太陽に炙られたダウンタウンも相変わらずトースターの中のみたいに暑い。

 街路樹も心なしかしなびて見え、道行く観光客だけが元気にはしゃいでいる。

 僕はほぼ小走りに一ブロック進んだところで角を曲がった。

 サニーデイズ社の自動扉から社長が飛び出して僕を追いかけ呼び止めてくれるんじゃないか、という、青臭くしょうもない想像が膨らんで、一刻も早く大通りから脱出したいという思いに急かされたのである。

 自分のものではないかのように足はオートマチックにしゃかしゃかと動いた。

 恥ずかしさにのぼせ上った頭は、ブレーキをかけるという初歩的な危険回避策すら考えられないほどの動作不良に陥って、流れていく景色がどんどん見覚えのないものに変わっていくということの意味を察知しないまま、歩き続けている。

 そして、クムリポ端末からビープ音が鳴ってようやく、僕は足を止めた。

 <通常の行動範囲から大きく外れています>

 賢い都市管理AIは優しく言って、ハイスクール三年生が色々な意味で道を踏み外すことを抑制しようとしている。

 僕は端末のアラートを消し、周囲を見渡した。

 ずいぶんと町の奥まで来てしまったらしい。

 何処かの四つ角に立っていた。

 道幅は狭くて、四人乗りのヴィークル同士だとすれ違うことも難しいだろう。

 周囲の建物の色は押しなべてくすんでいて飾り気がないうえに、密集して建てられているので昼間なのに薄暗い感じがした。

 危ない場所に、僕は侵入してしまったのではなかろうか。

 急に交差点の角で止まったものだから、後ろから歩いてきた誰かが僕の背中にぶつかって、押し出された勢いで交差点を渡る。

 ぶつかられた相手に悪態を吐かれたので謝りながら、その汎銀河系共通語にしても訛りの強い言葉の鋭さに、身を縮めて逃げるように先へ進んだ。

 相手の顔を見る余裕も無かった。

 次のブロックからはひとの声が沢山聞こえる。

 そちらに出れば、まだ治安がいいかもしれない。

 そう願って交差点を渡り、次の角から顔を覗かせると、そこから先の世界は映画のシーンが切り替わったように、うら寂しい路地とはまったく違う風合いを見せてくれた。

 色の洪水、音の洪水、匂いの洪水。

 僕の味覚と聴覚と嗅覚にどっと情報が押し寄せ、くらくらした。

 通りには過剰なほど色とりどりの屋台の群れと人の群れ、頭上には看板が溢れている。

 ひっきりなしに右から左へ、左から右へ、ある時は頭上を行き過ぎるのは汎銀河系共通語ですらない謎の言語だ。

 屋台とその奥に開店しているレストランからは百万もの刺激的な香りが渦巻き、空中で衝突事故を起こしつつも、どういう理屈か調和して上手くやっているように思われる。

 僕は大いなる感嘆とともに左右を見渡した。

 間違いない。

 ここはいわゆる

 それも観光客向けの張りぼてではなく、本物の、生活臭のするチャイナタウンに出くわしたのだ。

 他の星では違うかもしれないけれど、ニューハワイキ星においてはチャイナタウンという言葉は古代地球の中国にルーツを持つヒト族が商魂たくましく切り開いた街区を指すのではなく、あらゆる根無し草的な人々が寄り集まって出来たごちゃ混ぜ区画のことを言う。

 そこにはクムリポの目すら届かず、そこに足を踏み入れれば二度と元通りの自分には帰ってこられないとも噂されていた。

 だからチャイナタウンはクムリポ端末のマップには絶対に表示されない。

 疑うことを知らない我々一般市民は、本物のチャイナタウンへ続く路地がマップ上では工事中の行き止まりになっていることに、何の違和感も覚えないのである!

