第1章

どれくらい眠っていたのだろうか。


Amazonにて5000円ほどで購入した椅子に腰かけ、手垢まみれのDUALSHOCKを握ったまま、いつの間にか寝落ちしていたようだ。


モニターの右下に小さく表示された時計に目をやると、14時を回っていた。



「うーわ、また寝落ちでレート溶かした。だっる」



昨晩—正式には今朝—5時ごろまでFPSのランク戦に没頭していたのは何となく覚えているが、武器集めの最中にでも寝落ちしたのだろうか。


目の前の画面には既にリザルト画面が表示されていた。


手元に置かれたレッドブルの残りを乱暴に飲み干すと、孝樹たかきはキャップを深くかぶって家を出た。


近所のコンビニに入り、冷凍のパスタとカップヌードル、そして先程飲み干したのと同じ種類のエナジードリンクをカゴに入れてレジに並ぶ。



「あ…38番お願いしゃっス…」


「はい、かしこまりました!」



快活な男性店員がずらりと並んだ棚の中からセブンスターを取り出した。


高校時代好きだったバンドのベーシストが好んで吸っており、20歳になった時に興味本位で同じものを吸うようになった。


正直未だにむせ返りそうになる時があるが、知らないうちに中毒になっていたらしくいつまで経ってもやめられない。


まるで人生みたいだと孝樹は思った。




帰宅すると同時にパスタを電子レンジに入れ、手を洗った後すぐ椅子に腰かける。


これだけ自堕落な生活をしていても、手だけはしっかり洗うあたりが俺らしいなと孝樹は思った。


先程買った煙草に火をつけながら、いつものようにこれまでの人生を振り返る。




小学生の頃ぐらいまでは親や友人から成績優秀だの面白いだのともてはやされていたが、中学・高校と時を経るごとにそう扱われることはなくなっていった。


特別勉強についていけなくなったわけでもない。

テストではどんなに低くても上位30%には食い込めた。


運動も得意ではないが、人並みにはできる。

5段階評価で言うと3か4がつくくらい。


人付き合いはあまり得意ではないができないこともない。

クラスにはいつでも数人は気の合う友人がいたし、休日遊びに行くこともあった。


高校受験や大学受験もそれなりに頑張ったつもりだ。


結果はそれなりに頑張った者しか入学できない程度の学校に進学することができ、一応受験は成功したと言えるだろう。


今はこんな体たらくだが彼女がいたこともある。


普通にかわいいし優しい子だった。

俺にはもったいなかったなと孝樹はため息をつく。


それに家族にも愛されていた。


平凡だがいい家族だと思う。


改めて概要だけ振り返ると、さほど悪い人生ではない。


いや、むしろ恵まれているほどだ。




しかしある時からずっと、なんとなく満たされない感覚がずっと心を彷徨っていた。


理由はおそらく中学時代、クラスの不良に目をつけられて嫌がらせを受けていたことがきっかけだ。


その嫌がらせは暴力・暴言を始め、精神に苦痛をきたすことをいくつも経験した。


すぐに先生の目に留まり、素早く対応してもらえたお陰でほんの数ヵ月ほどで嫌がらせは収まったのは不幸中の幸いとでも言うべきだろうか。


しかし、入学した直後にそのようなポジションになってしまった孝樹は、あっという間にスクールカーストの下位に叩き落された。


孝樹にとって、そこからの日々のほうがよっぽど辛かった気がする。


これまで誰かから強く否定されたり優劣をはっきりつけられるといった経験がなかったため、周囲の人間から下だと思われていることが分かった瞬間とてつもない屈辱を味わった。


目に見える嫌がらせよりも、目に見えない人間同士のしがらみのほうがよっぽど苦しいと10代序盤にして悟ったのだ。


そんな環境に数年身を置いた結果、すっかり自分への自信を喪失してしまった。


それがいつしか自己嫌悪へと姿を変え、気が付いた時には自分を褒める言葉すらも疑うようになった。




これが今の孝樹であった。


なんだか心が満たされない。しかし自ら満たそうともしない。


その後の人生でそれなりに良いこともいくつかあったはずなのだが、嫌なことばかりが記憶を支配している。


どうせ俺なんて、と幸せになることを諦めきっていた。


何故なら俺は“下”の存在だから。


俗に言うと“陰キャ”というのが正しい表現だろうか?


大学に進学して一人暮らしを始めた後は、受動的な娯楽で人生を消化する日々を送っている。


今日の様な目覚めは日常茶飯事であり、きっと明日も同じだろう。


くたびれたジャージのズボンを履いた太ももの上に、先程咥えたセブンスターの灰がぽとりと落ちる。


この灰みたいにあっさりこの世からいなくなれたらどんなに楽だろうと、孝樹はぼんやり考えた。


自殺は怖いからしたくはないが、世の中から楽に姿を消したいと時々考えてしまう。


消えること叶わなくとも、これまで出会った全ての人に自分のことを忘れてほしいと思ったこともある。


そうすれば、新しい自分を始められる気がした。


今の自分にはそれができない。


きっとどこかの誰かが、自分のことを下だと思っているに違いない。


そう思うだけで、孝樹は今の生き方を変えることができなかった。


いつの間にか出来上がっていたパスタは、食べ飽きていてあまり味がしなかった。


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