「かしこまりました」

 不信に思っていたのだ。

 マーシュ社長から販路拡大を目指す新進気鋭のクラフトコーラと聞かされていたものが、どうしてチャイナタウンの薄汚れた食堂に出回っているのか?

 チャイナタウンで買えないものはなく、売れないものはない、という噂は本当なのか?

 僕は謎めいた気分で待った。

 厨房から戻ってきたドローンは、

「申し訳ございません。売り切れてしまいました。他にご注文はございますか?」

「ああ、えっと、アリイ・コーラは……」

「売り切れです」

「じゃなくて、その、この近くで買える?」

「聞いて参ります」

 聞き分けの無いお客様ですね、というドローンの心の声が聞こえた気がする。

 ほどなく厨房から今度はドローン同伴で店主らしき人物がのっそりと現れ、僕は、しまった、と激しく後悔した。

 どすんどすん、という足音すら聞こえそうな緑色の巨体が、テーブルと客を掻き分けて近づいてくる。

 爬虫類系の鱗にびっしり覆われた強面の顔、その真ん中でらんらんと輝く暗い琥珀色の瞳は真っ直ぐ僕を睨んでいた。

 シュシュシュフシュ族、つまりヒト族の間ではこっそりトカゲ知性体リザードマンと呼ばれている種族。

 何事かと食堂の客が静まり返り、こちらに視線が集まっているのが感じられた。

 深入りするんじゃなかった、と思う。

 席を立って逃げ出した方が良いかもしれない。

 そう理性が促したけど、椅子に接着剤をつけられていたかのように僕は固まってしまった。

 僕のテーブルの前にそそり立った爬虫類型知性体は唸るような大きな声で何事かを言う。

 鼓膜がびりびり震えた。

「アリイ・コーラ」

 という単語以外は何も分からず、汎銀河系共通語を使っていないことからしても、友好的な態度とはとても言えない。

 むしろ身の危険を感じている。

 結構ですごめんなさい、それだけ答えて逃げよう――と僕の脳が告げたが、

「翻訳します。<どうしてアリイ・コーラにこだわるのか?>」

 挟み撃ちするように、給仕ドローンは僕の肩の辺りでホバリングしている。

「し、知り合いのお店で飲んだのが美味しかったので」

 がちん、と爬虫類型知性体の大きな顎が嚙み合わされた。

 あの間に僕の腕が入ったらどうなるだろうか、というのをありありと想像してしまってゾッとする。

 ひと噛みで千切れるだろう。

 そして間違いなくめちゃくちゃ痛い。

「翻訳します」

 爬虫類型知性体が吠えるように喋ると、残響で僕の耳はぼうぼうと唸った。

「<どこだ>」

「ダウンタウンの旅行代理店で」

「<どの店だ>」

「サニーデイズっていう」

 僕は噛みつかれまいと必死で喋る。

 アリイ・コーラについて何か問題があったとしてもサニーデイズ社の名前を出せば納得してくれるだろう、何故ならそっちもアリイ・コーラの作り手が信用している卸先なんだから、と頑張って考えながら言った。