 ――という、半ば都市伝説みたいな場所と認識していた。

「ヘイ、お兄さんチャイナタウン初めてネ?」

 近すぎてよく見えてなかったけど、僕が突っ立っている真横にも屋台があったのだ。

 声をかけてきたのは体の全部が機械化されていると思しき二足歩行型の店員で、ケーブルが剥き出しになった指の先に、虹色の手を八本も生やした謎の人形をつまんでいた。

 店員は僕の二倍くらいありそうな長身で、古代の肉食動物の頭骨によく似たフルフェイスマスクを顔にしている。

 その頭骨顔は安物の強化プラスチックのようなくすんだクリーム色の塗装で、所々が割れたり欠けたり焦げたりしていた。

 目は左右にふたつずつある。

 眼球に見立てた白い球体の上に瞳孔のドットパターンを表示することで、目の表情を代弁しているようだった。

 今は上の目ふたつに現金クレジットを表すマークが出ていて、下の目ふたつには真ん丸でさも無害そうな瞳が描き出されている。

 さあ商売しまっせ、ということだろうか。

 首から下はだぶだぶのローブに隠されているけど、頭骨顔の下に伸びていく長いチューブの先に何が繋がっているのかは、全然知りたくない。

 あまりお近づきになりたくないと僕は思った。

 何故なら、今までの僕の世間には登場しなかったタイプだから。

「ええと」

 僕が戸惑っていると、店員はしゅーっと呼吸音か排気音かを響かせながら、

「ボガ=ビガ人形知ってるネ?」

「いえ」

「じゃあ、うちで買ったらいいよヨ。うちの店が一番安いだからネ」

「いえ」

 店員がぱっと手を開くと、その巨大な手のひらの中に魔法の如くじゃらじゃらと、ホガなんとか人形の大群が現れた。

 大きいのもあれば小さいのもある。

 大量の節足動物にたかられているようにも見えて、僕は後ずさった。

 店員は僕の躊躇に気づいているのいないのか、ずいと上半身を傾けて、僕が後退した分の距離を易々と埋めてしまう。

「これ持ってる人は金運に恵まれるいうヨ。子宝に恵まれる。勝負に勝てる。夢をかなえるチカラを与えるダガ族の偉い精霊だヨ」

「あの」

「ボガ=ビガ様はチャイナタウンの名物だからネ、買わないことには帰れないヨー」

 本来の持ち主の目とは程遠いだろう白いよっつの眼球の上に、にこやかな笑いのマークが表現される。

 解放されたくて僕は一番小さくて一番マシな外見のボガ=ビガ様とやらを買った。

 現金で支払うならたったの三クレジット。

 僕の昼食代の半分だったから、まあ、痛手としては大したことはない。

 店員が、見えるところにつけておかないと他のボガ=ビガ人形売りにも捉まるヨ、と恐ろしいことを言ったので、僕は渋々その薄気味悪い精霊を胸ポケットに押し込んだ。

 そして余計なもの――ひと回り大きなボガ=ビガ様とか――を売りつけられる前に、歩き出す。

 前へ。

 そのまま後ずさって日常に戻ることもできたはずだが、僕は速やかに頭骨店員から離れたかったから、反射的にチャイナタウンの奥へ進むことを選んだのである。

 謎の頭骨店員が告げた、ボガ=ビガ様は夢をかなえるチカラを持つという売り文句に惹かれるところがあったのかもしれない。

 ともかく、僕は振り返らず渾沌に身を躍らせる。

 恐ろしい人口密度だった。

 ここでいちばん高価なものはパーソナルスペースだろう。

 すれ違うのがやっとの距離を保ったまま、様々な種族の人々が奇跡的にぶつかり合わず、てんでばらばらにお目当ての場所を目指して歩き回っていた。

 汎銀河系共通語ではない言語が怒鳴り合いのように左右から響き、その度に僕はビビッて周りを見渡し、自分への悪口でないことを確認しては逃げるように前へ進む。

 熱気と緊張で背中にべったり汗をかいていた。

 人波に揉まれてよろめき歩くとコーラ味のげっぷが出て、それは爽やかな柑橘フレーバーの余韻と、僕にとっては苦い「夢」という言葉の後味がする。

 何処かに身を落ち着けて、自分自身の不甲斐なさからくる恥の感覚と、チャイナタウンという途方もない場所に迷い込んだ心細さで弾け飛びそうな頭を休めるべきだと考え、僕は屋台ではなく、ビルの地階にオープンしていたギャラクシー・フュージョン料理<オールド・ロン>という看板のかかった食堂に飛び込んだ。

 その店を選んだのは、人波に押されたのもあったが、それよりなにより小さくはあるが見間違いようがない、マーシュ社長に飲ませてもらったあのコーラの宣伝が張り出されているのが見えたからだ。

 店は歩道ともはや地続きになっており、屋外にもテーブルがはみ出していて大盛況である。

 ルールが分からずまごつきながら室内へ踏み込んだ途端、赤と金に塗られた派手な(でもところどころ剥げてる年代物の)給仕ドローンが頭上をぶんぶん唸りながら飛んできて、僕の目の前に止まった。

「ようこそオールド・ロンへ。お客様の席へご案内します」

 そうして僕は、意外といい席を確保することが出来た。

 歩道に近すぎず、かといって奥すぎず、チャイナタウンの活況をある程度安全な距離を隔てて眺められそうなところ。

 つまり観客としてぼんやり座っていても大丈夫そうなところ。

 僕が着席するのを見届けると給仕ドローンは唸りを上げて飛び去って行く。

 店内は全体的に油でギトギトしていた。

 床につけた足を動かそうとするとぺりぺりと音がする。

 壁のモニターには多言語の雑多な広告が流れていたけれど、そのモニターの大半にも油が染み込んで画面の縁が茶色く変色していた。

 クムリポ端末を立ち上げてメニューを見ようとしたけど、電源が入らない。

 じゃあどうやって注文するんだろう、ときょろきょろしていると、何と給仕ドローンは紙のメニュー表を持ってきて、

「ご注文をどうぞ。決まりましたら、そのままお話ください」

 と言う。

 僕は絶句した。

 紙だって!

