第26話 その肌から伝わる君の孤独
ニーアの長い長い告白を聞き終わってから半日後。
リェムとゲイリーは、再び、ニーアが監禁された居室にいた。リェムは、険しい面持ちでニーアの前に立っていた。それもそのはずで、彼は地球政府の上層部に、ことの顛末……つまりニーアの自供を報告し終わって、通信室から戻ってきたばかりであったからだ。
「地球政府のお偉方は、すぐにでも、君を地球に送還せよとのことだ」
リェムの通告に、ニーアはそっと紫色の瞳を翳らせると、ぼそりと呟いた。
「私は……どうなるのでしょう」
「それは分からん。人権に則って身分を扱うよう、進言はしておいたが」
「……そう、それはどうも」
ニーアは目を閉じながらリェムに軽く頭を下げて見せた。それから彼女はしばらくの間そのまま目を瞑っていたが、ゆっくり瞼を開くと、こうリェムに向かって囁いた。
「少し、時間をくれないかしら……400年以上の時を過ごしたあの書架に、別れを告げたいの」
リェムが眉を顰める。だが、それを見てゲイリーが口を挟んだ。
「おい、リェム少佐、それ位は良いだろう? 彼女にとっては、永い時を過ごした思い出ある場所なんだ。そこから離れろと彼女に言うのなら」
ゲイリーのその言に、リェムは暫し栗色の髪を傾け思案に暮れていた。やがて、仕方ないな、とばかりに、やや大げさに肩をすくめると口を開いた。
「分かった、猶予をやろう。今から君を、この森の中で解放する。……ただし時間は24時間だ。明日の朝を過ぎても帰還しなかった場合は、我々は実力行使に出る」
ニーアは即座に頷く。そして、弱々しく微笑みながらも、言葉を継いだ。
「構わないわ……あと、ひとつお願いが……」
「なんだ」
「ゲイリーに一緒に来て欲しいの」
「……よかろう。サンダース、彼女の監視役を君に任じる」
ゲイリーは自分の名が出てきたこと、そしてリェムがあっさりとニーアの望みを許可したことに、些か意外な思いを抱かずにはいられず、一瞬、虚を突かれたような顔つきになった。……が、拒否はしなかった。
……彼女の願いを聞ける限りは、聞いてやろう。俺が、できる限りのことなら。
ゲイリーはそう腹を括り、黙ってニーアとリェムに向かって頷いた。
ゲイリーとニーアは、再び懐かしいガラスドームの書架の中にいた。黒い戦闘服に包帯を巻かれたままの姿で解放されたニーアの足はおぼつかず、よろよろと頼りないものだったが、それでも長い監禁から解かれた彼女の顔は輝いていた。
「ああ、私、やはりこの書架の中が好き……ここの空気が好き……」
ニーアは傷だらけの顔をほころばせながら、ゲイリーの横で笑った。だが、ゲイリーの顔を見上げるや否や、その美しい紫色の瞳を翳らせた。
「ゲイリー、あなたには嘘ばかり、ついてしまって……それだけでなく、その上で、あなたを、あわよくば、この書架の番人にしようとなんて、してしまって……」
ノヴァ・ゼナリャには夜が来ていた。陽のひかりが弱まりゆくドームの中に、ふたりの影が伸びる。
「君の愛した人の遺言だったんだろう、みな。気にするな……」
ゲイリーは、こともなげにそう静かに言う。ゲイリーは、明日には、この星をおそらく永劫に離れ、明日をも知れぬ身となる彼女を、これ以上責めたくなかったのだ。彼が口にしたのは他のことだ。
「ニーア、なんでハックをあっさり認めた? そうしなければ、すこしは時間を稼げたかもしれないのに」
「そんな僅かな時間稼いでも、意味ないわ。それに、ゲイリー、あなたが来てくれたから……」
「俺が?」
「私、この命の最後には、生きた人間と嘘偽りなしに関わりたかったの。だからよ」
「最後なんて言うな。まだ死ぬと決まったわけじゃないだろう」
するとニーアはそびえ立つ本棚のひとつにもたれかかると、それには答えず、只、泣き笑うかのように顔を歪めた。そして、ゲイリーの目をまっすぐに見つめると、震える声で声を発した。
「……私、ずっと、こうして誰も欺くことなく、ただ、真摯に、何の計算もなく、心のままに、人として、人を愛したかった……」
そしてニーアはゲイリーの両肩に手を伸ばした。
ふたりきりの書架で、ふたりきりの視線が交差する。
「……ねぇ、灯を消して良い?」
ゲイリーが頷くと、ニーアは書架の壁面に軽く触れた。
すると、それまで煌々とガラスドーム内を照らしていた照明が、ふっ、と消えた。
そしてニーアはゲイリーの真横に寄り添う。ゲイリーはニーアのひんやりとした頬にそっと手を伸ばす。
ほどなくゲイリーのその指先は熱く湿った。気が付けば、ニーアの頬は涙に濡れている。暗闇の中、ゲイリーはニーアの頭部に手を回すと、その髪を優しく撫でた。すると、ニーアは、泣きじゃくりながらゲイリーにその肢体を寄せてくる。
「私、もう、ひとりじゃない、ひとりじゃない……」
ゲイリーは言葉もなく、ただひたすらにニーアの髪を撫でるのみだ。
するといきなり、ニーアの影が彼の顔を横切った。
「ゲイリー……最後にあなたに出逢えてよかった……」
そして次の瞬間、柔らかな唇が、ゲイリーのそれに触れた。闇に沈んだ書架の中、二度、三度と2人は口づけあう。そのたびに、深さを変え、角度を変えて。
ゲイリーはやわらかくも激しいその感触から、彼女の400年来の孤独が、自分の身体に染み渡ってくるのを感じた。
やがて、ニーアの涙声がゲイリーに耳に届いた。
「上、……見て、綺麗……」
その声にゲイリーはガラスドームの天頂を見上げる。すると書架の上には、ニーアの言うとおり満天の星が輝いている。
……それから、ふたりは朝が来るまで、零れんばかりの星灯りの下で、お互いの影を重ね合った。
ゲイリーは気が付かぬ間に寝入っていたようだ。目を覚ませば、朝の陽のひかりが書架を満たしている。
そして、ニーアがいたはずの傍らの床には、1枚の紙が折りたたまれて落ちていた。ゲイリーは、ぼんやりとする目をこすりながら、その紙を開く。そこにはこうあった。
「ゲイリー、少し先に行っていて。ひとりきりで、最後の時を過ごしたいの。
ニーア」
……嫌な予感がした。
「ニーア!」
ゲイリーは彼女の名を呼んだ。だが、書架の中を見渡す限り、そこにはニーアの姿は見えない。
……すると、外だろうか?
ゲイリーはガラスドームから出ると、蒼く広がる森の中に踏み入ってニーアを探そうとした。その数十秒後。
大きな爆発音が、ゲイリーの耳をつんざいた。次いで、背後から熱風と爆風が吹きすさむ。ゲイリーが振り向いたときには、ガラスドーム、そしてその中の書架は劫火のなかに沈んでいた。
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