第7章
「って、いきなり言われても困るよな。スマン」
孝樹が呆気に取られていると、健介はすかさずいつもの柔らかい表情に戻った。
「まあ別にどっちでもいいや。それよりも、今は孝樹の悩みの話だったよな」
健介は先程の自身の発言を覆い隠すかのように、言葉を続けた。
その様子を見るに、先程の「教えてやろうか?俺の中身」という発言は思わず口を滑らせて出てしまったものなのだろうか。
何か人には言いたくないような、いや、誰にも明かしてこなかった何かが彼の中に詰まっているのだろうか。
「……教えてよ」
「え?な、何を?」
孝樹は勇気を振り絞って言葉を発した。
少し力んでしまったせいか、声が上ずっている。
「健介の中身、教えてよ」
「いや、でも…。これは俺個人の話で、孝樹の悩みには何の関係も…」
「構わない。俺の悩みを聞いた健介が咄嗟にそれを言おうとしたってことは、そこに何か答えがあるかもしれないだろ?」
健介は口をへの字に曲げて、煙草の灰を落とした。
「…まあ考樹の言う通りだ。俺だったらもしかしたら答えを出せるかもって思ったんだ」
健介は暫く考え込むようにニコチンを体内に取り入れ、煙をふぅーっと吐き出した後、その煙草を捨てた。
「この話、内緒な」
健介はそう呟くと、遠くから記憶を手繰り寄せるようにゆっくりと話し始めた。
・・・・・・・・・・
俺さ、本当の両親がいないんだ。
いないって言うより、いなくなったって言ったほうが正しいかな。
今俺の実家に住んでる両親は、両方とも本当の親じゃない。
意味わかんねえだろ?俺も分かんねえや。
まず10歳の時、本当の両親が離婚した。
俺は父親に引き取られることになったんだけど、母親に会えなくなるのが寂しくて、母親が出ていこうとしてる玄関でずっと泣いてたんだよ。
そしたら母親は、そんな俺を一瞥してこう言ったんだ。
『あなたって弱々しくて根暗で、ホント父親にそっくりね。だから嫌なのよ。あんたらみたいな似た者同士は、いつまでもグズグズ泣いてなさい』
悲しかった。
でもそれ以上に、悔しかった。
その言葉を聞いていた父親はたまらず泣き出してしまっていたけれど、俺はその瞬間涙を堪えた。
俺は母親に腹が立ったんだ。
子供である俺が知らない間に離婚して、去り際に父親とまとめて人格否定されて。
それまで誰かから強く否定された経験がなかったからこそ、無性に腹が立ったんだ。
気に食わないけど、この内に秘めていた気の強さは母親譲りなんだろうな。
その日から俺は、明るく元気に振舞うように努めたんだ。
自分1人でいるときも、他の誰かといるときも。
そしたらそれが段々と自分に馴染んでいって、気づけばただの明るい奴になってたんだ。
これでも俺、元々は暗い奴だったんだぜ?友達も少なかったし。
でもその時の俺のまま生き続けたら、母親に否定されたままで終わる人生になってしまう気がした。
だから多少無理してでも、明るくて、みんなに好かれるような人間であろうとしたんだ。
その甲斐あってか、3年後に父親が再婚して新しい母親を迎えた時も、すぐに打ち解けることができた。
前の母親に嫌われたことがトラウマになっていたこともあったし新しい母親に気を使わせるのは良くないと思ったから、出会ったばかりの女性を母親扱いするのは少し抵抗があったけど、俺なりに頑張ってみたんだよ。
そう、俺はね。
さっきも言ったけど、父親はかつての俺のように根暗な人間なんだ。
新しい母親はそんな父親と次第に上手くいかなくなっていった。
恋人の頃は気にならなかったけど、結婚した途端に互いの嫌な部分が浮き彫りになっていくことってよくあるらしいじゃん?
うちの家族にもその現象が起きちゃってさ。
気が付いたら喧嘩する回数が増えていった。
喧嘩というか、主に父親が母親に詰められてるって感じだったけど。
前の母親の時と同様、父親の甲斐性なしなところが旦那としては適してなかったみたい。
ただの恋人だったら「穏やかで優しい人」で済む話なんだけどな。
え?それでまた離婚しちゃったのかって?
いやいや、離婚で済めばまだよかったよ。
父親は自殺した。
思えば前の母親に出ていかれた時から随分落ち込んでいたようだったんだ。
それでも新しい母親と出会ってからは少しずつ笑顔を取り戻していって、初めて俺に紹介してきた時もすごく幸せそうだった。
そして何より、この人と人生をやり直したいという覚悟が見てとれた。
だから母親と上手くいってない様子を見ても、過去の失敗を活かしてなんやかんや上手くやるだろうと思ってたんだ。
でも、父親は自殺した。
旦那として上手く振る舞えない自分が情けなかったんだろうな。
父親が遺した遺書にもそんなことが書いてあった。
『根暗で、甲斐性なしで、人付き合いも得意じゃない。こんな俺は男として、旦那として、父親として、そして人として失格だ。生まれてきてごめんなさい。だが僕のような身内をもったことを不幸に思わず、それぞれの人生を真っ当に歩んでくれ』
たしかこんな具合だった。
遺書には彼の両親、新しい母親、そして俺に対する言葉がそれぞれ書かれていたよ。
俺にはなんで書かれてたかって?
もちろん忘れるわけないよ。
『健介。お父さんの息子で居てくれてありがとう。自分ひとりで塞ぎ込んでこの世から去ってしまった、お父さんの身勝手さをどうか許してくれ。お前は○○(前の母親の名前)が居なくなってから、本当に強くなった。不幸な現実にもめげず、自分を変えようと努力し、多くの人に愛される男になった。我が息子の立派な成長を見届けられただけでも、お父さんは幸せだ。今のお前は本当に素敵な人間だから、この先の人生も上手くやっていけると思う。どうかお父さんのように負けないでくれ。お父さんに言われても説得力が無いかもしれないが、お前なら大丈夫だ。残してしまったお母さんのこと、よろしく頼む。ありがとう。愛してるよ』
その後俺は新しい母親と2人で数年暮らした後、新しい父親を迎えた。
2人は本当の息子じゃない俺のことを、本当に大切にしてくれてる。
だから俺も、本当のお父さんが素敵だと言ってくれるような人間であり続けようと努力した。
その結果が、考樹にとって俺が幸福な人に見えることに繋がったんだと思う。
あとさ、考樹が煙草を吸い始めたきっかけを聞いた時、少しだけ羨ましくなっちゃったよ。
正直ピンとこないと思うけど、父親のこと、もちろん母親のことも大事にしてやれよ。
・・・・・・・・・・
健介は新しい煙草を取り出して火をつけると、言葉を出し切ってしまった身体に何かを詰め込むように煙を吸い込んだ。
考樹は黙って俯いていた。
暫く沈黙があった後、健介の方が口を開いた。
「悪い、暗い話しちまったな。でもさ、別に俺だってただ不幸自慢したかったわけじゃないんだぜ」
考樹は顔を上げた。
健介は手元から上へと昇っていく煙草の煙を見つめていた。
「俺はこんな不幸な人生を歩んだんだから、お前なんてまだマシだろ!みたいな意味のない説教をするためにこの話をした訳じゃない。本当に伝えたいことはこれからだ」
健介は煙草を捨てて箱をポケットにしまうと、喫煙所内にあるベンチに腰掛けて話し始めた。
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