 古代地球みたいなローテク!

 生まれてこの方、僕はもちろん(この日記を読む皆さんの大多数もそうだと思いますが)紙なんて触ったことがなかった。

 銀河を駆け回る社会に物理でデータ保存なんて非効率的だし、資源の無駄づかい。

 それが常識だと思っていたのだけれど。

 慎重に給仕ドローンからメニューを受けとり、今日のランチと手書きされた部分を読む。

 僕はぐっと目に力を入れた。

 何てことだ。

 読めない。

 辛うじてAランチとかBランチとかデザートセットと書いてあるのは見える。

 しかし料理の名前は得体のしれない文字、強いていうならば古代地球の漢字っぽい文字で書かれていて、その下に汎銀河系共通語で補足がしてあるんだけど、癖のある手書きの上にスペルミスが多発していて良く分からないのだ。

 僕は諦めて、いちばん安かったヒト族向けAランチを頼むことにする。

 給仕ドローンが奥へぶんぶん飛んで行くと、汎銀河系共通語ではない言葉でAランチのメニューが復唱されるのが聞こえた。

 直後にごおっと音を立てて炎が上がり、甲高く鍋を打ち鳴らす音が続く。

 気が遠くなりそうな心持ちで僕は厨房側から顔を背けた。

 思えば僕は、他人が何かを調理している姿というものを直視したことがない。

 多種族が混合して暮らすニューハワイキ星においては(この日記を読む皆さんのお住まいの星もそうだと思いますが)様々な配慮が必要で、特定の食材や調理法がタブーとなる種族にも生活しやすくするため、厨房は極力隠すのがマナーだ。

 家庭での食事は家事ボットが担当するものだから、食べたいものを言っておけばボットはクムリポネットワークを通じて食材を発注し、食事の時間に間に合うように適宜作って配膳し、食べ終わったら食器を回収して片付ける。

 家の住人は、家事趣味を持っているのでない限り何もしなくていい。

 そして家事ボットはもちろん政府から配給されている。

 僕はあらゆる形、あらゆる色をした人々が動く前衛芸術のように流れていくチャイナタウンの通りをぼんやりと眺めた。

 つかみどころが無さすぎて川の流れを観察しているような感じがする。

 ニューハワイキ星の常識、僕の日常作法はここではてんで通用しないのだと思うと、ひどく心もとなかった。

 端末の電源が入らないということは星内ネットワークそのものに繋がってないってことだ。

 だからメニューは紙に書かれているのだろう。

 僕は、最近の習慣でクレジットを持ち歩いていたことを幸運に感じた。

 サニーデイズ社のオプショナルツアーは、ジャングルの奥地みたいなクムリポネットワークの接続保証範囲外にも行く。

 だからもしもの時に備えて物理クレジットも用意しておくように、と雇用契約で念押しされていたのだ。

 物思いにふけっている間に、ぶーん、と壊れそうな音を立てて給仕ドローンがやってくる。

 器用にアームで銀色のお盆を掴み、僕のテーブルに置いた。

 僕は、

「ワオ」

 と小声で言う。

 料理の名前は分からない。

 どこの星のどこの国のどこの種族の料理なのかも知らない。

 それでも、匂いだけで美味しさを保証してくれる炒め物――何かの内臓と野菜とを茶色いソースで炒め和えしてある――と、白いご飯と、温かいスープが絶品だということは、目の前に置かれただけで良く理解できた。

 ひと口頬張ると、たちまち僕は幸せの絶頂に持ち上げられる。

 ふた口目で、もう食事の間だけは何も考えないようにしようという決意を新たにした。

 みるみるうちに大皿の炒め物は無くなり、ご飯もスープも綺麗に僕の体の中に納まって、スパイスの香りの幸せな余波だけが口の中に残っている。

 僕は呆然として薄汚れた椅子の背もたれに身を預けた。

 人生で最高に美味しい食事が何かと問われれば、光よりも速くオールド・ロンのAランチだったと答える。

 食器が空になったので給仕ドローンがやってきた。

 僕は、はたと思い出して追加注文をする。

「コーラが飲みたい。あの、そう、アリイ・コーラが欲しい」

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