第2章

「あなた単位は取れてるの?もう4年生でしょ?」



母親からの電話というのはどうしてこうも耳が痛い内容ばかりなのだろう。


孝樹は眉間に皺を寄せつつも、声色だけは落ち着けて返事をした。



「大丈夫、卒業は出来るから」



もはや決まり文句となっているこの言葉をこの期に及んでも発する息子に対し、母親は呆れたと言わんばかりのため息を漏らした。



「まああなたも今年で22歳だし、その辺は信じるからね。それと、就職活動もそろそろなんじゃないの?もう4年生になったのに何も言ってこないってお父さんぼやいてたよ」


「それもまあ、大丈夫だよ。今年は就職氷河期って言われてるし、ちゃんとやる」



新型感染症の影響で大学も就職活動もすっかりオンラインが浸透した結果、殆どの活動が自宅で完結するようになってしまった。


一見楽になったとも捉えられるが、自分1人の時間があまりにも多くなることは孝樹にとって苦痛だった。


1人の時間は好きだが、現在のような情勢になって初めて、人間は意外と寂しがり屋な生き物なんだと思い知らされた。


不意に退屈になると余計なことを色々と考えてしまうのだ。


そんな時普段であれば数少ない友人と会ったりアルバイトをしたりして他者との時間を設けるのだが、このご時世柄それは難しい。


SNSを見ると今でも普通に遊びに出かけたり、食事や飲みに行っている知人を多く見かけるが、過度に心配性な親の元で育った孝樹は、感染対策のためだと言って人と会うのを控えていた。


そんな孝樹にとって親からの電話は貴重な外界との接触機会であり、内容が鬱陶しいとはいえ無下には出来なかったのであった。



「たまにはお父さんにも連絡してあげてね。証券会社のことだったらあの人も相談に乗れるだろうし」


「うん、何かあったら連絡しとくよ」



電話が切れると、孝樹は再生を停止していたYouTubeのページに視線を戻した。


画面には、1人の男性が汚い部屋の中で食事をしながらだらだら話している映像が映し出されている。


彼はぼっち大学生として人気を博しており、自身の自堕落な生活や過去の黒歴史などを赤裸々に曝け出していた。


彼の動画を見ていると、“不幸仲間”ができたような気分になって気持ちを落ち着けることができる。



『別に俺だってさあ、ちゃんとしなきゃっていう想いはあるんだよ。でもさ、人付き合いも苦手で頭も悪い俺みたいなクズはどうせ社会で通用しないしさ、だったら頑張るだけ無駄じゃね?って思うんだよ』



画面の中の彼は酔いが回っているのか、片手に持った缶ビールを机にたたきつけて声を張り上げている。



『結局俺みたいな奴が1番不幸なんだよな。優秀なやつは当然幸せだし、昔素行が悪かった奴らは人生の階段をハイスピードで駆け上がってなんやかんや幸せを掴んでる。ただの馬鹿は何も考えてないから自分が不幸だって気づいてないし。俺みたいに普通に生きてきて、可もなく不可もなくって感じの奴はほんとどうしようもないんだよな。あー、中学校入学前ぐらいからやり直してえ』



孝樹は煙草をふかしながら、彼の発する言葉の一字一句を脳内で反芻した。


そしていつもこんなことを思うのだ。


俺のほうが不幸だな、と。


俺は彼とは違い、中学時代に嫌がらせをされたり周りから見下されたことで精神的苦痛を負っている。


だから人とコミュニケ―ションをとるのも苦手だし、目立って頑張るのも苦手だ。


こいつはただ陰キャなだけで、動画投稿者として人気になれる程の才能と行動力があるからどこかのタイミングで幸せになるのだろう。


でも俺は正真正銘の一般人だ。


才能も行動力も無いし、自己肯定感も低い。


とはいえ、共感できる点も多くあるので彼の動画は大事な精神安定剤だった。


しかしあくまで一時的な安定剤であり、完全に心を満たしてはくれなかった。


動画の彼も、きっとその点は同じ心境なんだろう。


自分がいかに不幸なのかを動画サイトで発信して共感を得ようと試みたものの、結局返ってくるものは画面に映し出された文字列に過ぎない。


ネットは誰もが簡単に交流できる場だが、やはり直接面と向かって関りをもつことで得られる充足感は到底得られない。


だからこそ彼は動画を作り続けるし、自堕落な生活からも抜け出せないのだろう。


かわいそうなやつだ。ま、俺ほどじゃないけどな。


孝樹は煙草を灰皿に擦り付けると、昼に買っておいたカップラーメンを食べるためにお湯を沸かした。




・・・・・・・・・・




4年生前期の履修登録を済ませ、孝樹は教科書を買うために久しぶりに大学付近へとやって来た。


大学前の通りは、今まで見てきた中で1番静まり返っていると言っても過言ではないほど人通りが少なかった。


孝樹はなんとなく居心地の悪さを感じて、速足で書店に入って必要なものを買い揃えた。




店を出て家に帰るついでに、孝樹は大学の前をふらっと通りかかった。


既に3年も通っているのに、中学校や高校に感じていたような愛着はあまりない。


まあ去年はほとんど通ってないし仕方ないか、なんて思いながら何気なく正門近くの掲示板を眺めてみた。


すると真ん中あたりに、キャリアセンターのポスターが何枚か張られているのが見えた。


3年生向け、4年生向けそれぞれの就活講座が開かれているようだ。


もう3年生が就活のこと考えてんのか、と面食らってしまった。


同時に、自分もさっさと動かなければという焦りが心を支配し始めた。



「…そろそろまじでやばいよな」



何気なく呟いた孝樹は、スマホのメモアプリに講座の開催日時をメモした。




・・・・・・・・・・




会議室のような部屋に入ると、10人ほどの学生が等間隔で座っていた。


孝樹は受付の女性から資料を受け取ると、後方の端の席に座った。


資料には面接対策講座と大きく書かれており、講師らしき人物の紹介文がその下にあった。


有名私立大学の社会学部を卒業して人材派遣の会社に5年ほど勤めた後に独立、そして現在はフリーの就活支援講師として全国各地の大学を回っているそうだ。


なんか、よくありそうなプロフィールだな。


そんなことを考えながら資料をぺらぺらと捲っていると、1つ椅子を隔てた隣の席に1人の学生が腰かけた。


隣の学生も孝樹と同様ぺらぺらと資料を捲った後、ふうっと息を吐いた。


そして唐突に、孝樹に声を掛けてきた。



「ねえ、4年生だよね?就職活動どんな感じ?」


「え?ああ、ハイ…。まあ普通っス」



久しぶりの初対面の人間との会話に、思わず声が上ずってしまった。


そして彼の顔を見ると、あっと声が出そうになった。


マスクをしているが、目元と雰囲気でなんとなく分かった。


彼はよく行くコンビニの店員だ。

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