「<ここに来たことはあるか?>」

「いいえ、初めてです」

 ドローンの翻訳を待たず、建材が雪崩なだれ落ちてくるみたいに爬虫類型知性体の巨体が僕に迫り、右腕が僕の胸倉を掴んで宙に持ち上げる。

 捻り上げられてから机に背中を押し付けられた。

「翻訳します。<お前は真実を話すべきだ>」

「何も知りませんよ!」

 左の拳が僕の顔を目掛けて振り下ろされる。

 その拳は僕の顔と同じくらいの大きさだ。

 あ、死ぬ。

 そう思ったとき不意に爬虫類型知性体は僕から手を離した。

 追撃は無し。

 だけど反撃するどころか僕は痛すぎて動けず、咳を出そうとする体にできたのは痙攣を起こすことだけ。

 涙でかすんだ視界の向こうで、爬虫類型知性体が指先に小さなボガ=ビガ人形を摘み、ぎょろりとした琥珀色の目をすがめながら訝し気に僕と人形とを見比べている。

 さっき買ったやつ。

 それが、何だというのだろう。

 緑色の鱗に縁どられた顔が近づいてきた。

 丸く大きく膨らんだ鼻孔から吐き出される生ぬるい息は、伝説のドラゴンのように、次の瞬間には炎に変じても不思議ではないと感じられる。

 次は丸焼きにされるのだろうか。

 でもってオールド・ロン・スペシャルランチをご注文のお客様に提供される――。

「そこまでにしておけ」

 爬虫類型知性体が素早く振り向き姿勢を正した。

「ヒトの体はくだらんほど脆い。知っておらぬとは言わさんぞ?」

 こつ、こつ、と油まみれの床に硬い靴音が響いた。

「儂はそこに座る」

 給仕ドローンがいそいそと足音の主のほうに飛んで行く。

 爬虫類型知性体は直立不動のまま片手を上げ、軍隊式の敬礼をした。

 僕はテーブルの端を掴んで、不格好に上半身を持ち上げる。

 そこには、チャイナタウンには似つかわしくない、高級ブティックから出てきた大富豪のような姿のリチャードさんがいた。

 びっくりしすぎて、喉元までせり上がっていたいた吐き気が胃に帰る。

「リチャードさん、ありが」

「小僧、テーブルの上に座って喰らうのは新手の流行か」

「えっ」

「違うなら下りよ。紛らわしい」

「えっ」

「儂――私は食事に来たのだ、わからんか。それともお前を喰うのか」

「ふえっ」

「うむ」

 リチャードさんは僕の戸惑いを完全に無視し、給仕ドローン(心なしか僕の時より張り切っている気がする)からメニューを受け取るや、真剣な顔をして読み始める。

 僕は慌ててテーブルから下りた。

 爬虫類知性体は丁寧に椅子を引き、控えめなボリュームでもしょもしょと喋りかける。

 給仕ドローンが翻訳したところによれば、それは料理の詳細な説明だった。

 ほとんど無頓着にリチャードさんは椅子に座り、

「スペシャルランチコース。三人前」

 と宣言する。

 爬虫類知性体と、給仕ドローンまでもが恭しく頭を垂れ、然る後に疾風の如く注文へ消え去った。

 どうやら、不本意ながら僕はまたしても命を救われてしまったようである。

 リチャードさんの金の髪は、オールド・ロンの薄汚い店内でいっとう輝いて見えた。

「あの」

「何だ」

「ありがとうございます」

 金の波がさらさらと揺れ、その中に埋め込まれた赤い瞳が僕を見る。

 心臓に何かを撃ち込まれたような気分になった。

「礼ならあれに言え」

「あれ?」

 顎をしゃくったリチャードさんにつられて店の入り口を見ると、そこには何故か例のボガ=ビガ人形屋がいる。

 ひょこひょこ長身を折り曲げて店の中に入ってくるところだった。

「りっちゃん間に合ったネ~」

「りりり、りっちゃn」

「私のことだが」

「ひえっ」

「訳が分からん。その奇声は如何な感情の発露なのだ」

「訳が分からないのお互い様とゆーことヨ」

「ふむ、分からん」

 人形屋の頭骨にサイケデリックな色合いのドットパターンが弾けた。

 喜んでいる、のだろうか。

 僕と話していた時はモノクロだったはずだけど。

「よいショイ」

 と人形屋は長々と椅子を下げて、勝手知ったる我が家というように座った。

 相変わらずローブの下の構造は謎である。

「お兄さんも座るいいヨ。りっちゃんお金持ちネ、毎回おごりネ」

「え」

「遠慮しないヨ」

「でも僕」

「小僧、私の中華が食えんと言うか」

「食べます食べます有難く」

「りっちゃん怖い顔しないネ~」

 キャラの押し出しの濃いふたりに挟まれる格好で僕は着席する。

 人形屋の頭骨顔が僕の方をしげしげと眺めた。

「背中痛くなイ?」

「あっ、はい、大丈夫です」

「後で湿布貼るノ。絶対に貼るノ。良いの売ってあげるから忘れないように貼るノ。約束ネ」

 変なものを売りつけられてはたまらない。

 うちに医療ボットがあるので、と勇気を振り絞って断りをいれたら、

「ああいうノは信用ならないネ、ダメダメネ」

 人形屋のよっつの目玉が吊り上がり、ローブの下に長い腕を突っ込んでごそごそとやったかと思うと得体のしれない湿った薄緑の布?のようなものが、ずるりと出てきた。

「え、遠慮します」

