第27話 君の物語を、俺は綴ろう

 焼け焦げたノヴァ・ゼナリャの地表を、風が攫う。


 リェムとゲイリーは、ガラスドームの残骸に佇んでいた。爆発四散したドームは、リェムの尽力で半日の時間を掛けてようやく漸く鎮火したが、今だ周囲の空気には、紙の焦げた匂いが色濃く残っている。数日をかけ、リェムの指揮による軍は、瓦礫の山となったガラスドーム跡を捜索したが、この惑星を離れる今日になってもニーアの遺体、または残骸は、ついに見つからずじまいだ。


「いまさら定説となった歴史は覆らんよ」


 リェムが眉を顰めながら言葉を吐く。


「政府はニーアのハックを公にする気はないとのことだ。人心の動揺も計り知れないだろうからな。よって、「偉大なる開拓者グレート・パイオニア号」の真の歴史は、これからも闇に葬られたままだ。「偉大なる開拓者グレート・パイオニア号」による人類の宇宙開拓史はこのまま、栄光の歴史として語り継がれるのだろうな」


 リェムの栗色の髪が生暖かい夕時の風に、ふわっ、と舞い上がる。彼はそれを手で押さえつけながら、うっすらと口に笑いを浮かべた。


「ニーアの勝ちだよ。彼女はこの書架のなか、表の仕事の裏で、機械として命じられた秘密の任務をやり遂げたんだ」

「……と言っても、彼女は、特に嬉しくもないだろうけどな。彼女が背負った仕事は、人間としては、あまりにも重く、孤独で、そして永すぎた」


 夕風はそう答えるゲイリーの黒髪をも揺らす。渦巻く風の中、彼は複雑な思いでガラスドームの残骸に視線を投げる。しかし、ニーアとの思い出全てが籠もった書架は、すでにそこに無く、そして彼女はそのなかで、自ら永い生を閉じた。彼は目を軽く瞑り、亜麻色の髪の少女の面影をそっと、脳裏に浮かべる。


「死にたがりのサンダース、この後、君はどうする?」

「その言い方は止めろ。俺はもう死にたがりじゃない」


 ゲイリーは瞼を閉じたまま、静かにリェムの質問に答える。


「俺はニーアの物語を綴ることにするよ。誰に信じられようと、信じられなくとも良い、ただ、宇宙の果てで、四百年を孤独に生きた少女がいたと、そのことは記録に遺しておきたいんだ」

「……そうか、軍としては、それは勧められんが、私個人としては何も言えんな。聞かなかったことにしておこう」

「随分、物わかりがいいんだな」


 異星の風の中に佇むリェムは、そのゲイリーの言葉に、無言でいる。

 ゲイリーは瞼を開け、そんなリェムの顔を窺うべく視線を投げた。しかし、彼の表情からは、なにも読み取ることができない。


「……リェム少佐、なぜニーアを書架に戻すことを許した? こうなることも、あんたにゃ、想像がついていたんだろう?」


 ノヴァ・ゼナリャの夕日が、対峙するふたりの男の影を照らす。


 ……だが結局、リェムは、そのゲイリーの問いかけにも無言を貫いた。かわりに彼は静かに踵を返すと、停泊中の軍艦の方向へと、ゆっくりと歩き去っていく。



 ゲイリーは暫く、リェムの後ろ姿に目をやっていたが、ふと、足元の焼け跡の中に、なにかの書籍の破片を見いだし、そっと屈んでそれを拾い上げた。その焼け焦げた紙片には、見覚えがあった。


「『桜の園』……」


 改めてゲイリーの胸中に、ニーアの澄んだ声が、活字を拾う紫色の眼差しが鮮やかに蘇る。ゲイリーは、誰にも聞こえぬよう微かな声で、物語の一文を口にする。


「“ああ、わたしのいとしい、なつかしい、美しい庭! ……わたしの生活、わたしの青春、わたしの幸福、さようなら! ……さようなら!”……か」


 そう呟きながら、彼は改めて思うのだ。


 ……ニーア、君はやっと解放されたんだな。それに、おめでとう、と言って良いのだろうか、俺は悩むが……。


 だが、その彼の問いに答える者は、もういない。


 やがて、ゲイリーは手にした紙片をそっと宙に手放した。それはたちまち風に乗り、ノヴァ・ゼナリャの緑の森の上空に、はためきながら姿を消していく。


 その様子を見届けると、ゲイリーは、もはや振り向くこともなく、リェムの後を追って、離陸の時間を前に、エンジンを唸らす軍艦へと歩を進めたのであった。


 了


 ※“”内=『桜の園・三人姉妹』アントン・チェーホフ著 神西清訳 新潮文庫

(新潮社)より引用

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虚空の書架 つるよしの @tsuru_yoshino

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