走れメロスとセリヌンティウスとその他大勢

破壊神1/4《シヴァ・クォーター》

走れたくさんのシラクサ市民

 セリヌンティウスは激怒した。必ず、かの方向音痴の友を連れてこなければならぬと決意した。

 セリヌンティウスは、メロスの竹馬の友だ。セリヌンティウスは、シラクサの石工である。石を見つめ、鑿と戯れ暮して来た。けれども友の方向音痴に対しては、人一倍に敏感であった。


「メロスは来なんだな」

 嘲笑うかのように、しかしどこか嘆くように暴君ディオニスがセリヌンティウスに告げる。

 時刻は今まさに夜になったところである。太陽の残光、その最後の一片は瞬きの如く搔き消え、刑場には冷たい夜が腰を下ろしていた。

 友を身代わりにしたメロスは、刻限に帰ってこなかった。

 くくく、と。どこか自棄を感じさせるように暴君は笑う。

「信実など、所詮空虚な妄想だ。人は、これだから信じられぬ。哀れなセリヌンティウスよ、貴様は友の裏切りのために死ぬのだ」

 磔にされたセリヌンティウスは、しかし確固たる意志を込めた声で返した。

「メロスは、来ます」

「来ておらぬではないか」

「メロスは来るのです」

「悲しいことだ、現実を直視することを辞めてしまったか。それもこれも塵のような友情とやらのせいで……」


「来るっつってんだろうが!!!!」


 突然の大声に、暴君はびくりと肩を震わせた。刑場全体に響くような大声であった。耳がキーンってした。

「メロスは来ます。私の友は、信頼を裏切るような男ではない」

 セリヌンティウスは改めて、それが確固たる真実であると疑わぬような声音で、静かに告げた。急に落ち着かれるとちょっと怖いなと暴君は思った。

「しかし、現に来ておらぬではないか」

「いいえ、奴は約束を違えるような男ではありません。臆病風に吹かれたのではない。来ていないのには、理由があります。私にはそれが分かる」

「理由。理由か。分かると言ったか。では申してみよ」

「ええ」

 セリヌンティウスは、重々しく頷くと、ゆっくりと、告げた。

「奴は、とんでもない方向音痴なのです。道に迷っているに違いない」

 暴君はせせら笑った。

「そうかそうか、理由をつけて友を信じたいのだな。麗しいことだ。しかし話によると、奴の村からこのシラクサまでは一本道だ。迷うはずがないではないか。ちと無理があるのではないか」

「奴は、一本道でも迷います」

 力強い声であった。

 それはもう、何度も何度も苦労させられてきたのだろうなと察せられるほどの確信があった。

「奴は駅徒歩3分の物件に住んでいたのに、駅までの道のりで迷ったことがあります」

「酔っていたとかではなく?」

「奴は隣家に野菜を届けに行く途中で迷ったことすらあります」

「そんなことある?」

「あまつさえ、自室の隣にある妹の部屋に行く途中でさえ迷った経験を持つ、筋金入りの方向音痴です」

「それは方向音痴とかいうレベルか? 時空がなんか歪んではおらぬか?」

「ですから、今ここにいないということは迷っているに違いありません。疑うならば、よろしい、私の携帯からメロスに電話をかけて見なさい。そうすればわかります」

 セリヌンティウスは、ポケットからスマホを出すようディオニスに促した。なんとなく迫力に押され、暴君はごそごそとセリヌンティウスのズボンをまさぐり、スマホを出した。最新のiphoneだった。

「ええと、メロス、メロス……」

「ああいえ、電話帳の先頭に『阿呆』で登録されているのがわが友メロスです」

「親友ではなかったのか?」

「ちなみにその下の『淫売』は母です」

「母君と確執があるのか?」

 微妙に嫌な他人の家庭事情に顔をしかめつつ、ディオニスはメロスに電話をかけ、スマホをセリヌンティウスの顔に近づけた。無論、スピーカーホンにしてある。


 2コールほどで、メロスは出た。

『セリヌンティウス……すまぬ……めっちゃ迷った……』

「ほら!!!!」

 勝ち誇った顔のセリヌンティウスに対し、ディオニスは「こいつのどや顔微妙にうざいな」と思った。

『日暮れまでには絶対帰るつもりだったのだが……』

「どうせそんなこったろうと思ったよ! 良く3日で帰るとか言ったな!」

『シラクサには3日で着いたんだよ! だから行けると思ったのだ! ただ……』

「ただ?」

『よくよく考えると往復しなきゃいけないんだから6日かかるんだった』

「そういうところだぞお前!! しかもそれ結婚式の時間とか考慮してないだろ! そういう計画性のなさだぞいつも私が言っているのは!!」

『すまぬセリヌンティウス……ところで、ここどこ?』

「私が知るわけないだろうが!!!!」

 石工の怒号がシラクサの夜にこだまする。

『ああ友よ、場所さえ、場所さえ分かればすぐにでも君の元へ舞い戻り、謝罪し、そして喜んで処刑されるのだが、如何せん現在地が分からん。あたりは暗いし、心細くなってきた』

