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ニューハワイキ星最大の都市ニューワイキキ、そのダウンタウンにサニーデイズ社という個人経営の旅行会社がある。
ニッチなオプショナルツアーや、マイナーな惑星への旅行の手配を売り物にした、そこそこ尖った経営スタイルの会社だ。
相談できそうな大人というと、ここを頼るという選択肢しか僕には浮かばなかった。
それにパフェの一件以来、ちょくちょくモニターのバイトに呼ばれるようになっている。
迷惑ではないかと悩んだが代案が思いつかない以上は仕方ない。
失礼は承知の上で足を運ぶことにした。
マーシュ社長は気さくだし、トミーさんは親戚のおじさんみたいで、あの会社は居心地がいい。
ただしミスター・リチャード。
あの人だけは別格であるというか、別ジャンルと区分けした方が正しいかもしれない。
例えばたいていバイトの相棒はトミーおじさんだけど、一度だけリチャードさんと組んで、その時は激辛料理を食べに行った。
トミーおじさんは、さすがにこの歳では激辛ネオスペース四川のフルコースは内臓に悪いと言ってリチャードさんに任せたらしい。
確かに僕もその方が良いだろうと思ったし、リチャードさんはなんだかんだ言っても優しい人なんだなあと感心していた。
ただし感動が続いたのも、リチャードさんがお店で一番辛い料理(聞くところによるとあまりにも辛くて種族によっては死ぬらしい)の大盛りを平気な顔で食べ、しかして後に、私にはよくわからんからお前が食え、と皿ごと押しつけるまでだったけれど。
そのあと僕は三日三晩下痢と戦う羽目になった。
ベッドの中から震える声で端末に入力したグルメレポートの受領承認メールにはサニーデイズ社からのお見舞ポイントが付いていて、ひどく情けない気持ちになったのをありありと思い出せる。
ともかく、その仕事以外については、サニーデイズ社でのアルバイトが気に入っていた。
何しろモニターするアクティビティが奇抜で面白い。
とても他人に勧められないようなつまらないものにも当たるけど、平凡な僕が手に入れる非日常として、サニーデイズ社のアルバイトは素晴らしい宝物だ。
僕はクムリポ端末だけポケットに突っ込んで、外に出る。
「バイト先行ってくる」
母に言うと、あまり息子に興味の無さそうな返事が聞こえた。
「夕飯は用意しないから」
わかった、と返してドアを開けると、突き刺さるような午前の光が黒いアスファルトを照り焼きにしている。
うんざりしながらも、リビングから流れてくるウクレレの響きに背中を押されて歩き出した。
前奏に続くはずの、破壊的音痴な妹のフラ・ソングを聞きたいとは思わなかったから。
トラムに乗って移動する最中も、ショッピングモールを通り抜ける道すがらもケイトリン先生の完璧な古代ハワイ訛り(多分これでも政府からボーナスをもらっているだろう)の発音による「落第」という単語が、花にたかる蜂のように元気にぶんぶんと耳元を飛んでいる。
その虫たちを追い払うように頭を振って、僕はサニーデイズ社の入り口に立った。
入植当初に建てられたという年代物のビルは、もう百年ほどの年季を重ねている。
少々つっかえがちに自動ドアがスライドすると、早速カウンターに座っていた社長のマーシュさんが僕に向かって手を振ってくれた。
「やあナンテンくん。さては赤点かな? それとも落第の危機?」
「どうしてわかるんですか。ハッキングは犯罪ですよ」
社長のマーシュさんはケタケタ笑い、
「きみはすぐ顔に出るんだから! まあ座って座って。ジュース取ってくる」
と奥に引っ込む。
僕はひとつしかないカウンター席に腰を落ち着け、スリープ中のデータパッドの宇宙のように真っ暗な画面にぼんやり映る自分の顔を見た。
そんなにわかりやすかっただろうか。
「マンゴージュースとコーラがあるけど〜?」
「コーラでお願いしま〜す」
「オッケ〜」
プシュッとサーバーからきっかりコップ一杯分のコーラが発射された音が二回。
間も無く両手にコップを持ったマーシュ社長が現れた。
「体に悪いって言ってませんでした?」
「試供品でもらった新商品はノーカウント。後で感想聞かせて」
