翌週土曜日。

 連絡が来なかったので僕は甘えずに自分からマーシュ社長にメッセージを送り、反省の意と、今度は自分で考えたテーマについて相談に乗ってもらうためにお邪魔しても良いか、と問い合わせた。

 一日経っても返事は無し。

 メッセージフィードを常時チェックしているマーシュ社長にしては、珍しいことである。

 そこで、ぐずぐずと先延ばしするのもいけないと、果敢にもリチャードさんにダイレクトメッセージを飛ばした。

 文面はこんな感じ。

「サニーデイズ社にお伺いしてもよろしいでしょうか? マーシュ社長にご連絡差し上げたのですが、お返事が無かったのでリチャードさんに送信しました。もしよければ教えてください」

 こちらの返事はすぐに帰ってきた。

「迎えに行く。三十分」

 いそいで服を整え、鞄に必要な物を詰め込んでいると浮遊車ホバーのエンジン音が聞こえた。

 何事かと窓の外を覗いている母と妹を横目に、

「出かけてきます!」

 僕は玄関を開けるという動作についてのレコードタイムを更新し飛び出していく。

 うちのささやかな前庭に、太陽を浴びてびっかびかに輝く真紅の浮遊車ホバーが停まっていた。

 しかもオープンカースタイルである。

 こないだ乗せてもらった車とは違う。

 一体何台持っているというのか。

 一台でも僕の家族が一年間食べていけそうなお値段なのに。

 その車体に背を預けて、ヴィジョン俳優のような抜群のプロポーションを誇る男が、やたら派手な金縁のティアドロップサングラスをかけて腕組みして立っている。

「リチャードさん、わざわざありがとうございます」

 僕が言うと、さしてどうでもよい、といった風情で金髪の貴公子は手をひらひらさせ、運転席に乗り込んだ。

 助手席に座って間近に眺めると、スーツは二足歩行型種族最高のブランドと名高い<ハービンジャー>で上から下まで揃っており、足元はこちらもどう考えても高そうな威圧感ある艶やかな黒い革靴、ただし何故かそこに安っぽいショッキングピンクの靴紐を通している(リチャードさんのセンスなのか最新のモードなのかは分からない)。

 トータルでおいくらなのか、あまり計算したくない感じ。

 ともかく浮遊車ホバーは凄まじい馬力を耳に叩き込むエンジン音と共に走り出し、あっという間に我が家は豆粒になって視界から消えた。


 ダウンタウンの路地裏にド派手な浮遊車ホバーを止めて、リチャードさんと僕は歩いてチャイナタウンへ向かう。

「盗まれません?」

 僕は無頓着に置かれた浮遊車ホバーを振り返りつつ言った。

「我が宝物ほうもつを盗む者、ことごとく灰燼に帰すのみ」

 リチャードさんは振り返りもせず大股で歩き始める。

 僕はスタイルの違いを実感で教わりつつ、遅れないように早足になって、

「……引用ですか。古典とか……?」

「常識だと思うたが」

「うっ、すみません。不勉強です。古文は苦手なんですよね」

「ふむ?」

 古ぼけたレンガ造り風の倉庫の前で立ち止まった。

「ここは」

 リチャードさんの唇に、形の良い指が添えられる。

 僕は口をつぐんだ。

 リチャードさんがセキュリティパネルを手慣れた様子で操作すると、ほどなく、かちっという音がしてシャッターが動き始める。

 開き切るのを待たずして、ふたりともその奥へ入りこんだ。

 薄暗く埃っぽい、安物の食料品パッケージが前世紀から山積みにされたまま時が止まったかのような倉庫に入るとリチャードさんはさっと手を振り、それを合図にシャッターの動きが反転して閉まっていく。