「心細いのはこっちだ。何か目印になるものとかないのか」

『木が見える。あと山』

「それは目印にならないんだよ!」

『あとは私がさっき追いかけてた蝶々がひらひらと飛んでいる』

「オマエ何余裕ぶっこいてたんだぶん殴るぞ!」

 顔に血管が浮き出すほど怒るセリヌンティウス。その様はディオニスよりも暴君のようだった。暴君顔コンテストが今開かれたなら、わしはきっとこやつに負けるだろうとディオニスは思った。

『すまぬセリヌンティウス……あと少しだけ辛抱してくれ、すぐに戻る。私の勘では多分こっちだと思う』

「それは事態を悪化させるだけだ! もういい、そこを動くな。私が迎えに行ってやる」

『すまない友よ、恩に着る』


 そこで通話は終わり、セリヌンティウスは大きく溜息をついて暴君に向き直った。

「そういうわけなので、メロスを迎えに行ってきます」

「いやいやいやいや」

 流石に暴君もツッコミを入れた。

「許すはずがなかろうが。お前は身代わりだぞ」

「三日間の日限を与えて下さい。たった一人の親友を、道に戻って不安げな親友を迎えにいってやりたいのです。三日のうちに、私はメロスを見つけ、必ず、ここへ連れ帰って来ます」

「逃がした小鳥が帰って来るというのか!!」

「そうです。帰って来るのです。私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。メロスが、私を待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にフィロストラトスという石工がいます。私の唯一の弟子だ。あれを、人質としてここに置いて行こう」

「この下りメロスの時にもうやったぞ!!」

 ディオニスの至極真っ当な正論。

 しかしそれに対し、セリヌンティウスはあろうことか激怒した。

「あの阿呆の提案は呑めて私の提案は呑めぬというか!!! 王たるものでありながら、自ら下した前例を覆すというのか!!! 道理が通らぬではないか!!」

 怒りのあまり、セリヌンティウスの筋肉は真っ赤に膨れ上がった。

 セリヌンティウスは石工である。職人であり、なおかつ、石を扱う力仕事に従事するものである。日がな一日大きな石を運び、そして力を込めて石を削っていく作業を何年も何年も続けてきたその体は、まさしく筋肉の塊であった。

 その鍛え抜かれた肉体が、怒りのあまり膨張する。彼を縛り付けていた縄も頼りなく悲鳴を上げ、今にも千切れんばかりだった。

 あまりの剣幕に暴君ディオニスはビビった。このままでは何をされるか分からぬ。セリヌンティウスの要求を呑むより他なかった。

 そういうわけでセリヌンティウスは唯一の弟子フィロストラトスと抱き合い、必ずメロスを連れて戻ると約束し、そしてシラクサを旅立っていった。

 師の代わりに縛られるフィロストラトスを見ながら、ディオニスは「っていうかあの筋力あるならメロスを待たずにさっさと逃げてしまえば良かったのでは……」と思っていた。


 そしてまた三日経ち、日が沈んだ。

 セリヌンティウスは、帰ってこなかった。


「やはりな」

 ディオニスは冷淡に、どこか諦念を込めて薄く笑った。

「まんまと乗せられたわ。戻ってくるはずがなかったのだ。これで二人とも生き延びられるのだから。フィロストラトスよ、お前は友情という欺瞞の犠牲になったのだ。人は、これだから信じられ……」