マーシュ社長はいつも会社のロゴマーク入りの半袖Tシャツの上にデニムのオーバーオールを着ていて、体の隅々まで「元気」という言葉で構築されているタイプの女性である。
僕より半周り年上だろうという感じがした。
とすると、大学を出たばかりで起業したということになるのだろうか。
凄いなあと素直に思った。
「お仕事の邪魔じゃないですか」
「邪魔だったらコーラ出さないでしょ。いいのいいの暇だから。今は」
「今は?」
マーシュ社長が宙を指で弾くと、僕のデータパッドに異様に地味な旅行パンフレットが表示される。
目を通して、その内容に息を呑んだ。
「アルマナイマ星って、あの?」
「そうなの。希望者が出た時にだけ催行してるんだけど、個人手配できるのウチくらいだからね。ツアーコンダクターの請負費用と往還機一台分の補償金は丸儲けになるわけで、意外といい稼ぎになるんだなこれが」
指を丸めてお金のジェスチャーをした社長は、そのひょうきんな仕草とは裏腹に楽しそうではない。
それはそうだろうと僕は思う。
アルマナイマ国際宇宙港は、着陸の難度が汎銀河系で一番高いことで有名なのだ。
風向きとか地形とか太陽フレアとかの問題ではなく、大型の原生生物に襲撃されるから。
しかもその原生生物というのが、戦艦でも軽々と撃墜してしまうような難物ときた。
ツアー客も、ツアーコンダクターも生命の危機と向かい合わなくてはいけないだろう。
そんな場所に社員を送り込むのは断腸の思いというやつに違いない。
「ニューハワイキへの帰還は今日ですか。それは心配ですね」
マーシュ社長はコーラの入ったグラスを回しながら口を尖らせた。
「アルマナイマから無事に宇宙空間に出たのは知ってるからさ、もう待つだけなんだけど。ただまあ……」
「?」
「リチャードさんがひと悶着無しに帰ってくるのは奇跡だから」
「なーるほど」
「トミーは教会にお祈りに行ったわ。お客様と自分の胃の無事を祈るために」
「リチャードさんの無事は祈らない」
「殺しても死なないって形容詞はああいう人のためにあるのよ」
マーシュ社長はコーラをかぷかぷ飲む。
僕はある派手な金髪の男を脳裏に浮かべていた。
というか、浮かべたくなくても名前を聞けば自動的に高笑いとともに再生される。
老若男女の目を釘付けにする宝石をはめ込んだような赤い瞳に、溜息が出そうなほど完璧な体型と美貌をもち合わせているにもかかわらず、その内面に傍若無人なハリケーンの如き気性を抱え込んだ貴公子ならぬ奇行子ことサニーデイズ社の辺境惑星担当、リチャード氏の姿が。
そして僕は考えたのである。
あの常識ぶち破り名人リチャードさんが大手を振って社会人をしているということは、僕の将来もなんとかなるであろうと。
何ひとつ大丈夫でないのは脇において。
「社長」
「マーシュさん、にして」
そう言って若き社長は二杯目のコーラを注いだ。
「結構イケる味かも。どう思う?」
「僕も好きです。それはそうと、あの、リチャードさんって何者なんです」
マーシュ社長が立ち上がって、僕の分のコーラも入れてくれたので、僕は大変恐縮する。
大人からそういう気の使われ方をするのに慣れてない。
「何者、ねえ」
「すっごい失礼なこと言うんですけど、全然お金に困ってなさそうじゃないですか」
「実際めちゃくちゃな金持ちよ。どっかの御曹司というやつかも」
「なんでここで働いてるんです?」
「さあ」
「えっ」
マーシュ社長は肩を竦めた。
「聞かないことにしてるの」
「社員さんなのに、ですか」
「言いたくないことを言わせるのは仕事じゃないから。少なくともサニーデイズ社の仕事じゃないから。嫌でしょ、プライベートな相手でもないのに根掘り葉掘り」
「まあ、そうですかね……」
「あの人がやりたいと言い、問題なく、いや、あることはあるけど自己解決出来てるからそれは別に構わなくて、五体満足で楽しそうに仕事をやっててくれるんだったら、こっちが詮索することじゃない。言いたくなれば言う、支障が起こったら質問する。それで構わないと思う。何というか、そう、私はすべてを説明されることが当然だとは考えてないからさ。とはいえ」
空中で社長の細く傷ひとつ無い指が前衛芸術のように動き、二十一世紀の味を復刻したとうたうコーラの広告が、白いカウンターの上にたゆたう。
