第6章

健介にメッセージを送ってから僅か10分弱で、孝樹のスマホが震えた。



『お疲れさん!明日バイトが15時上がりなんだけど、その後とかなら暇だと思う!』



文面から溢れ出る健介の元気さに気圧されつつも、孝樹は時間と場所を指定して、2人で会う約束をした。


自分から誰かと会う約束をするのは、孝樹にとってはかなり珍しいことだ。


しかし今は、誰かと話がしたかった。


咄嗟に健介の顔が浮かんだのは、彼に相談すべきだからなんだろうとなんとなく感じたのだ。


だから彼と会うことにした。


まだ彼とは出会って日が浅いが、だからこそ大胆に自分を曝け出しやすい。


見知った仲だと本当の自分を見せるのは気が引けてしまうのだ。


孝樹は自身の中で言葉を整理しつつ、明日を待った。




・・・・・・・・・・




15時30分頃、孝樹は大学の喫煙所にいた。


セブンスターに火をつけるのとほぼ同時に、ガラス張りの喫煙所の外に健介が歩いてくるのが見えた。



「よ!お待たせ!珍しいってか初めてだな。こうやって約束してサシで会うの」



そういえばそうか。


誘いへの対応があまりにも自然だったので、これまで何度か遊んでいる仲だったかなと錯覚していた。


思えば健介と孝樹は、就活講座で偶然隣の席になったコンビニ店員とその客でしかなかった。



「でも急に呼び出したってことは何か用があるんだろ?どうかした?」


「うん。えっと、知り合ったばかりの健介には重く感じちゃうかもしれないけど、悩みを相談したくて…。少し真面目な話がしたいんだけどいいかな?」


「……おう!俺でいいならなんでも聞くぜ」



健介の快諾っぷりを見る限り、こういった相談には慣れているのだろうか。


彼の反応を見て安堵した孝樹は、まず自分の過去について語った。



「これは9年前…。えっと、中学生の頃の話なんだけど…」



健介はメビウスに火をつけ、時々大きく煙を吐きながら真剣に孝樹の話へ耳を傾けてくれた。


彼の様に幸福な人生を歩んできたであろう人間なら、『9年も前のこと未だに気にしてんのかよ!』なんて言ってきそうだと心配していたのだが、そんな素振りは全く見せなかった。




・・・・・・・・・・




一通り話し終えると、自分の心臓の鼓動が激しくなっているのに気が付いた。


自分自身の過去をこれだけ公に晒すのは初めてのことなので、興奮してしまっているのだろうか。


あのぼっち大学生YouTuberも、動画を投稿する度にこんな気分になっていたのだろうか。


健介は黙って煙草を吸っている。


何か思いつめたような表情で、眉間に皺をよせていた。



「こんな経験をしてから、自己肯定感が限りなく低くなってしまったというか…。自分は不幸な存在だっていう固定観念が脳内にこびりついていて、俺みたいな奴はどうせ幸せになれないんだから、いろいろ頑張っても無駄だって思っちゃうっていうか…。とにかく辛かった過去にずっと囚われているんだ。そして、そんな自分が嫌になって、また悩んで…っていうのを繰り返してるんだ。……なんかごめん。全然まとまってないのにたくさん話しちゃって」


「いや、そんなこと気にすんなよ」



健介は落ち着き払っていた。


まるで孝樹が悩みを抱えた存在だと、ずっと前から知っていたかのように。


そんな健介の態度に背中を押されたような気がして、孝樹はさらに付け加えた。



「でも、最近ある違和感に気が付いたんだ。俺は自分の不幸な過去にずっと囚われていて、それによって自己肯定感を高めることが出来なくて、そんな自分自身に悩んでいる…。これは間違いないんだけど、俺はこれまで、“自分が他の人と比べてどれだけ不幸か”ということにも強く拘っていたんだ。周りと自分を比較して、こいつは俺より幸福だ、この人は俺よりも不幸だ、みたいな感じで。でも、おかしな話じゃないか?自分の不幸な境遇に悩んでいるはずなのに、一方で自分が不幸であることに拘っているなんて…。それに気が付いた途端、いよいよ自分自身が分からなくなったんだ。俺は結局どうなりたいんだろうって…。どう生きていけばいいんだろうって…」



今まで溜め込んでいた膿を絞り出すかのように、自身の思考を立て続けに吐露した。


健介はそんな孝樹の興奮しきった目を、反対に落ち着いた目で見ている。


ふうっと白い煙を吐いた後、健介はしばらく開いていなかった口を開いた。



「孝樹はさ、俺に対してはだと思ってた?」


「……え?」



突然よく分からないことを聞かれた。



「ごめん、えっと、っていうのは?」


「“幸福な人間”か、“不幸な人間”か。孝樹は俺のことをどっちだと思ってた?」


「いや、えっと、それは…」



健介は幸福な人間だ。


恵まれた環境で、恵まれた仲間に囲まれて、悩みなんて抱えずに、自分の道をまっすぐ前を見て生きてきた幸福な人間だ。


自分がどんな人間なのか、どんな生き方をすべきなのか、周囲の人間と比べて不幸なのか否か、そんなことを考えたことすらない、おめでたくて馬鹿で幸福な人間だ。


だからこそ社交的だし、信頼もされているし、自分がそんな存在だと潜在的に理解して生きている幸福な人間だ。


一瞬の間に彼に対して思っていた思考が湯水の如く溢れてくる。


孝樹がどう答えるべきか悩んでいると、健介は何かを察したように続けた。



「…遠慮しなくていいよ。なんとなく想像はついてるし。ていうか、もしそうじゃないんだったら俺に相談なんてしてこないだろうし」



健介は煙草の灰を落とし、真っすぐ孝樹の目を見た。



「孝樹はさ、俺が幸福だって思ってんだろ?人生の中で悩むということを知らない奴だって。だからこそ、悩んでばかりの自分がどうすれば生き方を変えられるか、俺に頼ってきたんだろ?自分と真反対の俺なら、人のことでも自分のことのように悩めるほどの余裕があるだろうって」



孝樹が何も言い返せないうちに、健介は付け加えた。



「教えてやろうか?俺の中身」

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