「いえ、師は裏切りません。きっと戻ってきます。私は師を信じています」

 食い気味に、フィロストラトスは言った。

「だが事実、戻ってきておらぬではないか。見よ、陽光はもはやひとかけらも残っておらぬ。お前は師に裏切られたのだ」

「いえ、私は知っています。今この状況には理由があると」

 なんとなく嫌な予感がしながらも、ディオニスはフィロストラトスに問うた。問わねばならなかった。

「……では、申してみよフィロストラトス。その理由とやらを」

「はい……」

 フィロストラトスは、神妙な面持ちで告げた。


「……実は我が師も、メロス様に負けず劣らずの方向音痴なのです」

「あんなにメロス罵倒しておいて!?」


「自分のことを棚に上げるのは上手いのです。実際のところ、どっこいどっこいです」

 いやいや流石にそれは通らぬ、とディオニスが言いかけたところで、どこかからセリヌンティウスの声がした。

『我が弟子~~~我が弟子~~~』

「何っ!? まさか本当に帰ってきたとでも言うのか!?」

「いえ、これは私のスマホの着信ボイスです」

「お前師匠の声を着ボイスにしてんの? 感情重くない?」

「師匠からですね。出てください」

 ディオニスの疑問をスルーし、フィロストラトスは言う。仕方なく暴君はスマホを手に取った。

『すまんフィロストラトス。メロスと一緒に迷った。ここはどこだ』

「お前その様でよくメロスに激怒できたな」

『その声は王か。目印を教えるからここがどこか教えて欲しい。私には今ラジオ会館が見えている』

「秋葉じゃねーか。何をどう迷ったらそんなところに着くのだ。方向音痴にもほどがあろう」


 しばらくのやり取りの後、「絶対に二人で戻る」というもはや全然信頼できない言葉を残し、通話は終了した。フィロストラトスは溜息を吐き、そして暴君の眼を見据えて、言った。

「……ということで、二人を迎えに参ります。三日間の日限を与えて下さい」

「いやいやいやいやいや」

「なんですか、もう三例目でしょう。今更拒否するのですか」

「三例目なのが問題なんだよ」

 その後しばし押し問答が繰り返されたが、結局ディオニスが根負けしてフィロストラトスを送り出した。



 そしてこういったことがその後延々と繰り返された。

 ディオニスは、「今後は地図教育にめちゃくちゃ力を入れよう」と暴君ならぬ賢君のような決意をした。



 スモール・ワールド現象というものがある。知り合い関係を芋づる式にたどっていけば、世界中の誰でも行き当たることが出来るという現象である。

 ここシラクサの市でも同じことが起こった。

 具体的に言うと、身代わりの身代わりを繰り返し、シラクサ市民が皆誰かを探しに行った。


「……というわけで王よ、身代わりをお願い致します」

「いやいやいやいやいやいやいや」

 今や市内に二人きりとなったうちの片割れである重臣は、眉を潜めた。

「困ります、私の身代わりは、もはや御身しか残されていないのです」

「いやおかしいだろ。おかしいだろ何もかもが」

 ディオニスは言うが、重臣は「何をいまさら」と取り合わなかった。一理ある。

「いやまあ、まったくもって言う通りだ。この状況になる前にどこかで止めるべきだったのだ。ああそうだ、まったくの正論だ。しかしそれにしても王を身代わりにするのはおかしいだろ」

「王よ、私と貴君の間には、確かな信頼があると、私は心から思っています」

「そういう問題ではないだろもはや。第一お前がいなくなったら誰が刑を執行するのだ」

「ああ、それについてはご安心を」

 重臣はウインクすると、じゃじゃーんと口に出しながらとある機械を見せた。

「『自動で死刑執行くん』です。機械仕掛けで自動的に、刻限がくれば刑を執行してくれます」

「誰が作ったんだよそんなん」

「アルキメデスです」

「アルキメデスかー」

 アルキメデスはシラクサ在住の数学者にして発明家である。彼がシラクサ防衛のために生み出してきた数々の兵器……鉤爪や熱光線など……を思い浮かべ、まああいつだったらこれくらい作れるか、と暴君は納得した。

 責任者を呼べ、と言いたかったがもしかせずともアルキメデスは「エウレカ!」と叫びながら自分を身代わりにした友を追って市を出ていった後だった。ちなみに素っ裸である。

「まあそういうわけですのでご安心ください。私が戻らなくとも刻限の三日後に刑は執行されます。もちろん、私はあなたとの絆に誓って戻ってきますが」

「いやだからそもそも王たるわしを、執行者のわしを処刑の身代わりにするのがおかしいんだって……いやお前磔にするの凄い手際良いな!? いつの間にかもう磔にされとるわ!」

「王のご命令で、何人も刑に処してきましたので。もう慣れました」

「わしは今自分の行いを悔いておるよ」

 王の一足早い後悔も知らず、重臣は手早く王を磔にするとアルキメデス作の『自動で死刑執行くん』を設置し、「それでは、三日後までに必ず!」と飛び出していった。止める暇もなかった。