「とはいえ……、ねえ教えて。君たちの年頃だと、一日にどれくらいジュースを飲むもの?」
「ええと」
僕は口ごもり、同級生のことをほとんど知らないことに思い当たった。
古代地球を再演しているとはいえ、流石にリアルで<登校する>という時間は無駄過ぎる。
種族による生活習慣や嗜好、宗教のあれこれ、身体的に出来ること出来ないことなどなどを物理空間に出力して調整しようというのは、コストの関係で難しくもあるのだろう。
そもそも二十一世紀の地球で認識されていたのはヒト族だけだったわけで、ヒト族のハワイアンが誇りにしていた「多民族が仲良く暮らす楽園」というニュアンスと、今のニューハワイキアンが目指す「多種族が仲良く暮らす楽園」では意味が違う。
そういう話でいくなら、そもそも古代地球を複製しようと計画は最初から破綻している。
「同級生とリアルに会ったことがなくて」
僕が正直に言うと、社長は天を仰いだ。
そして、
「まあ、そうか」
と頷く。
「あの、僕の例だけで言うと、ハワイキアンサンズの炭酸系が家のサーバーに常備されてて、結構飲みます。あまり参考にならないかもですけど」
「コーラとか、あとエナジー系は?」
「その辺は親が嫌がるんで……。外に出たらチェーンのカフェでコーヒー飲みます。そこまで行ってジュースは飲まないっていう、カッコつけですけど」
「ちなみにこれ、アリイ・コーラって商品名。見たことある?」
「いいえ」
「よし。じゃあ二ダース入れとこ」
ぽーん、と指が決定のボタンをタップした。
僕は不思議そうな顔をしていたのだろう。
「このコーラ、ニューハワイキの地物なの。地球由来のコーラの実は流石にないけど、それに近い植物を土で育てて、香辛料の配合も自分たちでやって、って作ってるこだわりのクラフトコーラ。ただまだ知名度も低いし、残念ながらチェーン店の主力商品でも無さそうね。もし出回ってるなら君みたいな年頃の子の目に入るように広告を売ってるはずだもん。だったらサニーデイズ社のおもてなしとして、お客さんに驚きと楽しさを与える飲み物になりそうでしょ。単純に、まず美味しい。もしかしたら販路の拡大に協力したって道を通じて私たちが何らかのチャンスを見出せる可能性もある。それにまあ、余ったら私たちで飲めばいいわけで。地産地消よ。ニューハワイキでは数少ない、ね」
さっと手を振って画面を横に押しやり、マーシュ社長は僕に向き直る。
「で、本題。きみ、相談事があるんじゃないの? リチャードさんが帰ってくる前に聞いた方が良いと思うけど、話す気はまだあるかな?」
「そうでした」
お恥ずかしい限りなんですけど、と先に言い添えて、僕は話し出した。
ケイトリン先生との会話、落第回避のための課題について。
「ニューハワイキ星ならではの産業をテーマにレポートを一カ月以内に提出すること、と言われてしまいまして。テーマの設定は自由なんですけど、どんな切り口にしたものか全然思いつかなくて」
「うん、だからうちに来たのね」
「はい。その……、どうも僕は将来の夢っていうのが無くてですね」
みるみるうちにマーシュ社長の顔が曇る。
自重する僕の耳元で、ケイトリン先生が囁いた――落第したいのかしら、ナンテン・J・D?
「もちろん落第はしたくないんです」
言い足して、我ながら何て下手くそな言葉選びなんだ、と絶望する。
ずけずけと押しかけて助けてくださいとすがった目上の人に自分語りをした締めの言葉がそれかよ、っていう。
カウンターにめり込んでいいなら、頭からいきたかった。
「すみません、勝手なこと言って」
その代わりに僕は咄嗟に取り繕う。
そういう軽さが嫌になったばっかだっていうのに。
マーシュ社長は険しい顔のまま、わかった、と言った。
「君の力にはなってあげるつもり。何か考える。でも今すぐには難しいから、また」
「連絡をいただける、ということですね」
「うん」
憐れみを感じる。
まだ外を知らない子犬が初めて散歩に出るのを、優しく見守る親犬のような社長の態度に。
僕は恥ずかしさのあまりにそそくさと立ち上がり、マーシュ社長にお礼を言うなりサニーデイズ社の小さなロビーを大股に横切って、自動扉をこじ開けるように外へ逃げ出した。
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