩むものなのだろう。我が身より外のことなど神でもなければ分からん故な。されど身の程を知れなどとは言わん。お主が百六十五センチメートルであれば私の身の程は二キロメートルにはなろうが、しかしだからと言って萎縮せよと宣する意図はない」

「でか、でかくない、その自己評価?」

「至極真っ当な実測値であると思うが」

「あそう」

 リチャードさんが戦艦と比較して云々というとんでもないことを言いだしたので、社長は僕の方を向いて肩を竦めた。

「そういえば、ナンテン君。レポートの話」

「すみません。先日はお恥ずかしいところをお見せしました」

「全然よ、全然。今メッセージ見たんだけど……、テーマが定まったのかな?」

「えっと」

 マーシュ社長の後ろからリチャードさんにもじっと見られて、目が泳ぐ。

「それがですね」

 今朝までは、多種族混合の星であるニューハワイキの食文化について切り込むことをテーマにしようかと思っていた。

 けれどオールド・ロンでの昼食会の後、僕はそのテーマは薄っぺらいんじゃないかとも考え始めている。

 もっと社会的に意義があることに目を向けたい。

 と言うようなことを、もぞもぞと話した。

 喋っているうちに、また口から出た言葉が片っ端から軽薄に感じられていたたまれなくなる。

 所詮は僕なのだ。

「いいじゃない」

 マーシュ社長が、熱のこもった声で言う。

「今回の件では私も勉強不足を痛感した。もっと外の世界に目を向けて行かなくちゃね。だから一緒に勉強しよう、ナンテン君」

「はい!」

「だけどあと二週間くらいでものにしなきゃいけないでしょ。どうしようかなあ」

「チャイナタウンは止めておけ」

「OK。そこは分かってる。そういえばトミーは移民だったよね。その辺からナンテン君の興味のあるテーマが見つかるんじゃないかな……」

「うむ。然れども料理の線から追うのも良いではないか。産業の話なのであろう……」

 僕は、僕の為にふたりが楽しそうに悩んでいる、という光景を目の当たりにして、妙に心を揺さぶられていた。

 僕は確実に陰キャで、どう考えても今後も変革の余地があるとは信じられないし、本当のところ人と関わることは最小限に静かに過ごすのが心地よくすらある。

 けど、何と言ったらいいのか。

 今回の一件で、勇気を出して新しい世界を冒険することも間違いじゃないって、それから自発的にする勉強は案外楽しいんだって、教わったと思う。

 非日常とは隣人のことだ。

 自分が「普通」と思って囲っている庭のすぐ外に、知らない光景が広がっている。

 僕はもう少しだけ外に出てみたい。


 その後、何とかかんとかレポートを仕上げた。

 タイトルは「ニューハワイキ星におけるエスニック料理店とエスニック集団の変遷」。

 サニーデイズ社の伝手のお陰で、惑星入植初期から営業している最古のハワイアン料理の店や、最新の流行であるネオ・ギャラクティック・四川の店までお邪魔して沢山の苦労話や愉快なエピソード、それに星間移民にとって同胞の絆がどれだけ大切なのかということを教わり、それをまとめたもの。

 レポートの採点結果を伝える進路相談担当ミズ・ケイトリン・モーニングは相変わらず古風なパンツスーツに身を包み、誠に遺憾ながら、と言う調子で、

「合格です」

 と告げた。

 僕は拳を突き上げて喝采を叫び、床をびょんびょん飛び回ったのちケイトリン先生のホログラフィックの前であることを思い出したが、正気に返った頃には通信は切れていた。

 また問題児リストの上の方に押し込まれたに違いない。

 しかし合格は合格だ。

 気を取り直してマーシュ社長にメッセージを送ると、今度は即時に帰ってくる。

「おめでとう! 祝勝会する? もちろんオールド・ロンで」

 僕は、夕飯は要らないと叫んで家を飛び出した。


(了)

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