「いいかラいいかラ。秘伝の湿布、良く効くネ。たったの三クレジットでお譲りするネ。後払いでヨロシ」

「リチャードさん、あの!」

「うん?」

 リチャードさんは全然こちらに興味が無さそうに店内を見ていた。

 ぼんやりしているだけだというのに別のテーブルの男女が魅了されており、ひそかにフォトクリップに残そうとレンズを向けている。

 アルマナイマ星からのフライト帰りとあって、さしものリチャードさんも疲れているのだろうか。

「あの湿布は申し訳ないのですが遠慮したいのですが助けてください!」

 僕がスーツの肘にすがりついて一息に言うと、リチャードさんは退屈極まりないと言った声音で、

「ビューラ」

 肩を竦めた人形屋はにじり寄るのを停止し、謎の湿った何かをローブの下に戻した。

「残念ネ。明日とーっても背中痛いネ」

 と言いつつ、人形屋はさして残念そうでもなく、気分を害しているわけでもなさそうだったので、僕はホッとする。

 ダメもとで売りつけてみようという商魂たくましさということだろうか。

 それでも結構怖かったので、僕は心持ちリチャードさんに椅子ごと寄った。

 ぶーんと音を立てて給仕ドローンが近づいてくる。

 のしのしと爬虫類知性体店主も歩いて近づいてくる。

 その圧迫感に逃げ出しそうになりつつも、僕は辛うじて椅子に留まっていた。

 リチャードさんのランチから逃げた方が後々大変そうだからである。

 進むも地獄、退くも地獄というのはこういう状況を言うのだろう。

 しかし、

「お待たせしました」

 と給仕ドローンが言い、ランチコースを並べ始めると僕はきれいさっぱりその緊張感を脇に除けることが出来た。

 スペシャルなお客様用の、赤と金色に塗られたお箸。

 古代中国風ティーポットから注がれる香り高いハーブティー。

 卵をふわりと溶いたスープ。

 小皿に乗った前菜が三品(すべて名前を知らない)。

 ドローンと店主の一挙手一投足ごと、エキセントリックな花畑のように、非日常が開花した。

 僕の知っている食卓とは違う。

 家事ボットには描き出せない食事風景だった。

「本日の目玉はこちらの辣子鶏ラーズーチーでございます。鶏の唐揚げを野菜と煮込み、様々なスパイスで味付けしたお料理です。大変辛くなっておりますのでくれぐれもお気を付けください」

 テーブルの中心に置かれたいちばん大きな皿は唐揚げが隠れるほどに大量の真っ赤なトウガラシが積み上げられていて、さながら大輪の薔薇の如く。

「ナンテン・J・D」

「あっ、はい?」

「食うぞ」

「あっ、はい!」

「ナンテン君、ナ・ン・テ・ン君ネ。覚えたネ」

「あっ、はい」

「ワタシの名前、ビューラいうヨ。覚えたネ」

「あっ、はい……」

「アラいけないヨ~! りっちゃんメインは最後に食べるノ!」

「知らん。弱肉強食である」

「便利な言葉ネ。そう思うネ、ナンテン君」

「ひゃい」

「私たちも負けちゃダメヨー」

 そんな調子で僕は二回目のランチをした。

 お腹ははち切れそうだったし、またリチャードさん向け四川料理とあって腰が砕けそうに辛かったけど、この世のものとは思えないほど美味しくて、リチャードさんと人形屋ビューラ氏はもっぱらふたりの会話に没頭していたお陰で放っておいてもらえたし、おおむね幸せな昼食会だったと思う。

 そこで分かったのは、リチャードさんは何故だか僕がチャイナタウンに迷い込むことを予測しており、その対応策として人形屋ビューラさんに僕の顔認証データを渡したうえで、ボガ=ビガ人形を売りつけさせたのだということだ。

 ボガ=ビガ人形には特殊なGPSが内蔵されており、クムリポネットワーク外のチャイナタウンでも正常に作動する。

 僕の居場所はそれで特定されて、リチャードさんがこの店に現れた、というわけ。

 けれども、何故リチャードさんがそんなことをしたのかは不明。

 その前に、何故リチャードさんがチャイナタウンで幅を利かせているのかも不明。

 更に言うならアリイ・コーラの件だって意味不明なのである。

 僕の頭には沢山のハテナが浮かんでいたけれど、そんなことを聞き出す前にお開きになってしまった。

 外に出るとすっかり日は傾いていて、僕はリチャードさんの浮遊車ホバーでトラムの駅まで送ってもらい、何となく売店で地球中華風と銘打たれたゴマ団子を買って帰る。

 家に着くころにはチャイナタウンの熱気に当てられた疲れがどっと押し寄せてきた。

 まるで現実とは思えない一日。

 ゴマ団子を冷蔵庫に入れて、シャワーを浴びて、倒れるように僕は寝た。

 朝起きた頃には近頃人気のキャラクターのイラストと、「ありがとう」という言葉のデジタルポップが妹の名前で冷蔵庫につけられており、ゴマ団子はすっかり消えてしまっている。

 ちゃっかり者め。

 普段ほとんど話すらしないくせに、美味しい部分だけかっさらっていくんだから。

 でもいいか、と僕は気を取り直した。

 中華の美味しいものなら、きっとオールド・ロンに行けば見つかるのだから。

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