阿波は鳴門 撫養の塩

ほんだこかぶ

 

五月雨の時期に雨が少なかったせいなのか、水無月に入ったというのに降ったり止んだりを繰り返すぐずついた空が続いている。俺たち塩田の日雇衆は雨が降ればお手上げだ。海の水を吸った砂を陽射しで乾かせてそこから濃い塩水をつくる塩田では、雨が何よりもの大敵になる。五月雨が去って晴れ続きになる水無月が稼ぎ時だっていうのに、雨続きじゃ稼ぎにもなりゃしない。塩田へ出る日は飯もつくが、雨が降ったら給金も飯もない。不幸中の幸いというべきか、仕事はなくてもとりあえず雨露だけはしのげる。塩田でつくる濃い塩水の【かん水】を煮詰めるのに使う薪がみっちり詰まった小屋の隣に、薪を納めている村々から夏の間だけ日雇にやってくる俺たちが寝泊まりするための掘っ建て小屋がある。雨でもここを追い出されることはない。

その小屋で長雨の暇つぶしにおっちゃんたちは酒盛りをしながら丼に賽子でちんちろりんに興じている。今年が初めての俺も誘われたけど、『銭がない』と断った。『いったい何に遣ったんだ』って尋ねられたから、『ここの飯じゃ全然足りなくてときどき飯屋へ行っているからだ』と答えたら、『その身体じゃここの飯を喰っただけじゃ足りねぇだろうし、独活の大木は働きが悪いって給金を浜屋徳兵衛に渋られているし、それじゃぁな』と気の毒そうな視線を注がれた。

おっちゃんたちに『その身体じゃな』と納得された六尺を超えている身体を板の間の隅で丸めて減った腹をなだめる。塩田では力仕事のうえに夏の厳しい暑さが体力を容赦なく奪う。だから稼ぎがあるときは飯屋へ行ってうどんを喰うようにしている。一文でも余分な金を遣いたくはなかったが、『給金を遣って余分に喰っておかなきゃもたんぞ、病になればもっと銭がかかるからとにかく飯屋を探してたんと喰え。』村を出てくるとき、おとんにくどいほどそう念を押された。おかんがいうには次男坊だったおとんも婿に来る前は日雇へ出ていたそうだ。その経験から出た言葉だったから素直にきいた。

俺たちの村では夏場の塩田へ日雇に行くのが次男以下のつとめだった。村でいう庄屋にあたる撫養塩田の浜屋徳兵衛に薪を買ってもらうかわりに夏場の足りない人手を村から出して補うのがしきたりだった。その次男な俺が病に倒れるわけにはいかない。小作じゃないとはいえ余裕があるわけでもない。給金を一文でも多く入れたい気持ちと飯の量を天秤にかけてうまくやろうと思ったら、酒や賭け事なんぞに銭を遣っている場合じゃない。かといって若造の俺にとっては角が立たないように断るのもなかなかに骨だった。

「おい。眞吉。起きろ。飯にはちぃっと早ぇがおめぇの通ってる飯屋へ行ってこれで酒と喰い物を適当に見繕って買ってこいや。」

ちんちろりんに背を向けて寝転がっていた俺の尻を蹴ってたたき起こした隣村の太吉兄ぃが銭を寄こした。おっくうだったけどちんちろりんに加わらないし、今年が初めてとはいえそれ以上に半端にしか仕事のできない俺が行くしかない。俵詰めされた塩を積み出す湊近くに、俺たち日雇者や舟人足相手の飯屋兼飲み屋がぽつぽつある。そのうちのひとつ、おふくの縄暖簾をくぐる。

「あら、いらっしゃい。眞吉さん、きょうは早いのね。」

店の中は飯時にはまだ早いせいか客はひとりもいなかった。

「あぁ。兄さん方が飯と酒を買って来いって。これで頼めるかい。」

眞吉は太吉に渡された銭を縁台に広げておかよに見せた。

「そうねぇ。なんとかするわ。ちょっと待っていてちょうだい。」

おふくを始めたのは先代で、塩どころの播州龍野から転封になった蜂須賀家が播州から塩づくりの職人を招いて撫養に塩田を開いた頃のことだ。そのかみさんがおふくといったらしい。その孫娘がおかよだった。おかよは父親の留次とふたりでおふくを切り盛りしていた。おかよの母親らしき者の姿をみたことはない。流行病で何年か前に亡くなったらしい。そんな話が聞こえてきたことを思い出しているうちにおかよが戻ってきた。