 次いで、完全な闇に閉じ込められる前に灯りがついた。

「話しても良いぞ。しょうもないクムリポの目は隠された」

 とリチャードさんが言ったので、僕は質問を繰り返す。

「ここは?」

「入り口だ。着いてこい」

 薄灰色になったパッケージの山を、体を横にしてすり抜けた。

 そのさらに奥に扉がある。

 水の中で聞く音のように、薄皮一枚隔てたぼんやりした賑わいが聞こえた。

 それで、はっと気づく。

 僕がチャイナタウンに入る前に惹かれたあの賑わいの音と、同じような――。

「入り口って、チャイナタウンですか」

 リチャードさんは唇を三日月の形にして笑った。

「どうしてこんなところ知ってるんです」

「知って良いことと悪いことがある。そうだな、ナンテン・J・D?」

 赤い瞳が鋭く光る。

 僕は質問リストのすべてを飲み込み、胃酸の中に放り込んだ。

 ノブを回して開け放たれた扉の先には、果たして先週と同じ活気が渦巻いている。

 熱気と音がどおっと押し寄せ、毛穴に浸透するレベルで改めて圧倒された。

 僕の日常がいかに静かで、平板で、刺激がないのかってことを教えられる。

 それが悪いってことじゃないんだけれど。

「はぐれるな」

 人波に踏み出したリチャードさんを見失わないよう、僕は慌てて扉をくぐった。


 再びの<オールド・ロン>。

 例の爬虫類知性体店主はリチャードさんにはどこかの国の王侯貴族の接待かという態度で接し、僕に対しては前回よりはやや態度が軟化した程度に接した。

 二階のVIPルームに通されると、そこには何故か人形屋ビューラさんとマーシュ社長が差し向かいで座っており、砕けた様子で会話をしているではないか。

「それは彼氏が悪いネー」

「でしょう! ああすっきりした!」

 などと言っている。

 人形屋の頭骨にはピンクのハートマークが浮かんでは消えて、恋愛トークを心から楽しんでいるらしかった。

 リチャードさんと僕の登場に気づいたふたりが同時にこちらを向き、

「りっちゃんお腹空いたヨ」

「こんにちは、ナンテン君」

 と同時に言う。

 各々、名前を呼んだ相手の横に座った。

 間髪入れずに給仕ドローンが飛んできて、

「本日のご用意は店主おまかせランチセットでございます。主菜に蛋黄酱虾仁エビマヨ紅焼猪肉ホンシャオツウロウ炒青菜チャオチンツァイと麻婆豆腐、先日お気に召された辣子鶏ラーズーチーをすべて大皿でお出しします。主食は麺と炒飯をお選びいただけますが、いかがなさいますか」

 人形屋とマーシュ社長は麺、僕は炒飯、リチャードさんは両方と言った。

「かしこまりました。食後のデザートは地球式杏仁豆腐でございます。それではどうぞ、ご歓談くださいませ」

 ドローンが引き下がるとすぐに、会話が再開する。

「ナンテン君」

 僕のグラスを目に見えない速さで引っ掴んだマーシュ社長が、冷たいけれど香り高いチャイニーズ・ティーを注いでくれながら言った。

「ごめんなさい。連絡をくれてたのよね」

「ありがとうございます。でも社長はお忙しいから」

 マーシュ社長は自分のグラスにもお茶を注ぎ、一口飲んで、遠いところを見る目になる。

「この頃ずっと、チャイナタウンにいたの」

「えっ、サニーデイズは閉めたんですか、まさか?」

「サニーデイズにはトミーにいてもらってるから大丈夫なんだけど」

 溜め息をひとつ。

 難しいことを、何処から話したら良いものやら悩んでいるという風だ。

 僕はただ待つ。

 こういう時に気の利いたことを言えないというのは、先日サニーデイズに行ったときに学んだことだ。

 残念ながら。

「先週の土曜日、ナンテン君は私に会った後、このお店に来たのよね」

「はい」

「それでアリイ・コーラのことで嫌な思いをさせてしまった」

「社長のせいでは」

「私のせいよ。私の不勉強だった。猛省してるところなんだけどね。あーあ」

「マーシュちゃんそういう顔するとシワが増えるヨ」

「あ、やだ」

 マーシュ社長にちゃちゃを入れた人形屋は、次の瞬間にはお気に入りのリチャードさんりっちゃんとのお喋りに戻っていた。

 何と言うスムーズな乱入。

 僕も見習いたい会話術である。

「何を言おうとしてたんだっけ。そう、あのね、君に謝らなきゃいけないなって。アリイ・コーラの話は、軽々としてはいけないものだったのよ。私にもっと知識があれば、君が怖い思いも痛い思いもしなくてよかった。ごめんなさい、心から」

「知識とは、どういう」

 ローターを鈍くきしませて、年代物の給仕ドローンが階下から上がってきた。

 色とりどりの前菜とスープ。

 気持ち、こないだより器にも気合が入っているようだ。

 真っ白なお皿の上で、金と赤、二頭の胴の長いドラゴンが雲を掻き分けて飛んでいる。

 この意匠は古代地球から持ち出されて、中国料理のエネルギーと共に急速に浸透した。

「食べまショ。食べテお喋りする、エネルギー効率いいネ」

 と高らかに宣言した人形屋に続いて、全員お箸を取った。

 外の気温に合わせて冷製の前菜は、どれもピリ辛だったけれど、ニュアンスの違う辛さで全然飽きない。

 むしろもっと食べ比べたい、と願う。

 幸福のあまり口数が減った四人組のもとに、次は大皿料理が運ばれてきた。

 三台の給仕ドローンと、階段をぎしぎし言わせながら店主がのっそりと上がってくる。

「マー! りっちゃん大盤振る舞いネ! お金持ちかくあるべしヨ」

 四人掛けの机から溢れんばかりの主菜。

 どれもこれも油分の芸術とばかりに輝いている。

 僕はマーシュ社長の話の続きを聞くことをいったん棚上げして、お箸と口と回転テーブルを動かす運動に集中した。

 横をちらりと見ると、マーシュ社長も僕のことは眼中にないとばかり口いっぱいに頬張っていたので安心する。

 人形屋ビューラさんとリチャードさんの食べっぷりは小型ブラックホールの観察に類似していた。

 僕も負けじと食べる。

 その内に大皿はみな白い腹を見せて降伏し、給仕ドローンが再び現れ、主食を――そう主食がまだあったのだ――を持ってきた。

 麺は、ジャパニーズ・チャイナ風という不可思議な肩書のついた冷やし中華なるヌードル。

 炒飯は、エビと葉物野菜を具材にした絶対に外しようのない逸品だった。

 それも片付けると、最後にデザートが運ばれてくる。

 古式(というのは古代地球風ということ)杏仁豆腐と、おまけの桃まん。

 そこまで食べ進めて、はち切れそうなお腹を持て余していると、マーシュ社長がチャイニーズ・ティーをすすりながら言う。

「蒸し返すけど、ここに滞在してるのは勉強のためなの。銀河には百五十個もの居住可能惑星がある。それ以上の数の国がある。私たちのニューハワイキ星は幸いにも平和で、だけどその分、外の世界の痛みに疎すぎる」

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