 かくして、シラクサの市にはたった一人、暴君ディオニスだけが刑場にぽつんと取り残された。


 静かな刑場の中心で、暴君は物思いに耽った。

 一体何故、このようなことになったのだ。

 わしはただ、信実などありはしないと、人など信じられぬと、あの単純な男を笑ってやろうと思っただけなのに。

 冷たい風が吹き、ディオニスの首筋を撫でた。思わず身震いをするが、助けてくれるものも気を遣うものもいない。

 暴君は、孤独だった。

 頭上に輝く星を眺めながら、セリヌンティウスもこんな孤独を感じていたのだろうかとディオニスは思った。そして、いや、そうではあるまいと頭を振った。

 何故ならば、セリヌンティウスにはメロスが居たからだ。必ず戻ってくると信じた親友が居たからだ。

 もちろん、本当に帰ってくるのかと疑いを覚えた時もあろう。だが、それでもあの男は、三日の刻限が過ぎてさえ「メロスは来ます」と譲らなかった。

 心から信じていた。だからきっと、これほどまでの孤独はなかっただろう。

 自分は違う。重臣が戻ってくるとは到底思えぬ。自分のために誰かが命を賭してくれるなど、信じられるはずがない。

 奴はこのまま帰らず、この自分が宙づりになって果てた後に、ゆっくりと帰ってくることだろう。当然だ。それで全て丸く収まるのだから。暴君は死に、人々の罪は許され、シラクサは立ち直る。なんと妥当なことだろうか!


 締め付けられるかのような孤独に、暴君は静かに涙を流した。流しながら、しかし自分は泣く資格などないと思った。

 何故ならば、この孤独を招いたのは自分自身だからだ。誰も信じられず、人を遠ざけ、殺し、そして孤独のみを真実としたのは自分だからだ。

 おお、だがどうだ。真に孤独な今の夜風は、心に吹いていた空しい風よりよほど堪えるではないか。

 あれは孤独などではなかった。自分から勝手に孤独だと、人を遠ざけていただけだ。他人を信じられぬ、悪心を抱いていると言いながら、その実、他人がそばにいることに甘えていたのだ。今になって、そう分かった。

 ここで果てるのが、暴君の最後としては相応しいのだ。信実が空虚な妄想だとしても、因果応報は死体の形で、ここにはっきり残るであろう。



 そして刻限の時がやってきた。

 重臣はやってこなかった。

 当然のことだとディオニスは受け入れた。黒々とした瞳で、『自動で死刑執行くん』がゆっくりと作動するのをただ眺めていた。

 死にゆくその口元には、しかし微笑みがあった。

 確かに自分は死ぬだろう。だが、それで逆に自分こそが正しかったと示される。

 自分は死を以て、友情も親愛も信実も偽りであると証明するのだ。

 暴君を除いた市民に、それを突き付けてやるのだ。

 そのことを思うと、むしろ愉快でさえあった。


 だが。

 ディオニスは聞いた。

 遠く、城門から響く、無数の足音を。

「王よ!! 王よ!! 帰ってきましたぞ!!」

 息も絶え絶えに走りながら叫ぶ、重臣の声を。

 そして見た。

 重臣が、アルキメデスが、フィロストラトスが、セリヌンティウスが、メロスが。

 そしてその他大勢のシラクサ市民が、大挙して刑場に駆け込んでくるのを。

「待て、その死刑、待て!!」

「私はここにいる! 私はここにいるぞ!!」

「死ぬのは王ではない、殺されるのは、私だ!」



「「「「彼を人質にした私は、ここにいる!」」」」」



 押しかけるシラクサ市民の群れ、その勢いに押され、『自動で死刑執行くん』は吹き飛ばされ粉々になった。

 ついでに止まることが出来なかったので、ディオニスも思いっきり吹き飛ばされた。

 しかし、宙高く舞い上がりながらも、暴君は晴れやかに笑い、また泣いていた。



 結局、この騒動によって命を落としたものは誰もいなかった。

 心を入れ替えた暴君ならぬ賢君ディオニスは、教育に、特に地図教育に力を入れ、シラクサは有数の学芸都市となったという。


 余談ではあるが、この一件の後、シラクサの法律には『死刑執行の身代わりを置くことは、これを禁ずる』という一文が追記された。

 しかし、その文が効力を発揮することは、ディオニスの治世においてなかったという話だ。

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