「てきとうにみつくろっておいたわ。徳利とお重はそのうち返しにきてくれたらいいから。」

「あぁ、すまねぇ。助かる。」

眞吉はひょこっと頭を下げた。

「そろそろ晴れるかしらね。」

「お天道様のなさることだ、わかんねぇや。」

「それもそうね。お天道様が早いかおとんが早いか。」

「おやじさん、どうにかしたのかい。」

「おとんはね。腰をぐっきりやっちまってしばらくうどんを打てないのよ。いまは雨続きでお客さんも少ないからいいけど、お天道様が顔を出したらあたしの打てる量じゃ間に合わないわ。だから眞吉さんも早く来ないとうどんが売り切れるかもしれないわ。」

酒を嗜まない眞吉にとってうどんがないのは痛手だった。

「おやじさん、だいぶ悪いのかい。」

「長年の無理がたたったみたいだけど、養生すれば治るって。」

「そうか…。早く治るといいな。」

「そうね。でも、おとんにも無理させたくないし、かといってあたしひとりじゃ…。もうね、どうしたらいいかわかんないの。」

「誰か雇ったりはしないのかい。」

「なかなかね。そこまで手がまわらないのよ。」

おかよの深いため息に眞吉は動揺した。

「なぁ、おかよちゃん。俺でよければすけようか。」

「えぇっ。でも立派なお給金なんて払えないわよ。」

「いや、給金なんていらねぇよ。」

「そういうわけにはいかないわよ。」

「俺だって日雇もあるし、ここにべったりってわけにはいかねぇからさ。できるときだけだし給金なんて気にしなくていいぜ。」

「でも…。」

「おかよちゃんがどうしてもっていうなら…そうだな。給金のかわりに残りもんでいいからさ、この身体だ、何かしら喰わせてくれればそれでいいぜ。おやじさんにもきいてみてくれよ。」

「わかった。おとんにきいてくる。」

しばらく待っていると、竹の棒を杖代わりに縋った留次が姿を見せた。すると、眞吉の顔をじいっとみつめ、ひとつ大きく息を吐いて口を開いた。

「眞吉さん。わしの具合がようなるまで頼めるかい。そう長いことはかからんと思うがなぁ…」

「おやじさんの打つ旨くて安いうどんが喰えないと、俺のこの身体がもたねぇんだ。困った時はお互いさまってことだ。もっとも、おやじさんほど旨いうどんを打てる自信はないけどな。」

曇りのない眞吉の笑顔に、留次はようやく顔なじみになったばかりのこの男に賭けてみる肚を決めた。

「ときに眞吉さん。今日も雨だ。早速、今宵から頼めるかい。」

「かまわねぇぜ。ただし、こいつを届けてからでいいいかい。」

太吉に頼まれた品が入った風呂敷包みを指差した。

「あぁ、待ってるぜ。」


それから毎晩、眞吉はおふくへ通った。相変わらず天気は不安定で身体にこたえるということもなかった。その日もいつも通り客が減った頃合から翌日分のうどんを打つ。うどん粉と塩と水の割合は留次自らが腰の痛みと闘いながらこなしていた。それを留次がいいというまでひたすら捏ねるのが眞吉の主な役目だった。客あしらいだけなら、よほど混みあわない限りはおよしひとりでこなせていて眞吉の出る幕はなかったのだ。

「眞吉さんや。あんさんはどこの村からきなすった。」

「おいらは大林村だ。」

「するってぇと…あんさんは次男か三男か。」

「あぁ、次男だ。村の名前でようわかったな。」

「大林村からくる日雇は次男以下ってしきたりだろうが。飯屋のおやじになって何年も経つ。そのくらいは知っとるわい。」

「それもそうか。」

「そういえば、眞吉さんの親父さんさ、名前はなんという。」

「おとんか、貫吉だ。」

「大林村の貫吉さんかい。親父さんも日雇をしておらんかったか。」

「うちのおとんも次男だ。婿に入るまでは日雇に来ていたらしい。」

「そうかい。親父さんもうちで飯を喰っていたぜ。するってぇとあんさんも秋になったら村へ帰りなさるか。」

「浜屋さんが帰れというまでのようじゃがいつなんじゃろな。」

「だいたい毎年彼岸前くらいじゃが、暑い年は彼岸より長くなることもあるし暑くない年は早く帰されるようじゃぞ。」

「今年は早そうじゃな。」

眞吉はいいのか悪いのかといった複雑そうな表情を浮かべた。


暑さ寒さは彼岸まで、というが、夏のだらだらと続いた雨がようやく切れてからはすっかり干上がった。彼岸を過ぎたというのに暑い日が続いたのだ。夏の長雨の分も取り戻したかったのか、浜屋徳兵衛は村へ帰れとなかなか言い出さなかった。それでも秋の土用が近くなって日雇衆はようやく村へ帰ることを許された。

おふくのおやじさんもその頃にはうどんを打てるほどになんとか回復していたが、無理はできないだろう。後ろ髪をひかれたが日雇が終われば村へ帰るしかない。帰る前の晩におふくへ顔を出した。

「ほれ、土産だ。使ってもよし、売ってもよし。おめぇさんの言葉通り飯だけは喰わせたが給金は払ってねぇ。せめてもの、な。」

留次はそういって持ちおもりのする袋を寄こした。袋越しの手触りでわかった。塩、だった。『うどんの味は塩が左右する。播州龍野から転封された蜂須賀の殿さまが旗を振って阿波の鳴門を塩どころに育てたんだ。こんな店だが鳴門は撫養塩田のとびきり良い塩しか使わねぇ。』と胸を張っていた留次だ。その塩に違いなかった。眞吉は留次に深々と頭を下げた。


田のない大林村は、入会の山で木を切り薪にして塩田へ納めることもしているが、それは日々の暮らしの足しであって、山を切り開いた畑で採れる麦や青物を育てて年貢代わりの小物成として藩へ納めていた。麦の種まきにはまだ少し間がある日の朝、大林村の庄屋仁兵衛が貫吉の家を訪ねた。

「貫吉さんや、朝早くからだが、ちょいといいかい。」

何の前触れもなくやってきた庄屋仁兵衛に貫吉は何事か、という表情を浮かべた。

「へぇ。なんぞございましたか。」

「貫吉さんのところの次男坊、眞吉を婿に、という話がきておる。」

「眞吉でございますか。」

「そうだ。それも浜屋徳兵衛さんを通しての正式な話だ。」

「どこのどなたさまからのお話でございますか。」

「浜屋徳兵衛さんの近くに塩を積みだす湊がある。あの一角にある飯屋おふくの主、留次さんの娘おかよの婿にという話だ。」

「持ち帰った給金をみれば塩田じゃ眞吉は使い物にならなかったでしょうに、よくも浜屋徳兵衛さんが仲立ちをされたもので。」

「こういってはなんだが当代の徳兵衛さんは吝い。働きの悪い者が婿へ行けば日雇とはいえその者を抱えずともよかろう。と考えられたようでな。じゃが、留次さんは、『当代の徳兵衛さんは名前負けで徳がない。身体に見合った道具がなければ働きも悪かろう。それを与えずして働きが悪いなどとはもってのほか、それで力仕事ばかりにこき使い、給金も渋るなどとは落ちぶれたものだ。眞吉さんはそれでもなお、わしの身体を気遣い、疲れも見せずにうちをすけてくれた。ああいう心根のしっかりしている者をぜひとも娘の婿として迎えたい。』と言うておられてな。どうじゃ。」

眞吉が持って帰った給金の書付と銭と土産の塩をみた貫吉は、その銭の多さに『ちゃんと飯を喰わなかったのか』と問いただすと、『雨続きで銭がもたないから給金はないが賄いを喰わせてもらう約定で飯屋の手伝いをしていた。それで塩を土産に持たされた。』ということを眞吉から聞いてはいた。給金の書付から半端仕事しかしていなかっただろうことは当て推量していたが、よもや力仕事ばかりを押しつけられていたとは。

「飯屋のおふくでしたらわしも若いころに世話になりました。あとは眞吉がどう考えるか…。そろそろ戻って参りましょう。」

天秤棒の両端になみなみと水の入った大きめの桶をぶらさげた眞吉が戻ってきた。話を聞いた眞吉はひとことだけいった。

「ありがてぇ話だが、俺みたいな独活の大木が婿でもえぇのか。」

庄屋の仁兵衛は大きくうなずいた。

「留次さんがいうには、『塩田で使い物にならぬ大男も、うどん打ちには向いている。ひとには向き不向きというものがある。眞吉さんさえその気があるなら婿に来てもらえぬか。』ということだ。」

「おとんとおかんがいいっていうなら俺はかまわねぇ。」

「貫吉さんや、どうする。」

「眞吉。村にいても婿の口はなかなか回って来まい。乞われていくならいいじゃないか。」


眞吉は肚に封じ込めていたおかよの細いうなじが脳裏によぎるのをそのままにした。

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